第31回 呂布の旗上げ
ついに呂布と陳宮が手を結び旗上げ。
第31回 呂布の旗上げ
「……おい、あれが、飛将と呼ばれる呂布将軍か」
「……おお、なんとも恐ろしい姿じゃ。見ろ、あの方天画戟の太さと長さ。あんなものを振り回されたのでは鎧ごと真っ二つじゃ」
「……乗っている馬も見事なものよ。血のように赤いぞ。あれが噂に聞く、赤兎馬か」
「……誰か行って相手をするものはいないかの。首を討てば大手柄じゃぞ」
「……馬鹿を云うな。勝てるものか。命あってのものだぞ」
「……いやいや、見ろ、趙寵様が御出陣じゃ」
「……あれは抜け駆けじゃろ。太守様は決して城を出て戦ってはならぬと下知されていたではないか」
「……そうじゃ。抜け駆けじゃ。しかし、趙寵様はこの張邈軍最強の武将。見事、呂布将軍の首を獲るやもしれぬぞ」
「……おお、一騎打ちじゃ。趙寵様の大薙刀も圧巻じゃの。わしはあの大薙刀が一刀のもとに敵将の首を刎ねるのを何度も見てきておる。まるで疾風のようじゃった」
「……呂布将軍はまったく動かぬの。赤兎馬もまるで眠っているようじゃ」
城壁から味方の声援を受けて、趙寵の馬が駆けだす。
目前には赤兎馬に跨る呂布、一騎。
一万五千の呂布軍の騎兵は呂布のかなり後方で、綺麗な列をなし静観の構え。
趙寵が大薙刀を呂布の首を目がけて振った。
赤兎馬が僅かに動くと、大薙刀の刃は空を斬った。
すれ違い様に呂布が方天画戟を横に払う。
趙寵の首が宙を舞った。
城壁の張邈の兵たちの歓声は、途端に水を打ったように鎮まった。
袁術の本陣との合流を目指している一万五千の呂布の軍は、兗州の最西端にあたる陳留郡に訪れていた。
ここは州牧である曹操の勢力下にあり、太守である張邈が治めている。
兵力は二万。
呂布の南下を妨げるように関所の小城に籠城していた。
呂布としてはこのまま素通りしていきたいのだが、小城を落とさぬ限り南下は出来ない。
迂回するためにはもっと深く曹操の領地に入り込まなければならなかった。
攻城戦をすべきか、迂回すべきか。
思案している間に敵将が襲い掛かってきたのでやむなく斬ったのである。
呂布の強さを思い知った張邈軍はさらに堅く城に籠った。
「……おい、また誰か抜け駆けしていくぞ」
「……誰じゃあの男は。あんな男が太守様の部下におったか」
「……矛も持たずに進んでいくぞ。腰の剣で呂布将軍に立ち向かうつもりか」
「……いかん、いかん。ありゃ死ぬぞ。馬も細いが、馬上の男はもっと細い。到底勝てるはずがない」
「……いや、待て待て、何か話しかけておるぞ。一騎打ちではない」
「……本当じゃ。和睦の交渉でもする気かの」
「……なんとも親し気じゃの。呂布将軍の血族のものか」
そんな城兵たちの驚きの声をよそに、城からただ一騎進み出た男は呂布と会話を続けた。
「驚いたな。公台か。まさか張邈の旗下だったとはな」
呂布がそう云うと、男は首を横に振って、
「いや、私は張邈殿の配下ではない。頼まれて奉先との交渉役を引き受けたのだ」
「あいにくだが遠回りしている暇はない。押し通るぞ」
「まあ聞け奉先。お主にとっても大切な話だ」
男は静かにそう答えた。
男の名は、陳宮、字は公台。
呂布、字は奉先とは、都が洛陽にあった頃からの親しい間柄である。これに袁術が加わり、朋友の契りを結んでいた。
家柄、性格、価値観はまるで違う三人であったが、なぜか気が合った。
しかし、董卓が洛陽の都に乱入し、代わりに袁術が都を追い出されてからは顔を合わせていない。
その間に呂布は遷都先の長安で革命に加わり敗れて諸国を放浪する身の上となり、陳宮は都の警備隊長の役目から退き兗州を旅していた。
「奉先が城攻めは苦手だということを張邈殿は承知している」
「だからどうした。こんな小城に籠って俺の攻撃を防げると思っているのか」
「数日はな。奉先よ、お主の陣営の兵糧はいつまで持つ?」
陳宮にそう問われて呂布は答えに窮した。
一万五千に配れる兵糧はあと二日分しか残されてはいない。
拠点を持たない呂布は補給ができないのだ。
冀州の牧である袁紹が、黒山党の飛燕討伐の謝礼として、しばらくは兵站の面倒を見てくれる約束にはなっていたが、ここしばらく届けられていない。
「五日あれば充分だ」
「なるほど。五日あればこの小城は落とせるかもしれぬ。しかし、その前にお主の軍は壊滅しているぞ」
「何?俺の騎兵が張邈の軍勢如きに負けると云うのか」
「相変わらず前だけを見ているな。明日には袁紹からの兵糧がお主の陣に届けられるだろう」
「ほう。そうなのか。なぜお前がそのことを知っているのだ」
「しかしその兵糧には毒が盛られている」
「なんだと……」
「袁紹軍三万が密かに鄴を出兵し、この陳留に近づいていることをお主は知らぬであろう」
「三万……」
「毒で弱ったお主の陣に攻め込むつもりだ。三日後には陳留に着くだろう」
「袁紹め、曹操と謀って俺を挟撃するつもりか。面白い。返り討ちにしてくれる」
「いや。そうはいくまい。お主が兵糧に盛られた毒に気づいたならば、遠くに砦を築き、取り囲む作戦に移行するはずだ。兵糧が切れればいかに精強な呂布軍であっても壊滅を免れることはできないだろう」
「うむ……蠅のように小賢しいやつらよ」
「黒山党の飛燕との戦い、噂には聞いている。圧倒的だったようだな。お主はあまりにも強すぎたのだ。だから袁紹を不安にさせた。袁紹と敵対している袁術軍は名声と兵力があっても、戦上手の将が少ない。これに呂布が加わるとどうなるか、袁紹と曹操が考えぬわけがないだろう」
考えてみると確かにそうだ。あの腹黒い袁紹が許すわけがない。
「お主は先ほど、遠回りしている暇がないと云っていたが、それも無理だな」
「すでに囲まれているのか」
「ああ。この陳留から抜け出すのは難しいだろう。お主ひとりならば話は別だが」
「で、公台は俺が降伏するよう説得をしにきたのか」
「昔からの付き合いだ。お主が降伏を聞き入れるような男ではないことはわかっている。私が来た理由はひとつ。この状況を打開する策を伝えるためだ」
「打開……降伏せずに勝つ方法があるのか」
「そうだ。そのために私は七ヶ月ほど兗州を調べ上げてきた。曹操を出し抜き、この兗州を獲るために」
「七ヶ月……俺が冀州に渡る前からか」
「いずれはこうなると思っていたからな。曹操は恐ろしく用意周到な男だ。そして先を見据えた鬼謀をもって四方の敵を討ち破っている。が、隙がないわけではない。無理な用兵、無理な改革によって曹操の陣営にも綻びが生じ始めている」
「曹操の隙……」
「それが陳留だよ」
「相変わらずお前の話は見えぬ。俺にも分るように話せ」
「張邈殿はかつて反董卓連合の盟主代行だったお方。曹操はその先兵に過ぎなかった。それが今や立場は逆転し、曹操の庇護のもとにある。確かに曹操と張邈殿は朋友の間柄。曹操の信頼も厚く、故にこの陳留太守を引き続き任された。しかし張邈殿は曹操の行く末を疑っている。曹操は領土拡大という私欲に走り徐州を攻め、豫州を攻めた。張邈殿は清流派筆頭格の八俊にも数えられるほど、天下国家を思う気持ちは強い。逆賊の片棒を担ぐような真似はしたくないのだ」
「張邈が曹操を裏切るのか」
「簡単に云うとそうなる」
「俺に張邈の配下になれと?」
「いや。張邈殿は対等な同盟をお望みだ。もともと戦場に出ることを好まれぬお方。奉先の軍が縦横無尽に暴れ回れるように後詰をするおつもりだろう」
「同盟……か」
「お主がその気ならば、張邈殿は城門を開き、奉先の兵を迎え入れる」
「戦嫌いのお前らしくもなく随分と乗り気のようだが」
「そうも云ってはいられない情勢だからな。まあ、その話は行く行くすることにして、あまり時間がない。急がねば、すぐに曹操が気が付く。これから忙しくなるぞ。一気にこの兗州の城を落として回らねばならないからな」
「兗州の領地などに興味はないが」
「私もないよ。しかし今は兗州を制する必要がある。そうすれば公路(袁術の字)ともすぐに合流ができるようになるだろう。お主の目的も叶うはずだ」
「公路の軍に俺の娘がいるらしい」
「公路は気づいているのか」
「さあな。南の盧江攻めに加わっているようだ。確か、孫策とかいう若造の部隊だ」
「孫策か……面白い偶然だな」
「どういう意味だ」
「孫策と義兄弟の契りを結んでいる周瑜という男を知っているか」
「聞いたことはある。どこかの戦場で会ったことがあるかもしれぬ」
「張邈殿と曹操との離間の計を進めてきた張本人だよ。時をかけて上手く洗脳したのさ。曹操も一番の信頼を寄せている張邈殿の二心は想定外だろう。周瑜はいずれ曹操以上の脅威となるかもしれない」
「公路の部下だろ」
「孫策は自立の志が強い。恐らく長江以南の郡を落とせば独立するだろう。お主の娘も引っ張られるかもしれぬぞ。いや、江東の虎と呼ばれた孫堅の息子、お主の娘を嫁にするかもしれぬな」
そう云って陳宮は笑った。呂布は僅かに睨んで、
「つまらぬことを。まあいい。連れていけ。ひとまずは張邈と結ぼう」
「そうか。よかった。兗州の各城の急所は押えている。曹操が気が付く前に一気に落とすぞ。私に任せておけ」
「ああ、そうするよ。俺の部下は好きに使え」
こうして呂布は陳留の張邈と同盟を結び、独立勢力として兗州の地で旗上げしたのである。
陳宮の策が当たり、次々と兗州の城は落ちていきます。
次回、曹操最大の危機。
こうご期待。




