一話
両手で頬を叩き気合を入れる。いや、決して幕下付出しでデビューする訳じゃない。しかしそれに勝るとも劣らぬプレッシャーだ。
今回、このプロジェクトが成功すれば我が社は頭ひとつ抜きん出る、はず。そしてなにより、僕の夢でもある。今日のプレゼンはその第一歩だ。もちろん、みんなが全力で止めにくることは容易に想像できる。しかし、かつて誰かが言った。失敗を恐れるな。なにもしないことを恐れよ、と。本多正信だったっけ? まあ、それはどうでもいい。この日のために根回しも下準備もしっかりやった。孫子の兵法新書を頭に叩き込み、勝負パフェも二人前食べた今の僕に負けはない。偉大な伝説はまさに今、この瞬間から始まるのだ、と、自分に言い聞かせつつ、僕こと咲元葬儀社の一応社長、咲元安志は事務所のドアを元気よく開けた。
「おはよーございまァーす」
気合が空回りして途中で声が裏返っちゃった。すでに出社している三人の従業員が一斉に冷ややかな目を僕に向ける。
「おはようございます、社長。今日はまた一段と太ってますね」
パソコンに向き直りつつ事務的に返してくれたのは経理担当の蛤あこや君。いつも僕の健康を気遣ってくれるやさしい子だ。常に無表情なのが気になるけど。
「蛤さん、そんなこと言っちゃだめですよお。社長、蛤さんの言うこと、あまり気にしないでくださいね。本当のことだけど」
そう言いながら笑顔を向けてくれたのは我が社唯一の良心、平坂夜見子君だ。しかし僕は彼女の笑顔になにか謀略のようなものを感じてしまう。考えすぎだろうな。きっと。
ううっ、一番の難敵が最奥のデスクから眼鏡をずらしてこっちを窺ってる。怯むな。目を逸らしたら負けだ。
「なんだ? いつもトラック輸送される豚のような目で出社するくせに、今朝は随分上機嫌じゃないか」
相変わらず勘がスルドい。僕も眼鏡のポジションを直しつつ応戦する。
「いや、失敬。なにしろ今日を境に、この業界にイノベーションを起こすと思うと夕べは寝付けなくてね。少し声がうわずってしまったよ」
「業界に新風を吹き込む前にその自分の身体をイノベーションしろ! もう、間違いなく大台に乗ってるぞ!」
机に両手をついて立ち上がったのは実務全般担当もとい影の社長、油谷水魚サンだ。男勝りで霊界や侠道界の人達にも怯むことはない。しかも空手の有段者なので手が付けられない。間違いなく今回のプロジェクト最大の壁だ。
「油谷君。以前言ったと思うが、僕がこの体型をキープしているのはあくまでビジネスライクだ。不安に押し潰されそうになっているクライアントが一番に求めるもの、そう、それは安心感。つまり……」
「ああ、こんな体型でも人って生きていけるんですね。と、安心できる訳ですね。さすが社長。終わってます」
あこや君のツッコミをかわしつつ言葉を接ぐ。
「そう、つまり、どんな形であれ顧客のオーダーに幅広く対応するのがビジネスの基本だ。幅広く対応してるうちに横幅も広くなったという……」
「社長、全然うまいこと言ってないです」
夜見子君が不安気な眼差しを向ける。がんばれ、僕。
「顧客のオーダーも重要だが、社員のオーダーも重視していただきたいもんだな」
水魚サンが両手を腰に当てたヒーロー立ちで見下ろす。ううん、絵に描いたようなツンデレだ。いいぞ、いいぞ。でもまあ、デレになることはこの先絶対ないだろうから、ただのツンだな。うん。
「あああ、今朝はそんな議論がしたい訳じゃないんだ。さっきも言ったでしょ。イノベーション。みんなも知ってのとおり、我が咲元葬儀社の業績は近年あまり芳しくない」
「でしょうね。ここのところウチの売り上げ、コホン、仕事件数は順調に下降線を辿っていますから。このペースなら三年後には給与の未払いでも発生するかもしれませんね」
あこや君が書類をパラパラめくり冷静に相槌を打つ。三年後ならまだいいか。いや、いいわけないんだが。
「ごめんなさい、社長。私が不甲斐ないばっかりに」
営業担当の夜見子君が両手で顔を覆う。しかし騙されてはいけない。嘘泣きは彼女の十八番だ。営業でも天然な対応で遺族の怒りを買うことしばしば。実はこの子はウチに恨みを持ってて、倒産させようと目論んでるんじゃなかろうかと勘繰ることさえある。でも、可愛いので許す。
「いやいや、平坂君を責めてるんじゃないんだ。仕事が減ってるのは社長である僕にも責任がある訳だから」
「ありがとうございますっ。社長」
夜見子君が目尻に涙を溜めて微笑んだ。これがギャルゲーならフラグが立ったサインなんだろうけど、この子の場合これがいつものことだからなあ。
「そこでだ、僕はこの苦境を打破すべく新たなビジネスモデルを立ち上げようと思う。企業は常に挑戦し続けなければならない。そう、挑戦。すなわち、チャーレーンジ」
人指し指を立て、どこぞの大統領よろしく決め台詞。決まった。
「なにがすなわちだ。英語で言い直しただけじゃないか。大体、今まで社長のアイデアで我々がどれだけ酷い目に遭ったか、忘れたとは言わさんぞ」
「ダンボール棺桶とかイタ霊柩車とか独断で発注した挙句、それを葬儀プランに勝手に加えて世間のバッシングを浴びましたっけ。その都度、ホームページが炎上して私が火消しに回って、事務所に缶詰にされたんですよね」
ウチのIT部門を一手に引き受けるあこや君が遠い目でキーボードを叩いている。確かに、ネット界隈で起きた騒ぎは彼女に頼るほかない。ウチはあこや君以外、みんな機械音痴のアナログ人間なのだから。
「ギャルゲーで汚染された脳みそでロクでもないことばかり考えてないで、地道に足で仕事を稼ごうとは思わんのか」
水魚サンがいつの間にか腕を組んで斜め四十五度で見下ろしている。本人が意識しているかは知らないがギャルゲーの立ちポーズを悉くブッ込んでくる。
「さて、朝の挨拶も終わったようですし、業務を開始しましょうか」
あこや君が無表情のまま引き取ると、あとの二人もガタガタと着席する。
「ちょ、ちょっと待ってよ。まだ僕の話、始まってもいないんだけど」
「反対」
三人がハモった。なにもここまでメタ否定しなくてもいいと思うんだが。
「そんなこと言わないでさあ、せめて聞いてから反対してもいいんじゃないかなあ」
「どっちにしてもぉ、反対されるのは変わんないんですね」
夜見子君が冷静に突っ込む。心が折れそうだ。
「ま、どうせ賛成はしないんだ。勝手に喋るぶんには一向に構わんぞ」
すでに仕事モードに入った水魚サンがこちらを見もせず身も蓋もないことを言う。とにかく、最初の難関は一応突破だ。今までずっと暖めていたこのプラン、発表すればみんなの反応もきっと変るぞ。
「う、うむ。では改めて発表しよう。僕が考えた、咲元葬儀社の逆境を覆し、業界に革命を起こしうる起死回生の一手」
みんなまだそ知らぬ顔で聞き流している。果たしてその態度が続くかな?
「我が咲元葬儀社専属の、アイドルユニットを結成する!」
事務所内にしばしの沈黙。ふっ。どうやら驚きで声もでないようだ。
「それ、オワコン感満載なんですけど」
まるで哀れむような流し目を送りつつ、あこや君が業務を続ける。
「うーん。社長、アイドルには向いてないと思います」
夜見子君が見当違いなこと言ってる。この子、僕の話聞いてないんだろうか。
「ふん。大方そんなことだろうと思った。話にならんな」
水魚サンも冷たいリアクションだ。
「いや、ここはみんな驚くとこでしょ。アイドルだよ? 歌って踊れるお葬式だよ? 画期的じゃないか」
「さほど目新しい試みとも思えませんが。地方アイドルなんて今時どこの県にも存在しますし」
「大体、アイドルなんぞ雇うカネがどこにある? ずぶの素人を歌わせても痛々しいだけだぞ」
「いや、今更アイドルになってくれるような子を集めようとは思ってないんだ。そんな余裕もないし」
「はあ? アイドルもいないのにアイドルユニットぉ? キサマついにギャルゲーのやり過ぎで頭にきたのか? もう仕事はいいからさっさと病院行け」
とうとうキサマ呼ばわりだよ。水魚サンはギャルゲーに対してなにか偏見を持っているなあ。腰を据えてじっくりディベートしたいとこだけど、やっと食いついてきたんだ。今はそんな話をしている場合ではない。
「べつに妄想でもバーチャルアイドルでもないよ。すでにアイドルにふさわしいメンバーは確保してるってこと」
「すごーい。今日はいつもより社長が大きく見えます。今のうちにサイン貰ってもいいですか?」
「平坂君、話の腰を折らないでくれ。確保済みのメンバーは待機している訳でも、ましてや空から降ってくる訳でもない。そう、そのメンバーは……この事務所にいます!」
「なんです? その、犯人はこの中にいます的な小芝居」
「この事務所って、キサマ、まさか」
あこや君と水魚サンが汚物でも見るような眼差しを向ける。負けるもんか。僕は左手を腰に当て、眼鏡を直しつつ右手の人差し指を彼女達に向ける。
「そう、そのまさかだ。わが社専属のアイドルユニットは君達にやってもらう。ユニット名は、ドタキャンズ!」
事務所内の空気が一瞬にして凍りついた。ああ、心の絶対零度って、あるんだなあ。唯一、真ん中にいる夜見子君が頬を染めているのだけが救いだった。