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第5回 界橋の戦い その4

公孫瓚VS袁紹の緒戦はこれで終了です。


第5回 界橋の戦い その4


 なるほど。黄巾の賊徒とは手ごたえが違う。

 張飛ちょうひは蛇矛を振るって目前に群がる歩兵たちを蹴散らしながら、内心ではそう驚いていた。


 敵兵は張飛の暴勇を間近で見ても恐れないのだ。

 死を恐れぬほどに調練を積むことは並大抵のことではない。指導者がよほど兵や戦の機微に精通していない限り調練だけでは至らぬ領域である。

 また、将と兵の意思の疎通がはっきりしていて動きに無駄が無いことも賞賛に値する。

 それぞれが今何をすべきかを考えながら統率者の指揮に従っているのだろう。受け身では無く能動的な意識を持つ軍は手強い。組織力を数倍に高めることができるからだ。

 一兵卒に至るまで時をかけて教育を受けているのだろう。


 千では到底足らぬ。


 一度目の陣を突破し、二度目の陣に突入して張飛ははっきり自覚した。

 個の武勇だけでは崩せぬ相手であると。


 ちらりと横を見ると、竜巻のように青竜偃月刀を振るう関羽かんうの姿があった。張飛の視線に気づき一瞥するとやや不満げな顔をした。


 言葉にせずとも言いたいことが伝わるほどに関羽と張飛は共に死線をくぐり抜けてきている。まさに以心伝心である。


 勝てぬ。という決断が張飛から関羽に伝わった。


 張飛たちの騎馬隊の速度は完全に殺されている。

 それでも前にジリジリと進めているのは、張飛と関羽の他に趙雲ちょううんの獅子奮迅の働きによるものが大きい。

 趙雲の眼前に現れる兵は、得物えものの刃を合わせることも無くその点鋼槍に突き倒されていた。三人を一瞬で屠る恐るべき穂先の速度であった。


 やがて最初に両断した陣の歩兵が再度集まり後背を突いてきた。


 完全に挟撃の形に落とし込まれている。


 背後を気にしたら即座に壊滅するだろう。

 今はただがむしゃらに前に進むしかない。


 敵の総大将、袁紹えんしょうに届くか否かだ。


 ふと見ると、白銀の甲冑に身を固めた趙雲が見るからに只者ではない将と打ち合っていた。濃い緑の甲冑に鹿角をつけた兜、黒く大きな馬に跨り、大薙刀を軽々と振っている。身長も関羽や張飛ほどもあった。相手をしている趙雲はもともと小柄なので、まさに大人と子どもの対戦である。


 趙雲が得意の連突きを繰り出した。

 愛馬の白竜も主人の動きに合わせて絶妙につっかける。

 必勝の攻め口だ。

 だが穂先は相手の喉には届かなかった。

 大薙刀で簡単に払われ、逆に受ければ確実に両断されるであろう一撃を返される。

 趙雲は紙一重でその刃をかわした。


 袁紹軍きっての猛将と呼ばれる文醜ぶんしゅうなのか、はたまた顔良がんりょうに違いない。

 なるほど。噂通りの驍将ぶりだ。


 趙雲の武威は完全に止められた。


 気づけば関羽も異様に派手な甲冑を身にまとった将と名乗り合っていた。

 こちらも文醜や顔良のどちらかであろう。


 これはいかん・・・。

 騎馬隊の強みはその機動力にあるのに封じ込まれてしまった。


 張飛は蛇矛で目前の歩兵の陣形を崩すものの馬を前にはなかなか進められない。

 騎馬の勢いを失い千対一万の戦いになれば勝ち目は無いのだ。

 五千を振りきり、五千を切り抜けてこそ敵大将に至ることができる。

 だが訓練を受けた正規兵相手ではそう易々とはいかないようだ。


 完全に囲まれた。


 こうなってしまえば千の騎馬隊など瞬く間に皆殺しにされる。


 脱出しようにも動きがとれない。


 趙雲は大薙刀の刃をかわしつつ倒す機会を窺っている。

 関羽もまた激しく打ち合っているが勝負はついてはいなかった。


 「おい。どこを向いている。」

と、張飛を呼ぶ声がした。見ると若いもののふが馬にまたがりこちらに睨みをきかせていた。

「なんだ若造。俺を呼んでいるわけではあるまい。」

張飛もまた大きなまなこに力を込めて睨み返した。

「あんたが一番強そうなんで声をかけさせてもらった。袁紹が旗本八騎のひとり、張郃ちょうこう。相手になってもらおうか。」

「フン。己の力量を測れぬ小僧が生意気に。この張飛を相手にして後悔するなよ。」

「おう。その首いただく。」


 叫ぶなり馬を疾駆し、槍で一撃を繰り出してきた。

 速い。

 細身の身体だが、鷹のように鋭い突きである。


 張飛は蛇矛で跳ね上げる。

 そのまま首筋目がけて蛇矛を振るった。

 互いの馬がすれ違う一瞬のことであった。


 張郃はその穂先を間一髪で受け流した。

 殺しきれなかった威力でその頬が裂けて血が草原に飛ぶ。


 なるほど。簡単にはいかぬ相手らしい。


 このまま張飛すら止められてしまえばこの騎馬隊は壊滅するだろう。


 見れば関羽は押している。が、趙雲は押されていた。

 味方の兵は堪え切れずに倒される者が続出している。


 「こりゃ驚いたぜ。文醜様や顔良様より強ええじゃねえか。おもしれえ。逃がさねえぞ。」

張郃は歓喜の表情で張飛に馬を寄せてくる。

 時をかければ倒せる相手ではあったが、今は時間が無い。

 張郃を押し切ったところで味方の兵が全滅してしまえば意味が無い。


 ここは一端退くかないか。


 決断すると行動は速い。あとは包囲陣に隙を見出すことができるかどうかだ。

 

 張飛は張郃の槍を受けながら、周囲を丹念に見渡した。

 圧力をかけてくる歩兵たちの構えは実に隙が無い。

 これが袁紹の統率の成果であるのなら評判とは随分と違う。袁紹は相当な戦上手ということになるだろう。


 「張飛!どうした。先ほどの切れがないぞ。よもや逃げ切れると思っているわけではあるまいな。この七陣は沮授そじゅ様が手塩にかけて育てた軍。そこにたかが千ほどの兵で突撃を仕掛ける馬鹿さ加減をあの世で悔いるんだな。」

張郃がそう叫んで槍を繰り出す。


 沮授。

 それがこの兵たちを調練した男の名前らしい。

 覚えておかねばならぬ名だと張飛は感じた。

 張飛が見たところ完璧な包囲陣であった。


 これは抜けられぬかもしれぬ。

 

 その時、張郃の表情が変わった。張飛ではない別の何かに注目している。

 張飛はその視線を追った。

 背後に馬蹄の響き。

 先頭には何かを喚いている見慣れた男の姿があった。


 大兄あにじゃか・・・。


 関羽、張飛の義兄にして、公孫瓚の掲げる新帝である劉備りゅうびであった。

 陣営に残してきた千の騎兵を従えて猛然と突っ込んでくる。


 新手の出現に包囲網が幾分揺らいだ。


 張飛は隙を見極める。


 それでも抜けられる機会は僅かなものだろう。


 包囲網に突撃すると思われた劉備の騎兵はそのまま素通りしていく。

 目標は袁紹本陣三千。


 包囲網の兵たちがそれを見て一様に驚愕の悲鳴をあげた。


 すぐにその後を追う者も出てくる。

 なるほど。包囲網に突っ込んで救出に来ても火に油を注ぐようなものであったが、別動するのなら話も別だ。本陣を守るため兵を割かねばならなくなる。必ず突破の隙はできる。


 「雲長うんちょう小兄あにじゃ、お嬢ちゃん、この辺りが潮時だ。一点突破で包囲網を抜けるぞ。」

張飛の声を聞いて関羽と趙雲は一騎打ちの手を止めた。


 「文醜よ、いずれまた他の戦場で合いまみえようぞ。」

あと数合打ち合えば勝てると踏んでいた関羽はやや口惜しそうな表情でその場を後にした。


 「顔良殿、この勝負また後日に決着をつけましょう。」

趙雲は荒い息をしながらそう言い残した。


 劉備の騎兵を追って兵の数の減った地点に張飛が突っ込む。関羽と趙雲、満身創痍の兵たちがその後に続いた。そして止まることなく駆ける。


 劉備は幾分速度を落として進軍していた。

 歩兵ばかりの袁紹軍はそれでも追い付けない。

 張飛たちが劉備に追いつく。


 「玄徳げんとく(劉備の字)の大兄、済まぬ。助かった。」

張飛は素直に感謝の言葉を伝えた。

 大きな耳を揺らしながら満面の笑みの劉備は、

「あはは。気にするな益徳えきとく(張飛の字)。それより袁紹は手強いな。侮れぬ相手だよ。お前も倍の兵がいたとしても討てなかっただろう。」

「なんだ、このまま袁紹の首を討ちに行くのではないのか。」

「無理、無理。そんな冒険に何の意味がある?」


 張飛の連れて来た千の兵は大半が負傷し戦の継続は厳しい。劉備の兵は疲れはないが袁紹の強固な旗本の構えを崩すことは難しいだろう。時をかければ後背の一万の兵に追いつかれて今度こそ逃げ場はなくなる。


 張飛の感覚では、もはや勝ち目がない。あとはいかに損害を少なくして戦場を離脱できるかだ。進言せずとも劉備もそれを感じているようだった。


 五千の兵がいれば・・・。


 相手と同数の兵はいらない。せめて五千いれば袁紹の本陣は落とせた。

 それが張飛の答えだった。


 「大兄あにうえ、敵本陣を突かぬのであれば進軍方向を変えましょうぞ。北平に戻り軍を整えねば。」

関羽がそう話しかけると、劉備はさらに大きな笑い声を発して、

「雲長よ、もう北平に帰るのはやめだ。」

「な、なんと。」

「公孫瓚では袁紹には勝てん。袁紹に勝てんということは、このままここにいても俺たちの志はまっとうできないと言うことだ。だからもう公孫瓚のところには戻らん。」

「離反、すると?」

「受け止め方は自由だ。天下泰平のために必要な人材は公孫瓚や袁紹のような騒がしい男たちでは無いということだ。」

「ではどこに行かれるのか。」

「そうだな・・・南、いや東か。黄河を渡りまずは青州せいしゅうにでも行ってみようか。」

「青州・・・」


 劉備軍は待ち構える袁紹本陣の脇を抜け、南東の方角へと駆けて行った。

 

 「子龍しりゅう(趙雲の字)よ。お前は公孫瓚のところへ戻れ。お前は公孫瓚の部下ではないか。」

劉備がそう声をかけると、白竜にまたがり疾駆する趙雲は、

「いえ。良い機会です。私も公孫瓚様のもとを離れます。」

「そうか・・・巻き添えにしてしまったようで申し訳ないな。着いてくるのか。」

「顔良殿と戦い気が付きました。私はまだまだ未熟者です。諸国を巡り武芸の技を磨きます。」

「まったく生真面目な女だな。子龍は。」

「恐れ入ります。私の目標は呂布りょふ様を倒すことです。その差は計り知れないことを今回は思い知らされました。」

「公孫瓚には良いのか?何も言わずに軍を離れることになるが。」

「はい。死んだものと思っていただいて構いません。」

そう答えて趙雲は寂しそうに笑った。


 隊長の任を解かれ、実際に死んだ者のように扱われていたのだ。

 しかしこれまでの戦で拾ってもらった恩は返したという実感もある。

 

 「よかろう。人は生まれながらにして自由だ。好きに生き、好きに死ねばいい。達者でな子龍よ。」

「はい。劉備様のご武運を祈っております。」

「ありがとう。我らは青州へ向かうが、子龍はどこへ行く。」

「・・・揚州ようしゅうへ向かおうかと思っています。」

「揚州?そんな辺鄙へんぴな場所に行くのか。」

「奥地ではありません。寿春じゅしゅんです。」

「おお。それならばまだよいな。漢人も多いと聞く。あそこは確か今は・・・」

袁術えんじゅつ様が治めておいでです。」

「そうだ。袁術だな。」


 張飛が馬を進め、

「またお嬢ちゃんの袁術様―っが始まったか。」

「張飛殿、その呼び方は改めてもらうよう言っていましたが。」

「はいはい。それよりいいのか、このまま行ったらお前は裏切り者扱いだぞ。」

 張飛がいつになく心配げな顔でそう尋ねた。

 趙雲はやや表情を曇らせながらそれでも笑顔で、

「劉備様の教え通りに私は自由に生きます。そして父の願いであった袁術様のお手伝いをしたいのです。」

「お嬢ちゃんは言い出したらきかないからな。まあ、またどっかで会うこともあるだろう。」

「その時は敵同士かもしれませんね。」

「はっ!おもしれえ。その時は遠慮せずやらせてもらうぜ。」

「望むところです。張飛殿を越えぬ限り、呂布様には届きませんからね。」

「馬鹿なこと言ってるな。俺に追いつくってことは、呂布の野郎を越えたってことだぞ。勘違いするなよ。」

「フフフ・・・。わかりました。その言葉忘れませんよ。」



 こうして劉備、関羽、張飛、そして趙雲は冀州を後にするのであった。


次回は話を董卓に戻します。

連環の計を失敗した王耀たちの現状も判明します。

乞うご期待。

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