不来坂空 05
「こんにちは」
不来坂に苦言を呈そうとしたが、ちょうどいいタイミングで他の声に遮られる。
誰だろうと思い後ろを振り向くと、小柄な不来坂より更に一回り小さい女の子が立っていた。
片手でドアに重たそうに閉め、こちらにトコトコ歩いてくる。
そして僕の隣まで椅子を押してきて腰をおろした。
椅子に座ると足が届かないため、心地が悪そうにしている。
八咲織姫。
《支配階級》の《道具》だ。
本人は不本意らしいが、毎日ちゃんとやってきてくれる律儀な子だ。
それを知っている僕も、毎日来てるってことなんだけどね。
「こんにちは」
「こんにちは、今日は早いんだね」
「そんなことありませんよ、クギさん。いつもと同じです」
そんなことはある。
いつも放課後一時間ぐらいしてから来るのに、今日はまだ十五分くらいしか経ってない。
オリヒメさんが来たときに、もう三十分以上も経ってしまったのかと驚いた。
「こんにちは、ハチザキ君」
先程の饒舌具合はどこへやら、オリヒメさんに適当に挨拶をする。
そして、不来坂はパソコンの電源を入れた。
この相手を見て態度を変えるのは、いい加減、治した方がいいと思う。
僕に対してだけ友好的。
知り合いに対しては排他的。
他人に関しては無関心。
それが不来坂のスタンダードだ。
こんな性格でいつかしっぺ返しを食らうのは不来坂自身だから、どうでもいいと言ってしまえばそれまでなんだけどさ。
とにかく、治させるにしても、放っておくにしても、不来坂がパソコンを終了待ちだ。
パソコンをいじり出した不来坂に話し掛けることほど、無駄なことはしたくない。
多分、下校時間ギリギリまでパソコンを操作するつもりだろうし、この議論は明日に持ち越しだ。
まぁ、明日になればきれいさっぱり忘れるんだろうから、事実議題消滅。
なら、僕は不来坂が現実回帰するまで、オリヒメさんとイチャイチャすることにしよう。
不来坂に背を向けるようにして、オリヒメさんと正対する。
体を向けた瞬間に目が合った。
ちょっとビックリ。
「帰るんですか?」
「いや、もう少しいるよ。特にすることもないしね」
「そうですか。それじゃあ……」
オリヒメさんは鞄をあさり、一枚の赤い紙を僕に差し出した。
何これ?
これって所謂赤紙?
戦争行けってこと?
「一緒に折り紙を折りましょう。暇潰しにもなりますし、楽しいですよ?」
そう楽しげに言われたので思わず受け取ってしまった。
オリヒメさんはそれだけで、にっこりと笑う。
喜んでくれたのは僕にとっても非常に喜ばしいことなんだけど、困った。
オリヒメさんなんかと違って、何せ僕は折鶴さえも折れないのだ。
僕に折り紙を渡してくれたオリヒメさんは折鶴くらい朝飯前、ヤッコさんから薔薇、果ては恐竜まで折れてしまう人だったりする。
早く言えば、レパートリーが豊富で指先が器用なのだ。
僕らのスキルには歴然たる差がある。
「オリヒメさん、何折る?」
「えっと……やっぱり折鶴がいいんじゃないでしょうか?」
「ごめん、折鶴折れないから教えてくれない?」
こんな風に、会話のネタになるから、折れないなら折れないでいいんだけどね。
オリヒメさんは鞄の中からもう一枚、青い折り紙を出して、僕のペースに合わせながら、時には横から指差して教えてくれ、ゆっくりと折りあげていく。
そうして出来上がった折鶴は、とても鶴には見えないものだったけど、初めてにしては上出来だろう。
……多分。
それから何度もオリヒメさんに折鶴を教えてもらうこと十五分。
正直なところ僕は不器用なふりをしてオリヒメさんをからかうつもりだったんだが、僕は自分でも吃驚するぐらい手先が上手く使えない人間だったので、逆にオリヒメさんからからかわれ、懇切丁寧に教えられてしまった。
これはこれで良いか。
オリヒメさんと仲良くなれそうだし。
それから更に十五分。
僕がようやく一人で折鶴を折れるようになり、せめて鶴と分かるぐらいには努力し始めた頃、二人目の来客が会った。
オリヒメさんと一緒だからとはいえ、高校生が三人集まって無言のまま折り紙をするのもいい加減シュールだったのでちょうどいいタイミングだ。
「うぃーす」
「こんにちは、タマ先輩」
「猫かアザラシ見てぇーな名前で呼ぶんじゃねぇ!ボケェ!」
どつかれた。
普通に痛い。
ちょっと名前を短縮して呼んだだけなのに、この暴力とは……。
僕も少しは相手を見て態度を変えるということを憶えなければならないのかもしれない。
タマ先輩こと七宮環先輩は、僕とオリヒメさんの近くまでやってくると、鞄を投げ捨てるように床に置く。
そして、机に置いてあるパソコンを気にもとめず、残された小さなスペースに座った。
僕は机に座ることを咎めるほどマナーにうるさい人間ではないのだが、不運なことに、先輩が座った場所は、僕とオリヒメさんが折った折鶴がおいていた場所。
至当、折鶴たちはタマ先輩の下敷きになった。
僕の努力が……。
僕の努力の結晶が……。
「こんにちは」
「あれ?八咲じゃん。今日はどったのよ?」
「えぇ……私にも色々……色々有るんです」
僕の悲しみなど何処吹く風、軽佻浮薄に喋るタマ先輩に、歯切れ悪く答えるオリヒさん。
たまに早く来たぐらいで理由を問いただされていたりしたら、困るのは当たり前か。
オリヒメさんはタマ先輩への挨拶を終えると、僕のときと同じように鞄の中から黒い折り紙を取り出し、タマ先輩に折り紙を差し出した。
「先輩も一緒にどうです?折り紙でも」
「あ?別に構わねぇけど……。でも俺、黒いやつ嫌いなんだよなぁ。色もだけど、紙が硬くて折りづらいのなんのって……」
「奇遇ですね、七宮先輩。私も黒い折り紙は大嫌いなんです」
それは言外にタマ先輩のことを嫌いといってませんかね、オリヒメさん。
出会って間もないはずの先輩に、そんな無体なことをしなくても。
もしかしたら、中学時代に何か因縁でもあるんだろうか?
僕にはどうでもいいことだけどさ。
何にせよ、口ではっきり言わない限り、この大雑把なタマ先輩には伝わることはないんだし、大丈夫か。
「よっと」
タマ先輩は折角オリヒメさんからもらった折り紙で紙飛行機を作り、明後日の方向に飛ばした。
黒い紙飛行機は直線起動を描きながら、教室内を滑空し、壁にぶつかって墜落した。
やっぱり、口に出していないオリヒメさんの皮肉は届いていないらしい。
こういうのは本人だけに伝わらないように言うのがベストって言うし、オリヒメさんの嫌味は成功に終ったと言えるだろう。
もしかしたら、分かっていながら無視しているのかもしれないけど。
そうだとしたら、本当に厚顔無恥で神経が太い。
さすが、《支配階級》の《切込隊長》。
それから三十分、不来坂を抜いた三人で適当に雑談を交わす。
「そうそう、知ってるか?今日校内でポルターガイストがあったらしいぜ」
「えぇ。私、聞きましたよ。凄い音でした」
途中、そんな話題があった。
僕は当然、適当に誤魔化すことにした。