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第18回 袁術 始動

徐州大虐殺いよいよ始まります。

近隣諸国の思惑はいかに。

第18回 袁術 始動


 「いけませんな。いけません」

いつものように主簿の閻象えんしょうがぶつぶつと文句を言いながら俺の部屋に入って来た。

 献帝けんていを押さえている李傕りかくとの和睦交渉のなかで、俺の部下の多くが正式な官位を得ていた。伝令役に過ぎなかった閻象もそのひとりである。

 「今日はどうしたのだ。寿春じゅしゅんの街の税収の話ならば蒸し返すな。今は民を慰撫するのが先決」

「その話ではございません。徐州じょしゅうの事でございます」

「おお、その事か。お前の耳にも届いていたか」

当たり前だと云わんばかりのひきつった表情で閻象は俺を見た。


 兗州えんしゅうの牧である曹操そうそうが、徐州を目指して進軍を開始したことは諸国に知れ渡っており、その辺りの畠を耕す農民の耳にすら届いていることであった。

 「いけません。いけませんな。袁将軍、曹操は帝の許しも無く他国に侵略しようとしておるのですぞ。これは言うなれば帝に弓ひく謀反。袁将軍は逆賊討伐を任された左将軍ですからすぐに兵をあげねばなりません」

「であろうな。それが何か不服か」

「曹操めが己を囮に袁将軍をこの寿春から炙り出そうとしていることは明白。この地を空ければ必ず南から攻め込まれます」


 寿春の南、長江を渡河した先には揚州ようしゅうの刺史である劉繇りゅうようが兵を集めこちらを窺っていた。本来ならばこの寿春は州都であり、劉繇が拠点とすべき場所であったのだが、俺が居座っていることを知り郡に州府を移したのである。 

 要するに劉繇には寿春を攻める大義名分があった。


 「曹操は亡き先代の牧である劉岱りゅうたいから遺臣を引き継いでおります。劉繇は劉岱の実弟。互いの結びつきは堅いと考えてよろしいはず。袁将軍が動けば必ず劉繇は動きます」

「ではこのまま静観しておれと云うのか」

「いけませぬか」

「鼻の先で行われる逆賊の横暴を見て見ぬふりをせよと言うのか。天下のまつりごとを背負うべき袁家嫡流のこの袁術えんじゅつ公路こうろとあろうものが、我が身を案じて隠れておれと」

俺の言葉に閻象はうつむいて口を開かなくなった。


 「聞くところによると曹操は父親を徐州の兵に殺されたとか。孝を尽くす大義があるのであれば曹操の進軍は謀反とは云えません」

閻象の背後にいた男が静かな声でそう語り始めた。見るところまだ若い。新顔である。人を見る目に長けた閻象がどこからか引き抜いて部下としたのであろう。瞳の輝きからは芯の強さが窺えた。

 「諸葛玄しょかつげん、控えよ。お前はまだ袁将軍に直答できる立場にはない」

閻象は振り返って強く嗜めた。諸葛玄は慌てて口を閉じる。

 「ほう諸葛玄という名か」

俺はその名を口にして、はてと頭をひねった。聞き覚えがあった名だったのだ。たしか陶謙とうけんが家臣に迎えるよう勧めてきた数名の浪人たちのなかに記されていた名だ。生まれは徐州であったはずだが。

 「徐州はお前の故郷。他国に蹂躙されるのを指をくわえて見ているつもりか。父親が殺されたなど誰がそのような与太話を信じると云うのだ。戦を始める口実に過ぎぬ。領土拡大こそが曹操の望みであろう」

「それがあながち創作話でもないのです。この諸葛玄ものの話では徐州の牧、陶謙様は裏でかなりあくどい所業をしていたようです。盗賊らを扇動して自国の豪族を襲わせたり、さらに口封じのためにその盗賊らを抹殺したり、黄巾の賊徒ともつながりが深かったとか。兵糧を横流しにしていたというまことしやかな噂話も流れております。兗州は先頃、黄巾百万に攻め込まれ多くの犠牲を出しました。今回はその仕返しの意味合いが強いと思われます。賊徒と変わらぬ陶謙様に肩入れしても曹操の恨みを買うばかり。しかも寿春を奪われる危険性すらあるのです。ここは自重されるのが賢明。」


 なるほど。さすがは閻象である。他国の事情をよく把握していた。

 俺も同様の解釈をしていたところだった。どちらにしても私怨による戦いだが、しっかりと見極めると曹操のほうに大義がある。

 しかし問題は目先の局面ではない。

 曹操は遥か先を見据えてこの一手を打ったに違いない。

 あの男は天下を狙っている。

  

 「陶謙からは援軍の要請が来ておる。以前訪れた陳登ちんとうとも共に兗州に当たるよう約定を交わしておる。ここで動かぬのでは袁家の信用にも係わる事態になろう」

綺麗ごとだ。自分で云っていて反吐へどが出た。互いに利用するだけの関係性なのだから。

 「徐州に向かわす兵を南に向けるのはいかがでしょうか」

閻象が目を見開いてそう進言した。その進言を聞き入れさせたくて諸葛玄を伴ってきたのであろう。

「呉郡へか」

今度は俺が口を閉じる番となった。


 揚州は南に広大である。その入口が呉郡だが、住んでいる人間のほとんどが山越族という異民族であった。感覚としては漢帝国の版図外。誰も興味を持たない僻地である。治めたところで異民族の反乱を抑えることで忙殺される。力を養うには適さぬ地であった。


 「劉繇が曹操の陣営に与していることは周知の事実。そこを攻めるのであれば陶謙様への援軍も同じ事でございます」

 この隙に揚州全域を支配下に置けばこの先動きやすくなるのは確かだった。


 曹操はどう考えているのだろうか。

 俺がこの間隙を縫って呉郡を攻めることは当然予測できるはずだ。劉繇は孤立無援で滅びる。それを救う手立ては今の曹操にはない。


 曹操は替わりに何を得るのだろうか。

 密偵の報告で、曹操軍が極度の兵糧不足に陥っていることを知った。黄巾の賊徒との長い戦の代償だ。和睦の後で黄巾に残った兵糧を分け与えたとも聞いた。底をついても仕方がない現状。徐州攻めは兵糧を得るための戦争と捉えた方がいいのかもしれない。徐州の備蓄は豊富であった。


 曹操は徐州を得て、食料を得る。その引き換えに失うものもあった。他国侵略という汚名だ。官位は没収され、討伐の軍が組織されるだろう。いや、呉郡を攻めれば俺も同じ立場になる。

 袁家当主としては絶対に避けねばならない事態だ。

 曹操には孝という大義があるが、俺が劉繇を攻める名分はない。両陣営の均衡を崩さぬように計っただけの戦争。利だけを求めた戦を俺がするわけにはいかない。


 曹操は冀州きしゅうで踏ん反り返っている袁紹えんしょうの勢力を上回るつもりなのだ。それができる機会は今しかない。今はまだ本初ほんしょ(袁紹の字)は北の公孫瓚こうそんさんを警戒して大きな動きがとれない。もし本初が河北を制止てしまったら曹操はもはやその云いなりになるしか道はないのだ。今まで同様に本初の腰ぎんちゃくで生涯を終えることになる。


 曹操はすべてを投げ打って勝負にきている。


 だが、俺は失うものが大きすぎた。勝負にのるわけにはいかないのだ。


 俺の葛藤を予想していた閻象はさらに思い切った提案をしてきた。

「今こそ孫策そんさく殿を使うのです」

「何。孫策だと・・・」


 孫家は孫堅そんけんが戦死し瓦解したも同然であった。現在は一族の孫賁そんふんが孫家名跡を受け継いでいるが、いずれは孫堅の次男である孫権そんけんに当主の座を譲らせる予定であった。

 孫権はまだ十歳だが、俺の娘を娶せていた。袁家の一門衆でもある。

 その孫権が孫家当主となれば、袁家と孫家の結びつきはさらに強固なものとなろう。

 孫家の家臣には武芸に秀でたものが多く、戦にも強い。これからは政治を円滑に進めていくためにも後押しとなる武力が物を言う時代となるだろう。孫家は貴重な働きをするはずであった。


 一方で孫堅の長男である孫策の武勇を知らぬものはいない。俺自身も呂布りょふの若い頃を見るようで驚愕を覚えた。孫策が率いれば孫家は最強となる。間違いない。だが、孫策は自立の志もまた強い。袁家と共に歩んでいく未来を孫策は見てはいない。


 孫策は腐らせておく。


 それが俺の決断であった。当然、旗下のものたちも承知していた。


 閻象の提案はそれを破る内容だと云える。


 「孫策を独立させ呉郡を攻めさせます。さすれば袁将軍に版図拡大の容疑はかけられません。南の脅威も消え去ります」

「そのために虎を野に放つと云うのか」

「鎖のついているうちに討てば問題ありません」

「討つ・・・。孫策をか」

「ぎりぎりの兵力で攻め込ませ相討ちになれば上々。劉繇を倒したとて生き残った兵はわずかです。その背後を突きます。口実などいくらでも後付けできましょう。孫権殿を孫家の当主に据えれば孫家恩顧の諸将も納得致します」

「うむ・・・」

「孫策はいずれ必ず袁将軍に害を為す存在。毒を以て毒を制すが最善。世間の雑事など見向きもせず、袁将軍はあくまでも長安ちょうあんに軟禁されています献帝をお救いになることのみに邁進されるがよろしいのです。国を立て直すまつりごとに袁将軍が必要であると世間は確信致しましょう。曹操を滅ぼすこともその後であれば容易です」


 熱を帯びた閻象の語りにいつしか俺の心も動かされていった。


 陶謙を見捨て、孫策を捨て駒として利用する。

 天下を治める政のためには必要不可欠な犠牲なのかもしれない。


 「よし。孫策を呼べ。呉郡の前に盧江ろこうの太守である陸康りくこうを攻めさせる」

閻象は俺の命令を聞いて不思議がり、

「陸康殿を攻めるのですか。あのお方は劉繇とも曹操とも誼を通じていることはないはずですが」

「あの老人は必ずこちらの意図に気が付く。気が付けば必ず背くだろう。盧江を落とし、長江への玄関口を確保してから呉郡の曲阿きょくあを攻めるのだ」

「その全ての罪を孫策に課せるでよろしいでしょうか」


 俺は少しだけ時をおいてからゆっくりと頷いた。


 やがて孫策が執務室に訪れた。


孫策ついに自由を手に入れました。

はたして趙雲は?

乞うご期待。

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