第9回 玉璽の行方
魯粛の策とは・・・
第9回 玉璽の行方
「おい魯粛、本丸への侵入の機会はまだ来ぬのか。」
太い眉を眉間に寄せながら男が小太りの男に詰め寄った。魯粛と呼ばれた小太りの男は微笑みを絶やさずにしながら返答する。
「いやいや郝萌様、そう熱り立たずに落ち着いてください。この郿城城下に到着してまだ幾日しか経ってはおらぬではありませんか。」
「お前はなぜそうものんびりしていられるのだ。阿斗様や司徒様がその間に処刑でもされたらいかがするつもりだ。」
「ご安心ください。そのような動きはまだありません。」
「安心できる話か。刑が執行されるとわかってからでは遅いのだぞ。」
「いやいや郝萌様、私も馬鹿ではありませんからそのくらいのことはわかっておりますよ。」
「わかっておるなら早くせよ。」
乱暴にそう言うと郭萌は席に戻った。
昼でも薄らとしか光の射さない室内であった。広さは充分であるが、そこに体格の大きな男たちが五人。ひどい息苦しさである。魯粛がもしものために幾つか秘密裡に押さえている屋敷だった。そこに五人は匿われている格好である。
中郎将の呂布。千人長の郝萌、成廉、魏続。そして歳若の百人長、候成。いずれも一騎当千と呼ぶに相応しい武将たちである。
それに対するは長安の都に放たれた密偵の魯粛。こちらは後将軍である袁術の旗下であった。
目的は太師董卓暗殺を企てて失敗し捕らえられている面々の救出である。そこには呂布の娘である阿斗や父と慕う王允の姿もあった。大勢の観衆の前で牛引きの刑を執行する準備は十日も前からできているようだが、なぜかその後の動きはない。
呂布は一番奥の長椅子に腰をかけて時を待っていた。
処刑のために引っ張り出されたところに斬り込めばいい。その程度にしか考えてはいない。本丸の備えはあまりに厳重でとてもこの人数では手出しができない。侵入は不可能だと見切りをつけている。魯粛には何か策があるようだが、呂布はこの男を信用してはいなかった。外に出てきたころを救う。それでよかった。
さらに十日が過ぎたころ、城内がにわかに騒がしくなった。
西で反乱が起きたのだ。
首領の名は馬騰であった。多数の羌族の部族を率いているらしい。その数三万とも五万とも言われている。
替わりに東の反乱が鎮まった。
豫州潁川に出陣した袁術が董卓子飼いの李傕や李儒らに破れた。袁術は拠点である荊州南陽も奪われ、身一つで逃げたと言う。
それでも東には袁紹や公孫瓚などといった軍閥が多数割拠している。そちらの備えとして李傕や李儒は東に残っていた。その後詰が呂布の役目であったが、董卓暗殺に加担していたとして討伐軍が送り出されている。拠点の洛陽には一万の兵を残している。率いるのは呂布の腹心である高順と張遼だった。二万までの相手であれば楽に耐えられる精鋭たちである。
董卓軍は東西に「振られて」いる。
備えはしっかりと整っているものの、動揺は確実に呂布には伝わってきていた。
しかしこの混乱に乗じて本丸に侵入するのが魯粛の狙いだったのだろうが、そこまで郿城は揺れていない。董卓は健在であったし、大将軍の董旻を始め四将軍も兵を失ってはいないからだ。むしろ当面の強敵と考え和睦すら進めていた袁術を撃破したことで士気は大いに上がっていた。
しかし長安に残る兵は五万。
西の情勢を鑑みると援軍の必要も出てくる。何せ西の馬騰は長安目前まで攻め込んできているのだ。
長安を守る兵は削られるだろう。
それが魯粛の狙いなのか。
だが長安の兵を少なくしてどうしようというのか。董卓暗殺が成功しなかった今、離反しようと画策していた連中も息を潜めている。危険な賭けにのることはないだろう。
もしのせることができれば話は別だ。
董卓派と反董卓派の人数の均衡は大きく崩れることになる。
この情勢であれば、のせる手段があれば革命は成功する。
さらに十日が過ぎた頃、魯粛が屋敷に現れた。
表情は幾分緊張して強張っていた。
「呂布様、ついに時ですぞ。」
声も震えている。
馬騰の軍が長安に押し寄せたのかと思ったが、実際はそれより遥か手前で董璜、樊調の兵に食い止められていた。長安から後詰として二万の兵が送り出されており、馬騰の軍は必死の攻防を続けているものの圧倒的に不利であった。
「どうぞこれを。」
仰々しく魯粛が書面を呂布に手渡した。呂布が開いてじっと見つめる。
「これは?」
「勅にございます。」
他の四人もその言葉の意味を最初わからずポカンとしていた。魯粛はさらに続けて、
「帝より董卓征伐の勅令が呂布様に、いえ、呂将軍に出されたのです。」
「将軍・・・」
「はい。奮武将軍の拝命も同時に行われました。」
中郎将の時期も周りは呂布のことを将軍と呼んで畏怖していた。しかしこれで正真正銘の将軍の位を受けたことになる。
「勅か・・・」
呂布が呟いた。
なるほど。これで日和見の連中は動かせる。
長安での形勢は逆転したと言ってもいいだろう。
「呂将軍の一声で長安の漢軍は董卓の兵に襲い掛かります。この郿城とて静観はできません。本丸に侵入できる機会はそこでございましょう。」
そんな魯粛の話に納得して一同が感嘆の声をあげた。
しかし呂布だけが静寂を保っている。
「呂布様。いかがしたのです。」
旗本頭の成廉であった。呂布が書面を見せる。
「必要なものが足りぬ。」
成廉は書面に顔を近づけて凝視するが何のことだが見当がつかない。
「いや、さすがは呂将軍。目の付け所が違いますな。」
魯粛は汗をかきながらそう言って笑った。
候成がハッとした表情で、
「印がありませんね。」
おお、そうだ、と一同が納得する。
「玉璽がまだ見つからぬのか。」
呂布の問いに魯粛はただニヤリとするだけ。魏続がたまりかねて、
「これでは誰が記した書面かわからぬではないか。皇帝が記したという証拠がなければ誰も信用はせぬ。単なる紙切れ同然。」
「いやいや、そうでございますな。させ、どういたしましょうか。」
魯粛はそう言ってじっと呂布を見つめた。
魯粛には確信があった。
呂布は王允が隠した真の玉璽の在処をしっている。と。
罪人の処刑が実行できないのは玉璽の在処を王允が吐かないからだ。
北や南に送られた玉璽は偽物だろう。そのような大切な物を持ち出すはずがない。必ずどこかにある。幼少の献帝は信頼する司徒王允に預け、そしてどこかに隠されたはずだ。
玉璽さえ見つければこの書面は効力を得る。
魯粛の意図を察したようで、呂布もまた静かに魯粛を見つめ返すのであった。
呂布の決断はいかに。
次回乞うご期待。




