第24回 袁術と周瑜の問答
漢に代わるは当途高なり。
第24回 袁術と周瑜の問答
徐州・俌陽の地で曹操軍と陶謙袁術連合軍が対峙して一月あまりが過ぎていた。
ここまで疾風迅雷の進撃だった曹操軍は、倍以上の兵力を前にして動きを止め、守りの陣を構えた。
陶謙軍を率いる陳登も敵を圧倒する兵力を持ちながら、曹操の奇策を警戒して不用意には動けずにいる。
俌陽の戦いは大方の予想に反して、長期戦の様相を呈していた。
揚州・寿春、袁術の館
俺は潁川出兵に先立ち、念には念を入れて、寿春の南、盧江を攻める孫策の現状を聞くべく、その右腕ともいうべき周瑜を呼び戻した。
「孫策には珍しく自重気味のようだが・・・」
「袁将軍から与えていただいた兵力では力攻めでの落城は難しくございます。城の包囲を固め兵糧の供給を断てば、陸康殿とて降伏するより道はございません」
俺が孫策に授けた兵数への抗議を含んだ返答であった。千の兵で一国の城を落とすなど無理難題に等しい。暗に討ち死にしてこいと命じられているようなものだ。
周瑜の怒りも最もである。しかし孫策は事前に兵力増強の準備をしていた。周辺の若者たちに声をかけ、時には腕っぷしの強さで服従させて仲間の輪を広げていた。だから千しか与えなかったのだ。
「城内の兵糧が尽きるまでどのくらいの時が必要だ?」
二年。
盧江に放っている密偵の報告を集約するとこの辺りが妥当な数字だった。果たして孫策はどう考えているのか。いや、どう返答するのかで奴の思惑がだいたい見当付く。
「一年ももちますまい。」
周瑜は口元に幾分かの微笑を浮かべながらはっきりとそう答えた。
(ほう。二年分の兵糧が蓄えられていることを知りながら一年と答えたか。)
「一年で落とす確かな自信があるのか?」
「はい。籠城は最上の守備陣形なれど、援軍あっての策にございます。後詰の期待できない陸康殿の籠城は単なる時間稼ぎにすぎません。城内の兵糧の前に兵の士気が尽きましょう」
「曲阿の劉繇が援軍を繰り出してこよう。そうなれば城の包囲は崩れ、兵糧も運び込まれることになる。挟撃にあって孫策は破れるかもしれぬぞ」
俺は探りを入れるべく、万が一にも起こらないであろう事態を想定してみた。
「劉繇殿が長江を渡ってくることはありません。それは袁将軍も御存じなはず。劉繇殿は釣りだされて叩かれることを極端に恐れています。盧江は食いつく餌。このような少数で城攻めするなど罠以外他に考えられません。必ず何か策があると考えるはずです。陸康殿と袁将軍があらかじめ結んでいて謀っていると劉繇殿の目には映っているかもしれません。もちろんこれが万を超える軍勢で押しかけていれば話は別であったでしょうが・・・」
さすがに周家の麒麟児と呼ばれているだけのことはあって、情勢も先も良く見えている。
劉繇を拠点に釘付けにするにはこの兵数でなければならないのだ。
今すぐ劉繇を叩き潰す必要などない。動きを封じておけば充分であった。周瑜がここまで把握しているのであれば、主君の孫策が道を誤ることもないだろう。
ここまで聞ければ充分であったが、周瑜の返答がこちらの予想以上に的確であったので、ついつい別件にまで話題が及んでしまった。
「周瑜よ、俺は潁川を攻めるぞ」
「承知致しました」
そう答えた表情には驚きは見て取れない。思惑通りといったところだろうか。
「潁川の次は南陽だ。そして長安を獲る。」
長安は都だ。そこには李傕らに囚われた第十四代皇帝がいる。
周瑜の顔色は変わらない。
予想通りならば答えることができるだろう。俺は話を続けた。
「周瑜よ、お前ならばどうやって長安を落とす?」
今の袁術軍で落とせるか、とは聞かなかった。今必要なのは落とす手段だ。
「長安を押さえる李傕と郭汜は武勇に優れていますが欲深く猜疑心の塊と聞きます。まずはここに調略の手を入れます」
周瑜は淀みなく話した。おそらく何度も頭の中で組み立ててきた戦略であろう。そしてそこから孫策の生きる道を探す。十七歳の若造とは思えぬ思慮深さだ。俺は横やりを入れずに周瑜の話に聞き入ることにした。
「西方の馬騰、韓遂と連携すれば、長安に東西から圧力をかけられます。この時点で郭汜は李傕を離反し、こちらの味方になっているはずです。労せず長安は落とせます」
どうやら俺が西と結んでいることを知っているようだ。
確かに長安に配している魯粛を介して韓遂とは話がついている。 つまり周瑜の話は実現可能な話であった。現実味がある。
だが多くの障害を無視している。わかっていて無視しているのは、そうすることが孫策にとって有利だからであろう。
「他人の成功を妬むものがどこにでもいる」
袁紹は必ず邪魔をしてくる。単純な妨害工作はおろか、こちらの領土にも直接攻め入る姿勢だ。
傀儡と化した皇帝を手に入れても、国の実権を握るのは強大な軍事力を持つ者だと決め込んでいる節すらある。
俺が長安に攻め入り寿春を空にしたら確実に攻め込んでくる。
先陣を切らすのは孫策あたりだろう。
孫家の家督と揚州一帯を餌にして孫策を裏切らせる。
曹操も北から寄せてくる。
そうなれば長安を手に入れても俺は途端に潰される。そこまで周瑜は読んでいる。そしてそうすることが孫策の生き残る唯一の道だと確信していることだろう。
「孫策は袁将軍の治世を心から望んでおります。邪魔立てする者は決して許しませぬ」
俺の腹のうちを読み取って周瑜は即座にそう答えた。
綺麗ごとだ。
信じる者など誰もいない。
他人の言葉を鵜呑みにする奴に政治家など務まらぬ。真の政治家は、言葉ではなく互いの利益を測りにかけ、将来を決断するのだ。なぜなら人の追い求めるのは<欲>だからである。それさえ押さえておけば大怪我は絶対にしない。後はそれらを巧妙に覆い隠す綺麗ごとだ。これで大衆は納得する。
「孫策は盧江一郡の太守ごときの器ではない。そのことは俺が一番よくわかっている。長安を押さえた暁には俺は丞相の位に就く。孫策には揚州を与えよう」
周瑜の顔色が一瞬だが変わった。
揚州という言葉よりも丞相という言葉に反応したのだろう。かつて董卓が僭称した位だ。相国と呼ばせていた。非公認の官位である。三公よりも権威も権力も上だ。全ての実権を握り、皇帝と何ら変わらない。
「ありがたきお言葉。しかと孫策に伝えまする」
孫策はこの周瑜が付いている限り劉繇ごときに後れはとらないだろう。今回の面会ではっきりとわかったことだ。
そして孫策と周瑜は数年後には曲阿を奪い長江以南に覇を唱える勢力になる。そうなる前に潰す算段だが、万が一ということもあった。その時のための念押しである。州牧に返り咲くことは孫家再興を意味する。またとない話なのだ。
「袁将軍、最後にひとつだけお願いの儀がございます」
「申してみよ」
「袁将軍が丞相の任におつきになった際には、この揚州に国を創ることをお許しいただきたい」
「何?国だと?」
国を建設するとういうことは「王」となることを意味している。
その王たちをまとめるのが皇帝であるが、王となることを許されているのは漢国建国の功績のあった者だけである。このご時世に王などなれようはずがない。
ここに至って俺は初めて周瑜の言葉に驚かされた。
「呉王。揚州と荊州南部をまとめた国でございます」
揚州一州など始めから望んではいないということだった。
この場で斬り捨てられても文句の言えないほどの口上である。
なぜそんな無理難題を言い出すのか。さすがに丞相であってもそれは叶わぬ。可能なのは皇帝ぐらいなものである。
(皇帝ぐらいなもの・・・)
ハッとして周瑜を見た。周瑜の額から一筋の汗が滴り落ちた。
(こやつ、俺に皇帝となれと云っているのか)
そうなれば建国の大功で孫策は王となれる。
「讖緯に曰く、漢に代わるは当途高なり。この国の途を示すのは、術と路を持つ袁術公路様より他にはおりません」
「周瑜よ、讖緯などを用いて、俺に国を簒奪した王莽の途を辿れと申すか」
「讖緯は天意でございます。ここまで国が乱れたのは漢帝の権威が隅々まで届かなくなったのが原因。辺境の国々は新帝に忠誠を誓う王を立ててこれを治め、威光を広く及ばせるが再興への途でございます。王莽がごとき盗人とは志が違います。国を、民を思えばこその新しい建国。それができるのは袁術様ただおひとり」
周瑜が吼えるようにそう言い放った。
空気が震えた。
俺の右腕に鳥肌がたつ。
「確か、お前と孫策は義兄弟の仲だそうだな。義兄弟のためにそこまでできるのか。反逆罪でここで斬り殺されても文句は云えないのだぞ」
云いながら脳裏に呂布の姿が浮かんだ。血の繋がった袁紹よりも朋友の呂布の方がはるかに信頼できる。だが己の命をかけてまで尽くせるのだろうか。
「孫策のためではございません」
「では何のためだ。お前の立身出世のためか」
「一個人の将来などどうでもよいのです」
「では何のためだ」
「志です」
「志・・・」
「孫堅様の志でもあり、孫家家臣たちの志でもあります。長江以南に住むものたちすべての夢でもあります」
「夢・・・」
「そのためならば我らは粉骨砕身、袁術様にお仕え致します」
逆に言えば、それが叶わぬのならば反乱を起こすという脅しともとれる。
「国など創って何とする。何が変わるのだ」
聞かずにはいられなかった。
「我らは自由を手に入れたいのです。中央の言いなりになるわけでも、搾取されるわけでもなく、自分たちの国のために生きたいのです」
綺麗ごとだ。
そう判断するしか理解のできぬ話である。
国を創り一部の権力者がより大きな力を得る。そのための詭弁。やがて他国を侵略し始める。欲望は果てしなく続くことだろう。
「呉王・・・」
氏素性の確かでもない孫家が王となろうとしている事実に驚愕した。
であれば袁家嫡流の自分が皇帝となることもあり得る話ではある。いや、俺が皇帝を僭称したところで誰が従うというのか。結局は武力をもって諸国を斬り従えるほか無い。であれば帝を抱えて政を独占したほうがはるかに効率的であった。
それを見越したのか、
「曹操が潁川に攻め込んだとか。曹操は独力で長安を落とすつもりです。」
周瑜は瞬きもせずにそう答えた。当然ながら俺にもその報告は届いている。わずか六万の兵で進軍しているようだった。潁川には張済率いる精鋭が十万。到底勝てる見込みは無い。
(・・・曹操が皇帝となろうとしているというのか。馬鹿な。たかが宦官の血筋だぞ。それこそ誰も付き従わぬ)
曹操が無暗に戦を仕掛けるのはなぜか、俺にはわかる。
袁紹の存在が曹操を焦らせているのだ。
袁紹は冀州にあって勢力を増してきている。やがて公孫瓚を滅ぼし河北は統一されるだろう。そうなれば曹操は袁紹の腰巾着の座から生涯抜け出せなくなる。
曹操は袁紹が河北を制するまでに大きくならねばならないのだ。だから無謀な戦に走る。そしていずれは破綻する。こちらまでそれに合わせる必要などない。袁紹同様にじっくり腰を据えて取り組めばよいのだ。
西(韓遂)の操縦はできる。南も北も戦線は膠着し数年の時を要するだろう。唯一開いている道は長安への道のりのみ。今が天下を制する好機。
「よかろう。その望み、俺が叶えてやろう」
長安を獲るまでは、曹操を潰すまでは孫策は繋いでおかねばならない。それも数年の話だ。
この寿春に帝を迎える。ここは政治の中心となる。その時には孫策はいない。周瑜もいないだろう。
孫家は孫権が家督を継ぎ、長江以南の揚州を治める。
徐州の陶家、幽州の公孫家で挟撃し袁紹を滅ぼす。仮に俺が皇帝となるのであればその後だ。
「お約束、確かに承りました」
周瑜はそう答えた。俺と同じ事を想像しているはずだ。それでも周瑜は謝辞を述べて終わりとした。
このやり取りに一体どんな意味があるというのか。所詮は口約束に過ぎない。
盧江に向けて寿春を発つときの周瑜の表情は充実感に満ちていた。
俺は十万の兵を率いて潁川を目指した。
曹操軍六万はすでに潁川の張済と戦になっている。
勝ったほうと戦えばいい。傷付いた相手を潰すのに時はかからないだろう。そんな思いで進軍は急がなかった。
予想に反して十日で潁川は落ちた。
張済の首は晒された。
曹操の遠縁にあたる夏候惇という男が潁川の太守に任ぜられた。
張済の敗残の兵は隣郡の南陽へ撤退し、張済の甥の張繍の軍に吸収されたという。
汝南の地でその報を聞いた俺は進軍を止めざるをえなくなった。
曹操の本陣は潁川だったという。
徐州攻めは背後を突かれまいとする精一杯の攪乱だった。始めから曹操は潁川しか狙っていなかったのだ。
張済もそう思って迎撃したのであろう。
そして破れた。
籠城していればこうも早く決着はついていなかったはずである。六万が相手であれば野戦で倒せる。騎兵が主力の張済ならばそう決断する。間違ってはいない。曹操の強さが異常なのだ。
なぜこうも速く敵を壊滅させられるのか。徐州の彭城の戦でもいとも簡単に落城せしめた。
曹操の戦さは神がかっている。
誰もがそう信じ始めている。
しかし潁川を抜かぬ限り長安には届かない。俺は曹操と正面から戦わざるをえないのだ。
こうして袁術軍と曹操軍は二点同時戦争に至るのであった。
毒虫、毒蛇の殺し合い。
ついに蓋は閉められ・・・・
生き残るは果たして。
乞うご期待。




