表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
36/64

event18 6/4 虫の日・前編

 今日は虫歯の日じゃないのか、と思われた方もいるかと思います。

 ていうか、自分もそういう認識ではあるのですが……。

 でん、と一戸建てを構えて、

 車は荷物もたっぷり乗せられるファミリーカー。

 家では基本スウェットで、出掛ける時はスラックスにポロシャツ。

 奥さんと子どもには煙たがられ、唯一の味方は老いた愛犬のみ。

 

 ――有り得ねぇ。

 この俺が、そんっなくそだせぇ境遇に身を置くなんて、まっっっっっったく想像出来ねぇ。


 かといって。

 真っ暗な部屋に一人帰り、冷えきったフローリングをペタペタと寂しく歩いて、スーパーの半額刺身で一杯やるという未来も何か違う。

 いやいや、どうして俺はそう惨めな方にばかり考えてしまうんだ。

 独り身なら独り身で、小洒落たマンションに住むだとか、飯を帰りに調達するにしても、デパ地下のデリを利用するだとか、そういうパターンだってあるはずだ。

 待て待て。そもそも何でまっすぐ帰ってんだよ。お姉ちゃんのいる店にでも飲みに行けよ。


 ――やっぱりロックミュージシャンになるからには。


 長田(おさだ)健次郎はそんなことを思う。

 そう、ロックミュージシャンになるからには、安定だとか、弛緩などといったものとは無縁でなければならない。

 だから、そこそこの賃貸マンションを契約更新のタイミングで退去し、車は2シーターのオープンカーだったりして。女はたまに遊べるのがいりゃあ良い。子ども? ガラじゃねぇんだよなぁ。なぁーんて。

 

 とにかくそういうものなのだ。

 ステージの上じゃギタリストはギターをぶっ壊し、ヴォーカルはマイクスタンドを振り回す。ベーシストは火を吹くし、ドラマーは……スティックを投げる……くらいか? さすがにスネアを蹴り飛ばしたりはしないだろうか。

 とにかくそういうものなのだ。


 ――だったのだ。

 長田少年の考える『ロックミュージシャン』というものは。


 だったんだけどなぁ。

 中古ではあるが、そこそこの一戸建てを買い、

 強制されたわけではないものの、やはり、子どもが出来ると車はでかいやつの方が何かと便利だった。

 部屋着は……まぁ、スウェットのことはあるけれども、外出時にはそれなりに『ロック』な恰好をする。

 妻と子どもに煙たがられる? はっはー、そんなこたぁ万に一つも有り得ねぇ。

 妻の咲はいつまでも俺にぞっこんだし、目に入れても痛くない愛息子はまだまだパパパパ言ってくれる。可愛いもんだ。

 加えて、自分は体質的にまったくアルコールを受け付けないタイプだった。舐めるだけでもアウト。消毒用のアルコールでも真っ赤になってしまう。――まぁ、かつて思い描いたロックミュージシャン像とここまでかけ離れてしまえば、これくらいは最早誤差の範囲なのだが。

 

「しかし――」

 あの健ちゃんがねぇ、と、たまたま仕事で近くを回っていたという友人――松木雄二は、長田の家の前でぽかんと口を開け、『それ』を見つめた。

「何だよ、『あの』って。中入れよ、茶くらい出すぞ」

「いやいや、長居は出来ないんだ。まだあと三軒残ってる」

「大変だな、営業ってやつは」

「まぁな。でも、当てればでけぇんだ。だから止めらんねぇ。っつーか、そっちもそうなんじゃないのか? ミュージシャンってやつはよ」

「いーや、俺はある意味サラリーマンよ。意外って言われるけど、給料だって固定だしな。曲も出してるわけじゃねぇし」

「そういうもんなんだな」

 ほぉ、と感心したような声を上げる。視線はまだ『それ』に注がれたままだ。

「案外普通だろ、ミュージシャンっつっても。でも、こうやって言うと『夢が壊れた』って騒ぐやつもいるんだぜ」

「ハハハ。それはあるかも。でも、ウチの中学からミュージシャンが出た、って一時期は大騒ぎだったからな」

「……が、表にあんまり出ねぇやつだった――つって、なーんだがっかりー、ってオチだろ」

 そう言って自虐気味に笑う。

「まぁ、そうなんだけどな。でも、最近じゃ、ほら、あれ」

「あれ? あぁ、『アレ』な」

「そうそう。仲間内でもファンだってやつもいてさ。いまじゃ地元の方でも大人気らしいぜ? 『ORANGE ROD』は」

「まったく、ありがてぇこって」

 (あきら)サマサマ、章灯(しょうと)サマサマ……とおどけてから、いや、AKIとSHOWだったか、と訂正する。

「ウチの娘も大好きなんだよなぁ。特にあのギターの方。歌番組はだいたい録画よ。いまじゃウチのHDDはカミさんの海外ドラマとオタクさんのでパンパンだぜ」

「中学生だっけ? まぁ、そんくらいの女の子はアキだろうな」

 そんくらいもどんくらいも、女のファンは大抵晶に流れるのだが、それを知らない松木にばらすのはさすがに章灯に酷だろう。それに、彼が年齢が高めの女性層に人気があるのはあながち間違いでもない。――ただし、それは『アナウンサー・山海(やまみ)章灯』の話であって、その女性層とは即ち主婦層を指すわけだが。

「そんで、何つったっけ……あいつ、ほら、サッカー部のいけすかねぇやつ」

「サッカー部……?」

「ほら、あいつよ、親がPTAの会長だっつって、髪も伸ばして調子こきまくってたやつよ」

「あぁ、沢田だろ? どした?」

「そう! 沢田! あいつなんて『俺はORANGE RODのドラムとマブなんだぜ』っつってよぉ、それで飲み屋の姉ちゃんのCOnneCT(コネクト)ゲットしてんだぜ?」

 きったねぇよなぁ、と吐き捨て、松木は大袈裟に頭を振ってみせる。

「まぁ、マブではねぇわな。同じクラスだったってだけだ」

「だよな!」

 それでも同窓会のどさくさでメアドは交換した。――とはいっても二次会と次回開催のためにクラス全員と、ではあるが。

 当時はまだ『ORANGE ROD』は結成されていなかったのだが、件の『いけすかねぇやつ』こと沢田(はじめ)は長田が音楽で生計を立てていると知るや、嬉々として近付いてきたのである。ただ、第一声は「我が校のロックスターさん、いまのうちにサインもらっといてやるから、とっとと有名になってくれよ」ではあったが。長田がドラマーであることはほとんどのクラスメイトが知っていたにも拘らずその場で気付いた辺り、彼がクラス内でどういうポジションだったかは推して知るべきであろう。

 さて、同窓会に参加するに辺り、社長の渡辺からは「くれぐれも問題を起こすなよ」ときつく厳命されていた長田は、一応笑顔だけは貼り付けた状態でそいつの一帳羅らしきスーツの背中にでかでかとサインをくれてやった。さんざんに酔いが回っていた沢田は「何すんだ!」と声を荒らげたが、長田が188cmの身長で上から軽く睨みを利かせ「ロックスターなんでな」と言うと、165cmの彼はびくりと肩を震わせて「おう」と返したのみだった。

 ちなみに背中に書いたのは長田健次『朗』である。例え、いまそれをオークションに出品したとしても、偽物扱いで弾かれるのがオチだ。

 長居は出来ないと言った割にぺらぺらとしゃべっているのは松木の方であった。長田の方では旧友の来訪をむしろ嬉しく思い、出来ることならもっとゆっくり語らいたいと思ったほどである。しかし、彼とてこの後の予定がまったく無いというわけでもない。それは彼が先刻からずっと手にしているものから容易に推察出来ることではあったのだが。

「――いや、何か悪いな。健ちゃんも用事あんだろ?」

 しゃべり倒して気がすんだのか、松木は、ふう、と息を吐いた後でそう言った。

「まぁ、用ってほどでも無いんだけどな」

「またまた。そんな気合い入った恰好してる癖に」


 気合いが入っている――ように見えるのだろうか。

 いや、これはどちらかといえば『入ってない』方なんだけど、と返すのは何となく憚られ、長田は「まぁな」と言うにとどめた。


 今回も3部構成です。中編は15時更新です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ