五話
朝から生憎の冷たい雨。お葬式の日に降る雨は涙雨、などと美化するのが世の常なのだが、葬儀を生業とする者にすればこれほどうるさいものはない。準備が面倒。道具を濡らさないよう防水しなきゃいけない。重いものを運べば滑って危険。参列者が濡れないよう配慮を、等々、晴れてりゃつつがなくできることが半分もできやしない。それでも料金は一緒。しかも雨だから日取りを変えるなんて絶対ない。葬儀屋にとって雨なんて、涙雨とか言ってお茶でも濁さなきゃやってらんない、天災みたいなものなのだ。この日の雨がまさにそうだった。
「チッ。葬式の日まで当てこすりのように雨なんか降らせやがって。最後まで俺に嫌がらせするつもりかよ。ったく、使えねえな」
喪主のロン毛の兄ちゃんがぼやいてる。二人きりの父子家庭だったそうだが、親子の折り合いがあまりよろしくなかったらしいことは息子の態度から察しはつく。まばらな参列者の中には談笑している者さえいる。寝たきりだったという故人。それでも幸せか。こうして息子がお葬式をきちんと挙げようというのだから立派だ。
最初この仕事が舞い込んできたとき、とにかく安く上げたい。斎場も借りられないし折箱も頼めない。だから自宅で、できるだけお金をかけないようにしたいということでウチに依頼したようだ。大手に頼めば直葬でもなんやかやで料金が膨れ上がると思ったのだろう。事実、そういう業者もいることはいる。ウチでやれば三回は葬式ができそうな高額をふんだくられた話も漏れ伝わったりもするのだが、相場などあってないようなのがこの業界の特殊性。金額について声高に叫ぶのはタブーとされてる。水魚サンの的確な指示の元、祭壇の飾り付けをしつつ今回の仕事が舞い込んだときのことが脳裏を過った。
夜中の依頼など珍しくはない。遺族が取り乱すのは自然なことだ。僕は軽トラを飛ばし現場に到着したのだが自宅に、それも今まで寝ていた状態のままっぽい故人の様子を見たときにはさすがに首を傾げた。明らかに遺体の様子から死後数日経過し、腐敗が進んでいる。家の中に独特の臭いが漂い、やむにやまれず葬儀屋だけ呼ばれたといった風だった。
「こんばんは。咲元葬儀社の咲元です。このたびはお身内のご不幸、お悔やみ申し上げます……」
名刺を出しつつ畳に手をついてると喪主の兄ちゃんが制した。
「ああ、そういうのいいから。とにかく、葬式だけちゃっちゃと済ませちゃってよ。あんまり金もないから、できるだけ安いコースで」
兄ちゃんは目も合わさず居心地が悪そうだ。これも最近じゃたいして珍しいことじゃない。葬儀屋で遺体の処理はできない。医師の診断書をもらい、きちんと役所に届け出て、火葬場の手配をしなくてはいけないこと。葬儀は必ずしも行わなくていい旨を伝えた。正直、手を引きたかった。こんな面倒な仕事は大手に押し付けて、家でギャルゲーでもやってた方がよっぽど建設的ではないか。
「ええー。役場に届けなきゃなんないの? 俺、役所とか嫌いなんだよね。なんとかさあ、届けなくていい裏技とかない?」
しかしきちんと手続きを取らなければ刑事事件に発展し、年金の不正受給にもつながる。しかし死後、まだ日が浅い今のうちならそんなことにはならないと説明すると兄ちゃんも観念した。どうやら葬式さえ済ませてしまえば遺体の処理もできてそ知らぬ顔ができると思っていたようだ。
「ちっ。使えねえな。いいよ、いいよ。とにかく、葬式さえすりゃ面倒が少ないんだよね。火葬場とか、役場への届出とかやってくれんの?」
もちろんそれは葬儀屋の大事な収入源だ。遺族がやれば数千円の手続きでも、代行すれば結構な稼ぎになる。だが僕はそんな打算が好きになれない。そのことをロン毛の兄ちゃんに伝えたが、とにかく面倒は嫌だとか言って、この依頼を引き受けざるを得なくなってしまった。
雨脚はだいぶ弱まったが、それでも面倒なことに変わりはない。直葬はスピードが命。だらだら時間をかければその分、コストに撥ね返る。僕は軽トラを飛ばし会社に戻り、急いでお帰り屋の進捗状況を確認。仕事用の携帯を開く。
「こっちは概ねオッケーだよーん。やすピンが来る頃には配達できるよ」
うむ。やはりまとめはデキる。そのまま脳内ドリフトで軽トラをお帰り屋の前に横付け。店に入れば店内狭しと並べられた折り箱がほぼ完成し、それをまとめとあこや君が包装している最中だった。
何食わぬ顔で隅っこにある、まだ包装されてない折の蓋を開け中身を確認。ウホッ。いい香り。そのままつまい食いしたい衝動を抑えつつ、親父さんの元に向かう。
「ごめんねえ、親父さん。いつも無理なお願い聞いてもらって」
「なあに。いいってことよ。ウチは十一時の開店だからな。今日みてえな雨の日は昼飯の客も知れたもんだしよ。ヤスの字の頼みとあっちゃあ、聞かないわけにもいくめぇ」
ごま塩頭にべらんめえ口調のまとめの親父さんは昭和の実録任侠映画かロードムービーにでも出てきそうなナイスガイだ。子供の頃、よくまとめと花火大会や夏祭りに連れて行ってもらった。僕の両親とも大親友だった。だが、この人には明らかに一般人とは違う秘密がある。親父さんがおもむろに僕の肩に手を回してきた。
「ところでよ、今度のフリルソフトの新作、ヒトヅマイレヴンだっけか? もう予約してんのか」
「もちろん。今度の新作はシナリオライターにあのマタン吾郎さんを加えて、隠れキャラを含めれば十二人の人妻が攻略可能な近年まれに見る超大作だからね。実用、布教用、保存用の三本を予約済みですよ」
「痺れるほどゲスいゲームじゃねえか。無事に発売されたら、いっちょう頼むぜ」
そんなことを話し合ってると後ろからまとめが声をかけてきた。
「もう全部終わったよ。なに? 二人してコソコソ話して」
慌てて僕と親父さんが笑ってごまかす。親父さんが隠れギャルゲーユーザーというのは二人だけのトップシークレットだ。僕はこの秘密を墓の下まで持っていかなくてはいけない。とくにまとめにだけは知られる訳にはいかない。
「げふん、げふん。おい、まとめ。お前は配達まで頼まれてんだろ。きっちり仕事をやりきるまで、気ぃ抜いてんじゃねえ」
「ぶう。わかってるよ。なに話してたのか、聞いただけじゃない」
そんな二人を尻目に僕とあこや君が完成した折り箱の数々を軽トラに積み込む。荷台には幌を搭載して雨天仕様にしているので心配は無用だ。
直葬で安く上げるのが喪主の要望とはいえ、参列者がいればさすがに折りもなしという訳にもいかない。そこで近所のお惣菜屋さんに渡りをつけ、お帰り屋で激安なんちゃって折り箱を作るのが咲元葬儀社自慢のコストダウンシステムだ。これは大手には真似できまい。情けなくって。
積み込みが完了し、車のキイをまとめに渡す。
「じゃあ、配達頼むよ。場所は大丈夫だよね? 僕も後から行くから」
「オッケー。まっかしといて」
まとめが軽トラに乗り込み、配達に出発。天性の方向音痴で道に迷ったあげく僕に涙声で助けを求める……なんてギャルゲー的展開は起こりえない。まとめはデキる女なのだ。
「では、我々も急ぎましょうか」
「どわ! びっくりした。蛤君、お願いだから気配もなく後ろに立たないでよ」
無表情なうえ、存在感の薄いあこや君は一緒に仕事をしていても気配を感じない。それでも仕事をきっちりこなすのだから、この子もまとめとはまた違ったタイプのデキる女だ。
「べつに気配を殺したつもりはありませんが……早くしないと時間が押すのでは?」
「ああ、うん。そうだね。でも蛤君とまとめが手際よくやってくれたから時間的には余裕があるんだ」
「そんな悠長なことを仰るからいつもそのしわ寄せが従業員に来るのです。社長は進行役なのですから全体の段取りを取っていただかなくては困ります。現場で指揮を執る油谷さんにかかる負担を少しは……」
「わーかった、わかったから、急ぎますよ。早いに越したことはないから。今すぐ着替えますから」
無表情で存在感は薄いのに口数が多いのがあこや君の致命的欠点だ。これでほとんどなにも喋らなければモエモエな無表情キャラの完成なのだが。この欠点のせいであこや君がおばさんキャラだというのがモロバレだ。年は僕より二つ上なだけなんだけどなあ。
あこや君に急かされる形で自室に戻りクローゼットを開ける。この瞬間はいつも気が滅入る。喪服を出して袖をとおす。僕には普段着にしてる作業着の方が性に合ってるのだが。ううっ、また少しキツくなってるっぽいぞ。最近のスーツは縮むのが早いなあ。と、考えることにする。
呼吸困難を促すとしか思えないネクタイを締め事務所に戻ると、すでにあこや君が発進スタンバイに入っている。
「オペレーティングインターフェース、オールグリーン。ヘステンハイム、発進シークエンス開始!」
「はいはい」
指令を受けたオペレーター蛤がカタパルトのハッチを開く。一階の車庫のシャッターを開けるだけなのだが。すかさず僕はスロープ、もとい階段を駆け下り我が社の旗艦、ヘステンハイムのブリッジに乗り込む。
普通の葬儀屋なら霊柩車はアッパークラスの外車か、国産高級車というのが相場だが、僕の会社ではリーズナブルな商用車をベースにカスタマイズしたものだ。カッコ涙。だが僕はこのヘステンハイムが気に入っている。父さんの代から我が家に仕える優秀な執事といった存在で、子供の頃から助手席に座っていた思い出もある。さらに元が商用車なのでメンテにコストがかからない、運転が楽で燃費もいい、狭い日本の道路事情にも合ってる、等々の利点があるのだ。葬儀屋はパワーじゃない。機動性だ! 数年前、ボディに萌えキャラをシールして痛霊柩車仕様にしたのもいい思い出だ。ちなみにヘステンハイムという中二病的な名前は僕が命名したもので先代ではない。念のため。
十分も走って無事現着。近所には青空駐車が可能な空き地があったのでヘステンハイムはそこで待機。これだけが今回の仕事の救いだ。専属の運転手を雇えないウチでは駐車スペースがないだけで段取りが悪くなる。あこや君ではないが、このあたりの不具合は早急にどうにかした方がいいな。
「あー、霊柩車だ。親指かーくせ、親指かーくせ」
僕とヘステンハイムを発見した近所のがきんちょ数人がはやしたててる。悪気がないのは分かっちゃいるが、なにも聞こえるように言わなくたっていいだろう。
「ざわ、ざわ。このお香典、重っ。なかなかやるじゃない、社長。なんか悪いことやってんじゃないの? このこの」
てなこと言いながら受付で夜見子君が参列者となぜか握手してる。でもまあ、参列者のおじ様方も鼻の下を伸ばしてるので見ないフリをする。そのまま依頼主の自宅の玄関を潜る。斎場を持たない我が咲元葬儀社は専ら寺社、自宅、公民館が主戦場となる。今回は直葬ということで故人の自宅と相成った。火葬場で葬儀を済ませるという力技もないではないが、この家を檀家とするお寺さんの住職がこちらのディスカウントに一切妥協してくれなかったため法要はキャンセルした。一番高くつく戒名ももちろんない。喪主の兄ちゃんの承諾は得た。その分、浮いたお金で自宅葬ができるわけだ。これでパートさん一ヶ月分の給料プラスアルファのコストに収めるのだから自分の才能がつくづく恐ろしい。
てなこと考えていたら、なんと喪主の兄ちゃんがまとめに纏わり付いているではないか! すかさず箪笥の陰に隠れて様子を窺う。
「ねえねえ、カノジョぉ。きみ、どこで働いてんの? 一人暮らし? 大学生? 名前、なんてーの? いいジャン。教えてよ」
父親の葬儀の最中にナンパとは凄いガッツだな。いやいや、感心している場合ではない。まとめは困惑してるみたいだ。止めに入ろうかな。でも今のまとめはただの配達のバイトだし、僕が出て行くのもなんか変だし、もう少し様子を見よう。
「俺のこの喪服姿、結構イケてるでしょ? イケてるから、メアド交換しようよ。ヤベぇ」
一体、何語喋ってんですかッ! 宇宙語? 全然理解できないんですけど! って、言ってやれ、まとめ。が、そんな僕の心の声も虚しく、まとめがぐいぐい兄ちゃんに追い詰められてる。ああっ、あと少しで壁ドンされそうだ。でも、もう少し様子を見ようかなと思ってると水魚サンが現れ、兄ちゃんに背後から声を掛けた。
「お取り込み中申し訳ないのですが、会葬者様の席順について二、三お伺いしたいので少々、よろしいでしょうか」
そう言うと水魚サンはしどろもどろの兄ちゃんを半ば強引にまとめから引き剥がした。水魚サン、ナイス。
その場を後にし居間へ向かう。うん。祭壇は無事完成している。故人も安らかな顔だ。コストパフォーマンスを優先したため棺桶は我が社独自のダンボール製だが最近の技術はたいしたもので、ちょっと見ただけなら桐製の本物と比べても遜色ない。安くて軽くて、環境への負荷も少ない。こんないい物をなぜに世の人は眉をひそめるのか、いまいち理解できない。
準備も整い、セレモニーの開始だ。最近は一日葬といって、お通夜を省略する葬儀も珍しくない。これにより費用をぐっと抑えられる。今回の葬儀でも一日葬を採用させていただいた。葬儀屋としてもこの方が楽でいい。その分稼ぎにはならないのだが。
「お坊様がいないようですな」
「お通夜もありませんでしたな。故人は若い頃厳格で、いたずら者の私などはよく殴られたものです」
「それが亡くなる前は寝たきりだったそうです。なんでも不動産に手を出して借金した挙句、奥さんに逃げられたとか」
「息子さんは定職にも就かず、親の年金で生活していたらしいですよ。これではまるで当てこすりですなあ」
「いやいや、我々も他山の石としなければなりませんなあ。こんな粗末、もとい、寂しいお葬式ではとても臨終などできませんからなあ」
人の不幸はなんとかというが、参列者の中からそんなヒソヒソ話が聞こえてくる。喪主の兄ちゃんも居心地の悪そうな顔をしてるなあ。
マイクを指先で叩くとスピーカーからボンボンと音が出る。
「えー。この度は足元のお悪いなか、故人のためにご参列していただき、真に有難うございます」
涙雨なんて、白々しいことを言う気はとうに失せた。金さえ出して豪華な葬式さえ挙げればそれでいいのか。葬式の費用がかさむのは金をかければかけるだけ葬儀屋が楽だからだ。逆に少ない費用と限られた時間で行う葬式のほうが努力と技術を要する。そういう葬儀のほうが葬儀屋の思い入れも深い。高額イコール良い葬式という呪縛のような固定観念が僕は好きになれない。そういうしがらみが葬祭業から創造性を奪い、最終的には葬儀の費用を出す遺族が食い物にされる。僕がこの業界に後ろめたさを感じる大きな理由だ。だが、そんなことにいちいち腹を立てては葬祭業なんてやってらんない。仕事と気持ちは別として、どこかで折り合いをつけなくてはいけないのは僕だって承知している。
「生前の故人の要望では、お葬式は限られたお身内のみで、無宗教の形で行いたいとのことだったのですが、喪主の強い要望もありまして、ごく親しいご友人にも来ていただこうということになりました。雨の中ご足労いただいた皆様には感謝の言葉もありません。故人と喪主に成り代わりまして、深く御礼申し上げます」
兄ちゃんが意外そうな顔をしてるな。事前の打ち合わせもロクに聞いてくれなかったからな。さっきまでヒソヒソ話してた参列者も気まずそうな顔をしてる。
「無宗教ではありますが、それでは手順がよく分からない方も多いと思いますので、一応、仏教の葬儀の形を取らせていただきました。お一人ずつ、前に出られて故人のお顔を拝見された後、ご焼香とお祈りを捧げていただきたいと思います。宗派の違う方はその宗派のお祈りで結構です。さらに退席する際、このマイクでなにかひと言、故人との思い出を語っていただけると非常に嬉しく思います。これも喪主からの強い要望です。故人への文句とかでもよろしいそうですよ。ああ、お足も崩されて、楽な姿勢で結構です。では、お願いします」
参列者一同びっくりしている。まさか葬式に出席して、スピーチを求められるなんて思ってなかったのだろう。大抵、葬儀の主役は故人と喪主で、参列者は脇役だ。だが僕はそこに違和感を感じている。葬式は参加するものではなく、弔いの儀式だ。弔う人それぞれに故人との繋がりがあり、思い出がある。豪華な葬式なら死んだ人があの世で喜ぶなんて思えるほどロマンチストでもない。葬儀屋は今、生きている人が相手の商売だ。
焼香が始まるとそれぞれが前に出て一言、二言、故人との思い出を語った。固辞する人もいるが、人前で喋るのが好きな人もいる。これが時間稼ぎとなり、読経がなくても格好がついて一石二鳥だ。
参列者のスピーチが終わり、喪主の兄ちゃんに挨拶を求める。
「それでは、喪主から皆様にご挨拶と御礼をお願いいたします」
「ええ? 俺ぇ?」
兄ちゃんが困惑している。葬儀のプログラムにはちゃんと入ってたはずなのだが、どうやら適当に聞き流していたな。兄ちゃんが渋々前に出る。
「ええっとぉ、親父の葬式に来てくれて、どうもっス。たぶん、親父もあの世で喜んでると思うっス……終わり」
「ありがとうございました。喪主は故人の介護のためにお仕事も辞められ、長らく介護を続けられておりましたが、先日、ついに他界されました。大変痛み入ります」
こんな白々しい嘘でも言わないよりはましだ。僕は胸ポケットから仕込んでおいたメモを取り出す。
「それでは、私共が遺品の整理の最中に見つけました、故人の日記からいくつか抜粋したものをここで読み上げさせていただきます」
すでに葬式は折り箱を開けてフリートークの段になっている。聞いていようがいまいが、知ったこっちゃない。
「故人は十年ほど前、建託会社に勧められ、退職金をつぎ込み、奥様と共にアパートを建設しました。そのアパートは故人の家族、喪主である御子息の将来のためにとの、願いが込められていました。しかし五年ほどで経営に行き詰まったそうです。そもそも建託会社の計画が杜撰なもので、借金の返済もままならなくなり、結局、アパートを二束三文で手放さざるを得なくなり、その後、家族関係も冷え込み、奥様に離縁を申し渡されました」
ここまで読み上げると兄ちゃんが震えてるのが視界の端に見えた。それが怒りなのか悲しみか、知りようはない。
「しかし故人は、そこで挫けはしませんでした。御子息の将来を願い、建てたアパートのために御子息の人生を潰す訳にはいかないと、アルバイトを始め、懸命に働いたようです。そのため、御子息とも疎遠になり、心労から辛く当たったこともしばしばだったと日記に書かれております。そのときの故人の自責の念は相当なものだったと推察します。それでも故人はなんとか御子息への負担を減らそうと必死に働いたものの、無理がたたり、脳梗塞を患い寝たきりとなってしまったそうです。故人の日記には御子息への申し訳ない気持ちがつづられていました。でも、御子息にその気持ちは語らずとも伝わっていたようです。経済的に苦しいながらも、こうして故人を偲ぶお葬式がささやかに行われ、これほどの参列者の皆々様に来ていただいたのですから」
ありゃ? 兄ちゃんが顔を伏せて震えてる。もしかして、少しは盛り上がってきたかな?
「日記は途中で途切れていましたが、その内容から喪主が懸命に、故人の介護を行っていたことを窺い知ることができます。恐らく故人は生前、喪主にとても感謝していたと思われます。しかし、その気持ちはついに直接伝えられないまま、帰らぬ人となってしまいました。私も職業柄、人の死に関わることが多くありますが、往々にして人は旅立ちに際し、お別れを言いそびれてしまうようです。でも、私は今回、この仕事を通じ、喪主と故人に関われたことをとても幸せに思います。辛い人生ではありましたが、父と子の愛情があれば、それはそれで幸せであると教えられたのですから。以上を持ちまして、故人へのお別れの儀の終了とさせていただきます」
そう、締め括ると不意に兄ちゃんが立ち上がった。なんだなんだ。
「親父ぃ、今まで、本当にごめんよぉ」
しわくちゃの泣き顔で兄ちゃんがそう叫ぶなり、棺桶にしがみついて号泣し始めた。やめろ。棺桶が潰れてダンボールだということがバレてしまうではないか。
「あの、お気持ちは分かりますが、まだ故人を運ばなければなりませんので」
それっぽいことを言ってなんとか兄ちゃんを引き剥がそうとするも聞きゃしない。後ろからも参列者のもらい泣きの声が聞こえる。
「親父。俺、これからまじめにやるよ。だからまだ、死なないでおくれよぉ」
死んでから結構経ってるのに無茶言ってら。それにしてもここまで効果があるとは思わなかったな。日記の存在は確かにあったが、内容は不条理な世の中、人生に対する不満や憎しみが書き込まれており、奥さんの離婚を境に止まっていた。僕は葬儀の格好をつけるためにネットや本で調べた話をでっち上げ、齟齬がないよう近所にもリサーチして辻褄を合わせた。葬儀の席で故人を美化するのは葬儀屋の常套手段だ。特に心は痛まないし、違法でもない。要は遺族の心の整理がつけばいいのだ。あとで日記を遺族から求められることもあるが問題ない。筆跡をコピーできる知り合いに頼んで新たな内容を書き加えればいいだけだ。そこまでしなくとも遺品の整理にはまだしばらくかかりますので、などと適当に言っとけば大抵、ウヤムヤになるのだ。
結局、兄ちゃんは棺桶に張り付いたまま十分近く絶叫したが、ダンボール棺桶は潰れることなく耐えきった。湿気の多いなか、よく頑張った。感動した。今度、発注先にお酒でも送っておこう。
かくして葬儀は無事終わり、参列者による棺桶の積み込み作業となる。棺桶の軽さは詰め込んだドライアイスでカバーしてるので気付かれることはそうそうない。
その間、僕はヘステンハイムのキイを渡すため水魚サンを探す。本来、彼女がウチのエースパイロットなのだ。水魚サンの後ろ姿を発見したものの、まとめとなにか話し込んでいる。水を差してはいけないと思い、物陰に身を隠す。決して立ち聞きするつもりではないぞ。ここで二人の機嫌を損ねては仕事にも差し支えるではないか。と、自分に言い訳をしておく。
「やっぱりやすピン凄いね。最初、小馬鹿にしてた人達がみんなやすピンワールドに引き込まれてた。私もなんか泣けてきちゃった」
「まあ、あの人は逆境に燃えるタイプだ。こういう、稼ぎにならない仕事は特にな。困ったことだが、やはりあの人が我が社の顔だ」
「ふふ。やすピン、いつも言ってますよ。ウチは水魚サンで持ってるようなもんだから、僕なんかいなくても大丈夫って」
「それは、過大評価だ。逆に社長は自分を過小に評価し過ぎる。見た目はまるで違うが、あの人は先代の才能を色濃く受け継いでいるからな」
「そういえばやすピンのお父さんはシュッとしたナイスミドルでしたよね」
「あ、ああ。そうだな。先代もすばらしい才能を持っていた。どんなに小さな仕事でも手を抜かず、常に葬儀の場を支配していた。私も先代に憧れてこの会社に入った口だが……ふふ、やはり持って生まれた才能には適わないな」
し、知らなかった。まさか水魚サンが僕をそこまで高評価してたなんて。これがツンデレか? ツンデレなのか! ああ、気持ちいい。もっと、もっと頂戴!
「それなのにッ!」
突如、水魚サンが拳を握り締め、わなわなと震え始めた。まとめもびっくりしているが、僕は失禁してしまいそうなほどビビった。
「あの人はあれだけの才能を持ちながら、普段から仕事に対する姿勢がぬるい。私生活もなってない。いや、それにはこの際目をつぶろう。見過ごせないのはオタクだ! あの致命的弱点のために、ウチは不遇をかこっている。大手にいいようにやられている。あの人が本気で仕事に打ち込めば、せめてオタクでさえなければ今頃はッ……」
「あは、あはははは」
あまりに凄い水魚サンの剣幕にまとめが渇いた笑いで適当にごまかしてる。なんか持ち上げられて一気に突き落とされた気分だ。今の話は聞かなかったことにしよう。うん。三歩歩いて忘れようそうしよう。
何食わぬ顔でその場を離れ、仕方なしに僕がヘステンハイムを玄関に横付け。棺桶の積み込みも無事終わり、水魚サンにバトンタッチ。僕もまとめと軽トラで火葬場に向かう。
結局、火葬場でも兄ちゃんの号泣は止まるところを知らず、葬儀は一応、無事に終わった。やはりひと仕事終えた後はほっとする。納骨の様子を見ていてアニメやゲームのキャラが描かれた痛骨壷もいいかな、高くつきそうだけど、などと考えつつ外に出ると参列者数人に取り囲まれた。なんだなんだ。オヤジによるオタク狩りか?
「いや、失礼。咲元さんでしたか? 最初は随分惨めなお葬式と思いましたが、どうして、こういう疲れないお葬式もまたいいものですね」
「ええ、私も死んだときは、家族にこんな葬式をあげてほしいものです」
「あの、よければ連絡先など教えていただけないでしょうか」
などとオジ様達に言われ、名刺の交換会と相成った。大きな葬式が相変わらず主流だが、小ぢんまりした葬式もニーズがあるのもまた事実だ。次の仕事に繋がるかもしれない。なにより、参列者の満足度の高い葬式をプロデュースできたときの達成感は何物にも変えがたい。これが葬儀屋に生まれ、葬儀屋になってよかったと思えるときだ。
来たときと同様、まとめを軽トラの助手席に乗せ、お帰り屋に送る。その間、葬儀の締めにアイドルのライブをやれば最高なのにな。なんて話もしたが、まとめは当惑しているようだった。
後日、兄ちゃんの元に請求書を持って行った際、あまりの安さに驚いたようだ。本人の様子から四、五十万は覚悟していたのだろう。香典があるので支払いは容易だろうが、いずれ返さなければならないお金だ。あの参列者の数ならトントンだろう。いや、トントンに収めるべきなのだ。それが長い歴史の中で、葬式を行ってきた先人の知恵というものだ。葬式で容赦なく搾り取り、遺族が不幸になるのは馬鹿げてる。それが僕の考え方だ。