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第27回 献帝の救出作戦(興平元年・194年)

荀彧ついに曹操に仕えることを決断します。

耀も謎の少女、白と共に長安を目指します。

第27回 献帝の救出作戦(興平元年・194年)



 三人の男たちが西の空を眺めている。

 ひとりは甲冑に身を固めた屈強な武者。ひとりは軽装で旅人姿。最後のひとりは小柄ながら最も激しい覇気を放って中心に立っている。それぞれの表情には己の信念を貫かんとする断固とした決意なようなものがうかがえた。


 「ハハハ、徐州じょしゅうの戦は兵糧切れで一時撤退か。さすがにすべてが孟徳もうとくの思い通りには運ぶわけではないな」

武者姿の男がそう云って笑った。嘲笑の響きは無い。むしろホッとしている感があった。ここまであまりに上手く事が運び過ぎていることに一抹の不安を覚えているからである。


 好事魔多し……吉兆も過ぎると大凶を招く。


 孟徳と呼ばれた小柄な男は異も介さず空を眺めている。

 この男が率いる軍の別隊が東の徐州を攻めた。名目上は男の父親を殺された仇討あだうちであるが、背景はそんな簡単に割り切れる問題ではない。

 事前に準備してきた埋伏と奇襲攻撃により怒涛の如く攻め入ったのだが、肝心の敵の本拠地手前で兵糧切れになって撤退を余儀なくされた。兵糧さえあれば州都の下邳かひを落とし、州牧である陶謙とうけんから州統治の実権を奪取することができていただろう。


 しかし、この男、曹操そうそう孟徳の表情からは口惜しさは微塵も感じられなかった。笑いかけながらも武者姿の男はそのことでまた疑念を感じるのであった。


 「曹操様、わざと負けられましたな」

軽装姿の男が擦れる声でそう云った。武者姿の男が眉をひそめて、

「何?わざと負けるとはどういうことじゃ。食料の潤沢な徐州を手に入れるのは我が軍にとって急務。戦を長引かせるような猶予はあるまい。荀彧じゅんいく殿といったか、お主少し情勢が見えてないのではないか」

夏候惇かこうとん様、確かに徐州を支配下とすることができれば兵糧の問題は解決できます。しかし、腹が満たされても虎は倒せませんよ」

「虎、だと」

「ええ。徐州を手にすることは虎を起すことと同義」

「虎を起こす……お主よもや徐州の助っ人の劉備りゅうびとやらを恐れているのではあるまいな。確かに俌陽ふようの戦いでは殿しんがりとしてなかなかの働きだったそうだが……」

「いえ、虎とは劉備のことではありません。冀州きしゅう様のことですよ」

「冀州……冀州の牧、袁紹えんしょうのことか」

「はい。確かに今は曹操様と冀州様は同盟を結んだ同志。しかしそれは冀州様が中原の群雄たちへの盾として曹操様を利用しているだけです。……これは失礼、言葉が過ぎました」


 「構わぬ。面白い。続けろ文若ぶんじゃく(荀彧の字)」

曹操は顔色ひとつ変えずにそう云った。

 それを確認して、荀彧は謝罪として口にした言葉ほど悪びれた様子もなく淡々と話を続ける。

「曹操様が兗州えんしゅう牧として君臨するだけであれば冀州様もそれほど脅威には感じません。しかしそれが豫州よしゅうを従え、徐州を降したとなれば話は別。背後から襲いかかり後顧の憂い断とうするのは明白です」

「ウム……確かに袁紹は信用に値せぬ男ではあるが……」

夏候惇がそう呟いて唸る。


 「ですから曹操様は豫州を獲るために徐州に兵を入れ牽制し、このまま豫州を治めるために徐州の征服を今は思いとどまったのです。もともと豫州は、冀州様との盟約のなかで曹操様に割譲されることになっていたもの。冀州様もここまでは納得されます」


 袁紹と敵対する最大勢力、公孫瓚こうそんさんの旗下で最も戦上手と言われた公孫越こうそんえつを討ち取る見返りに、曹操は豫州も支配下に加えることを袁紹から許されていた。

 豫州自体が野盗や流民に荒らされ、当時王者として君臨していた董卓とうたく軍に蹂躙されて、住民の多くは他州に亡命していた。田畑も荒廃し、税収など期待できぬほどの有様だったので袁紹も気兼ねなく許可したという経緯もある。


豫州ここを手に入れるために徐州の兵を退かせたのか……」

夏候惇はつぶやくようにそう云った。

 夏候惇は曹操軍の武将の筆頭格で、今回、豫州の中心地である潁川えいせんの太守を任されている。戦の際は命を捨てて突撃するような激情家であるが、普段は冷静沈着で視野も広く人徳も厚いので兵をよくまとめた。曹操からも兵たちからも最も信頼を得ている将と言っても過言ではない。


 「だが、こんな郡ひとつ手にしたからなんだというのだ。隣郡の汝南じょなんには袁術えんじゅつの正規軍がひしめいている。長安ちょうあん李傕りかくとて潁川を奪われて黙ってはいまい。これこそまさに飛んで火にいる夏の虫。ひと思いに徐州全域を獲ってしまったほうが戦力を集中できる」

「今一番警戒するのは冀州様。これまで戦力を温存させています。疲弊している曹操様の軍勢では今は勝ち目がありません」

「ではいつまで待っていればよいと云うのじゃ。袁紹の顔色を窺っていたのでは徐州は獲れぬではないか」

「冀州様はいよいよ公孫瓚との雌雄を決します。徐州を奪うはまさにこの時。例え公孫瓚を討ち滅ぼそうとも、冀州様が公孫瓚にとってかわって幽州ゆうしゅう全域を完全に征服するまでには時がかかります。その時が曹操様にとっても自領を広げる好機」


 荀彧はそう話してチラリと曹操を見た。

 曹操は不敵な眼光で荀彧を見返してくる。


 荀彧には確信があった。

 曹操の描く筋書きが荀彧には読めている。緩急というべきか、呼吸というべきか、曹操は己のときを計るすべに異常に長けている。荀彧も自分が人並み以上にその嗅覚に優れていると自負しているので、自然と見通しが曹操と重なるのであった。


 「ところで、曹操様、お話の件ですが、信用してもよろしいのでしょうか」

ここに至って荀彧は険しい表情となって曹操に対峙した。曹操は空を見つめて。

「ああ」

と一言だけ返した。

 荀彧にとってこの話は命と志をかけた一大事となる。極めて慎重になってしかるべきだった。

「天子様(皇帝)をこの潁川または隣郡のきょにお迎えになる……。可能ですか、とは敢えて尋ねません。曹操様のことです。用意周到にその機会を待っていることでしょう。私が尋ねたいのは、天子様をいかように遇するおつもりか、という一点です」


 先を見越して曹操は宮廷に数名の臣を埋伏している。

 曹操以外誰も知らない事実だ。敵を騙すにはまずは味方から。それは袁紹の陣営にも袁術の陣営にも同じことが言えた。

 「埋伏の毒」を仕込んでいる。

 時をかけて主の信頼を得、最も効果を発揮できる時にこちら側に寝返る。敵が気が付いたときには全身に毒が回っているのだ。


 荀彧の話を聞いて夏候惇が驚いた顔で、

「なんだと、帝をここにお連れする気か。正気の沙汰とは思えぬぞ。八方が敵に囲まれているうえに帝が住む長安までどれほどの距離があるのかわかっているのか」

すると曹操は夏候惇に、

「長安など攻め入らずとも帝はお救いできる。」

「孟徳、お主が帝をお救いになってここに遷都させるのか。」

「そうだ。そして俺が天下を鎮める。」

「ハハハ……袁紹を一足飛びで、いきなり天下を獲る気か。」

「天下など獲るも獲らぬもないぞ元譲げんじょう(夏候惇の字)。俺はただ無能な人間の下でこそこそと生きていたくないだけだ」

そう答えて曹操は笑った。

 曹操は滅多に人前では笑わない。笑うとしてもよほど信頼している人間の前だけだ。笑うと赤ん坊のような無邪気な表情になる。遠縁の夏候惇にとって年下の曹操が愛おしくなる瞬間でもあった。


 「曹操様、お約束いただけますか」

「何をだ文若」

「天子様はこの中華の象徴。皆の志を結集するしるしです。まつりごとは時の権力者が代行して行えばいい。私はそう考えます。天子様は権力とは別な永遠不変なる存在。何人もその権威を侵すことは成りません。私がお約束させていただきたいのは、たとえいかなる力を得ようとも皇位を禅譲させるようなことは無いということだけでございます。つまり曹操様は決して皇帝にはならない。そのお約束をここでしていただきたい」


 「皇帝……」


 夏候惇があまりに飛躍しすぎた話についていけずにいた。

 一群雄としても明日をも知れぬ身の上、これからも滅亡の危機がいくつ訪れるかもしれぬのに、皇帝の座に就くなど思いもよらぬ話であった。


 「約束しよう。俺は皇位などに興味はない。お前が生きて俺に仕える限り皇帝の座など望まぬ」

「私が生きている限り……」

「そうだ。だから俺よりも長生きをし、この国の再興に尽力せよ文若」


 荀彧が涙を流して膝をついた。


 ついに己の全身全霊をかけて使えるべき主に巡り合ったという感動に包まれている。


 「曹操様、私の命をお使いください。曹操様が天子様を敬う限り、この荀彧、力の限りお仕え致します」


 こうして曹操の帝奪還作戦が始まるのであった。



 曹操が献帝けんてい救出を画策している頃、それとは別に救出作戦を実行に移している勢力があった。

 西の雄、馬騰ばとう韓遂かんすいである。雍州ようしゅうの境で、李傕軍の将である樊調はんちょうと小競り合いを続けながら、密かに精鋭八名を都に送り込んでいた。


 長安に幽閉されている献帝救出の任を受けて西涼せいりょうを発した八名は、馬騰の長子である馬超ばちょう、三男の馬鉄ばてつ、馬超の右腕である龐徳ほうとく、涼州きっての軍閥楊家の次子である楊秋ようしゅう、韓遂の腹心である成公英せいこうえい、異民族であるきょう族の王族である成宜せいぎ、の六名と、長安から流れ着いた少年・少女の二人である。


 少年の方は以前の記憶を失っており、名前すら不明であったが、長安に潜む同志の情報から「耀よう」という名だけ判明した。姓は未だにわからない。

 剣をよく使い、長安の地理に詳しいだろうということで選出された。しかし地理に関しては記憶が戻らぬ限り使い物にならない。


 少女は記憶を失っていないのだが、頑として口を開かない。西涼の馬騰勢に捕らえられて半年以上経過しているのだが、未だに一言も口を開かなかった。

 長安の同志の情報からこちらも「はく」という名だけがわかった。武器を扱うことなどできそうもないが、とにかく耀の傍から離れないのだ。耀も白を厚遇すれば素直に命令に従う。耀に云うことをきかすため、やむを得ず連れてきただけであった。


 八名は長安に潜む魯粛ろしゅくという同志の援助を受けながら、城に潜入し献帝を救う予定である。同時に州境に馬騰と韓遂が攻め寄せて陽動する動きになっていたし、宮中でも暴動を起こして献帝の脱走を手助けする働きが画策されていた。

 本来であれば寿春じゅしゅんに居を構える左将軍の袁術の軍勢も東から攻め込む予定だったのだが、こちらは曹操の思いがけぬ動きに翻弄されている。



 ちなみに、黄河の北では公孫瓚が、敵対する幽州の牧である劉虞りゅうぐを滅ぼし、北方に確固たる勢力を広げていた。


 河北の覇権をかけてついに袁紹と公孫瓚は雌雄を決することとなる。



 こうして初平四年(193年)は幕を下ろし、さらなる激動の興平元年(194年)を迎えることとなった。


陳宮、満を持してついに登場。

こうご期待。

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