第36回 激突 呂布と曹操の本陣
いよいよ呂布と曹操の激突です。
有名武将たちも続々登場!
第36回 激突 呂布と曹操の本陣
<地図>
鄴(冀州)
_黄河________________
長安 洛陽 陳留(兗州) 東郡(兗州)
南陽 潁川(豫州) 下邳(徐州)
汝南(豫州) 寿春(揚州)
徐州の下邳を攻めていた曹操の本陣は、拠点としていた兗州の地で反乱が起こるやいなや軍を反転し、曹洪と曹仁の騎兵を先行させて退却した。
兗州の乱の首謀者は陳留の太守である張邈である。
武名が天下に轟いている呂布を味方につけ、瞬く間に兗州のほとんどの郡、県を落としていた。
東郡の東阿は必死に抵抗を続ける県のひとつで、弱点である津の渡しを断ち切って防衛に努めた。
陸路から攻める張邈の弟の張超は狭い山間路での戦いに苦しみ、また、徐州から撤退してくる曹洪、曹仁の騎兵に背後を突かれて壊滅した。
そして曹洪と曹仁の騎兵は東阿の城に入って休養した後、本陣の曹操帰路の手助けをすべく再度出撃したのである。
不眠不休で行軍を続ける曹操の本陣は東阿の城の目前まで辿り着いていた。
そこに、獲物に気が付かれずに粛々と近づく虎のように呂布の本陣が迫っていた。
「このような危機的状況において、統率する十万の兵がほとんど被害を受けていないとは、さすがは曹操と感嘆するよりほかにない。いったいどのような策を用いて徐州の追撃を防いだのだろうか」
陳宮、字は公台が独り言のようにそう云った。
小高い丘の上から遠くを眺めている馬上の主は、陳宮を含めて四名。
陳宮はその中でも格段に身体が細く、身なりも平素な礼服であった。呂布軍の中では軍師の位にあり、呂布に次ぐ地位である。今回の兗州平定においては呂布に代わってほとんどの軍事作戦の指揮を執っていた。
「十万とはいえ疲れ果て今にも倒れそうな兵ばかりではないか。張超様の仇はこの李封が獲ってくれよう」
巨漢の男が槍をしごきながらそう云い放った。
張邈配下の武将で、兗州各地から寄せ集めた五万の兵を張邈の代行として率いている。
「この薛蘭とて曹操如きに遅れはとらぬ」
もとは冀州の黒山党党首、飛燕の旗下で、一万の兵を率いて呂布軍に加わった男だ。兵の少なかった呂布軍の中で、一万を率いる薛蘭は、自然と副将格となっている。
李封と薛蘭が、向かってくる曹操軍に強烈な敵愾心を燃やしている一方で、ひと際頑健な身体つきをしている男だけは寡黙を貫いていた。
真っ赤な毛色の汗血馬に跨り、巨大な方天画戟を軽々と小脇に抱えている。
「飛将」の異名を轟かせている呂布、字は奉先であった。
呂布自身はこの兗州平定戦において一度も戦場に赴いてはいない。
それが今回は初めて兵を率いて戦場に現れた。率いるは歴戦の騎兵三千。
張邈・呂布の同盟軍が六万であるのに対して、曹操軍は退却してくる十万と東阿の城に籠る夏侯淵、程立の兵三千に曹洪・曹仁の騎兵六千。
総数で比較すると曹操軍が倍の兵力である。
曹操の本陣は徐州の戦線では、張飛の軍と袁術軍と対峙していたので、退却となると当然追撃を受けることとなる。苛烈な追撃に遭って曹操軍の半数は討ち取られるだろうと陳宮は予測していたのだが、蓋を開けてみると損害はゼロに等しかった。
この兵力差はそういった予想外の結果からきている。
「さて軍師殿、この李封、真っ向から曹操と戦い、討ち取りたいと思うが如何か」
李封が今にも出撃しそうな勢いでそう尋ねた。止めても無駄だぞと云わんばかりの表情である。
「……どうぞ。退却することに全神経を集中してきたでしょうから、敵に備えはないでしょう」
陳宮がそう答えた。呂布はそれを聞いて「おや?」という顔つきをしたが口は開かなかった。
「よし。それでは一番槍をいただき申す」
李封はそう云い残すと駆けていった。
やがて地鳴りのような震えとともに五万の兵が動き出した。
残る兵は一万三千に過ぎない。
薛蘭も動き出したくてうずうずしている。陳宮はそれを察して、
「薛蘭殿、残念ながら李封殿は破れるでしょう。曹操の陣は必ず北東に隙ができるので、一万の兵を率いてそこを攻めてください」
「軍師様、李封殿は五万も兵を率いていますが、あんな疲労困憊の兵に負けるのですか」
「ええ。ですが、当然敵も本陣はこの五万と考えるでしょうから、私たちの動きは悟られにくくなります。五万の兵に隠れて私たちの兵を伏兵に配します」
「了解しました。北東に回り込み機会を窺います」
薛蘭はそう云うと駆けていった。
やがて一万の兵が北に動き始める。
残るのはわずか三千の騎兵。
呂布がようやく口を開いた。
「公台よ、お前は先ほど敵に備えはないと云っていたが」
「ああ。備えが無い故に曹操は臨機応変に動きがとれるのだ」
「あのような疲弊した兵では戦にはならぬではないか」
「要注意なのは東阿の城の兵だ。あの城さえ落としておけばどんなに曹操が足掻こうとも倒すことは容易であったが、城を落とせず残してしまった。数は僅かだが気力に満ちた兵。曹操は必ず重要な局面であの兵を動かしてくるだろう」
「見物だな。お前の恋焦がれる男がどれほどの働きをするのか」
「張邈殿が寝返った時点で普通は勝負がついている。しかし曹操は諦めてはいない。ひっくり返すまでは至っていないが、ここまで戦況を立て直したのだ。やはり曹操は恐ろしい男」
「俺が動くことは許されるのか」
呂布がそう問うと、陳宮は神妙に頷いて、
「ああ。奉先が動くときこそ止めを刺すとき。曹操の首を獲ってきてくれ」
「いいのか」
「当然だ。手心を加える必要はない。ここで終わるのならば、そこまでの男ということ」
呂布は何も答えず頷いた。
李封の兵が曹操の本陣目指して進軍していく。
真正面から遮二無二攻めるという作戦なのだろうが、寄せ集めの兵なので隊列はバラバラである。横いっぱいに広がり進んでいる。
敵の存在に気が付いた曹操は堅陣を敷いた。
方陣である。守りの陣だ。十万の兵が見事な調和のとれた幾何学模様を描き出す。
李封の兵たちから一斉に雄叫びがあがった。
曹操の兵は口を閉じてじっと動かない。
波のように李封の兵が曹操の陣に襲い掛かった。
疲労困憊の曹操の兵はすぐに崩れるかと思われたが、しっかりと耐えている。
最初は元気だった李封の兵も押し合いのなかでどんどん体力を失っていた。第二陣や第三陣などの取り決めもなく、ひたすら全員で攻めるというやり方なので休む暇もない。
やがて曹操の本陣の後方から新手が現れた。
殿役の于禁と楽進である。東西から李封の陣に横槍を入れた。
全軍を相手にしていたつもりの李封の陣は備えもなく一気に乱れた。
と、曹操の本陣が方陣から魚鱗の陣に変形し、真正面から李封の兵を圧倒し始めた。
「ここか……」
呂布が丘の上から戦況を見ていて呻いた。
魚鱗に陣形を変えたとき、確かに北東にすっぽりとした隙ができたのだ。
さすがの曹操軍も疲れには勝てず、思うように兵が動けなくなっていた。北東は敵から一番遠い方角にあり、戦況を鑑みて油断したのかもしれない。
伏せていた薛蘭の一万が好機を見定めて突撃した。
こちらは長く戦場をともにした兵たちで呼吸があっている。見事に曹操本陣の隙を突いた。
明らかに曹操の本陣は動揺した。
于禁と楽進の兵も本陣の乱れに驚き動きを止めた。
李封の兵が息を吹き返し逆襲する。
「まだだ奉先。まだ東阿が動かぬ」
呂布が出撃しようとするのを陳宮は止めた。
長い退却後の戦いなのだ。曹操率いる無敵の青州兵も粘りがない。逃亡こそしないが、どんどんと討ち取られて倒れていった。于禁と楽進の兵はもはや曹操の旗本を守るのが精一杯である。
するとどこからともなく騎兵が現れた。
東阿から出撃した曹洪と曹仁の騎兵である。陳宮の気が付かぬうちに戦場まで接近していた。
李封の陣を二方向から断ち割る。
曹洪と思われる男が首をひとつ掲げて吠えた。
恐らく李封の首だろう。
李封の兵は大将を失い逃散し始めた。
だが、薛蘭の兵は曹操の本陣深くに突き刺さっている。
「崩れた」
陳宮が呟いた。
曹操の旗本も陣形を乱して、それぞれ相対するものと組み合っている。そのどこかに曹操がいるはずだ。
「今だ奉先」
陳宮の声を聞いて呂布が無言で疾駆した。
三千の騎兵が一糸も乱れず後に続く。
曹仁の騎兵がそれに気が付いて真っ向から迎え撃つ。
呂布が吼えた。
赤兎も唸りをあげた。
曹仁旗下の騎兵の首が五つ、六つ、宙に舞い上がる。
曹仁の兵たちが驚いて足を止めた。
後に続く呂布の騎兵が怒涛の如く駆け抜けていくと、二千以上の曹仁の騎兵の遺骸が転がっていた。
「敵将の首、この于禁が討ち取った!」
乱戦状態になっている曹操の旗本近くで、于禁が首を掲げて叫んでいた。薛蘭の首だった。
そこに呂布が躍り込む。
方天画戟を一閃する。
于禁を守ろうと飛び出してきた三人の兵の首を一度に刎ねた。返す刃で于禁の首を狙う。
間一髪で于禁は避けたが、完全にはかわし切れず、その右腕が肘から斬りおとされて地面に転がった。
呂布は止まらず曹操を探す。
楽進が五人の屈強な武者とともに呂布の前に立ち塞がった。
槍をつける間もなく呂布の方天画戟で五人が斬り落とされる。
一瞬であった。
瞬きする間に五人が斬られていた。
さすがの楽進も息を飲んだ。
悠然と赤兎馬が踏み込む。
楽進の槍が断ち割られる。わずかに身をかがんで避けたが、頬を深く斬られ、左耳が地に落ちた。それでも楽進の戦意は衰えず、自らの馬を呂布の赤兎馬に寄せていく。
「名乗れ!」
呂布が叫んだ。
「楽進、文謙。呂布将軍とお見受けいたす」
「いかにも。曹操の陣にも見事な武者がいたものだ」
「お褒めに預かり恐悦至極。いざ尋常に勝負」
「槍を取り換えよ楽進。徒手の士を斬ったとなれば末代までの恥」
「よし」
楽進はそう答えて、近くにいた部下から槍を受け取り向かい合った。
「呂将軍、あやつの相手はこの張遼にお任せを」
背後からそう声をかけたのは呂布軍の猛者、張遼であった。
呂布は頷き、その場を離れた。
曹操を探す。
もはや曹操の旗本は散尻になっていて、どこに曹操がいるのか皆目見当がつかない状態であった。
しかも呂布の騎兵の猛攻にあって、健全な指揮系統が存在する部隊が皆無になっていた。
「呂将軍、曹操は絶影という見事な馬に乗っているとか」
呂布の旗本の成廉がそう進言した。
なるほど。確かにひと際見事な馬に乗った将がいる。小柄な身体をした男だった。
赤兎馬が駆けるとすぐに追いついた。
「曹操か」
呂布が問うと、その小柄な男は激しく燃える目で呂布を見返した。
間違いない。この男が曹操だ。
呂布は確信した。
旗本は散尻で、曹操はただひとりであった。
討つか。
呂布は己に問うた。
なぜか一瞬の迷いが生まれた。
と、目前に何かが迫る気配がした。
矢か。
戟でそれを弾き返す。
小刀か。
いつの間にか周囲を敵兵に囲まれている。中央の馬上には轡をとる児と巨漢の姿。巨漢の方は両目を瞑っていた。手には小刀。
「曹操の兵ではないな。何者だ」
「卑しい牢人の身の上、名乗るほどでもございませんが、主の仇討でまかりこしました。典韋と申します」
「主?誰ぞ」
「張邈が将、趙寵様の家臣」
「趙寵……」
呂布の記憶にはないが、張邈の陣と向き合ったときに斬りかかってきた故、やむを得ず斬った男のことである。
張邈とはその直後に同盟を結ぶことになった。
主の仇討のため典韋は張邈の陣営を抜け、仲間を募って刺客として呂布を狙っていたのである。
「盲目のくせに腕がたつな」
「この児が正確な狙い場所を教えてくれるからにございます。この児の父も張邈の反乱に逆らって殺されました。この児の名は李典と申します。お見知りおきを」
気が付くと曹操の姿は消え失せていた。
遠くにひと塊の陣が見えた。
夏侯の旗が靡いている。東阿の城兵の残りが曹操の救出に動いたのだろう。
一手、陳宮よりも曹操が上回っていた。
いや、躊躇しなければ曹操の首は討てたのも事実だった。
手負いの獲物に襲い掛かるような狼の真似で、曹操を討つことに躊躇いを覚えたのだ。
正々堂々、真っ向からぶつかってみたい。
呂布のなかにそんな衝動が生まれていた。
陳宮はそれすらも見透かしていたような気もする。
「典韋、悪いが今日はここまでだ。さらば」
呂布はそう云い残すと、赤兎馬の腹を蹴って反転した。
こうして呂布と曹操の本陣の激突は呂布の優勢で幕を下ろした。
曹操は残兵を東阿の城に入れ籠城し、呂布は攻城戦を仕掛けず残兵をまとめて隣県の濮陽の城に入った。
徐州はなぜ曹操追撃の手を緩めたのか
戯志才の策とは
次回、こうご期待




