第28回 兗州と冀州
本編の主役のひとり、陳宮ついに登場。
ライバルである曹操軍の軍師、程昱(程立)も登場です。
第28回 兗州と冀州
男は兗州の各郡、各県を自らの足で見て回り、どこに山があり、どこに川があり、どこに兵を隠せるのか、歩兵の歩みではどのくらいの日数がかかるのかを徹底的に調べていた。
意図せずとも彼を見ていれば、その異様なまでの仕事ぶりに驚くだろう。供回りはなく、ただ独り黙々と動き回り、わずかな食事の時間と睡眠時間以外をこの探索に費やしていた。しかも休みなく七ヶ月間もだ。
いったい誰の命令で、どれほどの見返りがあってこのような仕事ぶりを継続できるのだろうか。もし、そのような質問をされたのであれば彼は即座にこう答えるだろう。
「私は誰の指示も受けてはいない。だから如何ほどの報酬も期待はしていない」と。
実際、男に兗州の調査を依頼した者はいない。では、いったい何のために?
「将来、己に課せられるだろう使命を全うするためである」
そう答えるに違いない。
彼は一年前まで洛陽や長安の都において城門の警備隊長を務めていた。
十年にも及ぶ就任期間で一度の失策も犯してはいない。
権力者が変遷し、革命や暴動の絶えないこの時代において驚くべきことである。
特にその計画性と責任感は他者の目を見張るものであって、数日後の仕事の準備だけでなく、数ヶ月後、数年後の準備まで、起こり得る事態を想像し、部下たちの能力を見極めて進めていた。
また、特異な能力を有していて、通過する旅人、行商人から軍兵に至るまで、一度目にしたすべての顔と服装を記憶することができた。
都で事件が起きた際、執金吾(都の警護職)は彼の能力を活かして犯人を追跡し問題を解決するなど、賞賛される功績をいくつも積み上げてきている。
彼の名は、姓を陳、名を宮、字を公台。都では、野盗、浮浪の類から豪商、高級官吏に至るまで知らぬ者はいない名士であった。
思うところがあって都の官を辞し、故郷である兗州に戻ってきていたのだが、州牧である曹操の招きにも応じず、郡の太守や県の令の声も無視して、ただひたすらに兗州の地理地形を脳裏に刻んでいた。
今は兗州の東郡、東阿県を訪れている。
そこで陳宮は黄河を渡る倉亭津の津でひとりの大柄な男に声をかけられた。
三十八歳の陳宮から見ても声をかけてきた男は歳がたっている。この初老の男の名は、程立。曹操の招きに応じて兗州防備の参謀を任されている男であった。
東阿の城は山間にあって守りが堅いことで有名である。
大軍を率いても陸地からこの城を落とすことは至難の業だ。
しかし、急所がないわけではない。それがこの津であった。ここを抜かれれば城は容易く落ちる。東阿で生まれ育った程立はそれがよくわかっていた。
黄河の先、北は冀州である。
今は同盟国として戦うことはないが、冀州の牧である袁紹がいつ何時牙を剥くかもしれない。味方が味方を欺く戦国の時代なのだから用心に越したことはなかった。そう考えると兗州侵略の先兵はまずこの津を狙ってくるだろう。
程立は来るべき日の兗州防備のためこの津に毎日のように通って策を練っていた。そして同じように津を調べる男に目をつけたのだ。
程立は敵方の密偵を見つけるのも上手い。自然と話しかけて相手を油断させ、頭のてっぺんから足の先までじっくりと調べつくす。そうして袁紹方の密偵と思われるものを数名捕縛してきた。
今日声をかけたのもその延長線上であった。
「いやいや、近ごろめっきりと春めいてきましたな」
まるで知己の友に話しかけるように程立は声をかけた。声をかけられた陳宮は驚きもせずに、
「そうですな。西からの風も緩やかになってきましたな」
そう答えた。
風、という言葉に程立は反応した。
今どき風を読む者は船乗りか兵法家ぐらいなものである。しかし手先を見ても船乗り特有のたこがない。
明らかに怪しい気配がする。
「言葉の訛りは東郡ですな。どちらからおいでかな」
程立がゆっくりとそう尋ねた。陳宮は幾分微笑みながら、
「武陽県です。東阿県には親戚が住んでおりまして」
「ほう。それはそれは」
程立も皺くちゃな顔で微笑んだ。
この時、先に相手の正体を見破っていたのは陳宮の方であった。
兗州が賊徒のしたい放題に蹂躙されていた頃、程立は一下級官吏でありながら、県令が逃亡した東阿の城を仲間と守り抜いて一躍名を馳せた。
陳宮は僻地の英雄の顔こそ見たことがなかったが、その身長九尺八寸(190cm)という特徴を記憶していた。その英雄が現在は曹操に仕えていることも耳にしている。
(やはりここが東阿の城の弱点ということか)
内心ではそう考えながら、陳宮も役者を演じた。
「曹操様が牧となられてからというもの兗州は平和になりました。こうして縁者を頼って旅することもできます。ありがたいことです」
しみじみとそう呟くのであった。
こうなると狸と狐の化かし合い。程立もおっとり刀で、
「いやいや、安泰というわけにはいきますまい。州牧不在の隙をついて誰が攻め込んでくるかもしれませんからな。ほれ、この海(黄河)の先では黒山党百万と袁紹様が戦さをされているとか。先兵はあの飛将と呼ばれる呂布様らしいの。恐ろしいことじゃ」
と探りを入れる。
「ほう、ご老人、呂布様と袁紹様が組んだのか。」
陳宮もさすがにその情報は知らなかったので素直に驚いた。
この陳宮、何を隠そう呂布とは朋友の間柄である。
洛陽に都があった頃は、陳宮と呂布、そして袁術、生まれも育ちも違うのだが三人は兄弟のように交わっていた。
その袁術は母違いの兄である袁紹と名門袁家の家督を巡って争っている真っ最中。呂布が兄弟の仇同然の相手に仕えることなど考えられなかった。
程立はそんな陳宮の表情をじっと見つめていたが、明らかに自然な反応と見てとって、袁紹の密偵であることの疑念を払った。袁紹方であれば呂布と袁紹が手を結んだことを知らぬはずがないからである。
ふたりのやり取りはここで終了するのだが、程立は念のため部下に陳宮の尾行を命じた。
陳宮も当然のように尾行に気が付き、旅人を装いながら武陽への旅路につくのであった。
一方、黄河の北、冀州では呂布と袁紹の連合軍が常山に巣食う黒山党と戦さを繰り返していた。
黒山党の首領である飛燕率いる三十万に対して、呂布・袁紹軍は一万に満たない兵力。
慎重な用兵で知られる飛燕もさすがにこの兵力差に安心しきっていたが、なかなか勝負がつかない。
呂布の率いる五千の騎馬隊の速度と威力が常軌を逸していたからである。
突撃を食らうたびに数千の損害が出る。
この騎馬隊は、突撃し反転してまた突っ込んでくるとすぐに戦場から離脱していくので、飛燕は相手を捕まえることができない。黒山党だけが一方的に兵力を減らす結果となっていた。
神出鬼没の騎馬隊の脅威に晒されて補給も滞り士気はさらに下がっていた。
飛燕は本拠地への一時撤退を決断したが、その動きを読んでいた呂布の追撃に遭い二万の精鋭を失った。
さらなる追撃を恐れて飛燕は和睦を結ぶ使者を呂布に出したのである。
「和睦か……構わぬ」
呂布は袁紹の許可なく独断で使者と面会し、そう答えた。
使者は飛燕の信の厚い薛蘭である。
薛蘭はあっさりと承諾してくれた呂布を不審に思いながらも平伏して受けた。
「和睦の条件はひとつだ。捕らえている十五歳の娘がいよう。その娘を解放せよ」
「十五の娘……さて……」
黒山党は確かに野党の群れだが、首領の飛燕は朝廷から慰撫の目的で平難中郎将の官位を得ている。つまり黒山党はれっきとした官徒の集団なのである。未だに野盗のような真似をするものたちはいるが、少女をかどわかすような所業をしたものを飛燕が許すはずがない。
薛蘭の躊躇に呂布は苛立った。そもそも黒山党など呂布の眼中にはない。娘の阿斗を救うためだけに常山に赴き袁紹と手を結んだのだ。
「知らぬ、と云うのか」
そう云って呂布が腰の柄に手をかけた。
途端に幕舎に緊張が走る。
この時、袁紹旗下の田豊がすかさず間に入った。
一瞬でも遅ければ薛蘭は呂布の剣によって両断されていたことだろう。
「呂布将軍、その娘の行方、どうやらこちらではないようです」
田豊が静かにそう進言した。
呂布は周囲を威するように睥睨して、
「どこだ。知っているのならば話せ」
「南でございます」
「南……」
「南では、寿春の袁術様と盧江太守の陸康が争っております。その戦場でその娘を見た者がおります」
「寿春……袁術……確かか」
「はい。袁術様の代行を務める孫策の陣営にいるようです」
「孫策……」
「江東の虎の異名を持つ孫堅の遺児で、十九の若者ながら袁術様の信任厚く、一軍を率いて楊州南部の平定に赴かれているとか」
「その娘、俺の娘だ」
「承知しております」
呂布は目を閉じた。
使者の薛蘭が口を開いて、
「和睦の約定として、この薛蘭、一万の同朋とともに呂布将軍の傘下に加わりたいと願います。将軍の兵法を学ばせていただきたい。よろしくご指南お願い申す」
呂布はそれには答えず、目を見開いて燃えるような瞳で辺りを見渡した。
「我が騎兵は寿春へ向かう」
高らかにそう云い放った。
田豊はニヤリと笑って、
「途中、兗州を通過することになりますが、冀州牧様から兗州牧様へお伝え願いましょうか」
「構わぬ。邪魔立てするのならば曹操など蹴散らすまでよ」
そう云って時をかけることを惜しんだ。
「黄河まで先導致します。呂布将軍、渡河する先は東郡かそれとも陳留郡か、いかが致しましょうや」
田豊の問いに呂布は迷わず、
「白馬の港から陳留へ向かう」
陳留の南には潁川があり、隣郡の汝南には袁術の本陣があった。そのぐらいの情報ならば呂布も押さえていた。
寿春に向かうならば倉亭の港から東郡入りするのが早いが、袁術がいなければ寿春に向かっても揉めるだけである。汝南で直接袁術に会い、詳細を話すのが早いと呂布は決断したのだった。
(この田豊、俺と公路(袁術の字)を戦わすつもりかと思ったが、そうではないらしい。どんなつもりかは知らぬがまあよい。ここは斬らずにおいてやろう)
呂布は心の内でそう考えて出立した。
陳留の太守は張邈である。
かつて反董卓連合の実質的な盟主だった男で、今は兗州牧に成り上がった曹操の指示を仰ぐ身の上であった。
徐州や豫州に曹操自身が攻め入るにあたって、曹操は自らの家族に対して、
「もし俺になにかあったときには、孟卓(張邈の字)を頼るように」
と云い聞かせていたというからよほど信頼していたのであろう。
呂布の軍、このとき薛蘭の兵合わせて一万五千。
陳留を守る張邈の兵、二万。
両者の対陣はやがて兗州の大事件に発展していくこととなる。
徐州の新しい牧、張飛。
果たしてその狙いは。
乞うご期待。




