第26回 諸葛玄と程普
急成長する曹操に対して袁術はどう出るのか。
第26回 諸葛玄と程普
徐州に攻め込んだ兗州牧、曹操孟徳の軍は八万の軍勢となって、州都である下邳を包囲した。
下邳城内には、病床に就いている州牧の陶謙を始め、一万五千の兵が攻城戦に備えている。
総大将の責務は俌陽の戦いに引き続き陳登が担っていたが、先とは異なりあらゆる事項において客将である劉備に相談し決定するようになっていた。
陳登は己の見通しの甘さから俌陽の敗戦を招いた責任を痛感するとともに、曹操と互角以上の戦いを繰り広げた劉備だけが、徐州を救う頼りの綱だと悟ったのである。
一方、陶謙の同盟軍である揚州寿春の袁術軍は、下邳より南二十里(約10㎞)に陣を構えて今後の作戦を練っていた……。
「紀霊よ、お主どうするつもりなのじゃ」
隻眼の将、橋蕤が総大将である紀霊にそう声をかけた。
「どうするとは、いったい何の話だ」
「とぼけたことを。誰が今宵の肴の相談なんぞするものか。曹操との戦いに決まっておろうが」
「おお、そのことか。それならば今、城内の陶謙殿と挟撃の時期を計っているところだ」
「挟撃じゃと。馬鹿も休み休みおっしゃい。徐州の兵に城を討って出る気概が残っていようか。動けばそれこそ敵の思う壺。この五万の軍勢も罠にかけられお陀仏じゃ。お主にそれがわからぬ道理はあるまい」
云われてて紀霊は目を閉じて呻いた。
曹操の兵は修羅場をくぐり抜けてきた精鋭揃い。同数であっても勝ち目がないのに、こちらの兵は寡兵であった。迂闊に動けば俌陽の地の陳登の二の舞になる。
「しかし俺たちの任務は徐州と協力して曹操を撃退すること。このまま手をこまねいて下邳が落城するのを見ているわけにはいかぬ。敵陣の隙を見て一気に叩くしか手がないのだ」
「石頭のお主のことじゃ、その決断しか思いつかぬであろうな。わしの聞きたいのは誰が攻めるかということじゃ」
「う、うむ。そのことか。そのことであれば……」
「さすがのお主も決めかねているじゃろう。徐州の柱石である于禁が敵方だったわけじゃから、わしらの軍勢にも当然曹操の手の者が埋伏されているはず。今回、校尉として兵を率いることとなった黄蓋殿、韓当殿が、それに当てはまるのではと懸念しておるのじゃろ」
「そ、そうだったかの」
「陳登殿は于禁に先陣を任せてあのざまじゃ。同じ轍は踏めぬとはいえ、後陣を任すのはさらに危険。それこそ挟撃の形に追い込まれる」
「では単独では動かせぬの。俺とお前の兵に組み込むしかあるまい」
「いやいや、あくまで校尉として陣営に招いている以上は一隊を率いるべきじゃ。それをさせぬはあらぬ誤解を招くことになろう」
「誤解か……」
「そうじゃ。敵に通じていると疑えば、そうでなかった場合が大変。こじらせると味方だたものを敵方に走らせる危険性がある」
「しかし、黄蓋殿も韓当殿も孫堅殿の遺臣であり孫家再興を願っているのだぞ、それをふいにするような危険な橋は渡るまい」
「そう信じ込むのは危険極まりない。曹操とてそれぐらいの餌で釣っているはずじゃ。揚州一州を孫策殿に分け与える手はずかもしれぬ」
「ウーン。これでは動きがとれぬ」
「曹操のことじゃ。ここまで計算に入れての于禁の一手じゃったのだろう。どこまでも抜け目のない男よ」
「感心している場合ではないぞ。下邳の城内にも離反するものが出てこよう。下邳が落ちれば徐州はおしまいだ。その前にこの包囲をどうにかせねばならん」
「わしらの頭では無理じゃ」
「無理というて諦める気か」
「そうは云ってはおらぬ。参軍の諸葛玄を呼んではどうじゃ」
橋蕤からその名を出されて紀霊は膝をぽんとひとつ叩いた。出兵の際に主君である袁術から助言を求めるよう云い含められていたことを思いだしたのである。
早速紀霊は軍議室に諸葛玄を呼んだ。
まだ若い。涼やかな表情のなかに強い意志を感じさせる瞳が輝いている。聞くところによると徐州の生まれらしいが、今回の出兵には反対だったようだ。
「なるほど。わかりました」
事情を説明すると諸葛玄は二度しっかりと頷いた。
一度は紀霊の話を聞き終えて、二度目は己のうちで話を反芻してである。
「何も真っ向から挑まなくてもこの包囲を解く方法はございます。黄蓋殿、韓当殿にそれぞれ三千の兵を付けて曹操の糧道を断つのです」
糧道とは補給線のことである。下邳を包囲する兵の糧道は二本あり、一本は遠く兗州の地からの路、もう一本は占領した彭城からであった。もともと兵糧の蓄えに難のあった曹操軍である。そこが急所であるのは間違いない。
「おお。その手があったか。よし早速取り掛かろう」
紀霊は喜色を表しそう叫んだ。三千の兵であれば仮に離反しても痛手ではない。
しかも神出鬼没の動きで糧道を断つには丁度いい数である。一隊を率いるのであれば黄蓋と韓当の自尊心も傷つけずに済む。名案であった。
曹操軍はしばらく包囲を続けていたが、敵地ゆえに地の理が無く、度々補給線を乱され士気が大いに下がった。
やがて、このまま包囲を続けていても不利と悟り、全軍を彭城まで下げたのである。
紀霊は兵の損傷を最小限に抑えながら包囲を解いたことで賞賛を浴びることとなった。
しかし、再び曹操軍が下邳に攻め寄せるのは時間の問題であった。
さて、もう一方の曹操と袁術の激戦地である豫州、潁川。
これまでこの地を支配していた張済の首を獲った曹操軍は潁川の城に籠っていた。
その数六万。
それに対するのは袁術の本隊十万。
潁川と汝南の郡境に陣を張った。
「殿、俌陽が抜かれたようです」
幕舎で寝ていた俺は張勲からそのような報告を受けた。
辺りはまだ寝静まっている。夜が明けるまでには幾分時間がありそうだった。
「程普を呼べ。軍議を開く」
俺は旗本筆頭の陳紀にそう命じた。
他にも主立つ将がいるのだが、まずはこの張勲、程普と相談しておきたかった。
すぐに程普が幕舎を訪れた。身支度を整えており、今起きたようには見えない。俌陽の戦況を俺より早く程普は握っていたのかもしれないと勘付いた。江東の虎の異名を持つ孫堅が一番信頼していた臣である。一筋縄ではいかない。だから今回の戦では本陣付けとした。
「潁川の城にも曹操の埋伏の兵がいたようです。張済は地元の野盗や流民の類にも募兵を呼びかけていたようですが、その中に紛れ込んでいたようですな。流民の一団を率いていた許褚という男が曹操の進軍に合わせて内から城を開け放ったとのこと」
張勲が調べ上げた曹操と張済の戦況を話し始めた。どこからともなく虫の音が聞こえてくる。
「重く用いていたのか?たかが流民の頭を」
「はい。恐ろしく怪力の持ち主で、張済をして、このような偉丈夫は初めて見たと喜んだそうです。軍師である賈詡の忠告を聞かずに近衛兵に取り立て、結果、滅びました。当初は南陽の後詰を待って籠城していたようです。援軍が来てから討って出るつもりだったのでしょう。許褚に裏切られ開門された後も張済は兵を鼓舞して戦ったようですが、最後は曹操軍の弓箭隊の前に串刺しにされて首を討たれました」
「その軍師はいかがした」
「賈詡は残兵と共に張済の妻や子どもを連れて城を抜け出しました」
「女や子ども連れではすぐに追手にかかろう」
「それが賈詡は主君の妻子を囮にして伏兵の計にかけて追撃の兵を撃退したようです。今は荊州の南陽にいます」
南陽には張済の甥の張繍が駐留している。
残兵を吸収したとてしばらくは動けまい。後詰である長安の軍が混乱しているからだ。
地方の制圧などお構いなしで都では李傕派と郭汜派が陰険な権力争いを繰り返している。諌めてきた張済もこれでいなくなり、いよいよ本格的に殺し合いまで発展していくことだろう。
まさに長安を突く絶好の機会であった。
「このまま潁川を攻めて抜けるのか」
こうなると問題はこの潁川に陣取る曹操の軍だ。無傷に近い形で潁川を奪った。俺はその潁川を通過しない限り長安には至れない。曹操がここにきて最大の障壁となっている。
「勝てたとして、こちらの損害も尋常では済みますまい」
つまり残りの兵力では長安は突けぬ、ということである。
それでは意味がない。
曹操などどうでもいいのだ。
長安にいる皇帝を救い出すことが一番の目的である。
西の一大勢力である馬騰、韓遂も時を同じくして長安に迫っている。
長安にいる魯粛の報告では、韓遂は軍勢ではなく少数精鋭で長安を攻めるつもりらしい。意味はよくわからなかったが、長安に隙ができるは確かだった。
李傕、郭汜の争いでただでさえ隙が多い。曹操さえどうにかなれば目標は必ず達成できる。
「徐州の兵を下げれば曹操は通過を許すと思うか」
「いえ。曹操の狙いも帝の奪還。通しておいて背後から襲いかかるのは明白。そうなれば我が軍は壊滅します」
戦って抜くしかない。張勲はそう云いたいのだ。
潁川の太守には曹操軍きっての名将、夏候惇が就いた。
怪力を誇る許褚もいる。
嘘かまことか曹操本人もここにいるという。
(そうなると倍の二十万を率いても勝てぬかもしれない)
ここで敗北すれば、曹操は機と見て寿春に攻め寄せるだろう。
兗州、豫州、徐州、揚州を併せた曹操は長安を落として帝を擁することになる。そうなると挽回の目はなくなる。
俺はここまで急激に大きくなった曹操の勢力に唖然とした。
まさに天下を飲み込まんとする勢いである。
(いや、俺と本初(袁紹の字)が手を握れば、曹操が帝を手にしても対抗はできる)
唯一の打開策を見出してみるのだが、実に夢物語であった。
肉親というよりも仇に近い存在となった本初が俺の味方をするわけがない。
(やはりここで曹操を叩く以外に道はない)
俺はそう決心した。
「曹操を討ち果たす方策がひとつだけございます」
ここまで寡黙を貫いていた程普がそう話し始めた。
「曹操を討ち果たす……そんなことができるのか?」
「はい。三ヶ月、徐州と潁川で曹操軍との戦いを膠着させることができれば」
「膠着。引き延ばせということか。兵糧攻めか。しかし冀州の本初が補給しよう」
「兵糧攻めで曹操の息の根を止めることはできますまい」
「うむ。では長引かせてどうする。援軍の期待はできぬぞ。幽州の公孫瓚は完全に本初に押さえこまれておるからな」
「こちらに曹操を集中させられれば必ず隙ができます」
「隙か……確かに兗州には隙はできよう。しかしあの地も血族の夏侯淵や曹操の朋友である張邈が守っておるゆえ大きな隙にはなるまい」
「周瑜が、ひとつ手を打っております」
「何、周瑜が」
俺は出兵前に会った周瑜の表情を思い出した。周瑜は俺に皇帝となれと進言した。そして孫策を呉王にすると言い切ったのだ。
この程普は孫堅生前の頃から周瑜の才を愛していた。そして孫家の命運をこの若者に託したのである。
(鬼謀の曹操を退けることのできる男は周瑜しかおらぬのかもしれぬ)
俺は程普の話を聞いていてそんな思いに駆られていた。
やがて膠着した潁川の戦場に徐州から驚くべき報が届いた。
陶謙が病を理由に州牧から退いたのである。
後任の州牧の名を見て俺は驚いた。
それが陶謙の指名であった。
州牧の名は「張飛」
素性の卑しい一介の浪人であった。
韓遂が送り込む少数精鋭とは・・・。
馬超、王耀が本格的に動き出します。
こうご期待。




