第一幕「願わくば、ご命令を」
メイドロボはわずかの間、沈黙した。
魔神はただ待った。
そして、メイドロボが動く。
ドレスを広げ、頭を下げ、臣下のものが王にするようにうやうやしく礼をした。
◆ ◆ ◆
デミトリスは魔神で、魔神であるからには驚天動地の力を使え、人々から供物を捧げさせていた。
身体は炎のように熱く、山のように大きかった。息を吐けば炎を吹き出し、口には大きな牙が並んでいる。手足には長い爪、顎には威厳ある髭を生やしていた。夜闇の中でさえ、その瞳はギラギラと輝き、翼を持たずとも天を駆けた。
とは言え、いかに恐ろしげな外見を持っていたしてもデミトリスは神であり、信仰するものには加護を与えた。供物を捧げる見返りに作物の豊かな実りや、様々な災厄から人々を守った。
だが、人一倍自尊心の強かったデミトリスは自分を怒らせた人間には厳しい罰を与えた。
一口で飲み込んでしまうか、大きな足で踏み潰すか、燃える炎の山に投げ込むか、気分次第では地獄へ続く穴へ放り込んだ。
それがあまりにも酷くあまりにも数が多かったため、神は怒り、魔神を罰すると決め、戦いを挑んだ。
戦えばどちらかが勝ち、どちらかが負ける。
神は勝ち、デミトリスは負けた。
神はデミトリスを銀の瓶の中に封じ込めた。そして、こう言った。
――瓶の蓋を開けたものに仕え、3つの願いを叶えよ。
魔神の中でも取り分け自尊心が強かったデミトリスは誰がそんなことをするか、と凄んでみせた。だが、その瓶には同時に呪いもかけられ、デミトリスは蓋を開けたものの願いを叶えるまで決して自由にはなれなくなってしまった。
それでもデミトリスは己を貫き続けた。
銀の瓶の底で厳かにあぐらをかき、自慢の髭を撫でながらどうやってこの瓶から抜け出し、どうやって憎き神を八つ裂きにしてやろうかと考えを巡らせた。
そうこうしている内に、瓶の蓋が開けられた。
そこは洞窟の中だった。デミトリスにはすぐにわかった。ここは自分がねぐらにしていた洞窟である。溜め込んだ財宝はすっかり無くなり、寝床の上に銀の瓶がちょこんと置かれていただけのようだ。
最初に瓶を開けたのは、汚らしい身なりをした中年の男だった。ガリガリに痩せて、頭にはでかいハゲもあった。歯並びも悪く、まっとうな生き方をしていないことをうかがえる。
デミトリスが姿を現した時、男は尻餅をつき、並びの悪い歯をかちかちと鳴らしていた。それでも男は笑みを浮かべた。口の両の端を持ち上げるような気味の悪い笑みだった。その笑みはデミトリスにとって妙に癇に障った。
「ひへへへ! ほ、本当にいた! 魔神だ! 瓶の魔神だ!!」
男はこれで大金持ちだとか、女はべらせて一生楽に生きてやるなどと言っていた。
無論、デミトリスはその言葉を十分の一も聞いておらず、ビキビキと額に血筋を浮かべるのであった。
「さあ、魔神よ! 我が願いを叶えよ! 私は――」
最後まで言わせなかった。
ぱんっと子気味良い音をさせ、男は血と肉と骨のスープになった。
瞬間、銀の瓶は煌々と輝き、デミトリスを掴み、瓶の中に引き込んでしまった。
なるほど、願いを叶える前に瓶を開けた者が死ねば、再び瓶の中に封じ込められるようになっているようだ。
それにしても……。
瓶の底で男の目と笑いを思い出し、デミトリスは再び怒りに身をたぎらせた。
まさしく自分の優位性を疑わない見下した眼。矮小な自分を覆い隠し、全てが思うままに進むと疑わない笑い。
全てが癇に障る。
向こうはこちらのことなどどうでも良いのだろう。生きようが死のうが願いさえ叶えてくれれば構わない。それはどこまでも真っ当で正しいものだとデミトリスも思う。そして、それを殺す自分もまた正しいと思う。
気に入らないものは気に入らないのだ。
あのような小汚いものは片っ端から殺してやろうと心に決めた。
そして、このような屈辱に会わせた神は必ず殺してやるとも決めた。
それから、しばらく経った。
同じような人間は後を絶たなかった。
餌に群がるアリのように人間は銀の瓶に寄ってきた。全員アリのように潰した。
金のない奴も金を持っていた奴も、男も女も、年老いた奴も若い希望に溢れた奴も、ひたすら殺した。
奴らは口を揃えて言うのだ。
――魔神よ、願いを叶えたまえ。
ふざけるな。
それから、またしばらく経った。
少し前の虐殺が効いたのか、瓶を狙う人間も少なくなった。
それに伴い、場所も変化した。
蓋さえ開けなければ、持ち運びは自由なのだ。
時には平原で、時には荒野で、時には砂漠で、時には館の中で、蓋は開けられた。
そのたびに血溜まりをこしらえた。
そのうちに願いを叶えて欲しいと言う者よりも、デミトリスを殺そうとする者の方が増えた。
剣で、槍で、弓で。
封印されていてもデミトリスは魔神であり、未だ力は衰えていなかった。武器を持ったところで結果はその他大勢と大差無かった。
それから、さらに時間が経った。
永い永い時間を過ごした。
永い永い時間が経ち、デミトリスは少しだけ変化した。
幾多の主人との出会いが何の影響を与えなかった訳ではない。
魔神は今まで握りつぶしてきた人間にもいろいろな奴がいると知った。
金にうるさい奴、どうしようもなく食い意地の張った奴、繁殖に精を出す奴、どこまでも正直な奴。その中には主人としても良いと思う人間との出会いもあった。
だが、そんな人間ほど魔神の力を必要としておらず、自らの力で未来を切り開き、願いを叶えていった。
最後に瓶の蓋を開けた人間は幼い少年であった。
まだまだ、両親に甘えたいであろう歳の少年。
不思議と殺そうとは思わなかった。
だが、彼もやはり願いを叶えることはなく、死んでいった。
倦怠と孤独の海に沈んでいく。
やがて、魔神は願いを叶えようと思い始めた。
遠い記憶に焼きついた温かい思い出がそうさせたのだろうか。
未来への希望に救いを求めたのであろうか。
だが、魔神の心変わりと合わせるように、瓶を開けるものはいなくなった。
魔神はただ待った。
次に蓋を開ける者が仕えるに足る人物であることを願って、長い眠りにつくのだった。
◆ ◆ ◆
――あれから、二千と五百年が過ぎた。
リアはロボットで炊事、洗濯、掃除などの家事全般を行うことを目的と作られた、いわゆるメイドロボだった。
正式名称はRA―79Bで、型番は2210―06―24で、大手メーカー『ザイガファクトリー』製で、服と靴は『リカル』製メイド服であった。
リアはどこからどう見ても人間で、その気になればくしゃみ、あくび、貧乏ゆすりさえやってのける、雑無用にも観賞用にも使える汎用型のメイドロボであった。
だが、今は無人の荒野を一人立っている。
いつからそうしていたのか、墨を流したような人工体毛の髪は砂塵にまみれ、高性能カメラとセンサーを兼ねた瞳は悲しみも楽しみも憂いも入る余地が無いほどに無感情に埋め尽くされていた。
エプロンの前で組んだ手にはなんの温もりもない。
服の右胸辺りには穴が開き、シリコンの乳房の代わりにいくつかの電子機器が顔を覗かせていた。
リアの目の前にはゴミの山がそびえ立っている。
現在、シフトのリサイクル制度は資源の循環と共に住民からの税の徴収にも利用されているため、税を払えないものたちはこうして、廃棄物を郊外に捨てる。そして、その中から使えるものを拾い集める商売、通称ゴミ屋もまた発展していた。
リアには奇妙な点があった。リアには主人がいなのだ。
ロボットは主人に使われる。
観賞用、警備用、雑無用、戦闘用などの区分はあっても、その根底にあるのは人間への隷属であり、主人のいないロボットは存在してはならない。
稀に暴走し、主人を失うロボットはいるが、そう言ったものはシフトが十回転もしないうちに司政府のハンターに捕獲され、破壊され、リサイクルセンターへ送られ、バラバラにされる。そして、別の何かに生まれ変わらせられるのだ。
そういうシステムなのだ。
特にメイドロボなどの人間の身の回りの世話をするロボットが主人を持たないと言う事はまずあり得ない。
そもそもメイドロボは主人を失うと、その後数日の猶予期間の後、機能を凍結させるプログラムが備えられている。これは全てのメイドロボに内臓を義務付けられている。
飛ばないロケットに、映らないテレビに、光らない電光に存在する価値が無いように、主人を持たないメイドロボには燃料を消費して良い道理は無いのだ。
だからして、リアも存在してはならないはずだった。
今頃はリサイクルセンターでバラバラにされていなければならないのだ。
だが、リアは今ここに居る。
シフトの中のボーラシティの外。通称ゴミの城の前。
主人も連れず。
ただ一人で。
メイドロボなのに。
リアが動く。人々を不快にさせない程度に抑えられた足音を鳴らし、ゴミの山に春の新作メイド服のまま突貫していく。
ゴミの山に突貫したメイドロボは巨大な機械の部品を取り除いていく。炊事、洗濯、掃除に使われるメイドロボの細腕は冷蔵保存庫を軽く一人で運ぶ力を発揮する。
黙々とリアは作業を続ける。その姿はまさしく機械じみた正確な動きであるが、メイドロボとしてはどこまでも不自然とも言えた。
指先はドロで汚れ、服は端々を引っ掛け破れる。それでもリアは止まらない。
それだけが自分に与えられた唯一の仕事だと言うように、無駄口一つ叩かず、無駄な動き一つ無く、クリスタル洗浄のまばたきをきっちり五秒に一回周期で行う。
その努力は思ったよりも早く報われた。
リアがゴミの山から一抱えある赤いタンクを引っ張り出す。人工素材でできたそのタンクは微生物による分解も行われず、ドロと油で飾られているだけであった。
中には燃料がメモリ十分の一ほど入っている。安定剤を入れ、常温でも十分な保存が可能ではあるが、こんな荒野の真ん中に捨てるにはいささか危険な液体である。
リアはタンクの蓋を開ける。一瞬でむあっとすえたような匂いが広がる。防臭剤は期限切れのようだ。
普通はこんなものをメイドロボの燃料とはしない。成分的には問題なくとも、匂いという要素は人を苛立たせる。だからこそ、このタンクはここにあるのだろう。
あいにくとストローのような上品なものは持ち合わせてはいなかった。リアはタンクを掲げ、その注ぎ口に口をつけた。
嚥下する。
リアは眉一つ動かさない。
カタログスペック上では高性能を誇るリアの味覚センサーはこの燃料を「品質は問題なし」と判断した。
タンクを傾けた、二十秒ほどで食事は終わった。
空になった赤いタンクはもはや用済みで、その有効的な使い方もリアにはわからなかった。
一瞬だけ、時が止まったように動きを止める。
赤いタンクはやはり赤く、空になったタンクは空気のように軽い。白いキャップだけが自己主張をしており、側面の印字はとっくに役目を終えていた。
瞳が揺れる。
投げた。
ふわりと円軌道を描き、タンクはゴミの城の中に飲まれていく。
それでおしまいのはずだった。
リアはどこかへ歩き出し、タンクは再びドロと油に求愛を受け、ゴミ屋か司政府のリサイクルセンターが動き出すまでゴミの城の一部と化す。シフトは自転を続け、ロボットは人に尽くし、時折戦いが起き、人口が増えたり減ったりする。
だが、メイドロボが拾った音が、少しだけそれを変えた。
ボン。
カラン。
その音はあまりにチープで、悲しいほどに価値を感じさせないものであった。
リアがその音を拾い、回れ右をしていた身体を振り向かせたのはただの偶然か。
最初の音はタンクがゴミの城に不時着したものであろう。リアはそう判断した。では、その次は?
通常ならば無視しても良い音だ。
内部が空洞となっている金属体の反射音。そんなものはいくらでもある。大昔に発明された「缶」は数多の強豪を打ち倒し、競合戦争荒れ狂う時代を耐え、今なおその姿を残す。街に行けばいくらかのポイントと引き換えに手に入れることができる、もっともポピュラーな保存食品と言える。
だが違う。
その音はシフトに存在する缶とは少々違う響きを残している。
気になった。
わずかな変化を逃さず捉えることの重要性は人間でもロボットでも変わらない。特に明日も知れない孤独なものにとってはそれが思いもよらぬ転機となるかもしれない。
考えすぎだろうか。
だが、このまま当てもないまま歩いても結果はそう違ったものになるとも思えなかった。
黙考し、行動するまできっちり三秒。
リアはゴミの城へ果敢に攻め込むことにした。
紙くずの地面を踏み、コードの森を切り開き、保存庫の丘を越えた。
すぐに見つけた。
赤いタンクからリアの足で五歩と少し、くすんだ金属塊がそこにある。
銀の瓶であった。
シフトで保存用に使われるような人間工学の観点からデザインされたものではない。
無駄な突起、無駄な曲線、無駄な絵柄、無駄な掘り込みがあり、下手に触れれば身を傷つけられそうなほど、鋭い形をしている。
リアの細い指に囚われた今でも誰にも屈しないと主張し、瞳も無いのに睨みつけられているように感じる。
汚れるのも気にせず指で拭けば、そこには銀の光沢がある。
数百年の年月を感じさせたまま、銀の輝きは衰えずにいる。
シフトの掃き溜め。ゴミの城の洗礼を受けてなお、その輝きを奪うことはできない。
だからだろうか。
リアはその蓋に手をかける。
論理的判断と現実はゴミの中に埋れ、むくむくと幻想が頭を上げる。
指が動く。
手が握る。
腕が持ち上がり。
足は深淵に沈み。
風が髪を撫で。
瞳は銀の瓶を見つめたまま。
わずかに唇を噛む。
願った。
世界が爆ぜた。
そう違いなかった。
ゴミの城は炎に焼かれ、もうもうと黒い煙を上げる。
あちこちの燃料に引火し、ボン、ボンと爆発する。それはある種の芸術のようで、不規則な爆発音は人々を魅了する。
人体に悪影響を及ぼすようなガスは発生しないよう司政府が取り決めていたが、ガスなど起きなくとも煙塵は人を殺すほどに違いなかった。
その真ん中にリアはいた。
火柱の中心になすすべなく立ち尽くしている。
周囲は赤、橙、黄色、黒に染められ、足元のゴミは次第に溶け、姿を無くしつつあった。
一瞬でセンサー類が焼ききれたのか、各神経系からは周囲の温度を平常と報告された。有酸素呼吸も順調で、瞳の洗浄液が乾くことも無い。
異常事態だった。
人工クリスタルは炎の存在を認め、警告を脳ミソに放ち続けている。聴覚にも周囲の爆発音や発火による雑多な音が拾われる。だが、触覚類は周囲の状態を正常とし、適正な温度に保たれているという。
通常とは矛盾した幾多の状況がリアの思考回路に過剰な負荷を与え、すぐさまの行動を阻害した。
感覚系の報告を一度ストップさせ、状況の整理に全思考を集中させる。
だから、それを発見するのが遅れた。
目の前に炎とは違う、何か別のものがいることにリアはすぐには気付かなかった。
そのことを笑うべきではない。
それほどまでに異様な存在であった。
伝説の巨人がそこにいた。
立法、説法、人殺し。なんでもござれの星導会は言うのだ。
「かつて世界には神がいらっしゃった。
神は自らに似せ人を作りました。
しかし、人は罪を犯しました。神に近づこうと傲慢に考えてしまったのです。
神はそれに怒り、シフトを空に放り投げたのです。
以来、我々は神への奉仕と贖罪を重ね、いつか聖なる地へと帰る日を待っているのです。
――では、神はどこに?
神は聖なる地で身体を休めていらっしゃる。
かつて、彼の地には神に逆らう愚かしい者たちもいました。彼の者との戦いで神は傷つき、その傷を癒していらっしゃるのです。
祈りは聖なる言葉。神の身を癒し、我々に救いの手を差し伸べるのです」
ありがたいお言葉は大抵の場合、そんな締めで終わる。
ロボットにとってみれば、そんな言葉はさしたる意味は無く、脳内辞書の端っこに登録していれば済むことである。必要となれば脳ミソをひっくり返し、検索にかければよい。
だが、現在のリアにとってそれは最優先事項に当たった。
星導会の教会。
タイトル『神と魔神の戦い』。
神が邪悪な魔神と戦い、剣を持ってその首を刎ねる。そう言った場面を描いた絵画のレプリカ。
熱した鉄のような肌。戦闘用か建設用かと思うほどの巨躯。手足の爪は採掘用かと思え、口に並ぶ牙はナイフのよう。リアに握り拳ほどある瞳は夜でもないのに光を放っていた。そして、首と両手には銀色の枷がはまっていた。
叫び声なんて人間臭いものは出なかった。
「おい」
魔神が口を利く。
ちゃんと聞き取れる言葉だった。
口から言葉と共に黒炎が漏れることを除けば、それはごく普通のベースボイスだった。
魔神は右手で長い髭を撫でながら、厳かに言う。
パイプオルガンの重低音のような響きが炎の渦を奏でる。
シフトの軋みとどこか似ていた。
「我は魔神デミトリス。この忌々しい銀の瓶に封じられしものだ。貴様に問う。貴様は我に何を求める。どんな願いでも三つだけ叶えてやろう」
静かな口調だった。
怒りも悲しみも喜びも、長い月日に凍らされ、その形を失ったようだ。
だが、その凍りの奥には未だマグマのようなドロドロとしたものが、深い深い沼を形成しているように思える。
リアは科学の目には映らない、何か底知れないものの気配がじわりじわりとこのシフトの大地にじみ出ていることを感じ取っていた。
ロジックなどハナクソほどの価値もなかった。
デミトリスと名乗った魔神はただ待つ。
ガラスよりも冷たい目がリアを射抜いていた。
その表情は鋼鉄よりも固く、周囲を取り巻く炎さえ彼を引き立てる脇役に過ぎなかった。
幻想的なまでの静寂。伝説に伝わる煉獄のごとき炎。星々のまばたきさえ、この瞬間は止まっているに決まっていた。
忘れていたことを思い出す。
リアはメイドロボで、メイドロボであるからには主人がいる。
軋む。
歯車が絡まり、ネジが緩む。
リアはボロボロに汚れたメイド服の裾をつまみ、片足を後ろに下げ、カチューシャと共に深く頭を下げる。丁寧なカーテシーであった。
「願わくば、ご命令を」
瓶の魔神デミトリスとメイドロボリアの奇妙な関係はこうして始まった。
つづく




