理取未 04
僕の予想は大きく外れ、刻一刻と時間はすぎ、五分はおろか十分、二十分と過ぎても、イマダさんは戻ってこなかった。
皐月の空では既に日没が始まっており、日影の校門は更に暗くなっている。
イマダさんのことだから、誰かに絡まれるような心配はまずない。
待っていればそのうち来るだろうが、このまま時間を浪費するのは嫌だ。
詰め将棋について考えを巡らせるのを辞め(僕はそもそも詰め将棋のやり方、概要を学んだことがなかった。出来なくて当然だ)、イマダさんを探しに行くことにした。
このまま一人で帰ってしまうという選択しも僕の中にはあったのだが、棄却。
今度そんなことをすれば、教科書だけではなく、机まで使い物にならなくされそうだ。
それだけで済めばまだいいが、僕の隣に座っているクラスメイトにまで被害を出しかねない。
周りの人間の教科書まで僕が弁償していたら、いくらお金があっても足りないのだ。
僕の家は不来坂の家のように飛び抜けて、お金持ちではない。
団地の位置的には中の下くらい。
脱靴場で上履き履き替えて校内へ。
非常灯しかついていない暗い廊下。
南校舎にまでは、日没寸前の陽光は届かないのだ。
目指すは東校舎三階、一番南側にある保険室だ。
保健室の位置も中々に個性的だった。
三階に保険室がある学校は中々無いと思う。
グラウンドで怪我があったときに困るし。
しかしながら標津高校の場合、グラウンドで怪我があったら近くにファーストエイドが可能な設備や、エレベーターもあるので特に不便ということはない。
ほんと、お金の無駄遣いだ。
南校舎から東校舎へと入り、正面玄関へ。
そこで僕は保険室に向かう必要をなくした。
思いの外運よく、イマダさんはそこで見つかった。
ただ、幸い中の不幸とも言うべきか、イマダさんの状態は決して良好とは言えない。
さっきも言った通り、イマダさんの場合、性質の悪い連中に絡まれることはない。
その場合、心配すべきは絡んできた向こう側の方だ。
イマダさんの状態は、もっと病的なものだ。
病気じゃないけど。
ゼェゼェゼェと肩で息をし、顔色は真っ青。
理由を知らない人が見たら、救急車を呼びかねない程に弱っていた。
死にかけ。
そういう表現がしっくり当てはまる。
でもこれが今さっき発症した新種の病気でなければの話なのだが、これは病気ではない。
明確な理由を持つ、イマダさんの体質のようなものだ。
イマダさんは人並み外れた瞬発力を持つ。
それこそ、五十キロを越える物体を、軽々と投げとばせる程の。
その代償として、イマダさんには持久力がなかった。
まったくと言って何ら差し支えないほどに、欠如している。
五十キロを越える物体を投げ飛ばせても、精々一日に一度きり。
そうでなければ机を投げ飛ばし、教科書類を踏み荒らせる能力者がこの程度で、倒れるはずがない。
精神的にだけでなく、肉体的にも壊れかけている。
それが理取未という少女だ。
「なんで……なんで……なんで……?クギ、ミンが……ここに、いるの、かな……?」
空気を欲しがる身体を無理矢理制して、イマダさんは僕に問いかけた。
痛々しい。
見ているだけで、こちらの息が止まってしまいそうなくらい、痛々しい。
僕が息を飲み、喋りかねているのを察してか、イマダさんは言葉をさらに続けた。
「ちょっと……ちょっと……ほんの、ちょっと……待ってて、って……言った、のに……微動、だに、しちゃ……駄目、って、言った、のに……ワビ、サビ、は……倍、だよ……?」
ゲホゴホカハ。
体が反射行動で、イマダさんに無理矢理呼吸させた。
これが、イマダさんの喋れる限界。
限界まで喋った。
強がりでもなんでもなく、思ったことを吐き出しただけだ。
イマダさんは再び激しく咳き込んで、ヒュウヒュウと過呼吸気味に息を吸い込み、吐き出す。
到底一人では歩くことができそうにない。
どころか、立っていることさえ危ういだろう。
鞄も持てずに脇に落としているくらいだ。
当然、一人で帰ることは叶うまい。
僕はほんの少しの逡巡の後、溜め息を一つ吐き、イマダさんに近づく。
本来ならイマダさんをエレベーターに乗せ、保険室へとUターンさせ、一休みさせてから返すべきなんだろうが、養護教諭にこれ以上、心労を溜まらせるのはよくない。
今日は既に一度イマダさんが運ばれてきたのに、さらにまたストレスをかけるのは申し訳ない。
養護教諭がストレス性の病気で入院された日には、僕の目覚めが悪い。
そういう嫌なことの芽は、早い内につんでおくべきだ。
イマダさんの症状をみるかぎり、いつもよりは軽そうだし、この分ならすぐ回復するだろう。
酷いときには嘔吐や気絶をするし、未だになんとか立っている以上、そう診て問題ないはずだ。
そんななんの確証もない素人診断で、僕はイマダさんを保険室につれていかず、おぶって帰ることにした。
ユラ先輩からイマダさんを頼まれている手前、あまり放置していたり、分かりやすく蔑ろにするのはマズイだろう。
イマダさんに近づくと僕はまず、イマダさんの鞄を拾い上げる。
イマダさんの鞄はリュックタイプなので、持たなくてよく、楽だった。
荷物が前に来るように肩紐を両腕に通し、ショルダーバックタイプの僕の鞄は首から掛けた。
鏡で見たらさぞ変な格好になっているだろうが今は外見を気にしている余裕はない。こうしないと、イマダさんをおぶりがら荷物を持って帰れないのだから。
「わわっ……!」
今にも倒れそうだったイマダさんを、本人の意思を無視して背負う。
高校生の平均並みしかない筋力では、二人分の荷物と人一人の重さは少しきつかった。
放って帰るという選択肢を一度考えたりもしたが、結果として僕はこうして優しくイマダさんをおぶって帰るのだから、ユラ先輩も良しとしてくれるだろう。
この世は割りと結果論で成り立っているのだ。