第6回 処刑の頃合い
久しぶりに長安のお話です。
今回は董卓の弟にして大将軍の董旻と呂布の同郷・李粛が登場します。
第6回 処刑の頃合い
西方に位置する都・長安の変を綴るためには、やや時を戻さなければならない。
後将軍・袁術が、拠点である荊州北部・南陽から隣接する豫州・潁川に董卓軍迎撃のため出陣し、李傕・郭汜・李儒らの軍との戦いに負けて汝南に敗走していた頃のことである。
長安近くにある董卓の居城・郿城。
ここには前日に太師・董卓暗殺を試みて失敗し、捕縛されている四人の子どもたちの姿があった。
一番の年長は、漢帝国屈指の名家楊家の嫡男、楊脩十六歳。
十四歳の王耀は司徒・王允の孫にして、袁術の長子である。
中郎将の呂布の娘、斗は十二歳。
王允の孫娘の貂蝉は最年少の十一歳。
それぞれが郿城の地下深くの牢に幽閉されていた。
老齢な司徒王允と楊脩の父親である元司空の楊彪はさらに深い最下層に閉じ込められているという。
全員が反逆罪として今日にも八つ裂きの刑で処刑される運命である。
即日処刑であってもおかしくないのだが、一日二日と時が空いたのには理由があった。
「大将軍様、処刑の準備は整いました。いつでも牛引きの刑が始められます。」
衛兵がそう進言してくると、漆黒の髭で口元を覆い隠した巨漢が血走った目を向けながら、
「大義。しばらく待機しておけ。」
銅鑼声でそう命じた。
大将軍にして太師董卓の弟、董旻である。
長安にいる七万の兵を率いていた。
「牛引き」とは地中深くに突き刺した柱に首だけを巻き付け、両手・両足にそれぞれ牛と繋いだ紐を結びつける。それを一斉に牛に引かせることで、手足だけでなく首までも引きちぎるという残酷な処刑方法だった。
献帝を遥かに超える権勢を誇る董卓の暗殺を企てたのだからこのくらいの刑は至極当然であろう。
「大将軍様、李粛参上仕りました。」
優しげな眼差しの男が甲冑姿に兜だけを脱いだ姿で片膝をつき礼をした。
董旻は険しい表情で李粛を迎えた。
「おお李粛将軍か。困ったことになったぞ。」
「聞くところでは太師様暗殺を謀った者たちを捕らえたとか。」
「そうじゃ。それが一つ目の問題よ。」
「その者たちの処刑は済んだのですか。」
「いや。まだじゃ。企てたのが司徒王允の孫たちなのだ。」
「ほう。司徒様の・・・しかし今や太師様の力は絶大なもの。司徒様が相手だとて遠慮はいりますまい。」
「そうじゃ。だから王允は捕らえて牢に入れてある。元司空の楊彪もな。」
「楊彪様も・・・。」
「だが迂闊には処刑できぬ。やつらは帝から玉璽を受け取っているのだ。」
「玉璽・・・ですか。」
李粛もそれを聞いて呻いた。
玉璽は皇帝の証である。
その印が押された命には何人たりとも逆らえない。
「玉璽が無ければ皇位禅譲は成立せぬ。献帝が正統な漢皇室の帝であり、その禅譲を受けた形式が必要なのだ。」
「隠し持っているとお考えなのですか。」
「わからぬ。屋敷は隈なく探索させておる。拷問にもかけているが一向に口を割らぬ。」
「そう言えば、遠く北の果てで劉備という男が公孫瓚の支持を受けて新帝を名乗っております。噂では正統な帝である証を持っているとか。もしかするとそれが玉璽かもしれません。」
「その可能性は確かにある。帝の下から侍中や都尉などが数人行方知れずになっている。当初は逐電したと思っていたが、今考えると地方の血族に送った密使だったかもしれん。」
「となりますと劉備だけではないのですか。新帝を名乗っている者は。」
「南方の益州の牧である劉焉も同じだ。玉璽を所有しているらしい。他にも荊州の劉表、揚州の劉繇にもそのような噂がある。どこに本物の玉璽があるか皆目見当がつかぬ。」
「劉を姓に持つ者など星の数ほどおります。それを全て探し出し討つことなど不可能に近いかと。」
「王允が口を割れば話が速い。」
「割りますか。」
「自らの痛みには耐えられそうだが、果たして孫たちの苦しみもがく姿を見たらどうかな。」
「なるほど。実行犯たちを未だに生かしていたのはそのためでしたか。」
李粛は感心しながらそう答えたが、内心では
(忠義に厚い王允が私情で動くはずがない。己の孫が切り刻まれ、悲鳴をあげてのたうち回ったところで王允は口を割らぬだろう。孫が目の前で凌辱されたとしても目を背けず、己の信念を貫き通す強さを王允は持っている。董旻は王允という男を侮っているようだな。)
「問題の二つ目は実行犯の中に呂布の娘が混じっていたことじゃ。よもやあの男までも反逆に加担しておったとは。」
「そうでしたか・・・」
李粛はそう驚いた声をあげたが、当然のことながらすでに知っている事実だった。暗殺が上手くいけば李粛も兵を率いて一斉に蜂起し、董卓の残党を討って長安を占拠する手はずだったのだから。
しかしそう容易くは事は成らなかった。
幸いな事に李粛が離反する動きをとっていたことをまだ誰も知らない。
もしもの事態を想定して、ギリギリまで側近にも漏らさぬという取り決めが功を奏した。しばらくは何食わぬ顔で董卓配下の将を装っていられる。
「野戦で奴を討てる者などこの国にはおらぬ。七万の兵をすべて繰り出しても洛陽に駐留する一万の呂布軍には勝てぬだろう。それほどにやつは強い。」
「しかし呂布は城戦は苦手。一万の兵では長安は囲えません。もちろん郿城もです。そして、時をかければ兵糧が不足し呂布の兵は離反します。なので仮に野戦に臨んでも勝とうとはしないことです。」
「お主は同郷で、呂布からの信任も厚かった。和睦の使者に発ってもらいたい。」
「和睦・・・するのですか。」
いかに呂布と雖も長安・南陽・潁川の三方から攻められれば対応はできないだろう。洛陽はきっと落ちる。しかし董卓軍の被る損害は計り知れない。互いの現状を考えると和睦という解決方法が導かれるのも当然であった。
「こちらにはまずは徐栄を行かせておる。兵は二万。」
「二万ですか。では長安には五万の兵しか残っていませんな。」
「そうじゃ。しかし攻めてくる敵はおらぬ。五万の兵でこの長安は守り切れるだろう。」
「徐栄将軍とて二万では呂布には勝てません。」
「捕らえた娘を連れていくのじゃ。和睦に応じねば斬ると言え。」
「和睦に応じたらいかがします。まさかそのままにしておく訳にもいきますまい。」
「和睦の会を開き、毒を盛って親子共々殺してしまえばいい。残った兵は帰参させよ。最強の騎馬隊。殺してしまうには惜しい。お主がその兵を率いよ。」
「私が、ですか。わかりました。」
李粛は渋々引き受けた。
だが、董卓暗殺を諦めたわけでもなかった。
政権転覆が上手く運べば、王允より左将軍の地位を約束されているのだ。
外に出ても好機を探す腹づもりである。
「しかし太師様がそのような時をかける決断をよくされましたな。」
「ウーム・・・」
腕を組んで董旻は唸り声をあげた。疲れ果てた老人の顔だ。
「太師様の決断ではないのですか。」
「お主にだけは語っておく。」
「はい。」
董旻はさらに深刻気な表情で、
「・・・実は太師様は急な病に倒れて臥せておいでなのじゃ。ここ二日、飯も喉を通らぬ。医者の話では心労だそうな。」
「え!?そうでしたか。太師様がお倒れに・・・。確かに今日まで駆け抜けてきた戦場、修羅場は数知れず。それが知らず知らずのうちに限界まで披露が積み重なっていたのかもしれませんね。確かに大変な事態。ではこの決断は大将軍様のものなのですか。」
「緊急事態なのでな。これが三番目の問題じゃ。今は影武者で凌いでおるが、そう長くはもたぬ。太師様がおらぬことを知れば、よからぬことを考え始める者たちも出てこよう。よいか、これは最高機密じゃ。」
「かしこまりました。」
「処女の肝がこの病には効くそうな。捕らえておる王允の娘の肝を食せば太師様の病も癒えよう。」
「肝・・・。」
想像しただけで李粛は身震いをした。
董卓ならば躊躇わずに実行するだろう。
「ほ、他には問題はありませぬか。」
「そうじゃな・・・おそらく今回の暗殺劇に加担している者たちもいるだろう。子供たちを拷問にかけ吐かせる。このことで宮廷の役人どもを殺し尽さねばならなくなるかもしれぬ。」
李粛の背中に冷たい何かが流れた。
暗殺の実行犯たちである王耀や楊脩などは李粛が加担していることを知っている。
それが明るみになれば李粛など簡単に消されてしまう。
李粛は動揺をなるべく見せないように心がけながら、
「元来本日が処刑日だった者たちはいかがするので。黄門侍郎の荀攸などの処刑は明日に控えておりますが。」
「今はそれどころではない。捨て置け。この件が片付けば一斉に処刑すればよい。」
「かしこまりました。」
李粛が長安を出た。
兵二千と共に呂布の娘「斗」を連れている。
反逆者である呂布討伐の後詰という役であったが、王耀たちが真実を明かせば逆に自分に追手がくるだろう。
李粛は絶望的な気持ちであった。
しかし今できることは他には無い。
迷いを振り切る様に馬に鞭を打ち東へ駆けるのであった。
一方その頃、あの男が長安の都を目指していた。
次回は「牛引き」の刑がついに施行か!?。
長安に近づく「あの男」とは一体!?
乞うご期待。




