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第29回 徐州牧 張飛

徐州牧となった張飛の思いとは・・・

第29回 徐州牧 張飛


 徐州じょしゅう牧に就任した張飛ちょうひ益徳えきとくが、従事中郎の職を名乗る女と面会を始めて三刻あまりが過ぎていた。

 義兄弟である長兄・劉備りゅうびの紹介状を携えているので無下に追い出すこともできない。


 「私は戦わずとも分かり合える道があると考えます」

女がこの台詞を口にするのはもう五度目だった。

 典型的な非戦論者であり、張飛のまつりごとのあり様を真っ向から否定してくる。

 女が指す戦いとは、兗州えんしゅう牧である曹操そうそうとの争いのことだ。

 前任の牧、陶謙とうけんは賊徒の群れを背後で操り兗州を乱した。曹操の徐州攻めはその復讐である。名目上は陶謙の部下が曹操の父を殺害し財を掠め取ったことへの「敵討ち」、すなわち「孝」と「義」の徳目に沿った義戦であるが、その実は勢力拡大という互いの欲が絡んだ軍事衝突である。


 「曹操様のもとに使者をお使わせください」

状況を把握していても尚、女は執拗に交渉による和平を強要してきた。しかし話し合いで解決できる段階は過ぎている。曹操は徐州の城塞をことごとく落とし、いよいよ残すは州都であるこの下邳かひのみ。

 これで徐州を手にすることができるのである。それ相応の見返りがなければ手を退くことはないだろう。


 「この徐州を曹操にくれてやるのか」

「臣下の身で、ふたつの州の牧を兼任することは帝から許されておりません。曹操殿とて誠意を尽くし正道をもって話をすれば聞き届けてくれましょう」

世間知らずのお嬢ちゃんの戯言で、綺麗ごとに過ぎない発想だった。

 州牧など自分の代官を遣わせばいいだけの話だ。それで曹操はふたつ・みっつの州の実質的な支配者となれる。つまり朝廷の目をかわす抜け道などいくらでもあるということだった。


 「この徐州の統治の仕方についても同じことが云えます」

女の矛先が張飛に向けられた。

 張飛は牧に就任してから、徐州に根付く大きな豪族のうち「五つ」を滅ぼしていた。参集の命令にも従わず、曹操と裏で通じようとしていたからである。はっきりとした証拠のないものもいたが、後顧の憂いを断つために当主の首は討った。


 見せしめである。


 曹操は降るものには寛大で、逆らうものには容赦がない。

 将は勇猛果敢で、兵も精強である。

 徐州の豪族の多くが曹操に靡いていた。どっちつかずの日和見を決め込む豪族も少なくない。

 この圧倒的に不利な状況を改善するためには、曹操以上の恐怖が必要だった。

 張飛は情けを捨てて苛烈なまでに徐州の民に接した。そしてその威を恐れて再び恭順してくる豪族が増え、徐州軍は五万まで兵を戻していた。

 

 今、この徐州を統べるうえで必要なものは、仁による理や報酬による「利」よりも「暴」とも呼べる力であることを張飛は見抜いていたのだった。

 劉備も陶謙も同じ考えだったに違いない。徐州再建のため張飛に白羽の矢がたったのはそのためである。これは劉備や関羽かんうにはできない芸当なのだ。


 「わかった。もうこれ以上徐州の民を傷つけることはせぬ」

潰すべき軍閥は潰した。これ以上やると逆に反乱の芽を育てることになる。女に指摘されずとも張飛はそう決断していたのだ。


 女はじっとそう答えた張飛の表情を見つめた。


 美しい女だ。

 最初に顔を見た瞬間に張飛はそう思った。強い意志をもった瞳と厚い唇が印象的であった。歳は二十歳を過ぎたばかりだろう。白い肌が日差しを浴びて煌めいていた。


 女の身で官位に就くなどありえない社会だったが、紹介してくるのが規則や風習に縛られることを嫌う劉備なのだから常識は通用しない。


 「戦争は嫌いか」

つまらぬ質問だ。そう思ったが張飛は尋ねた。女は当然だといわんばかりの表情で、

「はい。血を流して問題を解決するなどけだもの同然の所業。私たちは人なのです。人には心があります。心と心が通じ合えば殺し合いなどせずとも共存できるはずです。私はそう信じています」


 人は、国は、常に己の利益を求める。

 金、食料、領土、資源、ときには形のない権利。それを手にするため人は戦争を起こす。

 外交という手段を用いる場合もあるが、どちらにしても欲しいものを手にするためだ。

 戦争、交渉、このふたつが政治なのである。そして交渉を有利に進めるためにも戦争は必要であった。力の無い交渉だけでは言い分は通用しない。


 戦争をこの世界から無くすためには、人がすべての欲を捨てるしかない。

 この先、人類が三千年の時をかけても成し得ない話だと張飛は思った。

 人には心がある。しかしその心の根本は欲。だから獣の世界を遥かに凌ぐ争いが起こるのだった。それが現実だ。


 「張飛様は何を信じていらっしゃるのですか」

女がそう尋ねた。

「男は信じることなどせぬ。与えられた仕事を情熱をもって全うし、志に従って生きる。それだけだ」

「張飛様の州牧の業務に対する激しさは充分伝わってきます。しかるにその志は?」

「劉備玄徳の国造り」

「国造り……」

「誰もがこの雲のように自由に生きることのできる世界だ。身分の違いもなく、性別の差別もない平等な世界を劉備玄徳は創ろうとしている。俺はそのために命をかける」

「自由……平等な世界……そんな世界なんて創れるはずがありません」


 可能だと張飛は考えている。

 人の欲を知り、それを上手に操作できればの話であるが。

 「やってみなければわかるまい。実際俺は捨て子だ。それが今や州牧の地位にある。百段先にその世界の実現があるのであれば、いしずえとなる一段にこの生涯を捧げる。志に命を燃やすのが男だ」

「志などという言葉、男の方から初めて耳にしました」

「耳にせぬだけだろう。お前の兄も志のある男だ」

「兄が……兄からそのような話を聞いたことはありません。女が政治に首を突っ込むなといつも叱られます。今回は劉備様の御力で従事中郎の職をいただきました。兄は劉備様を心底慕っておられますから許しが出たのです」


 この女の兄は徐州で最も裕福な豪族である家の当主であった。

 名をじくという。この麋竺の強烈な後押しによって劉備は徐州で確固たる地位を築けていた。


 「劉備様の国造りが、兄の志でもあるのでしょうか?」

「さあな。お前の兄とは心行くまで語り合ったことはない。酒を酌み交わし語り合わねば志など理解し合えぬものだ」

「酒……そのようなものが必要なのですか?」

「心に羽織った衣を脱ぎ裸にならねば本音は聞けぬ」

「心に羽織った衣……フッ」

「なにが可笑しい」

「いえ。開陽かいよう臧覇ぞうは様を降すほどのお方が面白い物言いですね」


 臧覇は徐州で武名高い軍閥の首領である。しかし臧覇一万の兵に対して張飛は二千の騎兵を率いてこれを退けた。臧覇は敗北し、潔く新しい牧に従順することを誓ったことで周辺の豪族も動きを改めることとなった。


 「女の私が志を口にすることは可笑しいことでしょうか」

「さあな。女には女の志があるのかもしれん」

「そうですか。では遠慮なく。戦争の無い世界を築く、それが私の志です。そのために私はここにきたのです」


 面倒なものを押し付けられた。

 この時の張飛の感想は、その程度のものであった。


 女の名は、りん

 麋竺の妹であり、この先、張飛にとって最も大切な女性となる。



 麋凛との面会を終えた後、兄の麋竺が尋ねてきた。


 「妹が差し出がましいことを、お許しください張飛様」

「構わぬ。しかし随分と元気な女子おなごで驚いた」

「はい。私も手を焼いております」

「戦争をするなと云っておった」

「張飛様のご尽力などあれにはわからぬのです。張飛様でなければこの混迷する徐州をまとめあげることなどできませぬ」

「なに、俺には戦うことと他人を痛めつけることぐらいしか芸がないかなら」

「いえ、決してそのようなことは。張飛様の武勇により最小限の被害で徐州はまとまりました」

「いや、未だに俺の州牧就任に異を唱えるやからは多い。曹豹そうひょうなどがその筆頭」

「確かに表立って逆らおうとする重臣もおります。しかし陶謙恩顧の臣の扱いはぜひこの麋竺にお任せください」

「殺るのは容易いが、重臣を弑せば徐州はまた割れることになる。それぐらいのことは承知している」


 悪逆の限りを尽くしてでも徐州をまとめあげることが張飛じぶんの役割なのだと牧の任を受けたときから覚悟している。

 その後で劉備が仁を尽くして徐州を治めれば民衆の信頼、期待、声望は絶大なものになるだろう。

 自分はその地ならしなのだ。

 必要とあらば陶謙の臣も殺さなければならない。しかしそこから生まれる損害もまた大きなものになるはずだった。


 「お任せ下さい」

麋竺はよくわかっているようだった。張飛がどのような思いで豪放磊落な州牧を演じているのかをわかってくれている。自分のことを理解してくれている者が周りにいてくれるだけでも張飛にとっては心強かった。


 「あの曹操でもさすがに張飛様の州牧就任は読めますまい。曹操の驚愕した表情が目に浮かぶようです。しばらくは計画の修正に時をかけて動けぬはず。我々はこの隙に乗じて、寿春じゅしゅん袁術えんじゅつ様との結びつきを強くせねばなりません。別駕として孫乾そんかんという男を推薦いたします。必ずや袁術様との外交交渉を円滑に行うことでしょう。どうか、妹とあわせまして存分にお使いください」

「秋の実りの後に曹操は攻めてくるだろう。それまでに戦力を整える。戦はする覚悟だが、麋凛殿の進言もある故、曹操との停戦交渉も粘り強く進めていこうと思う。誰かひとはいるか」

陳羣ちんぐんという男がおります。間違いはありません」

「任せる」

「妹如きの言葉をお聞き届けいただきましてありがとうございます」

「実際たいしたもんだ。男であっても面と向かって俺と話ができるものは少ないのだからな」

「次、このような生意気な口をきくようでしたら、思う存分引っ叩いてやってください。男の怖さを知らずに育っているのです」

そう云って麋竺は頭を掻いた。兄ふたりのなかで麋凛が甘やかされて育ってきたことは明らかだった。


 「志というものは殴られるぐらいのことで揺らぐものではあるまい・・・」


 「は?今、何かおっしゃりましたか?」

「いや、なんでもない。交渉は任せる。俺は陳登ちんとう殿と打ち合わせることにしよう」


 こうして張飛の活躍によって、徐州は息を吹き返すのであった。



揚州の陸家と孫策は運命の結びつきをします。

次回乞うご期待。

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