俺の世界と彼女の世界
英雄育成学園、通称――英育。
その名の通り、未来の英雄を育て上げるために作られた学園である。
この学園の入学条件は特にない。明らかに、学園に悪影響を起こす者以外は、たとえどんなに才能がなくても誰もが入学することが出来る。
それが例え、頭が悪くても、身体を満足に動かすことが出来ない者でも、学園はそれを許す。
理由は単純だ。
その者にはまだ本来の才能が目覚めていないから、だ。
頭が悪くても動けるのであればいい。身体を満足に動かすことが出来なくても策略に富めばいい。
『人は不足したものを違う何かで補うのだから、側面だけでその者のすべてを悟ってはいけない』
それがこの学園のテーマだ。
だから、彼は入学したのだ。
魔力を持たない彼が。
――――――
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――
「お前に興味がある」
そう言われて、彼は静かにそう言った人物に目を向けた。
教室全体が騒々しくなる中、彼は静かに目を合わせる。
隣では、幼馴染みがなぜか嬉しそうに、
「やっぱり才能があったんだよ!」
と、彼の手を取るが、まるで他人事のように彼は目を微動だにさせない。
わざわざ教室にやって来て何をしでかすと思えば、自分には才能があると言ってくる。
考えられるのは、
「冷やかしか?」
「いや、そのままの意味だ」
そう言った途端、さらに教室中が騒がしくなる。
そこで、初めて彼は相手から目を離した。
「ならこいつの間違いだろうな」
彼がそう言って目を向けたのは、自分のことのように横でぴょんぴょんと嬉しそうに飛び跳ねる幼馴染みだった。
「こいつは誰が見ても天才だからな。変に伝わったんだろう」
彼の幼馴染みは次期英雄候補の一人で、彼の前に立つ男もその内の一人だった。
だからといって、英雄候補が互いに敵対しているわけでもなく、むしろ未来の自分達の仲間として交友を深めたいのだろう。どちらかが英雄になれなくても、最後は英雄の仲間として世界を引っ張っていくことは間違いない。今までもそうだったのだから。
だが。
「いや、確かに彼女も誘おうとも思っていたが、それ以前にお前に興味がある」
そう言われて、また彼は目を合わせた。
一体何を考えている、と言わんばかりの目で。
「わからないか?」
心を読まれたかのように質問をしてきた男は、彼の返事を待たずに隣にいる彼の幼馴染みに話しかけた。
「お前も俺達のパーティに入らないか?」
その男のパーティは学園トップの成績を収めているパーティだ。
彼の幼馴染みを除けば、すべての名高い次期英雄候補達がそのパーティに属しているという話だ。
その大きさはもはやパーティというよりギルドと呼んだ方がいいのかもしれない。
「なら、一緒に入ろうよ! チャンスだよ!」
尋ねられた彼女は彼の腕を取って、子どもみたいな目を向けてくる。
「……わかった」
人質を取られたかのように、しぶしぶといった感じで彼は頷いた。
「決まりだ」
何もかもを悟ったような目をする男はそう言って、二人に龍のシンボルがつけられた腕章を渡した。
「これでお前達も『救世竜』の一員だ」
「よかったね!」
「……あぁ」
――――――
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――
パーティに入ってからでも、二人はいつも一緒に行動していた。
彼が彼女の後ろをついていくように他の者達は見えているかもしれないが、それはまったくの間違いだ。
彼女が彼と一緒ではないとダメだと言っていて、彼はついていくというより、連れ回されていると言っていい状態だった。
だが、そんなことを知らない他者から見れば。
「腰巾着が」
「いい気になってんじゃねぇ」
「無能」
「魔力も持ってない癖に」
と、いつも陰で叩かれていた。
前々から叩かれることは多かったが、何度も面と立って言われたものだ。それが、陰口になるだけでなかなかどうしてこうも前よりも居心地が悪くなるのだろうか。
「気にしちゃダメ。ちゃんといいところだってあるんだから!」
と、幼馴染みはいつも言ってくれるけども、彼にとってはその言葉でさえも一つの悪口のように思えた。
「気にするな、か」
無能であることは認めているようなものだった。
もちろん、彼女はそんな気で言っていないのかもしれないが、人の感情というのは人の行動によって動かされる。人の心情では慰めにもならない。
そもそもの話をしよう。
彼はこの学園に入る気などなかった。
幼馴染みが一緒に入りたい、と言ったから入っただけで、彼は自分が英雄になろうとか、その英雄の仲間であろうとか、極端の話、彼女の隣に立ちたいなどとも思っていなかった。
「隠された才能、ね」
もしその隠された才能というのが存在するのであれば、世界は不平等であると彼は思う。
才能が隠されているより、顕わになっていた方がどれほど世界が楽に回るだろう。どれほど希望という言葉にすがりつかなくてもいい世界になるだろう。
「隠された才能だって立派な才能だってのに」
人それぞれ持っている才能は違うというのであれば、隠された才能を持ってない人間がいてもおかしくないことになぜ世界は気付かないのだろう、と思う。
「何やってんだか」
そんなことを考えながら、彼はパーティの後ろをずっと歩いていた。
目の前で激しい戦いを繰り広げる幼馴染みの背中を見るだけの日々。
退屈で、何の成長も感じられない日々。
「お前はどう思う?」
「……え?」
ある日、いつの間にか、あの男が隣に立って聞いてきた。
「あのモンスターをどう倒すべきだと聞いているんだ」
「……さぁ?」
正直言うと何が起きているのかさっぱりわからない。
パーティの皆がそれぞれ何かの目的を持って動いているのはわかるが、その目的がさっぱりわからない彼は、皆がすごい動きをしているとしか考えられない。
無意味に横に飛んだと思いきや、ちょうどそこに攻撃が仕掛けられて、そこで初めて「あぁ、躱すために横に飛んだのか」ということに気付かされる。
「……そうか」
男はそう言うと、颯爽とモンスター討伐に加わっていく。
理由はわからないが、彼と話すためだけに一時的に戦場を離れただけのようだ。何をしたかったのかはやっぱり彼には理解が出来なかった。
「やぁっ!」
幼馴染みが敵の急所を突いたのか、モンスターに一瞬の怯みが生まれた。
それを見逃すこともなく、それからは一方的な殲滅作業に入っていく。
皆の役に立てたことが嬉しいのか、それとも戦闘自体が楽しくなってきたのか、戦っている幼馴染みの顔には笑顔が見える。
「戦闘狂みたいだな」
だが、それは彼女だけの話ではない。
皆で喜びを分け合っても足りないほどに、パーティの全員が笑っていた。
敵を倒したときの達成感というものを味わっているのであれば、やはり彼には笑顔は生まれない。
彼には自分より強い弱者を、弱い強者達が揃っていじめているようにしか見えない。
彼ら自身が自分達を普通だと思っているのなら、彼は普通ではないと思っているのだろう。
そして彼は、あっちを普通でないと思っている自分が普通ではないと自覚してしまう。
「……はぁ」
彼らがラストスパートをかけたところで、彼は足を一歩引いて、攻撃の余波が届かないところから、つまらなさそうに戦闘を黙って見ていた。
――――――
――――
――
彼と幼馴染みがパーティに加入してから二ヶ月のことだった。
「お前を外す」
彼はとうとう戦力外通告を受けた。
「お前の幼馴染みがお前に固執する理由が知りたかった。きっとお前には、何かあるのだろうと思っていたのだが」
「なるほど、それで」
先日の問いはどういう機転が利くのかと試したのだろう。しかし、結果は予想をはるかに下回る結果になった。機転どころか、戦闘における基礎知識すら欠けているのだから。
「俺には何もない」
「そのようだ」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
幼馴染みが間に入ってそれを止めようとするが焼け石に水。
「わかった」
言われたはずの彼はわかっていたとばかりに素直に頷いて、腕章を外した。
実際、わかっていた。
このパーティにはいられないと。いるべきではないと。
「ちょっと待って!」
互いに了承して、貰ったばかりの腕章を返そうとする彼の手を彼女は強引に止める。
腕を掴まれたときに、彼女が簡単に自分の腕を折ることができるだろうと彼はわかってしまった。
自分が知らないうちに幼馴染みも立派な英雄としての力をすくすくと育っていたのだ、と。
「俺とは全然違うな」
「何を言ってるの?」
「住む世界の話だ」
「どういうこと?」
「わからないのがその証拠だ」
強者と弱者は互いに住む世界を理解することが出来ない。
強者となってしまった彼女は、弱者の彼のことを理解することが出来ないであろう。
「そんなこと……!」
「俺がお前をわからないんだよ」
昔は彼女のことを誰よりも理解していたと自負していたが、今は理解していないと自負できる。
その時点で彼と彼女の住む世界はもう違うとわかってしまう。
「それなら、一緒に強くなろう? ずっと一緒じゃないと嫌だよ」
「俺は無理だ」
「諦めちゃ変われない!」
「……」
彼女は彼を守るように、男に向かって宣言した。
「一週間だけ待ってください。一週間でも人は変われるってことを見せます」
「どうやって?」
「一週間後、彼と決闘してください」
「わかった。俺に少しでも傷をつけたらお前の勝ちだ」
どうしてそこまで、と彼は彼女に尋ねたくなったが、きっとわかり合えないだろう、とすぐに見切りをつけた。
「彼はきっと化けますから」
――――――
――――
――
それからして、彼は必死に幼馴染みから対人戦の手ほどきを受けていた。
「真っ向勝負じゃ勝てない。だから、動きで翻弄するしかない」
幼馴染みはそう言って、動きを説明するが彼女の運動能力で出来る幅は彼の運動能力で出来る幅を優に超えていた。
空中で一回転して着地しろ、とか、相手の後ろに素早く回り込む足技など、彼女は簡単にやるが、彼はどう頑張っても出来そうにはない。
空中で一回転がもう出来ないし、足がどのように動いているのか全然わからない。
「さっぱりわかんねぇ」
そう彼が言うと、
「やればできるって! あとは自信だけだよ!」
と、彼女は返してくる。
自信だけで誰でもできるならとっくに皆英雄だろうが、と言い返したくなった彼は、そこで珍しくある案が頭に浮かんだ。
「これならできるかもしれない」
「え、どれ!?」
「最初の一撃で決めればいい」
「え?」
おそらく相手も彼が奇怪な動きをしてくると予想してくるだろう。だから裏をかく。
「真っ向勝負だ」
「えぇ!?」
怪我を少しでも与えられればいいのだから、相手に防御させてもいい。防御だって怪我を与えられる。
「ようは躱す余裕を与えなければいい」
「あ、わかった!」
彼女はそう言うと、彼から少し離れて身を低くした。
そして、砂埃が舞うと同時に、彼の下までたどり着く。
「こういうことだよね?」
「あぁ、そういうことだ」
それだけならこの一週間でやる分には最も可能性が高そうなものだ。
ただ走り込みをして殴る練習をすればいい。
「それじゃ、私が相手役をやるよ?」
「別にいなくても」
「だ、だって迫られると思ったら……」
「戦闘狂かよ」
「ち、違うから!」
それからずっとこの二人は同じ特訓を繰り返したが、結局彼が幼馴染みに勝つことは一度たりともなかった。
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――
「大丈夫だって! 本番は絶対に勝てるって信じて!」
最後の特訓も終わり、彼は幼馴染みに言われたことを思い出した。
「まぁ、やれることはすべてやったか」
まさかこの一週間で靴を三つもダメにするほど特訓するとは自分でも思わなかった。
結局、彼女には勝てなかったが、不思議と不安な気持ちはなかった。
「覚悟はもうできた」
明日のことを考えたところで、何も始まらない。
「よし」
彼は大きく息を吸ったところで、
「あれ、買ってくるの忘れた……」
買い出しも含めて最後の走り込みをした。
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――
当日。
英育のグラウンドにはたくさんの生徒達が集まっていた。
彼を見て笑いに来た者もいれば、次期英雄候補を見に来た者もいる。どちらにせよ、決着はもう決まっていると思っているようだ。
幼馴染みである彼女だけが彼の勝利を願って、胸の前で両手を握っているが、いつまで経っても開始の合図がならない。
「どうしたんだろ……」
開始の合図がならないのは決闘の当事者がいないからだ。
「どこに行ったんだ、アイツ?」
「逃げたか?」
そう言われ始めてから、
「そんなことはない! 絶対に来る!」
と、彼女はそう言って彼の家へと向かった。
彼の家は不用心にも鍵がかかっていなかった。
昔から彼は家に鍵をかけるのをよく忘れる。
「もしかして寝坊?」
そう言って彼の部屋の戸を開けるが、ベッドに彼の姿はない。
「まさか……!」
何者かに攫われたのではないかと、気付いた彼女は慌てて彼の家から飛び出した。
……彼女は気付けなかった。
彼の部屋の戸の裏。そこに紙が張らさっていたことに。
『もしお前が本当に俺と同じ世界にいるのだとしたら、この紙にきっと気付いてくれるだろう。気付かなければきっとそういうことなんだろ。
俺は逃げる。
俺はお前が思っているような人じゃない。
努力も才能も結局は同じ言葉だ。
才能のある者だけが、才能のある者の場所に入れる。そうじゃない者は地味な生活でいい。
俺には何にも願いも夢もない。
お前は英雄になればいい。俺は一般人でいい。
……結局、俺達は最初から住む世界が違っていたのかもしれない。
俺はお前達が普通であるとは知らなかったし、お前も俺が普通でないことに気付けなかった。
お前との特訓はタメになった。おかげで誰にも気付かずに逃げることができた。
もう俺とお前が会うことはないだろう。
俺とお前の住む世界は遠すぎるから』