event16 5/8 皐月の誕生日 リベンジ
さて、皐月の誕生日のお話です。
――参った。
湖上は呆然とその光景を見つめていた。
「参った」
今度ははっきりとそう口に出した。
何だ。
何なんだ、これは。
夢か? 幻か? それとも白昼夢か?
「参った……」
尚もそう呟き、肺の中の酸素をすべての吐き出すかのような、深い深いため息をつく。
どうやら俺は甘く見すぎていたらしい。
何ていうか――…………。
「コーガーしゃん!」
「コガしゃん!」
ぐい、と両側からシャツの裾を引っ張られ、我に返る。視線を落とせば、彼の右には姉の郁が、左には妹の晶が、くりくりとした瞳をぱちくりとさせ、じっと彼らを見つめているのだった。
そんな目で見ないでくれ。
そう思いながら、二人の柔らかな髪に触れ、その下にある小さな頭をわしわしと撫でた。
これが妙齢の女性であれば、ヘアスタイルが乱れるから止めてよ、とたしなめられるところだが、幼い二人は湖上の手の動きに合わせてぐわんぐわんと頭を揺らし、キャッキャと可愛らしい声を上げた。
「天使かよ」
「コガしゃん~?」
「な~に~?」
「天使かよっつったんだ。コノヤロウ!」
その場にすとんとしゃがみこみ、幼子達をぎゅう、と抱き締める。小さく柔らかなその生き物は、ふわりと甘いがした。直前まで食べていたキャラメルポップコーンである。「今日だけ特別よ」と何度も釘を刺された後にやっと買ってもらえた、二人にとっては夢のような大きさ(XLサイズ)のそのバケツを仲良く一緒に持ち、半ば顔を突っ込みながら食べたのだった。口の回りを通り越して頬にまで付着しているポップコーンのカスがその無我夢中さを物語っている。
SUGAR LANDである。
確かに幼児向けの遊園地ではあるのだが、幼い二人に乗れるものなど数少なかった。いや、大人達にとってはそれがかえって良かったのかもしれない。あくまで平日の割には、というレベルではあったものの混んでおり、アトラクションを待つ時間、あの手この手で、ぐすリ出す子ども達をあやさなければならなかったのである。
乗れるものを片っ端から乗り尽くしても時間にはまだ余裕があった。嫌がる郁を皐月に任せ、晶と手を繋いで子ども向けのホラーハウスにも行った。もうここまできたら、と恐らくは軽くやけを起こした皐月から出店の食べ物もOKという言質をとり、焼きそばやら何やらを食べて回り、園内を徘徊する着ぐるみ達を捕まえて写真も撮った。
さすがに午後を回る頃にははしゃぎ疲れた子ども達だったが、木陰に広げたレジャーシートでお昼寝をさせると、充電完了、とばかりに再びアクセル全開なのだった。踊るような足取りであっという間にポップコーン屋台を発見し、食べたい食べたいの大合唱が始まる。
その様子を見て、体力には自信のあった湖上も思わず栄養ドリンクを飲んだのである。成る程、そのために売店に売ってたんだな。頑張れ、お父さん。
「さぁて、もういっちょ遊ぶかぁ!」
二人を抱きかかえながら勢い良く立ち上がると、郁と晶はキャーと可愛らしい悲鳴を上げた。それを皐月は目を細めて見ていた。
「さっきは何をぼぅっと見てたの?」
助手席に乗った皐月が問い掛けてくる。後部座席にはレンタルのチャイルドシートが二つ並び、お互いの方に首を傾けた天使達がすぅすぅと可愛らしい寝息を立てていた。
「さっき? さっきって?」
「郁と晶が顔中ポップコーンまみれにしながら食べてた時よ」
「え? あぁ、あれな。でもなぁ、絶対誤解するからなぁ、皐月さんは」
「それはコガ君が誤解されるような表現をするからじゃない?」
「まぁーそれはそうなんだけどな」
カカカと笑ってハンドルを切る。
「いや、思った以上だったなって」
「何が?」
「思った以上に楽しかったってこと。これでもさ、一応色々考えたんだぜ? 熱中症対策だったり、迷子対策だったり、それから……」
「飽きさせないための小道具もね」
そう言いながらダッシュボードを開けると、そこにはシャボン玉に子ども騙しレベルの手品セット、小さめのスケッチブックに12色入りの色鉛筆がビニール袋にまとめられて、ぎゅうぎゅうに押し込められていた。それらはうまいこと収まっているようで、飛び出ては来なかった。
「パソコンでダウンロードした園内地図にも、何やらびっしり書き込んでたものね。トイレの場所、休憩出来る広場、それからAED。まさか避難経路までチェックしてくるなんて」
「だってよぉ、もしものことがあったら困るだろ。俺は土壇場に強い方じゃねぇんだよ」
そう言って照れたように笑う。
「私にも随分細かく指示出してきたものね。着替えとか、タオルなんか大きさから枚数まで。それにほら――」
皐月のマザーズバッグの中には小さく折り畳まれたビニール袋が数枚、チャック付のフリーザーバッグに詰められていた。
「こんなに。結局あまり使わなかったけどね」
「使う使わないじゃねぇんだ、こういうのは。備えてある、っつーのが大事なんだよ」
「コガ君って私よりも『子持ち』みたい。隠し子でもいるの?」
「ばっ……! いるわけないだろ! 会社に出入りしてる清掃のパートさんに聞いたんだ。まだ子どもちっちぇえって聞いてたからさ。せっかくの誕生日なんだし、つまんねぇトラブルで慌てんの嫌だろ」
いつも自信家の湖上にしては珍しく、声はどんどん小さくなっていった。車内が暗いせいでわからないが、恐らく彼の顔は真っ赤になっているのだろう。
皐月はそれに触れず、後部座席をちらりと見た。そっくりなようで、案外違う二人の寝顔。郁はやや上を向いて口をぽかりと開け、晶は俯き加減で口を閉じている。いずれにしても穏やかで、とても平和な寝顔だというのに、皐月の頭の中にはふと阿吽の――金剛力士像が浮かんだ。
「ありがとうね、コガ君」
「――ん」
「二人共すごく楽しそうだった」
「おう」
「私はダメね。母親なのに。あの子達にはもっとこういう時間が必要なはずなのに」
「そんなこと言うなよ」
「いつもね、こうやって寝顔を見る度に思うのよ。あれをしてあげれば良かった、ここに連れていけば良かったって。だけど平日は朝御飯食べたら保育園で、帰ってくればお風呂入って御飯食べたらお休みなさいなの」
訥々と語る皐月に、湖上はただ相槌を打つだけに止めた。皐月は話したいのだ。吐き出したいのだ。
「お休みの日はね、ちょっと手の込んだ御飯を作って、いつもより長く絵本を読んで、ホットプレートなんか出しちゃってホットケーキ焼いたりして、お昼寝したら、お買い物に行って――あとは同じよ。どうしてかしらね。こんな日が……もっとたくさんあったって……良いはずなのに……」
皐月の声が掠れ始める。控えめにではあるが、鼻水を啜る音も聞こえた。彼女の方では極力自然な風を装っているようだが、それが込み上げてきた涙のせいによるものだということは案外ばればれである。それでも彼は気付かない振りをした。
隠したいんなら、わざわざ暴くような真似はしない。丸見えだとしても、こっちが見なけりゃ済む話だ。
「そのために、俺がいんだろぉ~?」
だから、湖上はわざと軽い調子で言った。
「休みの度にこんな全力で付き合ってたら、皐月さん一気に老けちまうぜぇ? でも、たまーに、例えば月イチとかでもさ、俺がこういうイベント計画すっから。そういう日はたまにある方が楽しいじゃねぇか」
そう言いながらルームミラーで後部座席を確認する。相変わらず郁は『阿形』で晶は『吽形』だ。この2人は一体どんな女性に成長するのだろう。
「たまーに、変なおっさんが来てよぉ、何か良くわかんねぇけどすげぇ楽しいことしてくれるって、良いじゃんか。ウチにもいたぜ、そんなおっさん。ずーっと親戚かと思ってたんだけど、ただの親父の友人だったよ」
「へぇ」
「独身なんだけどな、子どもが好きでーって。ちっちぇえ頃はいろんなとこに連れてってもらったんだ。そうでもしねぇとウチの親父、出不精だからさ」
「そうなの」
「だから――」
そこまで言うと、湖上は口をつぐんだ。次の言葉を探しているのか、はたまた、吐き出す予定の言葉をためらっているのか。
皐月も特に急かすことはしなかった。何となくだが、予想はついていた。
もし、その通りだとしたら、申し出自体は決して悪いものではない。子ども達は彼に良く懐いている――というか、もう既に『大好きなおじさん』だ。
だとしても、それは前提に自分への好意があるのだ。いつか、子ども達を疎ましく思う日が来るだろう。そうなれば子ども達は絶対に傷付く。
「俺、もう子どもとかいらねぇなー」
「うん。――え?」
「えっ、何だよ。えっ、て」
「いや、話、繋がってなくない?」
「そうか?」
「だって」
話の流れ的に、てっきり、子ども達の父親であるとか、そうでなくてもその『おじさん』のポジションとやらに立候補しつつ、自分との距離を縮めようとするのかと思っていたのだ。
何をうぬぼれているのか、自分は。
そうだ。よくよく考えてみれば、あんなにも毎日のように通いづめ、暇さえあればデートに誘って来ていた湖上が、「月イチとか」と言ったのだ。さすがに子ども付きのデートでは満足出来ないのだろう。このままフェードアウトするのか。
それならそれで。
皐月はそう思った。元より自分は恋人など作るつもりはなかったのだし、ちょうど良い。それでももし、友人として、こうやって子ども達と遊んでくれたら――と期待したい気持ちはあった。それほど二人は湖上を気に入っているようだったから。
だから、その程度には、残念に思った。
「いやぁ、楽しみだ。これから」
口の端をめいっぱい上げて、ししし、と湖上が笑った。
「――え?」
皐月は素頓狂な声を上げた。せっかくまとまりかけていた思考がかき乱される。いつもこうだ、この男は――。
「なぁ、次はどこにする? やっぱ水族館かなぁ。そんで、さんざん魚を見せた後で、人魚姫のDVD見せようぜ。あいつら絶対はまるぞ~。あぁ、でも郁だけかなぁ。晶の方は果たしてどうだか……。なぁ、どう思うよ、皐月さん」
「え? えっと……。えぇ?」
「でもなぁ、姫系に偏らせっと晶が焼きもち焼くかなぁ……。でもお化けとかそういうのって難しくねぇ? まさか子どもにガチのホラー映画見せるわけにもいかねぇしよ。――なぁ皐月さん、晶は他に何が好きなんだ? 俺あんまし深く突っ込んでねぇんだよなぁ」
畳みかけるかのようにペラペラとまくし立てた後で、ハンドルを握ったまま、湖上はううんと唸りだした。
「皐月さんはどう思う? ――って、あぁ、もちろんアレだぜ? 別にあいつらばっかり優先させるわけじゃないからな? もし皐月さんがど――――――――うしてもっつーんなら、その……二人っきりで……でも……俺は……構わねぇけど……。っかぁ~、でもなぁ~、あいつら寂しい思いするよなぁ。ぜってぇするよ。大好きなママ取られちまったぁってなるよなぁ~。悩むぜぇ~畜生~」
ぐぐぅ……と歯を食いしばり、それにつられてか、ハンドルをも強く握る。
一体何を言っているのだ、この人は。
「コガ君、さっきから何を……」
「参ったな、マジで! マジやっべぇ」
「何が?」
ちょうど赤信号で停車し、勢いよく自分の方を向いた湖上に、皐月は少し面食らった。何なの、さっきから。
「大好きなモンがまさか一気に3倍になると思わなかったら、俺」
「3倍?」
「いやぁ~、身が持たねぇな。身体鍛えっかなぁ。いや、体力には結構自信あったんだけどな。でも、ここんとこ緩んでたからさぁ」
「コガ君?」
「でも、安心してくれ、皐月さん! ぜってぇ飽きさせねぇから。いつだって去り際が惜しくなるくらいの『最高の日』にするからな」
「いや、あの、ちょっと……?」
「そうだな、次は6月か……。梅雨……梅雨なんだよな。てことは、室内か。いや、逆に雨を思いっきり楽しむっつーのも悪くねぇ。大人はついついダメって言っちまうんだよな、長靴で水溜りに思いっきりジャンプとか、傘を逆さにして雨水溜めたりすんのとか。ま、俺はやってたけど」
「それはダメって言われるわよ。……ってそうじゃなくて!」
「んあ?」
ぽかんと口を開け、首を傾げる。
そのタイミングで信号が切り替わり、湖上は「おっと」と言ってアクセルを踏んだ。
「そうじゃなくて……。だってさっき子どもとかいらないって」
「言ったけど?」
「だったらどうして」
「へ? だって、子どもならもう2人もいんだろ? さすがにこれ以上は俺もきっついって」
「2人……。郁と、晶?」
「そ。あいつらがあんなに可愛いなんて、マジ反則。だから俺、あいつら以外の子どもはもういらねぇ」
「自分の子どもが欲しいとか、思わないの?」
自分は何を言っているんだ。これはきっと取りようによっては誤解される類の発言だ。
「いんや。だってあいつらは俺の遺伝子が入ってないから天使なのかもしれねぇだろ? うん、そうだ。ぜってぇそうだわ。俺のが混じったらろくでもねぇやつになっちまう。ぐひひ」
「そんなこと……」
無いとは言い切れないかもしれない。けど。
「良いんだ。俺、そんな器用な方じゃねぇし。良いじゃねぇか、一番大好きな人の子どもなんだから、俺の子みてぇなもんだ」
きっぱりとそう言い切ると、湖上はカカカと笑った。
一番大好きな人。
恥ずかしげもなく、あっけらかんとそう言うのね。
そう思うと、何だかすとんと肩の力が抜けた。
「皐月さん、俺はさ、女に関しては本当にだらしねぇやつでさ。結構いままでとっかえひっかえしてきたんだ」
「何? いきなり」
「だからさ、こんなやつの言うことだから、ぜんっぜん信用出来ねぇとは思うけど」
「そうね」
「ぐぇ。結構はっきり言うのな。まぁ良いけど。俺もここで『皐月さんのことは本気だ』なんつって信じてもらえると思えるほどめでてぇ頭してねぇから。だけどさ、これだけ、これだけは信じてほしいんだけど」
「はいはい」
「はいはいって……。もう、相変わらずつれねぇなぁ、本当。まぁ、その……なんだ。あいつらには絶対嘘をついたりごまかしたりなんかはしねぇから。だから、出来ねぇ約束もしねぇし、ダメなもんはダメって言う。優しくて甘やかすだけのおっさんになるのは簡単だけど、それじゃあいつらのためにもなんねぇしな」
「……わかった。覚えておくわ」
アパートの前で車を停めると、郁の方は気配で感じ取ったのか、薄く目を開けた。晶はふごふごと鼻を鳴らしている。
「おうち、ついた――……?」
ごしごしと目をこすり、隣で眠る晶を見やる。起こそうと肩に手をかけたのを皐月は制した。「起こしちゃ可哀相よ」
まだ寝ぼけている郁の手を皐月が引き、湖上が晶を抱きかかえる。郁はそれをほんの少し羨ましそうに見上げた。
「コガしゃん、いっしょにねんね?」
「いんや。俺は明日朝早いからな、今日は帰る。でも、また遊ぼうな」
「うん」
「どこ行きたいかママと晶と考えとけ。な?」
「わかった」
小さく頷くその後頭部をゆっくりと撫でると、郁はふにゃあと笑った。頭がぐらぐらしている。やはりまだ眠いのだろう。晶は晶で一向に起きる気配が無い。
「ごめんね、運ばせちゃって」
「良いってことよ。――それより、皐月さん」
ベッドの上に晶を横たわらせ、軽く腰を伸ばす。郁も晶の隣にもぐりこみ、もそもそと動きながらぴとりとくっついた。
「あらためて、誕生日おめでと」
「……ありがとう。すっかり忘れてたわ」
「忘れんなよ、メイン・イベントじゃねぇか」
「そうだったかしら」
「……そんで、ごめん!」
すぅすぅと寝息を立てている子ども達を起こさないような抑えた声ではあったが、頭を下げる勢いはかなりのものである。
「何よ」
「花束、家に忘れて来た……」
機嫌を伺うようにそろりと顔を上げ、気まずそうにへらへらと笑う。皐月はますます脱力した。
「肝心なところで恰好つかないのね、コガ君は」
「へへ……」
かといって、別に、100%恰好良い男が魅力的というわけでも無し。
皐月はそう思うことにした。
5月は何だか忙しかったです。これ以外にも何かイベントあったかなぁ、と戦々恐々しております。




