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event12 3/14 Whiteday

「どうして泣いてんすか」

 湖上こがみがそう問い掛けるのと、皐月が自身の頬を伝う涙に気付いたのはほぼ同時だった。

「やだ……、どうしてかしら」

 慌てて擦り取るように頬の涙をぬぐい取る。しかし、さすがにまぶたを擦るわけにはいかない。まだ化粧は落としていないのだ。

「悲しいんすか。嬉しいんすか。それともどっか痛いんすか」

 そう聞かれても、自分だってわからない。何せ、自分が泣いていたことに気付いたのもついさっきなのだから。

「わかりません」

 幸いなことに涙はそれ以上溢れてくることはなかった。

「俺が泣かせたんすかね」

「……え?」

「すんません」

「いえ、湖上さんが謝ることでは……」

「無理にとは言わねぇっすけど、泣きたい時は泣いた方が良いっすよ」

 さらりとそう言って、湖上はニィっと笑った。

「母親だからってそこまで我慢するこたぁねぇです」

 俺の母ちゃんも良く泣いてたし、と言ってから、声を落としてヒヒヒと笑うと、皐月もつられて笑った。

「あぁやっぱり。笑ってる方が良いな」

 独り言のようにポツリと呟く。

「湖上さんもそっちの方が良いですね」

「へ?」

「敬語じゃない方が良いです。無理矢理感がすごいもの」

「へへ……参ったな。普段あんまり使わねぇから」

 そう言って照れたように笑う。良く笑う男だと皐月は思った。


 見た目ほど――というのは失礼だろうが、その派手な身なりの割には案外真面目な男なのかもしれない。


 そう思ってしまい、皐月は慌ててかぶりを振る。浮かんでしまったその思考を打ち消すように。

「いきなりどうしたんすか」

「何でもないです」

「ねぇ、飯田さんも敬語止めようぜ。普段は俺、一応客かもしれねぇけど、いまは客でもなんでもねぇわけだし」

「でも……」

「ついでに、『湖上さん』っつーのも止めて欲しいかなぁ、なんて。コガでも勇助でも勇助でも勇助でも良いから」

「随分『勇助』を推すのね」

「そりゃあ好きな人からは名前で呼んでもらいてぇからさ。まぁー、無理にとは言わねぇけどさ」

「じゃあ、『コガ君』で」

「ちぇー、やっぱりそっちか」

「ごめんなさいね」

「仕方ねぇ。でも絶対に『勇助』って呼んでもらうからな」

「自信家なのね」

「自分に自信がねぇと楽器で飯なんか食えねぇからさ」

 湖上は皐月に向かって右の手のひらを広げて見せた。皐月はそこで始めて彼がミュージシャンであることを知った。自分が勤めているのは楽器店なわけだから、毎日のように通いつめている湖上だって音楽に関わっている可能性は0ではない。それがプロかアマかというだけだ。にも関わらずそれに気付かなかったのは、皐月目当てで通う客などざらにいたし、何より湖上は一切そういう話をしなかったからだ。

「楽器は何を?」

「ベース。言ってなかったな、そういや」

「そうね。じゃあ私も教えてあげる」

「知ってる。ギターだろ。店で良く弾いてるもんな」

「うん。でも、そうじゃないの」

「他にも何か弾けるのか?」

「そうじゃないのよ。私ね……」


 皐月は至極言いづらそうに俯きながら「プロだったのよ」と言った。それが自分の罪でもあるかのように。

 夜風に溶けてしまいそうなその小さな声が湖上の耳に届くと、彼は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐにまたいつものにやけただらしない顔に戻った。

「それも知ってる。飯田さんから教えてくれるの待ってた。良いじゃねぇか。胸を張りなよ。第一線で戦ってたんだろ?」

「でも負けたのよ」

「だったら俺が仇討ってやるから、見てろ」

 まだペーペーだけどな、と言って、その大きな手を彼女の頭の上に乗せた。


 年下の癖に。


 そう思い込むことにした。


 頼もしいだなんて、一瞬でも感じてしまわないように。





 

 

 皐月と湖上の話でした。

 ここからさらに湖上がぐいぐい押して本編の♪74に繋がる感じです。

 最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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