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event15 5/5 子どもの日

 子どもの日です。……が、端午の節句の話ではありません。

 『子ども』の話です。

はるか、好き嫌いは良くない」

 あきらにそう指摘され、遼はもそもそとピーマンを口に運んだ。強く噛んでその苦さが口に広がるのを恐れてか、上下の歯をそぅっと触れさせる程度にしか噛んでいない。もちろん、そんな弱い顎の動きなど、晶にはお見通しである。

「苦くない。ちゃんと遼が食べられるように作った。だから、ちゃんと噛め」

 ゆっくりと諭すようにそう言うと、遼は観念したのか、それともこのままでは飲み込めないことに気が付いたのか、やっと奥歯で噛み潰した。

「本当だ。苦くない!」

 ぱぁっと明るい顔で晶を見つめた。が――、すぐに先ほどと同じ、正に『苦虫を噛み潰したよう』な顔に戻った。

「――なぁんて言うと思った? そりゃあね、そんなには苦くないよ。生でかじるよりはね。だけど、ピーマンの苦さってのは特別なんだよね。みじん切りにしてハンバーグに入れても同じ。こっちはね、せっかくハンバーグだーってテンション上がってるのに、だよ? 噛んだら口の中に広がるわけ、ピーマンの味が。大人は味覚がだいぶ鈍くなってるからそれでもわかんないのかもしれないけどさぁ、こっちはまだまだそういうの敏感なんだよね~」

 自分に良く似たその顔を歪め、フォークで忌々し気に皿の上のピーマンを突く。晶は深くため息をついた。その隣では章灯しょうとが間に入って良いのかと、青い顔をしておろおろしている。

「……だったらもう食べなくて良い」

 そう言って遼の目の前に置いてある皿を回収すると、きれいに食べ終わっている章灯と自分の皿を重ね、すっくと席を立った。遼の方では、それを名残惜しそうにする素振りなど微塵もなく、むしろ厄介者が消えてせいせいしたと言わんばかりにふんぞり返っている。それを見て、章灯もため息をついた。

「……なぁ遼、お前がピーマン苦手なのはわかるけどさ、もう少し言葉を選んだらどうだ」

「何? お説教?」

「まぁ、そうかもな。だってピーマン以外はすげぇ食うじゃん、お前」

「うん。晶君のご飯めっちゃ美味いし」

「だろ? んで、そんなめっちゃ美味い飯をもう何年も毎日食ってる俺からすればな、遼に出してるピーマン料理は、何をどうしてんのかは知らねぇけど、かなり苦味が少ない」

「ふぅん」

「そんでもって、いつもより調理時間がかなり長い。それがどういうことがわかるか?」

「……わかるけど」

 遼は不服そうにスプーンの先をかじっている。

「わかるならどうしてああいう態度になるんだ?」

「章灯君には関係無い」

「そりゃあ関係無い……けど……さぁ」

 遼は不服そうな顔のまま、御馳走様とだけつぶやいてちらりとキッチンにいる晶に視線を向けてから席を立った。そしてそのまますたすたと地下室へと引っ込んでしまった。

 それを見届けてから、章灯は慌ててキッチンへと向かった。

 晶は調理台の上に置いた遼の皿を見下ろし、眉間にしわを寄せている。

「アキ、大丈夫か?」

「――え? あ、はい、大丈夫です。遼は……?」

「下。諭したつもりだったんだけど、機嫌損ねちまった。悪い」

「良いんです。章灯さんが謝ることではないですから。どうしてあんなに口が達者なんでしょう。全く誰に似たんだか……」

 そう言って首を振る。

 誰に似たのか――それは何となくわかる。いや、何となく、ではない。そりゃあもう確実に――。

かおるさんだろうな」

「……ですよね」

 顔を見合わせて二人は深いため息をついた。


 郁が千尋の海外出張に付いていくことになり、その5歳になる一人『娘』の遼を任されたのが一週間前のこと。

 食べ物の好き嫌いは一つだけ、アレルギーは特に無し、と聞いてはいたのだが、その『一つ』がなかなかに強力だったと、そういうわけである。

 これまでも別に交流がないわけでは無かった。何度か子守を任されたことはあるし、今回のように数日預かったことだってある。

 しかし、ほんの数ヶ月顔を見ないうちにすっかり小憎たらしく――いや、口が回るようになってしまったのだった。何がきっかけなのかは両親もわからないらしい。ただ、子どもってそういうものよね、と郁はいつもの調子で笑っていたが。

「まぁ、女の子は口が達者だっていうからな。俺も姉ちゃんには口喧嘩で勝てた試しが無い」

「章灯さんでもですか」

「何だ、俺でもって」

「いえ、私の方はいつも負けてばかりで」

「いやいやいやいや! 別に俺は言い負かそうなんて思ってないからな? ていうか、そもそも喧嘩なんてしないだろ!」

「まぁ、そうですけど。でも――」

「でも?」

「困りましたね」

「確かに。でも、無理に食わせなくても良いんじゃないのか? ピーマンくらい食べなくても育つだろ」

「……そうですよね」

 そう言いながらも、晶はまだ諦めきれていない様子である。いままで自分の周囲にいた人間は悉く『(ほぼ)何でも残さず食べる』タイプだっただけに、少し意地になっているのかもしれない。ちなみに、この『(ほぼ)』の部分だが、これは章灯の梅干しである。いまだに彼はどうしてもこれが克服出来ないのだった。


 地下室に籠った遼は晶のギターを弾いていた。

 弾いていた――とはいっても、ただ長すぎるストラップを肩にかけ、適当に弦をかき鳴らしていただけである。その短い指でコードを押さえられるわけもなく、そもそもコードが何なのかもわからない。

「なぁんでだよ」

 やってることは晶君と同じなのに、どうして同じ音が出ないんだ。

 そんなことを思いながら、頭の中に思い浮かべている晶と自分の姿を重ね合わせ、尚も激しくかき鳴らした。

「……そんなに興味あるなら教えるのに」

 音も無く階段を下りて来た晶が頭上から声をかけると、遼は椅子から転げ落ちんばかりに驚いた。

「落とすなよ。それ、一番気に入ってるやつだから」

 そう言いながらも、まるでそんな風には聞こえないさらりとしたトーンだった。

「高かったの?」

 ストラップを外し、遼が恐る恐るそれを差し出すと、晶は、いつものポーカーフェイスでふるふると首を振った。

「いや。むしろ安い方。でも一番弾きやすい。値段と好みは必ずしも一致しない」

 少なくとも、私はね。そこだけは心の中で呟いた。

 子どもというのは口の軽い生き物だ。だから、遼にすら性別を隠すことになっている。

「そうなんだ」

「遼もギターが好きなのか?」

「……別に。パパもママもこういうのやらないから、珍しいだけ」

「確かに、あの二人はな」

「パパは昔晶君の追っかけだったんでしょ?」

「昔というか――、いまも、かな。良くライブ会場で見かける」

 個人的には忌々しいやつではあるが、一応、可愛い姪の父親である。そのギリギリの肩書でチケットくらいは都合してやると仏心を出してみたのだが、「ライブはね、チケットを取るところから始まってるの!」という謎理論により辞退された。それならそれで、と放っておいたわけだが、都内のライブでは必ずといっていいほどその忌々しい顔を見るのである。ほいほいと席が取れるほど、自分達のチケットは売れていないのかと心配になったりもしたのだが、そんなことはなく、基本即日完売なのであった。

「パパばっかりずるい。ねぇ、行っても良い?」

「あまりお勧めは出来ない。時間も遅いし、危ない」

「パパと一緒に行くから!」

 さっきは興味なんて無い素振りをしていたのに、遼はかなり強めに食い下がる。本当は興味津々なのだろう。

「それでも」

 千尋となんてそっちの方が心配だ、という言葉は飲み込んでおいた。一応、あいつにも父親のプライドくらいはあるはずだ。


「ピーマンも食べられないようなお子様に聞かせられるような音楽じゃねぇんだよ、俺らのは」


 またしても頭上から声がした。今度は、晶のものではない。第一、彼女は遼と共に椅子に腰掛けていたのだ。とすると、その声の主は当然――。

「章灯さん」

「章灯君! 何だよ、お子様って!」

 5歳なんて完全に『お子様』のカテゴリに属する生き物だ。むしろその枠に収められてどんな不都合があるのかと問い詰めたいくらいである。

「え~? お子様はお子様だろ? たかだかひとかけらのピーマン食うのにもイチイチ御託を並べなきゃなんねぇなんて、お子様以外の何者でもねぇわなぁ」

 ニヤニヤと笑いながら余裕たっぷりに言ってみせると、遼はぐうの音も出ないようで、小さな右手を強く握りしめ、ぎりりと歯を食い縛っている。

「そんなにアキの生演奏が聞きてぇなら、ここで聞かせてやるよ。何ならおまけで俺も歌ってやる」

「章灯さん!?」

「何だよ、怒んなよアキ。勝手に決めて悪かったって」

「違います! おまけってなんですか、おまけって! 章灯さんの声が一体何のおまけなんですか!」

「えぇ――……、怒るポイントそこ――……? ま、まぁとにかくだ、遼! お前がピーマンも御託無しに食えるっつーんなら、ファンなら泣いて喜ぶ特別ライブに招待してやろう。どうだ?」

 章灯はにやついた笑みを浮かべながら、後ろ手に持っていた先ほどの皿を遼に向かって差し出した。

「交換条件なんて卑怯だぞ!」

「卑怯で結構。とりあえず食え。全部食ったらコガさんとオッさんも呼んでフルメンバーでやってやる」

「本当!?」

「本当だ。だから食え」

 遼は瞳を輝かせて章灯の元に駆け寄った。それを見て、晶は壁に立て掛けてあった折り畳みテーブルを出す。章灯から皿とフォークを受け取った遼が着席し、果敢にフォークを振り上げた。……が、やはり怖じ気づいたと見えて、そのフォークはなかなか目標に到達しない。

「章灯さん、良いんですか?」

 ぐっと抑えた声で晶が囁く。

「んぁ? 何が? 見ろよ、遼が食い始めたぞ。すんげぇ顔してるけど」

「そんな交換条件のネタにするなんて」

「晶はそんなに持ち上げてくれるけど、俺の声なんて0円だからな」

 章灯はカカカと笑う。

「それにコガさんとオッさんまで」

「あの二人の了承はとってる。コガさんなんて、一応遼の祖父だからな。可愛い孫のためなら! って意気込んでたぜ? そんであの子煩悩なオッさんが、子ども絡みでNOなんて言うはずねぇだろ」

「それは……確かに」

 それからは数分の間、無言で遼を見守っていた。目に涙を溜め、頬をパンパンにし、それでも口の中にいつまでも天敵が居座っていることに耐えられないのだろう、少しずつ飲み込んでいるようである。

 膨らみに膨らんでいた頬が元に戻り、遼は一度大きく息を吐き出してから、勢い良く顔を上げた。

「食べた!」

 きれいになった皿を章灯に見せつけ、勝ち誇ったように笑う。「これで文句無いよね?」

 そう言ってから、ごしごしと涙を拭った。

「無い無い。だよな、アキ?」

「……仕方ない。でも次からはちゃんと食卓で食べること」

「わかった! ねぇ、早く!」

 待ちきれないのだろう、興奮気味に足をだんだんと踏み鳴らしている。

「まぁ落ち着けよ遼。まだメンバーが集まってねぇだろ。いまオッさんが捕まらない程度にぶっ飛ばしてこっち向かってるから。もう間もなくかな」

「間もなくって……さすがに早すぎなのでは。一体時速何キロで……」

「いや、お伺いを立てた時点でもうこっち向かってたからな。オッさんがそんな無茶な運転するかよ」

 章灯の言葉通りにインターフォンが鳴る。「――ほらな」

 

「お疲れ、アキ」

「章灯さんもお疲れ様でした。すみません、せっかくのお休みに」

 遼を寝かし付け、やっと静かな時間を得た二人はソファに並んで座り、グラスを傾けている。

「いやいや。面白かったって。明日お迎え来ちまうんだもんな」

 そう思うとちょっと寂しいかな、と言うと晶も小さく頷く。

「ピーマン、食ってくれて良かったな」

「章灯さんのお陰ですよ」

「いや、元々はアキのギターに釣られたわけだから、結局はお前の力だ」

「そんなこと……。結局7曲も歌わせてしまって。私達の曲以外にも」

「まさか幼児向けアニメの曲をリクエストされるとはな。そこはさすが幼児だ」

 しかし、男共が案外ノリノリだったことは晶にも良くわかっている。

 そこで晶はコホンと、ひとつ咳払いをした。

「――で、章灯さんは何を条件に出せば、梅干しを食べられるんですかね」

「えっ? え――……っと、それは……また……今度……」

 たじろぐ章灯に晶はニヤリと笑って言った。


「章灯さん、好き嫌いは良くありませんね」



 ギリギリに書き上げたもので、後日談(お迎え編)までいけるかわかりません。まだ一文字も書いてません。

 間に合えばお迎え編書きます。間に合わなければ、すみません。

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