0-3 傍に
「ごめんね、大したもの用意できなくて」
「いえ、とんでもない!」
なんてすまなさそうな顔をする彼女だけど、彼女が大したことないと称するものは、事実これまでに見たことがないご馳走だった。
何かのお肉を、見たことないぐらいの大きさで焼いたもの。柔らかそうなパン。具沢山で色の着いたスープ。
どれも私がこれまでに食べたものよりも遥かに豪華で。
「こんな、ご馳走、ありがとうございます」
クリシュラ様と、この場にいるもう1人の人物に頭を下げる。
真っ黒な燕尾服を着こなした初老の男性。眼窩にモノクルをはめ込んで髪を背後で1本にまとめた姿はまさに執事と言ったところ。
名前もバトラーというらしい。本名なのだろうか…
「そう言っていただいて光栄の極み。さぁどうぞ温かいうちに召し上がりください」
「えっと、はい!」
スープを掬って一口。
美味しい。
とっても美味しい。
美味しいものなんてほとんど食べたことなくて、どこがどう美味しいのか全然言葉に出来ないけど。
身体がもっとよこせと言っているのがわかる。
だけど、クリシュラ様の目の前で、汚らしく食べるのが恥ずかしくて、ゆっくり、思いつく限り上品に食べ進める。
「おいバトラー…なんで私の皿を下げる」
「はて、大したことない食事は不要なのでは?」
「あなたねぇ…気にしてたの…まぁいいけれど」
目の前で、クリシュラ様の分が下げられようとしていて。
これは孤児院でも見たことある光景だった。
言うことを聞かない子が罰として、ご飯抜きになる。
私はされたことないけれど、その光景は何度も見てきて。
昔、一度だけご飯抜きの子の為にパンをとっておいたのに、渡すと気味悪がられて受け取って貰えなかった過去を思い出して。
クリシュラ様のテーブルは空になっている。
よし、と思い、一番美味しそうなお肉の皿を彼女の眼前へ。
「お腹いっぱいだから、私の分をどうぞ!私の分だから問題ないですよね?」
どうかこの優しい女神のご飯を取り上げないで欲しい。
それに、私の分は取り上げられる予定じゃなかったはずだし、クリシュラ様に渡しても問題ない…ですよね?と期待の眼差しでバトラーさんを見上げる。
「おや…」
「ぷっくく…くは…あははははは!」
だけど、なんだか私の想定していた反応とは違った。
困った顔のバトラーさんに、大声で笑い出すクリシュラ様。
なんで笑われているのか分からなくて、ただ自分の言葉であの女神が笑っているのだと思うと、顔が熱くなってしまう。
「ふ…ふふ…笑ってごめんね…でもおかしくって…バトラー、見た?貴方の負けよ」
「いやはや、お客様に気を使わせてしまうとは、このバトラー、反省の極み」
なんだか、二人にしか通じない会話をされていて、私はお肉の皿を突き出した格好のまま固まってるばかり。
どうしよう、と固まっていると、クリシュラ様がこっちに歩み寄ってきて。
むぎゅう。
またあの幸せな抱擁。
クリシュラ様の柔らかいところが顔いっぱいにあたって恥ずかしくなる。だけど幸せすぎて拒否する訳なんてなくて。
「ごめんね気を使わせて。いつものじゃれ合いみたいなものなの…でも、あなたの心はとっても嬉しかったわ。本当に…その純粋な心私は好きよ」
すきよ
その言葉が反芻して、頭を撫でられながらそんなこと言われると、心臓がうるさくって仕方ない。
顔も熱くて仕方なくて、きっとゆでダコみたいに真っ赤になっているに違いない。
「バトラー、前言を撤回するわ。貴方のもてなしは満足のいくものよ…だから食器を戻しなさい」
「かしこまりました」
「可愛らしい子。私もあなたの純粋さに負けたのね」
意味は分からなかったけど、柔らかいハグでとろとろになるぐらい幸せで、それでいいかな。
結局、クリシュラの食器は戻されて、お食事は再開へ。
お肉はびっくりするぐらい美味しくて、びっくりした。
+-+-+-+
「リズ、結局あなたはなんであんな所に居たの?」
お食事後はお話タイムだった。
お食事とお話は何故か別の部屋でするらしく、びっくりするぐらい広い談話室の、これまたびっくりするぐらいにふかふかなソファに座って、クリシュラ様の質問が始まった。
ただ、自殺をするためです、なんてことを答えにくくて。
言い訳なんて簡単におもいついた。
道に迷ってずっと進んできたらたどり着いた。そういえば恐らく疑われないだろう。
でも、嘘を彼女に伝えるのが気が引けて言葉がつっかえてしまう。
「……言えないです…」
「………ならいいわ」
結局、長い時間を使って捻り出す言葉はそんなもので、恩義も忘れて黙りの私に愛想が尽きたかもしれない。
「うーん、なら歳は?」
「15歳です。」
「15?びっくりもっと幼いのだと思っていたわ。私も15よ、同い年ね」
次の質問は答えられるもので安心する。
そして、びっくり。
目の前の抜群のスタイルを誇る女神はなんと同い年だったのだ。
私の身体は確かに同年代から見ても貧相なのは間違いないけど、クリシュラ様はクリシュラ様で色々と育っている。主に胸とか。
羨ましい、とは思わない。だけど、なんだか別次元の生き物だと言われた気がして少しショック。
「クリシュラ様も15歳なんですね…全然見えないです」
「うん…んー…そのクリシュラ様っていうのやめてくれないかしら?」
「えっ、あっの、ごめんなさい!!!」
「…あなたのそのすぐに謝る癖も少し気になるわ」
「その…ごめんな…むぐ!」
また、頬をむにょりとされる。
怒らせてしまったのかと思っていたけど、慈しむ様なその視線は、まるで怒りなんて覚えてなくて。
「くりしゅらしゃま?」
「クリシュラ。様なんていらないわ」
やっぱり声も優しくて、だから、女神様を呼び捨てにするなんて私には難しい事だった。
「呼んで」
「クリシュラ……………………………様」
やってみようとするも、どうにも呼び捨てにするのが気が引けて、最後に様、って言ってしまう。
むーと、頬を膨らませる女神様。
初めてみる表情だけど可愛い。かわいい。かわいい。
私の顔を掴んで逃がさないようにしながら、彼女の顔が近づいてきて。
近い!近い!
おでこがくっついて、もうチューしちゃう寸前の距離。
心臓がバクバクうるさい。
「だめ、様、なんて付けないの。もう1回」
息がかかって、可愛らしいクリシュラの一面を見ながら、そのお願いを断ることなんて出来るわけが無い。
「クリシュラ…」
「うん。よく出来ました」
ご褒美とばかりに撫でられた頭が気持ちいい。
だけど、先に顔を離してくれないと心臓が爆発してしまう。
「じゃあ次は敬語もやめて」
だけど、顔は離されないまま次のお願いをされて。
コクコク、と頷く。
じゃないと本当に心臓が破裂しそうなのだ。
やっと顔が離されたけど、それでも心臓はドキドキしたまま。
「これからどうするの?行く宛はある?」
「えっと…その…」
その質問は、急に心を冷ました。
そうだ。いつまでもクリシュラと居られわけがないのだ。
むしろ、私は迷惑な存在であり、早く出ていくべきで。
「この後すぐに…出ていく…つもりです」
「敬語…やめてね。宛はあるの?」
この質問が分水嶺だ。
私が馬鹿正直に、ない、なんて言えば気を使ってもう少し居座らせてくれるかもしれない。
でも、それは彼女に迷惑をかけることになってしまう。
だけど…でも、こうしてクリシュラと過ごす時間が、1度知ってしまった幸せは、迷惑だと分かっていても、簡単に手放すなんて出来なくて。
頭をフル回転させる。
どうにか、彼女と一緒にいたい。その願いと。
それでも、彼女に迷惑をかけたくない。その思いを2つとも満たす答えが。
見つかる。思いつく。
だから、臆さずに、口を開く。
「私をここで雇ってください!実は私行く宛なんてないんです!何でもします。料理は…あんまし上手じゃないけど、洗濯も、掃除も、他のなんだってします。文句を言いません。お給料もいりません。だからどうか…」
「一つだけ聞くわね。どうして此処なの?」
どうして、なんて、答えは決まっている。
「貴女が居るから…クリシュラ…様が私に優しさを教えてくれたから…こんな腕なのに、気味悪がらない。化け物って呼ばない。触ってくれて、嬉しくて。撫でてもらえて、嬉しくて…だからっ!!」
溢れ出す思いは、とめどなく流れる。
それでも、流したりないものが、涙になって流れ落ちる。
あぁ、今日まで涙なんて忘れてたはずなのに、今日の私はなんだか泣き虫た。
「私を雇ってください。奴隷でも構いません。どうか、私に幸せを教えてくれた人の傍に…お願いします」
ソファから降りて、床に膝をつける。
ゆっくりと頭を下げて、どうかお願いしますと祈りをこめて。
これが最初で最後のお願いです。
どうか、どうか。
「嫌よ」
-嫌よ-
言葉が反芻されて。
その意味がすぐに理解出来てしまって。
心がぐちゃぐちゃになる。
身体は動かなくて、その場に泣き崩れるしか出来なくて。
ぽふん、柔らかい何かに包まれて、いい匂いがして、胸がきゅぅぅぅぅっと締め付けられて。
拒否されたと、受け入れられなかったと理解した。
だから、この感触は理解が出来ない。
なぜ、クリシュラは拒絶したばかりの私を抱きしめているのか。
その意図が理解できなくて。
「メイドなんていらない。奴隷なんてもっと嫌よ、でもね」
耳元であの綺麗な声がして、拒絶の言葉には続きがあった。
「私、お友達が欲しいの。だから、リズ…私の友達になってくれない?」
-友達-
また彼女の声が脳内で反射して、
やっぱりまだ彼女の言いたいことがよく分からなくて。
そもそも友達なんていた事もなくて、よく分からない。
「行く場所がないならずっとここにいればいい。ここにいてずっと私とお友達で居てくれたらそれでいい。働かなくてもいい。お金も気にしなくていい」
彼女の言葉が染み込んでくる。
それは危ない薬のように、段々と私の脳を溶かして、彼女の言葉に甘えたい、うん、って言いたくって。
私には抗う術も理由もなくて。
「……う゛ん゛!!!」
涙と鼻水を垂らして、彼女の胸に抱かれてヨシヨシされて、さながら泣きじゃくる幼児のような情けない姿だったけど。
私はちゃんと答えることが出来た。