第20回 劉備 始動
劉備軍いよいよ曹操軍を迎え撃ちます
第20回 劉備 始動
「さあ雲長、益徳、世話になっている親父殿のためにひと働きするか」
耳が大きく柔和な表情の男が机を両手で叩き高らかにそう叫んだ。瞳は澄み切った青空のように輝いている。
男の名は劉備、字は玄徳。景帝の子である中山靖王劉勝の末裔という血脈から北の雄、公孫瓚によって新帝に祭り上げられた男である。
公孫瓚と冀州の牧、袁紹との緒戦である「界橋の戦い」の際に公孫瓚の庇護から抜け出し、青州を彷徨い、さらに南下して徐州に至っていた。
現在は徐州の牧、陶謙の庇護を受けているところである。
「大兄、ついに曹操とやる気ですか」
劉備の右前方の席についている巨漢が静かに応えた。
青黒い顔に腰まで伸びた髭。
関羽、字は雲長である。
「一番やりたくない相手だけどな。成り行き上仕方がない」
「陶謙様は彭城にて進軍を食い止められると意気込んでおりましたが」
「雲長よ、そう意地の悪いことを言うな。親父殿の手札で曹操と対等に渡り合えるものなどいないことはよくわかっているだろう」
「彭城で迎え撃つ曹豹殿は徐州では一二を争う武勇の持ち主とか。兵の数では徐州が圧倒しています。しかも勝手知ったる土地での戦い。理は徐州にあると見ましたが」
関羽の話を聞きながら劉備は大袈裟に頷いた。
「そうよ。曹操軍四万に対して彭城の陶謙軍六万。しかも曹操の兵糧は底をつく寸前ときたもんだ。あの男のしたいことは俺にはよくわからねえ。百万を超える黄巾の賊徒を奇跡的に打ち破ったと思ったらすぐこれだ。別動隊の六万は豫州の張済のところに攻め込んだようだしな。戦狂いの与太もんとも思えねえが。無茶苦茶やりやがる」
「豫州にも兵を入れたのですか。牧に就任したと言えども兗州の豪族のなかには従わぬものも多いはず。そちらを警戒して兗州にも兵を置かねばなりますまい」
「ああ。兗州の各地には総勢十万の兵を残している。寿春の袁術を警戒しているんだろう。黄巾を降して二十万の軍になったと聞いたが総動員だな」
「この徐州に攻め込んだ兵は四万ですか。あまりに少ないですな。下邳には主力十万が控えています。到底勝てるとは思えませぬ」
「直に曹操が率いているという噂よ。曹操ひとりで十万の兵に匹敵する勘定か。味な事をしやがるぜ」
「兵糧の兼ね合いでその辺が限界なんだろう」
劉備の左前方に腰かけていた巨漢がようやく口を開いた。
虎髭が顔を覆っている。
張飛、字は益徳である。
劉備、関羽、張飛の三名は旗上げ当初に義兄弟の契りを交わしていた。世にいう「桃園の誓い」である。
「なんだ益徳、起きていたのか。酔いつぶれているのかと思ったぜ」
「玄徳の大兄、悪いことは云わねえ。今回は止めておいた方がいい。今の俺たちじゃ曹操には敵わねえ」
「珍しく弱気だな。どうした風邪でもひいたか」
「いいか、曹操は陶謙と袁術と李傕の三大勢力をいっぺんに相手しようってんだ。よほど自信があるに違いない」
「百万の賊徒を倒してまともな計算もできなくなっちまったんだろうよ。賊徒と正規軍じゃ同じ数でも訓練の度合いが違うってもんだ」
劉備はそう云って笑うと、皿のなかから骨のついた肉を取り出して頬張った。
張飛は虎の様な大きな目を見開いて、
「そんな道理はわかってるはずだ。陶謙の兵も袁術の兵も李傕の兵も賊徒と変わりない強さと見切っての行動じゃねえのか」
「今や曹操軍の強さは別格というわけか」
関羽が応えた。張飛は頷く。
極限の修羅場をくぐり抜けた将兵は著しく成長する。それはここにいる者たちがよくわかっていることであった。そうして劉備の軍も精鋭となったのだ。
曹操が経験してきた修羅場は劉備軍の経験してきたもの以上。想像を絶するものである。だとすると今の曹操軍の強さは計り知れない。
「おもしれえ。だったらその曹操と戦えば俺たちの軍もさらに強くなるって寸法だろ。曹操に開けられちまった差を縮めるにはもってこいの好機だな」
劉備はそう嘯いて別の肉に喰いつくのであった。
劉備の軍に正式な援軍の命が下されたのは二日後であった。
陶謙は病に伏せており、総大将代理として下邳の陳登が劉備たちと面会をした。関羽と張飛の他にも劉備の側近である簡雍や田予も会議の参加を許された。
「彭城が落ちた」
坊主頭の陳登は瞬きひとつせずに開口一番そう云い放った。それを聞いて全員が驚きの声をあげた。
籠城をすれば二年は耐えられるはずだったからだ。それが十日と持たずに落城したのである。
「彭城籠城のため持ち込まれた兵糧がすべて曹操の手に渡った」
「落城は仕方ないにせよ食料庫を焼き払うことぐらいできたのでは」
関羽の問いに陳登は力なく首を振った。それを許さぬほどの神速の攻めだったということだろうか。
「戦線を後退することになった。俌陽まで下げる。そうなればこの下邳に侵入するのも時間の問題となる。貴公には俌陽にて曹操軍を迎え撃ってもらいたい」
「徐州きっての戦上手は陳登殿。私の出る幕ではないのでは」
劉備はそう答えてニヤリと笑った。陳登は幾分ムッとした表情を浮かべたが、
「拙者も八万の兵を率いて赴く。袁将軍の援軍も必ず間に合おう。これに貴公の騎馬隊が加わってくれれば鬼に金棒」
「なるほど。俌陽にて曹操軍を壊滅させるのですな」
「そうじゃ。曹操の徐州での所業はまさに悪鬼羅刹の如し。兵だけではなく農民、はては女や子どもに至るまで徹底的に殺されておる。彭城は血の海だそうじゃ。曹操の軍に連なる者を許してはおけぬ。生かして兗州には返さぬ覚悟。どうじゃ協力していただけるか」
いつもは人を食ったような人柄の陳登が、激情で顔を真っ赤にさせて涙を流し劉備の手を取るのであった。
陳登が帰ると劉備は早速部下たちの意見を聞いた。
「曹操が自領拡大のために徐州に攻め込んだのは明白。父親を陶謙様に殺されたなど作り話もいいところです。義のため俌陽に兵を向けるべきです」
田予が最初に口を開いた。簡雍も頷き、
「虐殺されている民のためにも立つべきかと。正義の鉄槌を下さねば。陳登様、袁術様が揃えば曹操軍の四万によもや遅れはとりますまい」
賛同の意を示した。
「そうだな。雲長はどう思う」
「いずれはやりあわねばならぬ相手。ここで叩いておくことが賢明かと。相手にとって不足はありません。曹操旗下で名を馳せている夏候惇、夏侯淵はぜひこの雲長にお任せください」
「よし。俌陽に向かうぞ。益徳、異論はないか」
「異論はねえが、彭城がなぜこうも早く落城したのか原因を解明しておかなければ二の舞になるぜ」
「陳登殿の話では寝返りが出たとか」
田予が答える。張飛が首を振って、
「いや、それが決定的な原因じゃねえ。城がこうもあっさり落ちたのにはもっと深い何かがあるはずだ」
「益徳は何だと思うのじゃ」
関羽が尋ねるが、張飛は唸ったまま口を開かなくなった。
劉備は頭を掻きながらみんなの顔を見渡して、
「陶謙の親父殿には借りがある。恩には相応の対価で応えねばならぬ。曹操がどれほどのものか味わうのもまたとない好機。ここを潜れば兵たちも一層強靭になる。いざ俌陽へ赴かん」
張飛以外の将が力強く「おう」と答えた。
張飛のなかで引っかかっている何かは判明しないまま、劉備の軍は下邳を出撃するのであった。
一方西の情勢は・・・
錦馬超のもとに流れ着いたひとりの少年の正体は・・・
乞うご期待