九話
あれから水魚サンとのレッスンは週に一日か二日のペースで行われた。一日目で有り余る基礎体力を見せつけ、本人はかなり前向きになり、水魚サンのほうからレッスンに行こうと僕を引っ張り出すほどだったが、二回目で早くも挫折を味わうことになる。
「体力とスタミナは問題ないわ。本人も常日頃から自主トレしてるみたいだし、ここであえてやる必要ナシね。今日から実技に入るわよ」
住職はポータブルDVDを出した。画面にアイドルのプロモーション映像が流れる。
「いきなりダンスのコピーは無理にしても、基本的な動きを覚え込むのよ」
「こんな小娘にできて、私にできないはずがあるまい」
水魚サンは自信満々だ。画面のアイドルが腕を回して可愛いポーズを決める。水魚サンがギクシャクしながらその動きを真似る。
「全然ダメ。それじゃまるっきりファイティングポーズじゃない」
アイドルが華麗にターンを決める。
「なんでそこで足が出るのよ? 後ろ回し蹴りじゃないのよ!」
「な、なぜだ。こんな簡単なことが、なぜ私にできんのだ」
水魚サンが膝をついて愕然とする。傍から見る限り水魚サンの動きはまるっきり空手か中国武術の演武だ。画面のアイドルが流れるように一連の動作を繋げているのに対し、水魚サンはいちいちタメを作って必殺の一撃を繰り出す。しかも音楽とも合ってない。住職は頭を抱えた。
「やっぱりダンスを仕込むにはアタシみたいな素人じゃ無理ね。専門のトレーナーじゃなきゃ、この女の体に染み付いたバイオレンスな動きは矯正できないわ」
「なんとかこの動きをそれっぽくダンスに見せることはできないんでしょうか?」
「それも面白いかもしれないけどその場合、振付師が必要になるわね。咲君にそんな知り合いがいて?」
いるわけない。結局、ダンスの問題は先送りとなった。そもそも素人レベルの、しかもメンバーさえ揃っていないユニットだ。そこまでクオリティを高める必要もあるまいと、僕と住職は妥協したが、水魚サンは不甲斐ないようだった。
それから僕はこの懸案をなんとかするべく、まとめの元を訪れた。
「ダンス? ううん。私はやったことないよ。人よりうまくできる自信もないよ」
「そうですよねえ。そううまくいく訳ないですよねぇ」
「あら、でもやすピンには心強い味方がいるじゃない」
僕自身、身に覚えのないことをまとめが言った。が、どことなく棘があるような。
「北國さんだよ。北國さんならアイドルの経験もあるし、曲作ったりダンスもしてたんじゃないの?」
そうだ。すっかり忘れてた。北國の持ち歌は既存のアイドルの曲の替え歌みたいなものなので使い物にはならないが、ダンスならばどうにかなるのではないか。
「そっか。その手があったか。でもなあ、正直、言いづらいんだよなあ」
「なんでよ」
「あれから北國と何度かコンタクトをとろうとはしたんだよ。でも、連絡つかないんだ。こっちから会いに行くにしても、きっかけが掴めないというか、気まずいというか」
「ふうん。北國さんには随分優しいんだ」
なぜまとめは北國のことになるとキツい物言いをするのだろう。まあ、最初の出会いが出会いだったからなあ。それとは別に、僕はまとめにもうひとつのお願いをしてみた。
何度目かの水魚サンのレッスンに向かう。音曲寺につくと住職と、まとめが僕らを出迎えてくれた。まとめにレッスンを見学しないかと誘ってみたのだ。このサプライズに水魚サンは動揺を隠さなかった。
「おい、なんで小豆沢がきている? こんな話は聞いていないぞ」
「ええ。内緒にしてましたからね。今まで黙ってましたが実はまとめにもユニットに参加してもらう予定だったんですよ」
僕はまとめの参加の条件を説明した。
「そうだったのか? しかしその話ではあと二人か三人はメンバーが必要になるではないか。まさか、まだ蛤と平坂を巻き込むつもりか?」
「もちろん。僕には他にめぼしい知り合いもいないし、そもそも僕はそのメンバーでユニットを作りたかったし」
「キサマ、あの二人には手を出すな! 辱めを受けるのは私一人でいい。あの二人に手を出すくらいなら、私を好きなようにしろ!」
なんだか誤解を招きそうな言い回しだ。水魚サンはあこや君に結構キツいこと言われてたけど、それでも体を張って守りたいのか。水魚サンにとって、あの二人は妹のようなものなのだろうか。僕らの様子を見かねたまとめが割って入った。
「それにしても、油谷さんがアイドルやるなんてすっごく意外です。なにか思うところでもあったんですか?」
ゲエェーッ! まとめさんの口からそれを言います? 水魚サンの痴態を盗撮し、僕に脅迫しろと言ったご本人ですよ? どんだけ悪女なんだ。軽い裏切りに遭った僕はひとり極悪人に仕立て上げられ、無難に辻褄を合わせることを余儀なくされた。
「ほ、ほら、ウチでぷるりを飼うことになったじゃない。事務所を使うから、その使用料代わりに水魚サンがこの話を引き受けてくれたんだよ。あと、お金もかかるから少しでも会社の業績も上げなきゃだし」
「そうだったんだ。義理堅い油谷さんらしいですね」
まとめに不自然な様子は全くない。なにも知らない純な女の子になりきっている。恐ろしい子! 水魚サンも咳払いしつつ話を合わせる。
「う、うむ。あの猫を保健所に引き渡すと言ったら平坂が泣いて反対するのでやむなくな。おかげで私がこんな辱めを受けることになった。いい迷惑だ」
この水魚サンの言い訳に住職が口を挟む。
「あら。たかだか猫や同僚のためにアイドルやるようなタマじゃないと思うけどね。なにか他に理由があるんじゃない?」
「なんだ? 含みのある言いようだな。それだけで社長の頼みを聞いてはいかんのか」
「べつにぃ。ただ思ったことを言っただけよ」
そう言うと住職は背を向けた。なんだか住職と水魚サンって似合いのカップルだなあ。本人たちは否定するだろうけど。二人とも有能なキャリアウーマンだからか。いや、住職はウーマンではないのだが。
しかし言われてみればそのとおりだ。住職は水魚サンのあのあられもない姿を知らないとはいえ、アイドルやるのが死ぬほど嫌なら無理に引き受けなくていい。水魚サンなら僕をフルボッコにして口止めすることなんてわけないはずだ。それをしないのはなにか理由でもあるのだろうか。
「さ、挨拶もすんだし、今夜は歌唱力のチェックをするわよ」
住職がそう言ってラジカセを出すと、水魚サンが突然本堂の隅に後ずさった。
「か、歌唱力だと? 私に歌えと言うのか?」
「当たり前じゃない。アイドルは歌って踊って媚びてナンボでしょ。アンタ今更なに言ってんの」
「い、嫌だ! 私は断じて歌わんぞ。歌うくらいなら、死ぬ!」
この水魚サンの反応にみんなピンときた。
「ははーん。さてはアンタ、音痴ね? ダンスも音程とずれてたし、発声練習では矯正できない、真性の音痴なんでしょ」
住職に核心を突かれた水魚サンがその場で膝を折った。
「ああ、そのとおりだ。もうこれで分かっただろう。そもそも私にアイドルなど無理なんだ。チャラチャラした小娘でもできることが、私にはできない。ふふ。お笑い種だな」
「滑稽ね。意味のないプライドばっかり高くって。まあ、プライドのない女よりはいいけどね。でもそう落ち込むこともないわ。音痴は恥ずかしいことじゃないのよ。どうせアイドルのステージなんて口パクでいいんだし、最悪、曲に合わせてフンッとか、ハッとか、合いの手入れてるだけでもいいから」
「なるほどー。さすが住職。そういえば北國も似たようなこと言ってたけど、そういう絡繰りだったんですね。水魚サン、アイドル、全然やれますよ」
「それって、あまり慰めになっていないぞ」
「でもねえ、そうなるとやっぱりあと二、三人のメンバーは必要よね。いくら口パクでも、歌っている人数が合ってなかったら明らかに不自然だもの」
「ちなみに、まとめは普通に上手ですよ」
「でも、小豆沢さんは四人か五人のユニットじゃなきゃ嫌なんでしょ? どのみち、油谷さんがこの状態じゃアイドルデュオは無謀ね」
住職の言葉に僕が腕組して考え込むと、まとめも少し居心地が悪そうだった。
「まあ、まだ走り出してもいない状態でそこまで欲張ってもしょうがないわ。今はできることから始めるくらいでいいんじゃないかしら?」
住職の現実的な助言を受け、とりあえず水魚サンとまとめがダンスの練習を始める。ブリキロボのような動きの水魚サンに対して、まとめは呑み込みが早い。やはりメンバーにまとめは必要だと再確認。が、十分ほどでギブアップ。スタミナに難があるまとめには基礎体力作りが先だということになった。
二時間ほどのレッスンも終わり、それぞれが帰路に着く。まとめは親父さんの箱バンで帰宅。実はこれが重要なのだ。水魚サン一人なら会社の軽トラで送迎できるが、もう一人、二人とメンバーが増えた場合、対応できない。だが、この時間帯なら親父さんが車を使うことはまずない。箱バンならまとめを含めて四人も輸送できる。戦いとは常に二手、三手先を読んでやるものさ。とはいえ、この時間帯はまとめも店の手伝いがあるので、あまり無理も言えないのだが。