二話
「なるほど。それで二人とも口をきいてくれなくなった訳だ」
そう言いながら空のグラスにウーロン茶を注いでくれたのは幼馴染の小豆沢まとめだ。
あれからあこや君はなにを言っても生返事しかしなくなった。水魚サンは暗黒の闘気でも身にまとってそうで怖くて話せていない。夜見子君に至っては、
「えー。やだー。ムリムリ。絶対できませぇん。でも、少し興味あるかな? ちょっとやってみようかな? あ、でもアイドルって怖い目にも遭ったりするんですよね。やっぱムリかも。でも、少しくらいならやってみなくもなくもないこともないかな?」
どっちなんだよッ! てな感じで結局話にならなかった。
矢尽き刀折れ、すっかり打ちのめされた僕は社屋の隣の居酒屋、「お帰り屋」でたいりょくを回復することにした。いやまあ、しょっちゅう、いや、ほぼ毎日癒されに来てるんだけどね。
「うおーい、まとめぇ。お客ももう入んねえし、あがっていーぞぉ」
「あ、はーい」
このお店の主人、つまり、まとめの親父さんが奥から声をかけた。まとめが暖簾を下げ、片付けなどを始める。僕はこの店の常連なので閉店後も居座れるスキルを持っている。仕事柄お酒は気安く飲めないが、つきあい程度にしか飲めないので問題はない。おつまみをつつきながら漫画雑誌を読むのがなぜこれほど幸せ物質の分泌を促すのかは知らないが、これが明日への活力になっているのは確かだ。
「はー。やすピン、聞いてよお」
片付けを終えたまとめが手を拭きつつ向かいの席に座る。僕がこの店で癒されるかたわら、まとめの愚痴を聞くのはよくあることだ。とはいえ、今夜の僕は聞き役だけで終わるつもりはない。が、焦りは禁物。しばらくは恭順の姿勢を見せ面従腹背。機を見て一気に行動を起すべし。それまでは虎視眈々とまとめの様子を窺う。
「前に言ってた就職先なんだけどねえ」
まとめが手酌でビールを呷る。お世辞にもお行儀がいいとは言えない。
「その様子じゃ、ミスマッチだったか」
「うん。だめだった」
専門学校を卒業して最初こそリクルートスーツ姿ではしゃいでいたまとめだったが現実は甘くない。何度も不採用の通知を受ければさすがに悲壮感が漂う。前向きに就職先を探していたのがもう遠い昔のことのようだ。
「あー、もー。こっちのご健勝を祈ってんなら採用しろよなあ」
まとめがテーブルに顔を突っ伏す。こんなまとめを見るのは本心からいたたまれない。でも、僕は心のどこかで安堵もしていた。まとめがめでたく就職できれば、この店は親父さん一人が切り盛りしなくてはならなくなる。また、この店からまとめの姿が消えるというのは受け入れがたいものがあった。
それからまとめは延々と愚痴を並べ立てた。面接官の態度が横柄なこと。履歴書を返してくれなかったこと。それこそ些細な不採用あるあるなのだが、僕は頷きながら耳を傾ける。建設的なアドバイスができないのが歯痒いが、聞くだけでまとめの気が晴れるなら安いもんだ。
ひとしきり喋るとまとめも幾分、気が紛れたようだ。空気が和らいだ頃合を見計らい、僕の話に引きずり込む。
「やっぱり、どこも厳しいんだな。間違ってウチみたいなブラック企業に就職するより、お帰り屋の手伝いをしていた方が無難かもね」
冗談めかしては言ったが、半分は本音だ。
「他人事と思って気楽に言わないでよ。ホント、やすピンのところに入社しよっかなあ」
「ううん。まとめがきてくれれば正直、かなり助かるんだけどウチはもう、いま雇ってるメンバーで一杯、一杯なんだよなあ。僕がもう少し有能な社長だったらまとめを雇ってあげられるんだけど」
「ふふ。やすピンとこの内情は私も一応知ってるから、気持ちだけ受け取っとく」
まとめには何度かウチの仕事をバイトという形で手伝ってもらっているのでこれは嘘ではない。水魚サンやあこや君とも面識がある。
「葬儀屋さんって座ってるだけで仕事が転がり込んできそうだけど、そうでもないのね」
「まあね。葬祭業はこれからが稼ぎどき、なんてメディアとかで言われてるけど、こんな地方じゃ、ちょっとね。ウチは特にお客さんに避けられてるみたいだし」
「やっぱり、あのサツマイモ事件?」
まとめが言うサツマイモ事件というのは僕の考案したダンボール棺桶があまりに不興だったので、なにかいいアイデアはないものかとまとめに相談したところ、お笑い芸人が棺桶にサツマイモを入れたというエピソードを聞き、じゃあ棺桶をサツマイモにしたら面白いんじゃなかろうかと悪ノリしたのだ。
あくまでもシャレのつもりだったのだが本当に発注する人がいたから困った。案の定、故人がダンボール製のサツマイモに入れられたのだから親族は激怒。わが社の封印事件となったのだった。その家庭が相続問題で揉めに揉めていたらしいことは後で知った。
「はあ。じゃ、咲元葬儀社のピンチは私にも責任の一端があるのか」
もっとも、そればかりが原因ともいえない。高齢化で葬儀屋の需要が高まってるのは事実だが、そうとなれば新規参入の増加や大手が地方に進出するのはどこも同じだ。かてて加えてウチのようなそれこそ、地域密着型の個人営業は料金体系の分かり辛さや商談の手続きが分からないなどの理由で敬遠される。他にも核家族化の進行や信仰の多様化、、貧困問題などネガな理由を数え上げればキリがない。結果、狭い業界で少ないパイの奪い合いになる。ウチに限らず同業他社も目新しい企画を立ち上げたりもしているが仕事の内容上あまり奇抜なこともできず、手詰まり感が漂っているというのが現状だ。
「でもお葬式でアイドルのライブって、さすがに不謹慎すぎない? それにやすピンのアイデアにしてはちょっと意外。二次元以外、興味なかったのに。もしかして第二のマヒャドとか呼ばれたくなったとか?」
「いや、マヒャドさんは関係ないでしょ。よく知らないし。それに、僕は今でも二次元世界の住人だよ」
「胸を張るとこかなあ。でも、あの三人ならピッタリよね。蛤さんはミステリアスな美人だし、平坂さんは読モみたく可愛いし、油谷さんは女優系美人。ちょっとキツめだけど」
「でしょ? あの三人がやってくれれば世のアイドルオタは確実に食い付くと思うんだけどなあ」
「それはさすがに考えが甘いかと……。それに、みんな激しく拒否ってるんだよね?」
「そうなんだよねえ。夜見子君はまんざらでもなさそうだったけど、あこや君は可能性薄かなあ。水魚サンに至っては……小数点以下かな」
「ほとんど不可能じゃない。頼みの社長には人望がないし」
「それを言うなよ。そこでさあ、まとめに頼みたいことがあるんだよ」
「なに? みんなを説得してくれってんなら、多分無理だよ」
いよいよ僕は話の核心に迫る。
「いや、そうじゃなくて、僕のプランにはまとめも入ってるんだ」
「え。それって」
まとめが怯えたような表情を向ける。ある程度予想はしていた反応だが、目の当たりにするとさすがにヘコむ。
「うん。ドタキャンズのメンバーに、まとめも入って欲しいんだよ」
「うーむ。ちょ、ちょっと待って」
両手の人差し指をこめかみに当て、まとめが激しく考え込む。すかさず僕は胸ポケットから出した電卓を叩き追い討ちをかける。
「もちろん練習とかは必要だから、それに応じた時間給を支払おう。また、実際にライブを行うことになれば特別手当も出す予定だ」
ささやかな金額を打ち込んだ電卓をまとめに差し出す。最低賃金と言って差し支えない数字なのが零細企業の悲しいところだが。
「うーん。うーむむ」
まとめが電卓とにらめっこする。思いのほか食い付いてるぞ。
「……いいよ」
「ひえっ」
にらめっこすること数分、まとめが意外にも了承。駄目もとで聞いた僕のほうがびっくりして間抜けな声を上げた。
「たーだーしー、ひとつ条件がある」
「条件? な、なにかなあ?」
「正直、私一人ってのは、嫌だな。せめて三人、いや、四人くらいのユニットなら、いいよ。あと、ドタキャンズって名前は変えること」
「ひとつじゃなくてふたつじゃん。ま、べつにいいけど。でもこの名前、駄目かなあ」
「絶対やだ。なんか制服コスでキスとかしそうな芸風っぽいもん」
「ああ、あのロシアのスペツナズか。確かに連想しなくもないかな。本当にドタキャンしちゃったときの言い訳が立つから、いい名前だと思ったんだけどな」
「またそんな後ろ向きな……とにかく、その名前がなんとかなんないとやだよ」
「それは大丈夫。名前に大したこだわりはないから。なんなら、まとめが考えてくれてもいいよ」
「遠慮しとく。あとは他のメンバーだけど……」
「うん。ウチの社員の説得に成功したらって条件つきだね。実は他にもう一人、頼むアテがないこともないんだ」
「え? 他に誰かいたっけ」
そのとき、僕の携帯の着信音が鳴った。夜遅くに仕事が入るのは葬儀屋では珍しいことではない。僕はお会計を済ませ、親父さんに挨拶してお帰り屋を後にする。
思わぬ戦果に僕は喜びを抑えきれず、スキップで社屋に戻った。