第35回 良禽択木
潁川の袁術vs曹操の緒戦
第35回 良禽択木
<地図>
鄴(冀州)
_黄河________________
長安 洛陽 陳留(兗州) 東郡(兗州)
南陽 潁川(豫州) 下邳(徐州)
汝南(豫州) 寿春(揚州)
良禽は木を択んで棲む。
その例え通りに、すぐれた人は立派な主君を選んで仕える時代である。愚鈍な主に対し忠義を尽くす。という武士道のような価値観は薄い。
左将軍・袁術の旗下で重臣のひとりであった韓浩は、この時、袁術との将来と曹操との将来とを測りにかけていた。
袁術も曹操もともに、漢皇室を蔑ろにする董卓や李傕らを、武力をもって退治しようと試みている功臣である。
献帝が住まう長安の都を奪還さえできれば、その名声とともに天下の政を掌握することになることは明白であった。
勝ち馬にのる。
多くの人は将来性のある勢力に与する。
家の命運がその選択で決まるのだ。だから可能性の高い方に賭ける。
失敗は即、御家の滅亡に繋がる。
政界の勢力争いに負けて三族皆殺しの憂き目をみたものは数知れない。
家格において袁家と曹家は比較にならない。
曹操の父の曹嵩とて三公のひとつである太尉の位まで登りつめた人物ではあるが、宦官の養子であり、太尉の官とて一億銭を積んで購入したものであることが知られていたので、清流派の官僚からは疎まれた。
対して袁家は四代に渡って三公を輩出した清流名門貴族の筆頭である。
同族の袁術と袁紹の家督争いが未だに続いてはいるものの、その勢力は冀州、揚州、豫州に及んでいる。友好関係にある軍閥は幽州、徐州、涼州と、他の群雄に対して圧倒的な優位を誇っていた。
よって、常識のあるものは袁術を選んだ。
しかも曹操軍は基盤である兗州の地を張邈の反乱によって奪われ、落ち目なのだ。
しかし、韓浩は袁術を捨て、曹操を選んだ。
袁術が目的のためならば味方すら見捨てるような酷薄な性であるのに対して、曹操はその志のために多くのひとを平等に用いる度量の広さがあった。
少なくとも韓浩の目にはそう映っていた。
「韓浩様、真でございますか。曹操の陣営に寝返るなど……」
韓浩の腹心のひとりが青い顔をしてそう口を開いた。
韓浩は残暑で汗ばんだ顔をぬぐいもせずに、
「進軍を止めよ。袁術は信じるに足らぬ人物。城内の夏候惇殿に使者を出し、お味方すると伝えるのだ。許可が出次第、我が一万の兵は入城する」
先行していく先鋒の大将、梁剛率いる一万は障害無く、どんどんと前進していた。
本陣である袁術率いる中軍は、韓浩の陣よりも遥か後方である。
速やかに夏候惇が開門すれば、韓浩の兵は無傷で城に入ることができる状態だった。
韓浩は囮役として潁川の城を通過することを命じられたのだと確信したとき、袁術を見限ることを決めた。後は時期だけであったが、先陣を二つに分けることでそれが容易になった。
先行している梁剛の陣に後方の情報がすぐに伝えられた。
韓浩の隊が足を止めたと聞いて、梁剛は夏候惇が城から打って出てきたのだと判断した。それを迎え撃つために韓浩は陣を敷いたのだと。
梁剛は韓浩を救うべく即座に兵を反転させ、潁川の城下に舞い戻った。
同時期、城内の夏候惇のもとに韓浩の使者が訪れ、降伏の用件を伝えた。
「怪しいな。降伏したと見せて城内に入り込み反乱を起こす。袁術あたりの考えそうな姑息な策よ」
と云って夏候惇は採り合おうとはしなかった。
袁術と曹操との和睦を図る荀彧は、未だに道半ばで、袁術のもとには辿り着いてはいない。
城に入ることができない韓浩の兵はただ待つしかなかった。
「……曹操にお味方することが決まったそうじゃぞ」
「……ほんとうか。曹操は徐州から退却するときに追撃にあって死んだと聞いたぞ」
「……うむ。俺も聞いた。ここで袁術様から離反して大丈夫なのか」
「……だったらお前さんが、韓浩様に忠告すればよかろう」
「……いやいや、韓浩様の決断は今まで間違ったことがない。韓浩様が王匡様に仕えていた頃、舅様が董卓の軍に捕まり人質となった。そのとき、韓浩様は情勢を冷静に鑑み、董卓には決して降らなかったのだ」
「……主君への忠義のためか」
「……いや違う。何が最も大切なのかをわかっておいでなのだ。だから道を踏み外すことがない」
「……しかし、今度は主君を裏切り、滅びようとしている敵方につくのじゃぞ。何を大切にしての選択なのじゃ」
「……わからぬ」
「……わからぬとは、これはまた心細い答えじゃの。裏切れば寿春にいる家族が皆殺しになるのじゃぞ」
「……理由はわからぬ。だが、韓浩様のご決断が正しい答えとなることはわかる」
「……説得力がないの」
「……では、韓浩様を殺して袁術様のもとに戻るか」
「……韓浩様はいつもわしらに気を配ってくれる情けのあるお方じゃ。わしらも最後まで韓浩様を信じることにしようぞ」
「……そうじゃの」
「……寿春の家族を救う術もお考えのうえかもしれぬからの」
そのうちに先行していた梁剛の兵が戻ってきた。
「韓浩様、梁剛様の兵が押し寄せて参りました。いかがしましょうか」
伝令を聞いて韓浩はやむを得ないと判断し、
「欠くなる上は梁剛の首を討って夏候惇殿に二心のないことを証明するよりない。全軍迎え撃て」
一方は援軍する心積もりで駆けつけたものと、一方はそれを迎え撃とうと用意しているもの。
勝敗は戦う前から見えていた。
不意の攻撃を受けて梁剛の陣は瞬く間に崩れた。
梁剛の旗本が死にもの狂いで耐えていたが、立て直す暇もない。
まさに梁剛の首が討たれようとした、突如、騎馬隊二千が韓浩の兵に襲い掛かった。
兗州で反乱を起こした呂布の配下、高順の兵であった。豫州への牽制の意味合いで潁川との郡境に配されていたのだ。
天下に名だたる呂布の騎馬隊、あっという間に韓浩の兵を蹂躙する。
時を得て梁剛も陣を立て直し、反撃に移った。
韓浩の兵のうち実に六千名がこの戦いで命を落としている。壊滅といえる被害だ。
対して梁剛の兵は約三千名の戦死者を出した。
絶体絶命の韓浩の命を救ったのは、これまた思いがけない援軍の力であった。
韓浩の兵が全滅する寸前であるのを見て、夏候惇が城内から打って出たのである。
「夏候惇様は潁川の太守。太守自らがそのような危険な戦場に寡兵で出陣するなどもってのほか」
臣下にそう云って諌められたが、夏候惇は意に介さず、
「韓浩の離反が真実だと知れた今、韓浩の兵は味方である。いかなる逆境にあろうとも味方を見捨てるは士に非ず。太守の座などお前にくれてやる。俺には千の兵がいれば充分だ」
そう云い放ち城門を開けさせ、騎兵だけを率いて出陣していった。
城内から打って出てきたのを確認した高順はすぐに退却を決め、梁剛も深追いせずに二里(1㎞)ほど退いて陣を敷いた。
夏候惇は悠々と、生き残った韓浩の兵を警護する形で城に戻ったのである。
太守自らが救援のために出陣したことを知り、韓浩は涙を流して感謝した。
以後、韓浩は夏候惇の信頼を得て右腕として活躍することになる。
使者である荀彧が袁術の本陣に辿り着いたのは、そんな異変があった直後であった。
無論、即座に捕縛された。
呂布、曹操を知るため出陣する。
次回、呂布vs曹操 互いの本陣が激突。
乞うご期待。




