明日ありと思う心の仇桜。(私の人生考察瞑想ノートより)
「明日ありと思う心の仇桜
夜半に嵐の吹かぬものかは。」
と、、、、続きますよね。
ま。有名な和歌です。
まあ、人間明日がないとわかってたら
こうものんびりとは生きてないわけですからね。
明日も生きてるだろう。明日も変わりなく過ごせるだろうと
信じてるからこそこうも、のんびりのほほんとしてられるわけですよ。
しかし?
実は?あなたにはもう、明日という日はないのかもしれない?
或いは明日には大災害をこうむるのかもしれない。
誰だってわかりませんよね?
明日のことなどは。
明日は知れない
でも知らないからこそこうしてのんびりと?生きていけるという一面もあるでしょう。
明日を知ってしまったら?
明日が予見できたら?
人はもしかしたら、生きていくのが怖くてノイローゼになってしまうでしょう?
知らないから、、いいのですね。
たとえ、明日あなたがむごたらしい死をむかえる運命だとしても?
知らないから今日は、、混んないのんびりとある意味お気楽に生きてる。
イエスキリストも言いました。
「明日のことは思い煩うな。今日のことは今日で足りてる」と。
まあ明日たとえ、どんなことが送るのだとしても、
人は今日に生きるしかないですね。明日をわずらって今日の子の、安らぎを台無しにしても
しょうがないでしょう。
明日を悩んでも仕方がありません。。
今日がとりあえず平安ならばその平安の家に今日を生きることでしょう。
明日は明日悩めば、、もし明日悩み事が生じたなら、、
それは明日悩めばよいだけのことでしょう。
取り越し苦労をして、、明日厄介ごとが起こるんじゃないか?と
今、今日くよくよしても仕方ないでしょう。
成るようになるだけです、結局人生というのは。なるようになるだけです。
それがそうであるなら、、そうなるのみです。
どうあがいても人間の運命は変えようもないでしょう。
あなたの幸福も災難も、運命の糸に操られて、、なるようになるだけですから。
どっしりと構えて、、なるようにならせるだけです。
どうせ?せいぜい最悪の場合でも?命取られるだけでしょう?
命はいつかおわるのですから、まあ、それが明日になったところで、、
五十歩百歩、大した差でもないでしょう?
どっしり構えて、まあ今日が楽しければそれを楽しむのです。
明日は?
それは誰にもわかりません。
あすどうなるか?
それは神のみぞ知る。
明日を知ることができないあなたは、今日を生きるのみです。
そして今日が楽しければ、それを楽しみなさい。
そして明日のことを今わかりもしないのに悩むのはおやめなさい。
「今日一日の苦労は今日のみで足れり」と神がおっしゃるとおりに。
明日何かが起こったとしてもそれは
明日考えればいいことです。
今日から取りこし苦労して今日の今の平安を台無しにするのはおろかですから。