第22回 飛将 始動
ついに呂布が東国の地で動き出します。
目指すは冀州常山の黒山党。
第22回 飛将 始動
長安の都より東方を数ヶ月彷徨った末、呂布はようやく娘の所在を示す有力な情報を手に入れた。
冀州の常山に巣食う賊徒、黒山党に捕らえられているというものであった。
情報を入手してきたのは、呂布軍が洛陽に駐留している際に董卓からその撃破を命じられた中郎将の李粛である。
彼は二千の兵とともに呂布の娘を人質として連れて、洛陽で呂布軍と向き合う徐栄の後詰として長安を出兵した。娘を使って呂布を降す予定であったが、洛陽に到着する前に賊徒の群れに襲撃されて、兵が壊滅したのだった。
李粛は一命を取りとめたが、肝心の人質を奪われた。もともと李粛は革命派である王允や呂布と志を同じくしていたので娘を利用するつもりはない。呂布に引き渡す予定だったのである。
李粛はその責任を感じて方々に斥候を放って呂布の娘の行方を調べていた。
襲撃してきた賊徒は寄せ集めの野盗の類ではない。李粛も董卓の軍にあって諸将に劣らぬ武勇を誇っていたのだ。率いていた兵は二千とはいえ精鋭揃い。一万の賊徒であっても撃ち破る自信があった。だがこの時、襲ってきたのは三千の賊徒である。巧妙な用兵を用いて攪乱されて気が付いたら陣は崩れていた。統率していた将もさることながら兵たちも恐ろしく訓練されていたのだ。
常山の黒山党。黄巾の乱の発生時に同じく挙兵した賊徒の群れで、戦上手の飛燕という男が党主として君臨している。組織の末端まで含めるとその数百万。北の雄である公孫瓚と結び、冀州の牧である袁紹と縄張り争いを繰り返しているほどの勢力であった。賊徒の集団というよりもこうなれば割拠する軍閥に近い存在である。
襲ってきた賊徒は黒山党であり、呂布の娘は常山に捕らえられているという確証を斥候から得た李粛は絶望した。二十万を超える兵を養っている袁紹ですら手こずっている相手なのだから、たかが五千の騎兵を率いる呂布に勝ち目はないからである。
「もはや俺には兵を率いる資格はない」
呂布は潔くそう云った。娘探しに全勢力を傾け、志を捨てたのだ。五千の兵を養う補給すらままならず、放浪を続けている。堅気の民にこそ手を出してはいないが、野盗が籠る砦を襲ってはその日を過ごす食料を得ていた。賊徒の群れと何ら変わりがない。
「俺ひとりで常山へ向かおう。兵は高順に任せる。この騎兵とともに仕官すればそれなりの待遇で迎えてくれるだろう」
しかし呂布の意向に従う者は誰ひとりいなかった。天下最強の将に率いられ、天下最強の騎馬隊を自負している兵たちなのだ。今更軍閥の傭兵などに身をやつすつもりはない。最強の称号と誇りを胸に最後まで呂布に従う覚悟である。
それを察して呂布は強要することをやめた。付いて来たいものを拒むつもりもない。
五千の騎兵は冀州の常山を目指した。
冀州に入ると袁紹の兵たちが出迎えた。先に伝令を送っていたので呂布の目的を袁紹は知っている。過去には命をかけて戦った間柄であるが、昨日の敵は今日の友。今は共通の敵に向かおうとしているのだから袁紹も呂布を歓迎した。
「袁紹め。顔を出しませんな」
旗本頭、成廉が呂布にぴったり寄り添いながらそう進言した。呂布の兵は誰ひとり袁紹など信用してはいない。袁紹はだまし討ちや暗殺などを得意にしているからだ。
「あの臆病者に我らの前に現れる性根などございますまい。どこぞの家屋の影に隠れてこちらの様子を窺っていることでしょう」
千人長の郝萌がそう云って笑った。
呂布を迎えたのは袁紹の幕僚である田豊という男だった。冴えない表情をしているが目つきは鋭い。こういう男は目的達成のためならばどんな手段でも使う。呂布はそう思った。
田豊は簡潔に挨拶を済ますと常山まで案内すると申し出た。
常山は冀州の州都であるこの鄴よりかなり北にある。并州の境に位置していた。
并州は呂布の生まれた地だ。土地勘は田豊より遥かに優れている自信があった。そう答えたが田豊は何食わぬ顔で先導する。袁紹軍の兵は三千ほど。動きを見れば強さがわかるが、呂布の見たところ弱兵であった。その気になれば一瞬で皆殺しにできるだろう。
田豊の思惑の見当がつかぬまま呂布はその後を追うように常山へ進めるのであった。
「呂布将軍は常山をご存じで」
行軍は数日に及んでいた。その間の兵糧は袁紹軍が供給してくれたので、野盗の砦探しはせずに済んだ。田豊が呂布に話かけてきたのはただ一度、この一言だけであった。
「実際に足を踏み入れるのは今回が初めてだ。ただ・・・」
と云いかけて呂布は口をつぐんだ。朋友が住んでいたと云おうとしたのである。話しても意味のないことだと呂布は続けなかった。
袁術と共に洛陽の都で好き勝手やっていた時代につるんでいた趙囿という男が、この常山の生まれで、やがて洛陽からこの地に戻った。
以来、顔を合わせることはなかったが、運命のいたずらでその娘と戦場で合いまみれることとなる。娘の名前は趙雲といった。呂布が餞別に渡した点鋼槍を愛用していて気が付いた。二十歳に届かぬ年頃であったが、腕前は父親をすでに超えていた。
呂布は話を止めたが田豊は心を読めるのか、じっと呂布の表情を見つめていたかと思うと何度か頷いた。その仕草を見て、呂布の中で殺気のようなものが芽生えた。飛燕を斬った後に殺してやろうと心に決めた。
常山の郡境に入った途端に襲撃を受けた。
進軍の動向をかなり前から押さえていた様子で、陣形を組み、待ち伏せをしていた。数は一万ほどである。すべて歩兵であった。田豊の兵三千を後ろに下がらせた。下手に動き回られると邪魔になる。
「呂布殿、私に先鋒を任せて下さい」
李粛がそう願い出た。率いているのはわずか二百。武功をあげるのに焦っているわけではない。呂布の娘を奪われた責任を感じての直訴である。
呂布が黙って頷いた。
二百の騎兵が飛び出す。
敵陣は動かない。
呂布は隙を探した。今は見えないが、陣が動けば必ず見える。
二百が一万の陣の真っ向に突撃した。敵陣がふたつに割れたが、すぐに閉じた。よく組織されている陣だ。呂布は感心した。
「呂布様。李粛様を見殺しにはできません。出ます」
郭萌が燃え上がる気迫を押し殺しながらそう進言した。
周囲を見ると魏続や宗憲もしびれをきらせているのがわかった。
冷静に敵陣の動きを眺めているのは高順と張遼ぐらいである。が、隙は見いだせていないようだった。隙を見つけるためにはもっと強く揺さぶる必要がある。
呂布が右手をあげて斜めに振った。
魏続と宗憲の兵が駆ける。千五百の兵が敵陣の右を突こうと迂回していく。陣にやや隙間ができた。途端に呂布が左手をあげて前に振った。郭萌と張遼の兵が猛然と突っ込む。こちらも千五百の兵だ。一気に敵陣の隙間を駆け抜ける。完全に陣が両断された。
呂布が動く。
巨大な赤兎馬が咆哮するとそれだけで敵陣が震えた。
陣の核の固まりが見えた。一騎駆けでそこを突く。成廉ら旗本が続いた。
動揺した陣の右側に尚も回り込んで魏続と宗憲が攻撃を加える。郭萌と張遼が舞い戻ってさらに敵陣を両断した。このときすでに逃げ出す兵も現れた。
呂布が愛用の方天画戟を左右に振るうとその度に敵兵の首が宙に舞う。嵐のような斬り込みであった。敵陣の旗本たちが瞬く間に呂布に討たれて屍を晒した。 敵の総大将らしき大柄の男が見えた。男が名乗りをあげている暇に呂布は一撃を繰り出した。顔面を割られて地面に転がった。
後は、なし崩しである。逃げる兵を追って三千の首をあげた。五里ほど追撃すると戻って陣を組んだ。先鋒の李粛も瀕死の重傷を負っていたが生きていた。
田豊が薄笑いを浮かべながら呂布の眼前に現れ、
「天下最強の騎馬隊。さすがでございます。これでは百万の黒山党といえども堪えることはできますまい」
驚いた表情はしていなかった。むしろ予想通りだったとほくそ笑んでいる。これならば使えると合格点を与えてきたかのようだった。
呂布は別に黒山党を滅ぼしに来たわけではない。娘を解放するのであれば戦をする必要はないのだ。袁紹とすれば邪魔者を消してほしいのだろうが・・・。
そんな心の内を察したのか、また田豊が頷いた。そして一言、
「寿春でこそ呂布将軍のお力は充分に発揮されると確信致しました」
「何、寿春?」
思わぬ一言に呂布が驚いた。寿春は袁紹と家督争いを続けている袁術の拠点である。
(こやつ俺を袁術攻めに使う腹づもりか。許せぬ)
改めて田豊を斬り捨てる算段を決める呂布であった。
やがて黒山党の飛燕が三十万という大軍を引き連れて呂布の前に現れた。
徐州進撃を続ける曹操軍に袁術の援軍がぶつかります。
成長した袁術軍は果たして曹操軍を打ち破ることができるのか。
乞うご期待。




