第8回 韓遂と馬超
趙雲、孫策、周瑜、魏延らと同世代の馬超がいよいよ登場。
西の首領、韓遂も立ち上がります。
第8回 韓遂と馬超
長安の都より遥か西、最西端の州に涼州がある。
州都の武威は長安より直線距離にして千二百里(約600㎞)も離れており、そこに生活する住民も漢民族より羌族という異民族の方が多いという辺境の地である。
歴史上、都から異民族平定の軍が発せられるのも度々だった。
近年では董卓、孫堅、陶謙といった武闘派の吏が、大軍を率いてその平定に尽力している。
反乱が起こる度に漢軍に鎮圧され首謀者は処罰されているのだが、数年経つとまた新しい反乱分子が騒ぎ始める。その繰り返しであった。
「反乱の芽は韓遂が育てている。」と、涼州では噂されることが多い。
韓遂、字は文約。もともとは金城の計吏であり、漢国に仕える役人である。文官ながら武芸に秀で、肝が太く怜悧であった。また羌族の族長たちからの信頼も厚く涼州にその名は知れ渡っていた。故に反乱を起こす首謀者たちから熱烈な要望を受けて、加担を余儀なくされてきたという経緯がある。あくまでも助力であり、敗退した反乱軍は首謀者の死をもって償うが韓遂は該当しなかった。
涼州の乱に必ず韓遂の名が記されているのはそういう理由である。
太師董卓は長安遷都後、西の涼州への防備に四将軍のひとりである樊調と董卓の甥である董璜を送り、兵五万を隣州である雍州に駐在させていた。
羌族は中央政府の混乱ぶりをこれ幸いに涼州各地で反乱を起こしていたが、涼州内部での話であって雍州や長安へ兵を進める者はいなかった。
東方で袁術や袁紹などが兵を起こしその対応に追われるなかで、西方に五万もの兵を割かなければならなかったのには訳がある。
偏将軍として涼州平定に赴いていた馬騰が突如謀反したのだ。韓遂と手を取り、幾つもの羌族を統率するようになっていた。後漢の名将として名高い馬援の子孫である馬騰は皇室への忠義に厚い。長安を牛耳る董卓の専制に異を唱えての挙兵であった。
董卓は称号や金銀財宝で鎮撫に努めたが馬騰の義憤は鎮められず交渉は決裂。交戦寸前だったところに待ったをかけたのが韓遂である。
現在は休戦状態である。
雍州の五万の兵は、涼州並びに南方の益州牧、劉焉の兵への牽制のためそのまま留められている。
韓遂、このとき還暦目前の五十七歳であった。
「おじき、出兵の許可を出してもらいに来たぞ。」
割れんばかりの威勢の良さで若者が屋敷に入って来た。体格は常人離れしているが、顔はまだ幼さを残している。右手には大の大人でも振れないような長槍が握られ、屋敷の兵たちは委縮して近づけずにいた。若者は周囲をまるで気にせずにずんずん進んでいく。
「これは馬超殿。」
と、声をかけたのはこの屋敷の管理責任者である成公英であった。馬超と呼ばれた若者はわずかに一瞥しただけで礼もせず歩みも止めない。
「おお成公英か。おじきはどこだ。至急会いたい。どこにいる。」
答えねばこの槍で突き殺すぞと言わんばかりの勢いであった。
成公英は苦笑しながら、
「しばらくお待ちください馬超殿。韓遂様は現在、病床に就いておられます。」
「ほう。また病気か。都合の悪い時はいつもそれだ。いい加減その手には乗らぬ。会えぬならこちらから乗り込むまで。どけ。」
馬超は乱暴にそう言い放った。
馬超が成公英の横を抜け、さらに歩みを進めると突然斬りかかってくる者がいた。
「錦馬超、勝負じゃ。」
「またお前か。相手にしている暇はない。俺は今、忙しいのだ。」
「フン。他人の屋敷に土足で入るような真似をしておいて小賢しい。韓遂様に会いたければ拙者を倒してからにするがよい。」
「お前を斬っておじきが動くのならばそうしよう。しかしおじきは身内の諍いをことの他嫌がるお人だ。お前を斬ったら話も出来なくなる。うせろ。」
「韓遂様と馬騰殿が義兄弟の契りを結んだからとて、お主の様な小僧に好き勝手させるほど、この閻行度量が広くはできておらぬ。ここは韓遂様の御屋敷じゃ。用があるなら外で待て。」
「弱い犬ほどよく吠えるというが、お前を見ているとまさにその通り。犬ならば犬らしく門前に繋がれていればよい。」
「なんだと。」
閻行の槍が馬超の顔面に襲い掛かる。
馬超は涼しい顔でその穂先をかわした。すぐさま自分の持っている槍の柄で閻行の胸を突いた。軽く突いたように見えたが、閻行は五歩ほど後退りして地に倒れた。
「孟起(馬超の字)よ、そこまでじゃ。」
斜め前方から声がかかり馬超が顔をあげた。目の前に白髪の老人が立っている。
「おお、おじきか。なに、少々五月蠅いので懲らしめただけのこと。すぐに息を吹き返す。」
そう言って馬超は倒れている閻行の背に回り、気合をひとつ入れてこれを起こした。白い泡を吹きながら閻行が意識を取り戻す。成公英がすぐに駆け寄り介抱を始めた。
「入れ。」
韓遂は短くそう言うと、馬超を自らの部屋に案内した。馬超は今の戦いなど忘れたかのように口笛を吹きながらその後に続いた。
「お前の父親はなんと言っている。」
険しい顔で韓遂は馬超を睨んだ。深い皺はこれまでの苦難の歴史を物語っている。その瞳は深い井戸の水のように黒く輝いていた。馬超は胡坐をかいて韓遂を見据えると、急に笑い始めて
「なんだおじきの病気は仮病か。俺たちは仮病に振り回されて進軍を止められているわけか。馬鹿らしい話だ。」
「進軍じゃと。どこに向けて進軍するつもりなのじゃ寿成(馬騰の字)は。」
「聞くまでもない。東よ。」
覇気をもって馬超が答える。
この馬超、初陣で敵将五人の首を獲り、羌族との戦いでも向かうところ敵なし。煌びやかな甲冑を好んで着たことから「錦馬超」と呼ばれ畏怖されている。十六歳にして涼州最強の武将であった。
「雍州を攻めるというのか。涼州の自治権を我らの手に取り戻した今、戦う理由などあるまい。なぜそうまで乱を求める。」
「おじきらしくもない台詞だな。中央政府の混乱が鎮まれば、またこの涼州に鎮圧の兵を送ってくるではないか。」
「その時はその時。攻めてくるのならば戦えばよい。我らは涼州の自治権の確保のために戦うのじゃ。」
「おじきは先制攻撃という言葉を知らんのか。敵の領土をぶんどっちまえば俺たちの土地を荒らされることもない。」
「雍州生まれのお前が涼州を俺たちの土地と言うのか。図々しいにもほどがある。」
「おじきは相変わらず生真面目だな。対して変わりないだろう。涼州も雍州も。」
「孟起よ、天と地ほどもあるその違いに気が付かぬのならお前に乱を起す資格はない。」
「まあな。実際、涼州の平和も羌族の独立も俺にはどうでもいい話だ。親父は漢皇室への忠義のための旗上げだと意気揚々だが、それもどうでもいい。」
「ならばお前はどうしてそう戦いたがるのじゃ。」
「血よ。」
「血?」
「戦いこそが俺の生だ。平穏な暮らしでは俺の血は腐ってしまう。俺は生きるために戦うのだ。」
「各地で賊徒の蜂起は後を絶たぬ。それを相手にしていればよい。」
韓遂の言葉に馬超は激しく首を振った。
「それじゃ駄目だ。あんな手ごたえのないやつらを相手にしていたらやっぱり俺の血は腐る。活きのよい獲物が俺には必要なんだよ。」
「それが董卓か。」
韓遂がその名を告げて睨んだ。過去に煮え湯を飲まされた相手でもある。恨みは韓遂としても根深い。
「いや。今更あんな古狸じゃ物足りぬ。」
「なに。」
「東を攻めると言うとおじきは天水や安定、はたまた長安だと思っているだろうが、俺の言う東とは違う。」
韓遂は口を挟まなかった。目の前にいる若者が所望するものがわかったからだ。
「俺は洛陽より東を攻めたい。中原には歴戦の勇者たちがうじゃうじゃしていると聞く。俺はそいつらと戦ってみたい。例えば洛陽にいる呂布。」
呂布はこの時すでに董卓に反旗を翻していた。東方の独力勢力と言ってもよい。
「湧き上がる血を腐らせることのない相手だ。」
「そのためにはお前の父親の志もこの涼州の志も踏み台に過ぎぬと言うのか。」
「おお。」
満面の笑みで馬超は答えた。
韓遂は呆気にとられてしばらく言葉を失った。
若さゆえの無知。若さゆえの暴挙。蛮勇。それだけでは片づけられぬほどに馬鹿馬鹿しくも壮大な話ではあった。事実、それが実現可能なほどにこの若者は自らを鍛錬し、武芸を練り上げていた。韓遂がこれまで出会った武将たちの誰よりも強い。それは間違いない。
「お前の会いたいという呂布。案外すぐに会えるかもしれぬな。」
独り言のように韓遂はそう呟いた。長安で暗躍する魯粛という男から長安の実情や今後の策謀について細かく知らせてきていた。韓遂が動けばその策は成ると言う。
「こんな大馬鹿な小僧でもわしの義兄弟の息子。となればわしの息子同然か・・・」
僅かに韓遂が微笑んだ。
馬超の戯言に乗せられて決断する訳ではない。
長安周辺まで攻め込んでおくことは韓遂も幾度も思案してきたことであった。
そして韓遂が立たなくても馬騰は出陣するだろう。義兄弟を見捨てるような不義は韓遂としても避けたかった。
なにより勝算が無くも無いのだ。
雨水に漬けられ青々とした新緑のように逞しく輝く馬超を見ていると、年甲斐も無く韓遂もまた胸の奥底から込み上げる情熱を解放したくなるのであった。
外から内から郿城が揺さぶられます。
次回、こうご期待。




