0-5 楽しく
翌朝。
一緒にクリシュラと朝食を摂る。
ふかふかのパンに、卵、スープ、何かのお肉。
朝ごはんだけで私のこれまでの1日の食事よりも豪華だった。
私のご飯はもっと貧相でいい、なんてクリシュラに言ったら、
友人に対してそんな扱い出来ないわ、なにより私の矜持が許さない、なんて言われて。
朝からへにゃへにゃしてしまった。
ただ、出されたものを全部たべたお腹はぽんぽんで、太っちゃうな、とは思った。
+-+-+-+
さて、これから何をしよう、とクリシュラと向かい合ってお茶を飲む。
正直、このままゆっくりだらだらクリシュラと話すだけでも幸せなのだけれど、
私には妙案があった。
朝起きて、窓の外に見える湖。
私が溺れ死にそうだったそこ。
それをみてピンときたのだ。
だけど、思ったより、ずっと緊張する。
友達が出来たばかりの私に、遊びに誘う、という行為が高難易度で。
ドキドキする。
勇気を出して。
「あのっ!!!!」
ずっこけた。
想定の3倍ぐらい声が出て、何事かと、クリシュラも目を丸くしている。
でも、コケたのなら、そのまま言っちゃえばよくって。
「お願い権を使います!!今日!天気も良いし、暖かいし!ので…一緒に外で遊びたいなって!!遊んで欲しいなって…遊びませんか?」
思いっきり投げた羽みたいに、最初だけ勢いが乗って、空気が邪魔してすぐに失速する。
だけど、言えた。
だから、不安なのは彼女の返答で。
目をぱちくりとしている彼女と目が合う。
「ふふっ…いいわよ」
クリシュラはクスクスと笑いながら、優しく私を受け入れてくる。
不安はもう解けて、でも、別の何かが理由でドキドキしてしまう。
誘って良かった。
早鐘を刻む胸を抑えながらそう思う。
「でもね…お願い権は受け取れないわ…だって私もリズと何かしたかったから…でもどうしようか思いつかなかったの。だから、その権利を行使する必要なんてない」
「じゃあ…何に使えば…」
朝からずっと考えていたお願い権の使い道がこれだった。
だけど、彼女はそれを受け入れてくれないようで、本当に使い道に困る。
ハグ、が一瞬選択肢に浮かぶ。が、それは不埒過ぎるとバッサリ切り捨てる。
「別に急がなくてもいいの。ゆっくりと考えて」
「うん…」
「それで、今日は何をするの?お散歩するだけ?」
「あ…えっとね、釣りでもしようかなって」
+-+-+-+
実は釣りが得意なのだ。
孤児院では、自由が与えられて、まともな食事が与えられなかった。
だから、しばしば少し遠出して食料を確保することがあった。
私が目に着けたのは釣り。
針と糸だけ買えばいい。
木の枝で作った即席の竿に、その辺を掘り返して取った虫をくっつければ、それで準備が整う。
最初は食い扶持のために始めた事だったが、思ったよりこれが楽しい。
魚が釣れると快感だし、自分で捌いて焼けばひとしお美味しく感じる。
私という人間が唯一趣味と言える行為だった。
「私、釣りなんてしたことないわ」
という彼女に、大丈夫だよ、と返す。
濡れても大丈夫な服に着替えて、と言ったのに、クリシュラは真っ白なワンピースを着ている。
彼女の着る服はどれも高そうで、そんな服に引けを取らないぐらいには彼女は綺麗。
私は、というと、ここで溺れた時と同様の旅装束。
あれがずぶ濡れだった時は、クリシュラの昔の服を貸し与えられていたらしくて、汚さないように気をつけた。
クリシュラがだいたい12~13歳ぐらいに着ていたという服は私にぴったりで…ただ胸のところがスカスカだった………
平ら、という訳では無いが、なだらかな自分の胸元をみて悲しくなる。
暗い考えを取っ払うように彼女を先導する。
適当に長くて、折れにくそうな木を見繕って、虫を探す。
クリシュラは虫が苦手みたいで、彼女の分の虫も針に付けてあげて、湖湾のちょうどいい岩場に腰かけて、釣りのスタート。
ちゃぽん、と餌のついた針が沈んで行くのが見える。
透き通る湖は、魚も透けて見えていて、飛来した何かに逃げ惑う姿がよく分かる。
ゆっくりとした時間が流れる。
クリシュラが持ち込んだ日傘と、ラグのおかけですごく快適で。
「ねぇ…」
遠慮がちな声は、珍しくクリシュラのもの。
「昨日答えたくないって言われたばかりなのだけど…なんでこんなところを彷徨ってたのか、聞いてもいい?」
「………」
答えに迷った。
クリシュラはこれまでずっと私を受け入れてくれている。
正直に答えても、そのまま受け入れて貰えると思う。
だけど、受け入れて貰えない可能性もあるわけで、その可能性を考えるに値するほど「死にたかった」なんて答えは重いのだ。
空気が重くなる。
思案中の私に、言葉が続けられて。
「もしかして…死のうとしてた?」
一発で真実をつかれた。
確かに、バレる要素は沢山あっただろう。
黒枷が人間社会でどういう扱いを受けるのか。
溺れる所を助けられた私の容態。
だから、彼女の推理は結構妥当で。
コクリ、と頷く。
彼女の表情が見れない。
「まだ、死にたいと思う?」
「そんな!ことは………ない……かも」
咄嗟に答えが出た。
それは自分でも意外で、15年間生きてきて、その果てに出した結論はわずか1日そこらの時間で覆っていた。
だから、私にそう思わせてくれた人なんて明らかで。
「それって、……私と…その…仲良くなれたから?」
なんて恥ずかしい事を平然と聞くんだ…
そう思って、顔を上げて、彼女と目が合って。
その頬が真っ赤に染まっていることに初めて気づく。
可愛い。
朱が差した頬は、白い肌のせいではっきりと分かって、ちょっと不安げな表情で、そんな顔見た事なくて。
可愛いな、なんて思って。
「うん…クリシュラと、友達になれたから」
真っ直ぐに答える。
不安な気持ちのままなのは辛いのだ。
それは私のよく知る事実だから。
彼女が、昨日ハグをして、私を受け入れてくれたように。
私も彼女を受け入れたい。
竿を置いて、彼女に向き直る。
クリシュラがしてくれたように、ハグでもしようかと思ったけれど、あいにく手が汚い。
どうしようか、と考えて。
「ん……」
彼女の額に唇をくっつけた。
これは、孤児院のシスターが、子供に愛情の証としてよくやっていたことで、
私は終ぞされたこと無かった。
して欲しいと思ったことはたくさんあったが、こうしてしてみると、なんだか今だけお姉さんになった気分。
「えっ…ええっ…」
真っ白な肌は、今は余すところなく真っ赤に染まって。
湯気が出そうなくらい、真っ赤な彼女は可愛くて。
「クリシュラが好きだから、私は生きていたいって思えるよ」
自分の顔も熱くなるのが分かる。
私もクリシュラと一緒で真っ赤になってるだろう。
だけど、スッキリする。
この人は、私が初めて好きになれた人だ。
これかも『友人』として、ずっと仲良くしていたい。
燦々と太陽が照らす岩場で向かい合って、真っ赤な私たち2人。
言葉は止まって止まってしまって、逃げ出したいくらいに恥ずかしくて、だけどそれ以上に一緒にいたくて。
ちゃぽん、と音がする。
「あっ!…ああっ!」
私の釣竿が落ちたのだ。
糸の先には、暴れる魚が見えていて、その存在に引きづられるようにして釣竿が沈んでいく。
「落ちちゃった…」
「ふふっ…」
「笑わないでよ……あは…」
空気が弛緩する。
笑って、笑いあって、さっきの……例えるなら桃色?の空気はどこへやら。
結局、1本の釣竿を2人で握って、だらだらして、お昼になって、チェスして、負けたり勝ったりして、過ごした。