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第16回 蒋欽の矢

趙雲・周瑜・孫策の邂逅

袁術を盛り立てていく若者たちが動き出します。

第16回 蒋欽の矢


 「女、いい馬を持っているな。それを寄こせば命は助けてやる。大人しく置いていけ。」

すすけた土色の肌を惜しみなく陽のもとに晒しながら男はそう言い放った。手には切れ味の悪そうな錆びた鉈が握りしめられ、刃が鈍く光っている。土地を捨てた流民か野党か、どちらにせよ人の財を掠めて生きる罪人に違いない。こちらまで異臭が届いてきそうな黄ばんだ歯を見せてニタニタと笑っていた。数にして七人。

 「おいおい兄貴、後ろにもいるぜ。こいつは驚いた、こっちも女だ。馬はしょぼいが女はなかなかのもんだぞ。」

背後の林から飛び出て来たのが三人。合計が十人。趙雲ちょううんの力量であれば一息で倒せる数である。趙雲の後をしきりに付いてくる少女も相当な使い手であることは間違いない。この機会に腕前も直に見ておきたいところだが。

「あなたがこの一党のかしらですか。」

趙雲は馬上からそう尋ねた。呼ばれた男は不思議そうな顔をしていたが、やがて不潔な表情に戻り、

「俺はこの隊の隊長だ。頭は砦に居る。なんだ頭の女になりたいってことか。生憎あいにくだが女は事足りてるぜ。この辺りの村々も貧困に喘いで娘を売りに出す家が後を絶たないからな。だが馬を操る女はお前さんが初めてだ。頭も気に入るかもしれんな。」

「頭の名前は何というのですか。」

「弓を扱えば天下一と名高い蒋欽しょうきん様が俺たちの頭よ。」

「蒋欽殿・・・九江きゅうこう郡では知らぬものがいないというほどの野盗。義兄弟には確か・・・周泰しゅうたい殿でしたでしょうか。」

「ほう。周泰の頭も知っているのか。女にしては随分と物知りだな。さては役人どもの手先か。」

男の目が妖しく光った。趙雲は微塵も動じず春の日差しの様な微笑みを浮かべて、

「いえいえ、そのような堅苦しい素性ではございません。諸国を放浪する身の上。」

「放浪・・・。なんのために放浪している。各地の情勢を探るためであろうが。」

「腕試しでございます。」

「腕試し・・・。」

「武芸達者な者たちと競うてみたくて旅しております。」

「誰がじゃ。」

「私です。女では不服ですか。」

「あはははは。これはおかしい。若い女がこのご時勢ひとりで武者修行の旅とは。久しぶりに腹を抱えて笑ろうたは。戯言は大概にしろ。」

「戯言とは失敬な。言葉で信じていただけないのであれば仕方がありませんね。」

そう言って趙雲が白馬から下りた。白竜が小さな声で鳴く。趙雲は優しくその頭を撫でた。

「女、両手両足を切り捨てられてから犯されても文句を言うなよ。」

「ご自由に。」

片手で槍を構える。愛用の点鋼槍。その周囲を男たちが囲んだ。それぞれが得物えものを握りしめて殺気立っている。その後ろには黒毛の馬に乗ったまま静観している少女の姿があった。


 勝負は一瞬であった。瞬きひとつする間に五人の男が倒され、再び瞬きする間に残りの五人が叩き伏せられた。全員が槍の柄で突かれているので死んだものはいない。それでも凄まじい速度で繰り出された突きを胸や腹に食らって誰ひとり立ち上がれるものはいなかった。


 一刻後、趙雲らは男たちの先導のもと砦を訪れた。一党の頭を務める蒋欽に会うためであった。出来る事ならば袁術えんじゅつの旗下として働く約定を採り付けたかったのである。

 森を抜けると木を乱雑に組んだだけの粗末な砦が目前に現れた。それでも三階の高さがある。門番の者たちが不審そうに趙雲らを見ている。

 と、何かが趙雲の視界で煌めいた。一瞬のことである。背後の大木が大きく揺れた。見ると矢が深々と突き刺さっていた。改めて砦の最上階に目をやると、誰かがこちらを向いて弓を弾いている。頭の蒋欽に違いない。挨拶代りの射であったのだろうが、趙雲にはその気配を感じ取り避けることができなかった。狙われていたら一撃で倒されていただろう。

 「弓を扱えば天下一ですか・・・」

趙雲がそう言って微笑む。なるほど、噂先行の男ではないようである。ならばこそ袁術の陣に組み込みたい。袁術軍には雷薄らいはくが率いる弓隊があるが、実戦で活躍できたことはほとんどなく、弓隊ひとつとっても他国に後れをとっていた。


 反対の方向から二人、馬を進めてくる者がいた。力のある名馬だ。遠目でも趙雲にはそれが見て取れた。二頭並んで向かってくる。野盗の類ではない。赤い頭巾をつけた方は一目で将校であることがわかる豪勢な甲冑を身に着けていた。もう一方はまるで祭りの見物の様な軽装だった。腰に長い剣を差している。緊張感はまるでなく、時折馬上で欠伸などをしていた。

 砦の最上階の蒋欽が狙いを変えた。向かってくる二人の男目がけて弓勢を張る。唸りをあげて矢が空を切る。軽装の男の額に突き刺さった。と趙雲は思ったが、なんとこの男はその矢を掴んでいた。よほど武芸を磨かない限りできない芸当である。男はその矢を詰まらなそうに道端に捨てた。そしてまた欠伸をひとつ。


 随分と間近に迫って趙雲はハッとした。向こうの二人も気が付いたようである。

「これはこれは公孫瓚こうそんさん様の白馬義従、趙雲殿では。」

見事な甲冑に身を包んでいる方の男がそう声をかけてきた。確か孫堅そんけん軍の周瑜しゅうゆという男だ。

「お久しぶりでございます。孫策そんさく様、周瑜様。」

趙雲はそう答えて礼をした。

 孫策は何も応えなかった。だが、ずっと趙雲を見つめている。三人は皆、同じ歳である。十七歳であった。歳若だが歴戦の勇だ。激戦に次ぐ激戦をくぐり抜けていた。

 「このようなところになぜ趙雲殿が。このような野盗に捕まるお手元ではないでしょうが、見たところお味方もいないような。」

周瑜が真っ直ぐな瞳を向けてそう尋ねた。趙雲は視線を外して、

「故あって公孫瓚様の軍を離れました。」

「ほう。そうでしたが。では今はどちらに随身か。」

「いえ、今は流浪の身の上でございます。」

「流浪・・・それはもったいない。趙雲殿のような武勇と馬術、指揮能力をお持ちであればどこの国でも引く手あまたなはず。」

「まあ、どこにでも仕えるという訳にはいきません。」

「そうでしょうが・・・こんな僻地にはなぜお越しに。その者たちは世間を騒がす賊徒ですぞ。」

「ええ。案内役をお願いしております。この砦にいる蒋欽という者に用がありまして。」

そう答えると孫策と周瑜の顔色が変わった。

「蒋欽にどのような要件がおありか。」

「大した要件ではございません。寿春じゅしゅんを治める袁術様の軍に入るようお願いしようかと思いまして。」

「袁術様の軍に・・・失礼ですが趙雲殿は左将軍様にそのことをお願いされたのですか。」

この時すでに袁術は李傕りかくの上申により左将軍の官位を得ていた。

「私の一存です。誰の依頼も受けてはいません。」

「そうでしたか・・・実はここにいる孫策もまた趙雲殿と同じ意図でこの砦に参ったのです。」

「孫策様も・・・」

趙雲が孫策を見た。燃えるような瞳はじっと趙雲に注がれていた。

 「どうでしょうか趙雲殿。ここは孫策に譲ってはもらえませんか。」

周瑜が笑顔でそう提案してきた。趙雲も満面の笑みで、

「あら、男を口説くのに順番待ちなんて無粋ですわ。」

「この砦の男は趙雲殿には似つかわしくありませんよ。男を探すのであれば寿春の街でされるのがよろしい。あそこには唄のひとつ、笛のひとつも奏でて答えてくれる男が沢山います。」

「そのような男、性分に合いません。おふたりこそ街で美味しいお酒や料理でも楽しみながら過ごされていればよろしいのでは。亡きお父様もさぞかしご安心されるでしょう。悪戯に孫家の命運を危険に晒す必要はありませんよ。」

趙雲の口上に周瑜が驚いて青くなった。隣の孫策の口元が歪む。


 趙雲にはわかっていた。

 孫堅が戦死し、孫家は袁術の庇護を受け今や完全に旗下に成り下がっている。孫策は独立したがっているのだ。袁術の支配から逃れたがっている。そのためには兵が必要だった。周辺のならず者と交流を深め、時が来れば共に立つつもりなのだろう。もしかすると反乱を起こして袁術軍を滅ぼす算段かもしれなかった。

 ここは退くわけにはいかない。孫策の野望を断ち、袁術の治世を守るためにも見過ごすわけにはいかなかった。


 「公瑾こうきん(周瑜の字)よ、口でわからぬのなら力づくできかせるのみ。」

孫策が腰から長剣を抜いた。孫策としても趙雲の武を目の当たりにしてきたのでわかっている。本気でぶつからねば勝てぬ相手だと認めているのだ。

伯符はくふ(孫策の字)、趙雲殿には恩義があるのだ。手荒な真似はよしておけ。」

「安心しろどこも斬り落としはせぬ。しばらくの間寝ていてもらう。」

そう言って孫策は馬を下りた。馬上からでは手加減が難しい。

「よろしいのですか、女などに後れをとったとなると武名高き孫家の名に傷がつきますよ。」

趙雲も白馬を下りた。周囲の野盗どもがざわめきたつ。

 

 「ひとつ約束をしろ。」

「ええ。勝った方が蒋欽殿に会うことができる。構いませんよ。」

「それではつまらぬ。俺が勝ったら俺の妻になれ。」

「え、」

趙雲の目が点になる。周瑜が馬上で頭を抱えた。

 「いくぞ。」

「え、ちょっと待ってください。今、何と。」

「問答無用。」


 黒毛の馬に乗った少女もまた不可解な立ち合いをじっと見つめているのであった。


徐州の陶謙、兗州の曹操がついに激突。

乞うご期待。

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