第25回 俌陽の戦い
徐州、俌陽の地で曹操軍対陶謙軍激突。
決着の行方は・・・。
第25回 俌陽の戦い
「敵陣に曹操はいないようですな」
六万の兵が守る曹操軍の砦を眺めながら関羽がそう話しかけた。
砦の中を動き回る兵の動きを見る限り、統率が隅々までよく行き届いているのがわかる。士気も高い。総大将が長期不在とは到底考えられなかった。
それでなくても曹操軍は目前の陶謙軍八万、袁術軍五万に対して寡兵なのだ。
つまり、曹操の陣営は、劣勢にありながらも兵たちの信頼を得ることができる良将に恵まれているということになる。
「ウーン・・・曹操め、虚勢でも一か八かの賭けでもねえ、勝てる計算しての戦ってことか」
唸りながら歯ぎしりをしているのが関羽の義兄弟、長兄の劉備である。
徐州の牧、陶謙の客将として正規軍八万に随身してきたが、総大将たる陳登は多勢でありながら曹操の奇計を恐れて正面からのぶつかり合いを避けてきたので戦場を傍観しながら時を待つしかなかった。
陳登は「曹操ひとりで十万の兵に匹敵する」という言葉を信じている。だから動けなかった。
しかし蓋を開けてみると、曹操は遠い豫州の地で張済の兵と戦い勝利を得ていたのである。
誑かされた。
確かに劉備にはその悔しさはある。
曹操がいないことを見抜いていれば勝てたのだ。敵を倒す好機を自ら逃した。
しかし、してやられたという敗北感のほうが強かった。
陳登も、病床に就いている陶謙も袁術も劉備もだ。
今回の一件は、戦場での戦いだけでなく、先を見通す戦略において一枚も二枚も曹操は上手だということを証明している。
「陳登殿は、総攻撃を決断されたようですな」
関羽の言葉はやや不満げであった。
当然である。関羽はこれまで総攻めを主張してきたのだ。何を今更、という思いが強かった。
陳登八万、袁術軍五万が同時に攻め寄せる。砦といっても馬止めの柵をいくらか巡らせているぐらいの粗末なものである。防ぎきることは難しい。
「砦を抜いた勢いで兗州まで攻め寄せるつもりとか」
曹操の拠点である。
陳登は、虐殺された徐州の民の仕返しをするつもりなのだろう。
劉備は何も答えず、ただ唸っているだけであった。
本当に勝てるのだろうか。
曹操は確実にこの状況を見通していたはずである。であれば必ず手をうっている。
劉備の心のうちでも疑問と不安が渦巻く。
「益徳(張飛の字)、お前さん出兵前になんかぼやいてたな。お前さんの言っていることが的を得ているとして、さて曹操はどう動く」
劉備はそう云って、一言も発せずに敵陣を見据えている末弟の張飛に言葉をかけた。
張飛は、徐州の彭城が簡単に曹操によって落城したことに違和感を感じていた。
彭城の兵の一部で寝返りがあったのが原因だったが、それだけではないと張飛は思っている。引っかかっている何かの正体はまだ判明していない。その問題が解決しない限り曹操には勝てないだろうと張飛は出兵前に言った。
豫州の潁川の張済も戦上手で名高い男だったが、曹操を前にしてあっさり破れた。
曹操の兵が精強なだけが理由ではないはずだった。何か強力な武器、的中する策を曹操は擁している。
「わからねえ。けど、今攻めるのは危険だ」
張飛は吠えるようにそう答えた。
ここまで動きを止められたのは曹操の意図だ。おそらくここで動くのも曹操の思惑通りであろう。
張飛の懸念をよそに、陳登の兵は動き始めた。
先鋒を三つに分けて曹操の軍に近づく。それぞれ二万の兵。総大将の陳登の軍はその背後にあって指揮を執っている。劉備の五千の騎兵はさらにその後詰といった状況で殿であった。
西から陳登の軍が攻め、南から袁術の軍が同時に攻めた。袁術の軍の総大将は紀霊。
曹操軍は砦に籠って動く様子はない。
「大兄、右翼の様子がおかしいぜ」
張飛がそう云った。
劉備と関羽が、陳登の先陣の右翼に注目する。が、特に動きに不審な点はない。
「益徳、何がおかしい?」
関羽が尋ねる。しいて云えば他の二つの先陣のよりも幾分進軍が遅いぐらいなものだ。
「攻め脚をわざと鈍らせていやがる」
「右翼は于禁殿か。徐州軍にあって、激烈な戦場を知っている数少ない将。陳登殿の信も厚い」
裏切るはずがないと関羽は云っている。
于禁、字は文則。
彼はかつて兗州の鮑信という男の部下だった。鮑信は兗州に攻め寄せた黄巾の賊徒たちと戦い討ち死にしたのだが、この時、于禁は数えきれないほどの武功をあげていた。
そのことがあり陶謙が主君を失った于禁を高禄で召し抱えたという経緯がある。
于禁は涙を流して忠誠を誓い、その後、徐州で乱を起した軍閥の討伐に尽力した。
兵の押し退きが巧みですぐに万の兵を統率する将に抜擢されることとなる。
しかも于禁は、兗州の地で黄巾の賊徒との戦いにおいて、援軍として訪れていた曹操と意見衝突していた。
曹操の身勝手な方針を潔しとせずに斬りかかったとも云われている。
実際、曹操の方針に従った鮑信は直後に敵に討たれたのだ。
于禁としては主君を失い、本来ならば兗州一州の長となった曹操に従うべきだったが、そのような理由があって徐州に流れていた。曹操への敵愾心は人一倍強いものをもっている。
今回の曹操攻めで先陣を任されたのもそのような理由があったからである。
ここで裏切ることなど、関羽でなくとも考えられないことであった。
しかし、張飛の話を聞いた劉備は眉をひそめた。しばらく于禁の兵と曹操の砦を険しい表情で見比べていたが、
「于禁の背後に回りこむぞ」
「本気ですか?下手をすればこちらが敵に通じていると疑われますぞ」
関羽が劉備をそう制した。劉備は笑顔になって、
「これまでも、益徳が臭いと言ったら当たっていたことが多い」
「必ず、ではありませんぞ。外れていたこともあります」
「俺は益徳の鼻を信じる」
「では牽制のため、于禁殿の方角へ陣を幾分移しましょう。陳登殿には伝令役として簡雍を行かせて、その旨を伝えます」
「よし。動くぞ!」
殿の劉備の騎兵五千が動いた。
中軍にある陳登の真横に付いた。その先には右翼として進軍していく于禁の軍がある。
「于禁殿は進む先の曹操の陣のことより、こちらを気にしているようですな」
関羽がそう云うと劉備も頷いた。
明らかに背後に回った劉備の軍を警戒しているのがわかる。
しかし殿役が中軍よりも前に出ようとしているのだ、警戒しても不思議ではない。そうなればむしろ、劉備が曹操に通じていると疑って反転しようとするだろう。
「中央へ寄っていきますな」
予想に反して于禁の軍はよたよたと進路をずらした。
先を進む先陣に近づく。
中央にある張闓の軍の背後に付く形となった。同時にそれは陳登の陣形の右が空くこととなる。
「大兄、右翼だ。すぐにあそこを埋めねば」
そう叫ぶと張飛が愛馬に鞭を入れる。
劉備の指示無しに騎兵が張飛に続いた。
劉備も慌ててその後に続いた。関羽もあきれ顔で追う。
そんな張飛の目前を砂埃をあげて通過していく一団があった。
騎兵約五千。空いた右翼から雪崩れ込んで陳登がいる中軍に突っ込んだ。敵が砦に籠っていると信じてやまない陳登の兵たちは驚愕の表情でその突撃を迎えた。
進撃してきたのは曹操軍の騎兵を統率する曹仁であった。
曹仁の騎兵はもともとこの砦には駐留しておらず、兗州にあって守りを固めていたはずであった。
それが密かに兗州を出兵し、敵に気づかれないよう大きく迂回してこの俌陽に軍を進めていたのだ。
結果として陳登は大敗した。
先陣の張闓の軍は寝返った于禁に背後から攻められ壊滅。張闓は首を奪われた。
左翼の先陣も、砦から撃って出てきた曹洪の軍によって壊滅。
異変をいち早く察知した張飛の機転がなければ中軍の陳登の軍も壊滅し、陳登の首は戦場に晒されていたことであろう。
曹仁の騎兵は張飛の動きに幻惑されて思うような成果をあげることができなかった。
また、于禁の軍も張飛の騎兵の圧力を感じて陳登の軍に攻め寄せることができなかったのである。
張飛が騎兵を巧みに操り、その背後を守ることで、陳登の軍は命からがら下邳に退却することができた。
倒れ込むようにして陳登の軍が下邳に辿り着いたときには、八万いた兵が二万まで減っていた。
袁術の軍も同盟軍の信じられないような崩壊ぶりを目の前にして攻め手がとれず、守りを固めながら一端退却を余儀なくされたのである。
こうして膠着していた俌陽の戦いの決着はついた。
後に判明したことであるが、于禁は初めから曹操と気脈を通じていた。
意見の衝突や斬りかかったという話は陶謙軍を欺くために作られたものであり、その実、于禁は兗州を賊徒の手から救おうと死力を尽くす曹操に心服していたのであった。
また、謀って賊徒を兗州に向かわせた陶謙を憎んでいた。
陶謙はそのことに気が付かず、獅子身中の虫を自ら招いたことになる。
そして于禁は陶謙の信を得るまで必死に武功を積み上げてきたのだ。
曹操と于禁による策は見事にはまり、徐州の陶謙は反撃する力を失い、もはや風前の灯火となったのである。
于禁と曹仁を先頭にした曹操軍八万はやがて下邳に迫った。
徐州で連合していた多くの豪族は陶謙を見限った。
城に籠るのは陶謙や陳登、劉備を含めて兵一万五千あまり。
援軍の袁術軍に希望を繋いで籠城するより策はなかった。
やがて陶謙は徐州牧の大任を信じられない相手に譲ることとなる・・・。
果たして誰が徐州牧となるのか・・・。
先を見据えて内応する者を送り込む曹操の策謀が、様々な人たちを陣営に迎えてきた袁術軍に大きな動揺を与えます。
次回、袁術軍の葛藤、こうご期待。




