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event14 5/1 皐月の誕生日?

 結局、4月は何も捻り出すことが出来ませんでした。

 というわけで、5月スタートです。

「皐月さぁんっ! 誕生日おめでとうございまぁすっ!」

 レジカウンターに座って閉店前の事務作業をこなしていた皐月は、パァン、という派手なクラッカー音に驚いて肩を震わせた。次いで聞こえて来た声の方に視線を向けてみれば、そこにいたのは満面の笑みで小さな花束を持った湖上こがみである。

「コガ君……。いきなりやめてちょうだい。お客さんがいなかったから良いようなものの……」

 腕を組み首を傾げて彼を睨みつける。もちろん、湖上の方でもあえてこの時間帯を狙ってきたのだ。皐月の勤める楽器店は楽器そのものよりも楽譜や手入れ用品などの方が売れ行きが良い。近くに小中の一貫校があるためか、購買層は10代の若者とその親が大半である。だから――というのか、店が閉まる午後9時頃になると、客足はぱったりと途絶えるのだった。

 もちろん、幼い子どものいる皐月が毎回閉店まで働いているわけではない。オーナーからどうしてもと頼まれた時だけ、家政婦センターの木綿子ゆうこさんに泊まり込み保育をお願いしているのだ。

「いやぁすんませんすんません。でもほら、これ、音だけのクラッカー。な? ゴミ出てないだろ?」

「そういう問題じゃないの」

「えぇ? じゃどういう問題なんだ?」

「わからないの? 本気で?」

 呆れた……、と皐月は頭を抱えた。もうこの頃には業務中においても皐月が彼に敬語を使うことはなくなっていた。そういう関係になった……わけではない。

 湖上から頼むからそんな他人行儀なのは止めてくれと懇願されたのである。

「私達、他人じゃない」

 皐月はさらりとそう返す。確かにそれはそうなのだが。

 しかし、何度目かの『懇願』で、ようやく彼女は首を縦に振った。ようは根負けした、というやつである。

「それにね、コガ君……」

 閉店まではあと10分。客が入ってくる気配はない。こういう時は早めに店を閉めても良いとオーナーから言われている。皐月は入り口の自動ドアのスイッチを切り、店頭の照明を落とした。

「私の誕生日、今日じゃないんだけど」

 くるりと振り向きながらそう言うと、驚くのかと思っていた湖上は意外にも「へぇー」と気の抜けた声を発しただけだった。

「へぇーって。そんな花束まで用意して。祝う気で来てくれたんじゃないの?」

「もちろん祝う気で来たさ。でも、皐月さんの誕生日が何日なのかなんて、俺、知らねぇからさぁ」

「……えぇ?」

 あっけらかんとそう言い放つ湖上に皐月はもうそれくらいしか返す言葉がない。

 何なの、この人。

 正直言って苦手なタイプだと思っている。行動は突飛すぎて予測出来ないし、言葉遣いや物腰だって荒い。それでも子ども達は案外気に入っているようだが、それはきっと精神年齢が近いからだと思う。

「誰かに聞いたとかじゃないの?」

「いんや。ていうか、ぺらぺらと個人情報漏らすようなやつなんてヤバくねぇ?」

「じゃあどうして今日だと思ったの?」

「今日だと思ったっつーか、今日から毎日祝う気でいた」

「――はぁ?」

 確かに彼の言い分も一理ある。湖上は単なる常連客だ。プライベートな友人というわけでもない。そんな男に対して、例え誕生日程度の情報であってもぺらぺらしゃべってしまうのは、危機意識の欠如と言わざるを得ない。しかし、かといって数打ちゃ当たると毎日通われたのでは敵わない。

「とりあえず、『皐月』なわけだから、5月生まれなんだろうなーって思ってさ。それは当たりだろ?」

「それは……そうだけど」

「だから、今月いっぱい毎日祝えば、どこかで当たるだろ?」

 確率は30分の1、と人差し指を1本立て、得意気に胸を張る。

「5月は31日までよ」

 皐月はため息混じりにそう返した。「私が31日生まれだったらどうするのよ。これから毎日花束を用意する気? コガ君の懐も心配だけど、ウチが花屋になっちゃう」

 淡々と冷静に諭す。彼がスタジオミュージシャンであることは知っている。しかも、どんな因果かカナリヤレコードに所属しているということも。まだまだ駆け出しみたいなものだから、給料だってそんなにもらっていないだろう。

「皐月さん、やっさし~い。だから、心配しなくても大丈夫。花束はあと1つだ」

「……? 言ってる意味が良くわからないんだけど」

「皐月さんのことだから、まず俺の懐事情を心配してくれるってわかってたんだ」

「……それがどう繋がるのかしら」

「だからさ、皐月さんはきっと、俺が毎日それなりの花束を持ってくるのは忍びねぇっつって、自分の誕生日を教えてくれると思ってさ。そしたら、花束はあと1回分だろ?」

 そう言って、少年のように歯を見せて笑う。

「教えないかもしれないって、選択肢は無いの?」

「ねぇよ。あるわけねぇもん」

「その自信はどこから来るのよ」

「えー? だってさぁ」

「だって、何?」


「だって皐月さん、絶対俺に祝ってもらいてぇはずだもん」


 嫌になるほどの自信家。

 京さんはそんなことなかった。

 社員の前では豪放磊落に振る舞っているけれど、二人きりになるとほんの少し内側を見せてくれる。誰も知らない彼の弱さを。そして、それを知っているのは、頼ってもらえるのは自分だけなのだと、不謹慎にも嬉しくなるのだ。

 だから、私は弱さを隠した。立場上、どうしたって敵の多い彼に、ほんのわずかでも弱味であるとか、枷であるとか、陰りであるとか、そういうものを与えたくなかった。その結果がいまだ。いまになって『もしかしたら』と考えたりもする。

 『もしかしたら』彼は守るものがある方が強くなれる人だったかもしれないと。

 自ら切り離してしまった彼との未来へと繋がるレールへは、もう戻れない。絶対に。


「世の中にはね、絶対なんてことないのよ」

 作り笑いでやりすごす。

 どうしてあの人と比べてしまったのだろうと後悔した。

 悔やんでも時間は戻らないし、湖上にだって悪いだろう。

「いーや、あるね! 俺には見える……」

 湖上は目を瞑り、両手を広げて天を仰いだ。胡散臭い宗教家のようだと皐月は思った。

「俺と皐月さんの間に二人の可愛い女の子……」

「はぁ……」

「皐月さんはXLサイズのポップコーンを持ち、俺は4人分のジュースを持つ。内訳はそうだなぁ、かおるあきらはオレンジジュースだ。あいつら柑橘系が好きだからな。そんで、皐月さんはアイスコーヒー、俺はコーラ」

「何よそれ……」

 郁と晶がオレンジが好きだなんて教えていない。あの子達が言ったのかしら。

「郁はキャッキャとはしゃいで言うわけだ。『次は何に乗る?』ってな。皐月さんはメリーゴーランド辺りを勧めるわけだが、それに難色を示すのは晶だ。あいつは出来たばかりのホラーハウス……っつっても子ども向けのやつだが、それに興味津々よ。あいつは何でお化けとかが良いのかなぁ。郁はあれで割と女の子っぽいお姫様系のが好きなんだけど。まぁ、双子っつっても別人格だからな」

「ちょっと待って。何で……」

 何でわかるの? あの子達の好きなものが。

「そんで、仕方なく二組に別れる。皐月さんと郁はメリーゴーランド。俺は晶とホラーハウスだ」

「……何でわかるの?」

 調子良くぺらぺらとしゃべる湖上の肩を叩く。まさか本当に未来が見えるとでも言うのか。

「何でって言われてもなぁ」

「郁がお姫様好きで晶がお化け好きって、どうして知ってるの?」

 そう尋ねる皐月はかなり必死な顔をしていた。彼女の頭の中に、『ストーカー』という文字がよぎる。しかし彼はあっさりと言い放つのだ。


「へ? あいつらが言ってたんだけど」


「え?」

「ほら、こないだ、バレンタインのお返しーってお呼ばれした日、皐月さんと木綿子さんが台所にいる時さ。教えてくれたんだよ。あっ! ちっ、違うぞ! 無理矢理聞き出したりなんかしてねぇって! あいつらから言ってきたんだからな!」

 知らず知らずのうちに疑いの目を向けていたのだろう、それを読み取ったのか湖上は狼狽えつつ即座に否定する。

「そんで……これ!」

 湖上は皐月の鋭い視線を避けるように背中を仰け反らせた状態で、尻のポケットから『それ』を取り出し、彼女の眼前に差し出した。

「……チケット?」

 悪霊退散のお札とでもいわんばかりに突き付けられたその紙切れに焦点を合わせてみると、それは『SUGAR LAND』という名の遊園地のチケットであった。

「……あいつらが行きたいって言ってたんだ」

「郁と晶が?」

「でもお母さんお仕事が忙しいし、ってよ。言えなかったみたいでさ」

「…………」

 皐月は何も返せずに俯いた。我慢させてしまっているという自覚はあった。けれども自覚しているというだけだ。自分は子ども達に何を与えられているだろう。一緒の時間も、思い出も、全然足りない。

「こ、これ、俺からのプレゼントにするからさ、誕生日教えてよ」

 親子水入らず、3人で行ってこぉい! と照れ隠しなのか声を張り上げ、湖上は大口を開けてガハハと笑った。

「………ガ君は?」

「……ん? 何か言ったか?」

「……コガ君は? 行かなくて良いの?」

「ほぇ? お、俺ぇ?」

「郁と晶はきっと、コガ君とも遊びたいはずよ。それに――」

「それに?」

「コガ君がいなかったら、誰が人数分のジュースを持つのよ。見えたんじゃなかったの? そんな未来が」

「え? あ――……」

 それはもちろん、と湖上は頭を掻いた。ただし、それは限りなく願望に近いものであって、いわゆる『あわよくば』に該当するものだった。今回のミッションはあくまでも『彼女の誕生日を聞き出して花束とチケットを渡す』ことが達成ラインであり、『さらに同行まで出来る』というのはエクストラステージのようなものだったのだ。彼の想定では、「あなたとは行かないわよ」という返しが来て、じゃあ3人で行ってこい、となるはずだったのだ。まさか子ども達の好みの出所についての詰問の方が先に出るとは。

「良いんすか」

「どうしてそこで及び腰になるの」

 さっきまでは自身の塊みたいだった癖に。

「いや、ハハハ……。何か嬉しすぎて」

「行くの? 行かないの?」

「い……っ、行きます! 行かせていただきまぁ――――――――っす!」

 背筋をぴんと伸ばした状態で勢いよく腰を90度に曲げる。その風圧で机上の書類が飛んだ――というのはさすがに嘘だが、それでもふわりと風が届くほどではあった。そして、数秒の後に、恐る恐る顔を上げ、中途半端な位置で皐月と視線を合わせた。

「それで……その……、誕生日は……?」

「もう少し声を落として。この期に及んでまだそれを聞くの? 良いじゃない、どうせ遊園地に行く口実なんでしょうから」

 カウンターに座り、書類の束をまとめる。黙々と確認印を押し、ファイルの中にしまった。

「ほら、もう出なくちゃ」

 ここまで作業を進めたらあとはオーナーがレジを締めることになっている。彼女はファイルを持ち、立ち上がった。もう間もなくオーナーが2階から下りてくるだろう。

「……口実じゃねぇよ」

「え? 何か言った?」

 引き出しにファイルを入れ、数字合わせ式の南京錠をかける。例え書き損じであっても、個人情報が書かれたものは全てこの中に入れることになっている。ぱたん、という音にかき消されてしまった彼の言葉を聞き直す。

「口実なんかじゃねぇって。今回一回きりじゃねぇだろ。毎年祝いてぇんだ。だから教えてくれよ。来年も再来年もこれから先もずーっと『4人』でお祝いしようぜ」

 ことさら『4人』を強調する湖上に皐月は苦笑した。いままでも子ども達をだしにして交際を迫ってきた男など何人もいたからだ。彼もそうだとは断言出来ないが、かといって信じられるわけでもない。それでも――、

「8日よ。5月8日」

 つい答えてしまった。彼のその――屈託のない笑顔に負けて。

「りょ――――――――かぁいっ!! 任せろぉっ! その日はいままでの人生で一番の誕生日にするからぁっ!」

「だから、コガ君、もう少し声を落として」

 皐月は慌ててそう促したが時すでに遅し。がしゃん、という音で振り返ってみれば、住居へと続く階段を降りきったところで、あまりの大声に驚いたオーナーが持っていたものをすべて床にぶちまけて腰を抜かしていた。

 


次は皐月の誕生日、5月8日に更新します。

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