0-2 あなたは女神様?
知らない天井。
いや、天井ではなかった。
私が寝かされたベットから4つの柱がその天井を支えて、レースのカーテンがベットとその外を区別している。
天蓋とかいうやつ。
もちろん、貧しく育った私には縁遠くて知識でしか知らないものだった。
なんで?
疑問は、記憶を手繰り寄せてすこしだけ解ける。
恐らく助けられたのだ。
だけどあの時、私は死ぬ直前であり、それは溺れるというよりも、それ以前に体力を本当に使い果たしていて、どこで目を閉じようと死んでいた様な状態。
でも今は多少なりとも回復していた。
どんな手段かは知らないがあの状態から、私の命を救うだけの努力をしてくれた人がいたのだ。
助けてくれたのはきっとあの綺麗な人だろう。
こんな上等な部屋を与えてくれるぐらいには高貴な身分、お貴族様だろうか?
ハッとして、左腕を確認する。
そこには、真っ白なリボン、『アステリオの髪』がちゃんと巻かれていた。
これがもし外れていれば、このベットは今頃灰になっていただろう。
安堵と共に、周囲を見渡すぐらいの余裕が出来た。
しかし、広い部屋だな、と思う。
暖炉、ベット、その他家具がゆったりと並べられている。
身体を動かす気にもなれなくて、眺めていたら、コンコンと扉のノックの音。
なんだか気が引けて迷ったけど、はい、と答える。
あの女の子が入ってきた。
びっくりするほど綺麗で、髪が真白で教会にある女神アステリオの像を思い出す。
その身を包むのは鮮やかな真紅のドレス。
やっぱりお嬢様なのだろうか。
だから、不安になった。
彼女は私の腕をみてどう思っただろうか?
あの女神の様な容貌が、恨みがましく私を睨んで「化け物!」なんて言われたら泣いてしまう自信がある。
「起きたのね…良かった」
だけど想像とは真逆だった。
その表情はより一層慈しむような、こちらを心の底から心配していて、もしお母さんがいたらこんな顔をしてるのか、なんて思うと、急に胸が締め付けられて。
「あ………え、えっと、あの、……えっと…うぇ…うぇぇぇぇ…」
なんとか、声を絞り出そうとしたのに、出てきたのは涙だった。
「えっ?何!どうしたの?どこか痛い?見せて?」
涙が流れるのが久々で、自分でもなんで流れてしまうのか分からない。
「どこか痛むの?見せて?」
気づいた時には女神の手が私に触れようとしていた。
しかも、私の穢れた左手へ。
「お前はその手でかーちゃんを殺したんだ!」
反芻されるのは、私の心の一番の傷となった、いじめっ子の言葉。
そう、この手は呪われた手。
触れたもの全てを穢してしまう。
そんなもの女神に触れさせられる訳がない。
パチン!
右手で軽く払おうとしたのに、響いた音は思いの外力がこもっていたことを示していて。
「………ぁ、ぁの…ちがくて……ちがくて…ご…ごめんなさい」
彼女の手を叩いてしまった。
その事実が、堪らなくて、逃げ出したくなる。
せっかく優しくしてもらったのに、こんなことしてしまったのか、訳が分からなくて涙が止まらなくなって。
むぎゅう…
ふんわりとした何かが私を包んでいて、とってもいい匂いがして、心がぽかぽかして落ち着いていくのに、涙がどんどん溢れてくる。
背中をトントンとされて、その度に心が軽くなっていく。
とても心地よかった。
だから、これは夢なんだと思う。
実は私は死んでいて、その先で幸せな夢を見せられてるんだと思う。
だから、今だけ、せめて夢の中だけは、好きに甘えたい。
流れ出した濁流の涙は、次第に勢いを緩めて、溜まっていたものを全て吐き出してしまう。
残ったのは、夢に浸る幸せな時間で。
ずっと、ずっっっとハグして欲しくて。
「落ち着いた?」
慈しむようなあの声が耳元で聞こえて、トクンと鼓動が高まる。
視界をおおっていた柔らかいなにかが動いて、それが彼女の胸だと分かって、なにより、至近距離で私を見つめるその綺麗な顔と目が合って。
トクントクンと私の心臓が強く悲鳴をあげる。
その感覚は妙にリアルで、つまりこれは夢なんかじゃないってことで、
彼女の存在も消えることなくそこに居て。
彼女の身をつつむ鮮やかなドレスの胸元部分が、誰かさんの鼻水でぐじゅぐじゅになっている。
サッと血の気が引いてしまう。
なんてことをしてしまったのだ、ととりあえず自分を責める。
「ごめんなさい!」
「…ん?」
「その…ドレスを汚して…」
どうして、自分はこうも失敗しかしないのか。自分が嫌で嫌で仕方ない。
落ち着いたばかりだと言うのにまた泣きそうになる。
さわさわ
頭がとっても気持ちいい。
締め付けられた心がまた緩んでいく。
ドレスを汚したというのに、何度も泣きそうになって面倒なはずなのに、彼女はやっぱり優しくて。
「大丈夫よ。気にしてないから…ね?」
その声が聞こえるだけで、安心しちゃう。
「その…もう大丈夫…です」
「うん」
頭から手が離れてしまう。
あっ待って、なんて思うが、そんなワガママを言うのはさすがに気が引ける。
だけど、心が満たされた私の身体は正当な要求をしてきた。
つまり、空腹状態で、エネルギーをよこせと身体からの要求。
もっと単純に言えば。
きゅるるるるる
盛大にお腹がなった。
「ぷっ…ふふ…ふふふ…聞きたいことはいっぱいあるんだけれど…ふふ…とりあえずご飯にしましょうか」
頬が真っ赤に染まるのを感じながら、でもそんなお世話になる訳にはいかず。
だから、逃げ道を探す。
「あの…私、お金ないです…」
「別にお金取るつもりなんてないわ」
一つ潰されて。
「でも…だって私…臭いし」
「私は気にしないわ。気になるなら後でお風呂に入れてあげる」
二つ潰されて。
「それに…呪われてます」
「これが?」
三つ目も。
見えるように差し出した左手は、私が嫌悪する真っ黒な手。
これが理由で私の不幸が生まれて、これの為に私は死のうと思っていた。
「あっ………」
「ほら?なんともないわよ」
だと言うのに、彼女は何気なしに手を重ねてくる。
「あのね、これは私のワガママなの。だからあなたは私にもてなされる。いい?」
またもや、泣きそうになる。
いや、もう目に涙が溜まっていて、泣き出す準備が万端。
「ごめんな…むぐっ」
ごめんなさい、という言葉は私がこれまで人生で最も発した言葉だった。
迷惑をかけた時も、施しを受けた時も、いつでもその言葉を発していた。
その言葉を使えば、ひどい仕打ちも少しは減ったし、だから馴染むのは当然で。
だから、私の言葉を遮るように、彼女の両手が私の頬をむぎゅっとしていて、よく分からない。
「私は、ありがとう、って言われたいわ」
ただ、笑顔でね?と笑う彼女の顔が、また私の心臓を揺さぶって。
「ありがとう……ございます」
「そういえば名前を聞いてなかったわね」
「リズベット…です。」
「リズベット…リズベット…わかった、リズね」
彼女に名前を呼ばれる度に、もっと呼ばれたくなる。
リズなんて呼ばれて、思わずコクコクと頷いちゃって。
「私はクリシュラ。クリシュラ・リシュリュー・ル・ドラク。よろしくね、リズ」
私はもう誰とも関わらないと誓ったのに。
クリシュラとだけは関わっていたいと、そう思ってしまった。