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羽はアルカナ

作者: 秀月

 

 

 

 ――――どうして人は、飛べないんだろう。


 亜紀あきの言葉に、圭太けいたは顔を上げた。そんなの羽がないからだ。


「飛べたら良いのに。腕じゃなくって、羽に進化してたらさぁ…………私達、きっと空を飛んでたよ」

「だったら、箸は持てないな」

「持てるよー」

「どうやって?」

「はさんで」

「無理だろ」


 すんと逸れた亜紀の横顔は、また空に吸い込まれていくようだ。どこがいいのか。空気であって、色もなければ味もないのに。


「…………あーあ、よく晴れてんな」


 圭太の呟きに、そだね、と一言だけが落ちてくる。亜紀の言葉は、空に反射してから届くみたいだ。そばに居るのに、時々遠い。このもどかしさを感じる理由は、惚れているから。それとも、彼女を理解できないからなのか。


 放課後の屋上には、二人だけしか居なかった。帰宅部で最寄り駅も同じだ。中学は別だったから、高校のクラスが一緒になって初めて存在を知った。お互いに。


 空は飛べなくて、正解だ。


 心理的に掴めないのに、物理的にも掴めなかったら、誰かを好きになるなんて辛くなる。圭太は仕方なく、空を見上げた。広くて高く、途方もない空間が広がる。そこに交じりたいなど、やはり思えない。届かないものなど、欲しくなかった。


 けれど亜紀は気になるひとで、空を見上げると思い出す。


 片思いとは悲しいものだ。


 思いはあっても、届ける勇気がでてこない。月夜を見上げて溜息をつき、雪が降れば見えない青に安堵した。春になったら、彼女は此処から居なくなる。冬の冷え込む朝の空気に、圭太は息を吐きだした。


 体温が白い色になる。空もこれくらい、近ければ良いのに。


 坂の通学路は人に溢れて、同じ場所に流れをつくる。なのにみんなバラバラだ。名前も知らない誰かが、同じ服をきてるだけ。


 亜紀は寒いと寝坊する。圭太は一人で道を歩いた。単語帳をコートのポケットから覗かせて、マスクにマフラー。眼鏡はまだない。


 春を思うと憂鬱ゆううつだ。更に距離が開いてしまう。人生の分岐点。分かれ道だと、よく分かっている。それが告白しない、理由ではないけれど。


 ともかく溜息しか出なかった。亜紀をつかまえていい口実が、自分にはまだ、ない。


 年が明けると、休み時間に騒ぐ奴が減ってくる。


 空席が目立つ日もあった。合格をもらって釈放された友もいる。僕らは何処に行くのだろう。空より狭い地面の上は、人間にしたら広大で。


「空なんて、嫌いだ」


 あの青はきっと、挫折の色なのだ。圭太は机に突っ伏した。人は小さい。しかも、ごちゃごちゃ群れたがる。なのに同じじゃなくて、違いばかりが鼻につく。


 最悪だ。


 それが羨ましかったら、なお悪い。亜紀は空が好きだった。なのに語学系の大学へ行く。世界中の、色々な国に行きたいそうだ。飛行機に乗って。


 現実的な夢に、雷に打たれたような衝撃を受けた。


 空の高みへと亜紀は、飛ぼうとしないのか。漠然と思った。急に彼女が身近に思えた。それも何故か、嫌だった。


 圭太は理工学部を志望した。巨大隕石が落下した時、パソコンひとつ作れない大人に、なりたくない。そう話したら、亜紀は大爆笑だったが。


 これからは、何が起こるか分からない。地上を選んだ人間は、それなりの生き方というものがある筈だ。這いつくばろうとも、地面こそが楽園。何処にも行けない。


「圭太はそういうところ、ピュアだよね」

「どこ?」

「そういうとこ」


 じろりと見ると、亜紀はくすくす笑った。彼女の方が、よほど夢見がちなのに。未来を描いてそれを追う。背中に羽はなくても、やはり亜紀なら飛ぶかもしれない――――ひきかえ僕は、未来を想像できてない。出来ることなら進みたくない。留まってじっくり、胸の中の何かが、かたちになればと考えていた。


 そのよく分からない苦しさから、解放されたいだけだった。


「亜紀」

「なに?」


 呼べば彼女は振り返る。雪が乾いて、アスファルトの道がよく見えた。彼女の影はこちらに伸びて、もう少しで踏みそうな距離にある。それが冬の影なら、力いっぱい踏んづけた。ヤツは早い逃げ足で、あっという間に北の何処かへ行ったのだ。見上げる桜のつぼみは、まだ堅い。代わりに椿つばきと、白いクリスマスローズが咲いていて、冬に戻れないかと後ろ向きに考える。


 季節は巡り、春はすぐそこ。午前に、卒業式が執り行われた。


「じゃあな」

「…………じゃあね」


 亜紀は空を見上げて、困った様子で苦笑する。珍しく言い淀んでから、いつも通り手を振った。屈託のない笑顔で。


「圭太、元気でね」

「おう」


 道をぐっと踏みしめる。いつもの帰路が長く感じた。後悔はある。安堵もした。嬉しくはなかった。


 高嶺たかねの花、というらしい。


 圭太に教えたのは、大学の先輩だ。亜紀は時々、電話をくれた。それも半年前からストップしてる。多分、彼氏が出来たのだろう。


 そういうところが、やっぱりすごい。


 落ち込む資格はないのだけれど、息をしてても何故か苦しく、集中力を欠いていた。以降、彼女からの連絡は途絶える。圭太には、触れる勇気がなかった。


 次第に空を、見上げなくなる。


 挫折の青が、頭ごなしにせめてくるから。研究室に引き籠り、実験とデータのすり合わせに没頭した。欲しい資料がロシア語で、不純な動機から、ネイティブのいるサークルに所属したのは大学二年の冬である。


 レクリエーション同好会という、結構アクティブな集まりだ。そこで彼女もできた。三ヶ月で破局したけれど、今もよい友人である。歳上だったのが、良かったのだろう。真面目君と、不本意な呼び名は付けられてしまったが。


 四年のキャンパスライフを終えた時、圭太は進学以外に選べなかった。


 夢というのが分からない。けれど研究の先に、自分の夢がありそうで。人生で一番、未来の近くに立っていると思えたのだ。


 この先にきっと何かある。


 亜紀が空を見ていたように、一心に求められる何かが。掴みたくて手を伸ばす。それは、溺れてもがくような日々だった。


 遠い場所には、行けそうにない。


 焦燥は下火になって、大学院を出た後、圭太は金属加工の研究所に就職した。構造と耐久性。磨耗や遠心力と戦う日々だ。腐食も金属には大敵で、部品は小型化が進んでいく。小さく高性能で、永く使える。そうでなければ、時代の先駆けにはならない。


 その頃になると、また空を見上げるようになった。


 こんなに広い世界の中で、小さい物ばかりが必要となる。人が大きさを求めた時代は、終わったのだろうか。


 高層ビル群を横目に、溜息がでた。忙殺される日常は、夢を描ける暇もない。


 羽があったら、飛べたのに。


 圭太は首をふった。これでは単に、現実逃避の手段でしかない。亜紀の望んだ羽は、こういうものでは無いのだろう。


 だから特別だった。


 人は進化の道として、腕を選んだ生き物だ。精密な作業を可能とする、指先を。この神秘が羽ならば、飛ぶ場所はきっと、空じゃない。腕を伸ばすと、ぐぐっと背筋が大きく伸びる。


「飛んでみるか」


 僕らの羽は胸にある。未来を描く、夢という名のかたちをもって。







アルカナは、ラテン語の引き出し、または「神秘」の意味をもつ単語。




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