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行先はカガリさんのお勤め先、騎士団第一北棟でした。殆ど来たことがない区画は、なんというか……とても静か、です。
がらんとした廊下です。扉は全てぴったりと閉められ、つるつるの白い床は塵ひとつなくて、ただ私とカガリさんだけが映っています。
窓は開いているのに息が詰まりそう。風がないからだけではなく、空気が澱んでいるような……
「言い忘れていましたけど、私休憩の後もお仕事ありますよ」
「食堂長に早退させるって言ったら、あっさり通ったぞ」
師団長級のお給料を貰っているらしい食堂長は、下っ端も下っ端な私がお仕事してようとしてまいようとそんな関係ない方ですからね。そりゃあっさりでしょうよ。
……代わりにお仕事する方にあとで謝っておかないと。
「で……何処に、行くんです、かっ……?」
階段を昇って、もう5階です。騎士団の建物は何処も5階建てなので、ここは最上階でもあります。
肩で息をしている私とは反対に、カガリさんは表情ひとつ変わりません。容赦なく私を引き摺ります。
「ここだ」
「うぇ……?」
目的地は重厚な扉のお部屋でした。
扉に使われている木の種類はよくわかりませんが黒く塗られていて、使い込まれて色が変色した真鍮のドアノブが印象的です。ドアノブとお揃いのネームプレートがありますが、私にはなんて書いてあるのかわかりません。
「なんていうお部屋ですか……?」
「白だ」
「白のお部屋、ですか?」
「普通はそこの主任の名前なんだが、あいついっつも白いから白って彫って貰った。本来は第一執務室っていったか」
「彫って貰ったって……ひっどい部下ですね」
「同期だからってひとに用事を押し付けるからだ」
なんか子どもみたいなこと言ってますよ、この24歳児。
「とりあえず、中入れや」
「お邪魔しま」
「────何サボってんだっ!」
不意を突いて飛んで来た怒号に、私は反射的にカガリさんの制服の裾を掴みました。
ですが書類の山の向こうにいるひとは、恐らく私には気付いていません。大きながなり声は、止まりません。低く轟く声に、情けないことに脚がガタガタして、頭がくらくらします。
「っ……!?」
急に背後から伸びて来た手に、心臓が跳ね上がります。視線を上げると、神妙な表情をしたカガリさんは私の両耳を覆ってしまいました。
怒声が遠ざかり、早くなった振動の音が耳の中で跳ねまわります。
「カガリさん……?」
「大丈夫だから、肩の力を抜け。できるだろ?」
燃え盛る色なのに、冷着な瞳を見ていると、すぅっと音が凪いでいきます。
こくこくと何とか頷き返し、私は息を深く吸い込みました。手が緩やかに浮き上がります。
「そう怒るなって。うちの餓鬼が怯えるぞ、おっさん」
「……………………は?」
間の抜けた声がして、山の横から男性が顔を覗かせました。
「あっ」
厳つい顔で蜜色のビー玉みたいな目をぱちくりさせる彼に、とても見覚えがあります。寮の同じフロアに奥さんと3歳になる息子さんと一緒に暮らしているフラムさんでした。
寮には私やカガリさんが使用している1ルームのほかに、ファミリー向けの広めなお部屋もあって、フラムさん一家はそこに住んでいます。奥さんが食堂の方で、息子さんも他の騎士さん家のお子さんとまとめて託児部で面倒みて貰えるので、都合がいいんだとか。
カガリさんと同じく夜呑んで騒いでいるので、よく奥さんにしめられているのが聞こえてきますね。日によってはカガリさんもまとめて怒られて、次の日ご機嫌伺いにお菓子を持たされるのは私だったりします。
「なんだ、嬢ちゃんも一緒だったのか。それならそうとさっさと言え」
「言う前に吠えたのはあんただろーが。うちの餓鬼、俺に似て繊細なのにさー」
「お前が嬢ちゃん引き取ったの、つい最近だろうが……」
フラムさんにちょいちょいと手招きされ、私はカガリさんに伺いました。大丈夫大丈夫と、軽く背を押されます。
「急にすまんかったな、嬢ちゃん。でかい声出して悪かった」
「だいじょうぶ、です」
こんにちはと今更ながらに頭を下げると、はいこんにちはと透明な瓶を差し出されました。中には赤、青、緑、黄色……色とりどりの飴玉が入っています。
礼を言って手前の赤い飴を取り出して口に入れると、レモンの匂いが転がります。相変わらず、色と記憶が結び付きませんが、素朴な甘さで美味しいです。
落ち着いた私は、改めて室内に視線を向けました。
「…………」
廊下と打って変わって、お世辞にも綺麗とは言えない部屋です。
部屋の中に島ができるように、多分10のデスクが並んでいます。が、どの机の上にもバカみたいな量の紙の山があって、境目がよくわからなくなっています。
紙だけでなくペンもお菓子も乱雑に混ざっていて、変な動物らしき雑貨もあって、上着も適当にかけられていて……なるほど、カガリさんのお部屋が汚い理由がよくわかりました。
床にも本のタケノコが生えていますし。空気も澱んでいて、正直、気分はよくないです。
「換気くらいしましょうよ……」
「ここ5階だから風が強くて迂闊に開けられないんだよ……」
何処かの山の向こうから、お兄さんの呻き声と物凄い勢いで動くペンの音がします。この声は……カガリさんのお隣さん? 身体ごと動かせば、他にも知った顔がいくつかあります。
「で、なんで私ここに連れて来られたんですか?」
「簡単に言や、引き抜きだろ」
「へー」
引き抜きですか……引き抜き? 誰が……って、話の流れからして私ですよね!?
「食堂で働けなくなるんですか!? 中休みのおやつ美味しいのに!」
「お前、思いの外食堂に馴染んでんなー」
え、なんでっ? 私やっと食堂で働き始めて2週間ですよ? 訳がわからない。
ぐるぐる考えてもどうにもなりません。説明を求めようとしたら、カガリさんはフラムさんの手によって椅子に縛り付けられるところでした。
「……っ……」
「────なんだ、もう来ていたのか」
後退ろうとした肩に、何かが食い込みます。有無を言わさない力に恐る恐る振り返ると、眩しい限りの白が。
「取り敢えず、逃げるのは話を聞いて貰ってからでいい?」
見た目には穏やかに微笑んで私の肩を掴んでいたのは、あの日迷子の私を助けてくれた美人さんでした。
自分では餓鬼ではない,19歳だとカガリに主張する冬璃ですが,
14歳のフゥリという設定を与えられ,自らもそう振る舞うようになって,
中身も大分設定の方に引き摺られて来ています.
でも彼女にとっての14歳は成人が20歳としての14歳なので,
この世界の人間から見ると年相応にませているけれどもう少し年下に見える女の子扱いです.