第30回 揚州の戦い 盧江
ついに陸遜登場
孫策と陸遜の運命の出会い
第30回 揚州の戦い 盧江
揚州盧江郡、袁術軍幕舎にて・・・
「陸康殿の使者が参りました」
「通せ」
答えたのは軍師役として随行している周瑜公瑾である。美周郎と呼ばれるほど眉目秀麗で、肌は雪のように白い。
野外に築かれた幕舎は狭く、室内には椅子がひとつだけ置かれていた。そこには総大将である孫策伯符が座り、その隣に周瑜は立っている。他に集められた将が四名ほど。
「よいか伯符、使者をみだりに殺してはならぬ。和睦の申し出を断るのであればその下知だけで充分だぞ」
「公瑾、くどいぞ」
「しかし・・・」
そう云って周瑜は口を閉じた。あまりしつこく言うと逆上して使者の口上を聞く前に斬り捨てかねないからである。
そもそも盧江の太守である陸康は袁術に敵対してはいなかった。むしろ寿春で旗上げする際には多大な援助を袁術は受けているぐらいだ。
南の勢力を脅威に感じ始めた袁術が、寿春の防備のために、すぐ南にあたるこの盧江を力のある部下に任せたがっているだけのことである。
陸家は長江を渡った南にある呉郡の名家で、陸康はその当主にあたる。だからこそできるだけ周瑜は温和にこの戦を終了し、呉の劉繇討伐の際、余計な敵対勢力を増やしたくはなかった。
周瑜は先の先まで見通して助言しているのである。無論、孫策もそこまで考えてはいる。考えてわかってはいるものの、「敵対勢力が増えるのならば受けて立つ」と己の覇道を突き進もうとする癖があった。
使者の態度次第では、困難が増えることなどお構いなしに、孫策は容赦なく斬る。
「失礼致します」
そんな周瑜の心配をよそに陸康の使者が幕舎に入ってきた。よそよそしく入室してきた影はふたつ。声同様に幼い使者であった。
「盧江太守陸康の使者、陸遜でございます」
膝をつき深く頭を下げてそう申し出た。子どもだ。孫策も周瑜も齢十九と若いのだが、この使者は十歳に達するかしないほどであった。
「こちらのものは陸康の次子、陸績にございます」
そう云って陸遜は背後の幼子を紹介した。陸遜よりもさらに幼い。
幕舎にいた他の将たちは唖然としてこのふたりの使者を見つめた。こんな子どもたちに使者の役目など全うできるはずがない。今何が起きているのかすら理解できていないに違いないのだ。
陸康が孫策のことを馬鹿にしているとしか考えられなかった。
子どもの相手は子どもで充分ということなのだろうか。
将たちは、孫策が憤慨して子どもの首を刎ねる姿を想像して嘆息した。
「ま、まずは使者の口上をお聞きしよう」
周瑜は動揺しながらもこの幼子たちを正式な使者として受け入れた。孫策は微動だにせず頬杖をつきながら子どもたちを凝視している。
陸遜は「はい」と答え、頭を上げずに、
「太守様は城を明け渡し、全面的に降伏する所存でございます」
はっきりとそう告げた。
頑固一徹で知られる陸康は決して戦に疎いわけではない。
賊徒の群れを討って名を高めたこともあるほどだ。
その陸康が降伏を決断するに至ったのは、一年に及ぶ包囲のために城の兵糧が尽きたことと、三日前に城を出て奇襲をしかけてきた部隊があっさりと全滅したことが原因であった。
孫策にとって、ここまでは計算通りに話が進んでいると言ってよい。
兵糧は二年は籠城がもつよう備蓄されていたが、孫策の手のものが巧みに倉庫に侵入し火を放ったために半分が消失している。士気を著しく低下させた陸康が挽回しようと奇襲を仕掛けてくるのも読めていた。
落すだけならばいくらでも早く城を落城させられたが、孫策はそうはしなかった。
一年をかけて、城を取り囲みながら兵たちの調練を続けてきたのだ。
孫策の噂を聞きつけた「ならず者」たちがさらに集まってきて、兵は一万を超えていた。
孫策はこの一万を三万の兵力に匹敵するまでに鍛えたがっていた。
厳しい調練で日にひとりかふたりは死んだ。
小競り合いではあるが、時には城から出撃してくる陸康の小部隊と実戦を繰り広げた。
おかげで今では精強な軍となっている。
孫策としては、最後の締めに攻城戦の実戦を積ませたがっていた。
つまりここで簡単に和睦することに乗り気では無い。
「城を明け渡してどうする」
周瑜がそう尋ねると陸遜は、
「呉に戻ります。この陸績はそのお約束にございます」
つまり人質というわけだ。
「長子ではなく、次子を預けるとはどういうわけだ」
周瑜がさらに尋ねた。この場合、家督を継ぐ長子を人質に差し出す習いであったからだ。
「はい。長子であります陸儁は生まれつき身体が弱く、病に臥せっています。」
「と云うと、この陸績殿が陸家本家の家督を継がれるのか」
「はい。そうでございます」
陸遜はひれ伏しながらそう答えた。
幕舎に集っている将たちの悪い予想は的中せず、孫策が憤ることはなかった。ただじっと使者のふたりを見つめている。
持て成しの料理、というほどではないが、簡単な食事がふたりには出された。ふたりがそれを地べたで食す間も孫策は無言で凝視している。
そんな視線にさらされながらも、子どもたちは振る舞われたわずかな料理を口にしていた。
ふと、陸績の手が止まり頬から涙が流れ落ちた。子どもながらに相当の苦労をしてきた表情をしている。恐らく何日も食べていなかったに違いない。震える手で料理の半分を陸遜の方に差し出した。
「これを城の父上に渡してほしい。もう五日、何も食してはおらぬ」
孫策旗下の将たちもさすがに不憫に思い、また陸績の孝の心に感じ入った。思わず涙ぐむ者もいた。
すると孫策が初めて口を開いた。
「呉に戻りこの孫策に復讐するか気か」
情けなど微塵も感じさせず、威圧的な響きのする問いであった。陸績は慌てて首を横に振る。
「一年に渡りこの孫策に苦しめられながら、呉に戻り兵を立て直して復讐する気概がないのか」
その気があってもこの和睦の場ではそうは答えられない。孫策はいったい何を聞き出したいのかと諸将はいぶかしんだ。
「呉に戻り山越を降すためでございます」
そう答えたのは陸遜であった。
途端に諸将たちの笑い声が室内に溢れた。
山越とは揚州の南部に住む異民族のことである。揚州の人口の七割がこの山越族に占められていた。
しかし、孫策との争いにはまるで関係のない話だ。
やはり子ども故に現状は何もわかってはいない、と将たちは失笑したのである。
しかし、陸遜のその一言で表情をガラリと変えた者がふたりいた。
孫策と周瑜である。
「山越だと?お前に何ができる」
孫策が立ち上がってそう云った。右手が剣の柄にかけられていた。
諸将たちは驚いて声を失った。
陸遜が初めて顔を上げた。
周瑜に負けず劣らず端正な顔つきをしていた。
「地理を調べ、天候を押さえ、山越の心を理解します」
真っ向から孫策を見てそう答えた。
孫策は唸って席についた。周瑜も驚いて陸遜を見つめている。
山越討伐。
これは、盧江を落とし、呉の劉繇を倒した後、孫策が揚州の地で飛躍するためには避けては通れない路であった。
現在そこまで考えている者は孫策と周瑜しかいない。
それをこの陸遜は見抜いている。
そして、陸家は今後「孫策の力になれる」だから今は「おとなしく和睦せよ」と暗に言っているのだ。
しかも陸遜は討伐ではなく懐柔を目論んでいる。
それが成れば、孫策軍の軍事力は大きく高まることになるだろう。
ここに至って、陸康がなぜこのような幼子を使者に立てたのか、孫策と周瑜は合点がいった。陸康の陣営においてこの陸遜以上に聡明なものはいないはずだった。適任の者を送ってよこしたに違いない。
「面白い。陸康殿の希望通りに和睦をすることにしよう」
孫策がそう決断を下した。
陸遜と陸績はそれを聞いてまたひれ伏した。
「人質はとらぬ。早々に呉郡に戻られよ」
「は、はは」
陸績は自分が人質として残らなくてもよいことを知って喜んだ。
陸遜は伏せて顔を見せないが、必死にその理由を考えているようである。
「代わりと云ってはなんだが、ひとつ条件がある。陸康殿にしかと伝えてもらえるか」
「はい。なんなりと」
「よし」
孫策はニヤリと笑い、
「陸家の家督を陸遜に譲ること。これが和睦の条件だ。しかと伝えよ」
「え、なんですと。し、しかし・・・」
狼狽える陸遜を尻目に孫策は幕舎を後にした。周瑜も後に続く。
「随分とお気に召したようだな、伯符」
「ふん。顔も目つきも子どもの頃の公瑾のようだったからな。少し辛かっただけだ」
「俺はあんな生意気な口のききかたはしなかったが」
「似たようなものだ」
「しかし、山越を降すとは、恐れ入った使者の口上だな」
「ああ。俺に娘ができたらあんな男にくれてやることにしよう」
「ハハハ。ではまずその娘を産んでくれる女を探さねばな。この盧江の皖城には大喬、小喬と呼ばれる姉妹が住んでいる。絶世の美女だと聞いた。その姿を見れば、月も光を消してしまい、花も恥じらうほどらしい。会っておくか?」
「戯言を。女に構っている暇などない。盧江を落とした暁にはすぐに軍を建て直し、長江以南の劉繇を攻める」
「そう答えると思ったよ。よかろう。女探しは呉を獲ってからにしよう」
こうして盧江は袁術の勢力下に組み込まれ、陸康に代わって袁術の重臣である劉勲が太守の座についた。
陸康は家督を孫策の指示通りに分家の陸遜に譲り、一族を引き連れて呉へ帰っていった。
孫策と周瑜はついに長江の前に立った。
呂布、陳宮、張邈・・・
兗州に動乱の影が・・・
こうご期待




