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第4回 界橋の戦い その3

袁紹軍の中心人物、田豊登場。

文醜・顔良の両将もいよいよ関羽・張飛・趙雲と激突です!


第4回 界橋の戦い その3


 公孫瓚こうそんさんの軍の中核を担う精鋭の白馬義従が壊滅したことで、本陣の歩兵三万にも動揺が広がり、敵軍とぶつかる前に大半が潰走し始めた。

 その本陣を統率しているのは公孫瓚旗下で最も戦経験を積み、信頼の厚い厳綱げんこうである。そんな厳綱をしても崩れた大軍の流れを変えることは至難のわざだった。

 それでも本陣の核となる厳綱の旗本二千だけが必死に戦いなんとか持ち堪えている。

 それも袁紹えんしょう軍の四方向からの攻撃によりどんどん押し込まれていた。


 袁紹軍の勝利が確定したと言ってもよい。

 

 男は重そうな一重瞼の奥からじっと戦況を見守っていた。

 簡単な鎧袖がいしゅうを身にまとい、平素な剣だけを腰から下げている。徒歩かち姿ではあったが、なぜか周囲の兵とは放つ雰囲気が異なっていた。


 「おお、元晧げんこうここであったか。お主の策略が見事にはまったぞ。河北最強と謳われた公孫瓚の白馬義従をこの袁紹えんしょうが破ったのじゃ。」

興奮気味に男に駆け寄ったのは総大将である冀州きしゅうの牧、袁紹であった。

「牧様、お喜び申し上げます。」

男は左の拳を右手の平で包んで頭を下げた。

「おお、お主のお陰じゃ。これで河北は我が手に収まった。」

袁紹はそう言って男の手を取り何度も何度も頷き、喜びを表すのであった。


 袁紹に手を握られている男の名は田豊でんほうという。あざなは元晧。

 ここ冀州の生まれだが、故あって袁術えんじゅつに仕えていた。そのことを知っている者は袁術以外にほとんどいない。実際は袁術の傍ではなく、都に住む袁術の長子、王耀おうようの側役だったからである。

 袁術の兄である袁紹が冀州の牧に就任した際に密偵としてこの冀州に送り込まれた。

 そのとき王耀の側役は後任の魯粛ろしゅくに託している。


 (袁紹このおとこにしては珍しく胸襟きょうきんを開いているな。それほどこの勝利が嬉しいということか)

田豊は袁紹の歓喜の表情を間近で見つめながらそう思った。


 袁紹は名門中の名門、袁家の出である。四世三公を輩出したこの名家を知らぬ者はいない。

 袁家の家督を継いだ兄の袁基えんき洛陽らくようの都で太師である董卓とうたくに殺され、宙に浮いた家督の座を弟の袁術と争っていた。

 父である袁逢えんほうは正妻の子ではない袁紹を殊更に可愛がっていたという。

 人間の質は風貌に表れると信じられていた時代である。

 袁紹は落ち着きがあり威厳に満ちた風貌を父に愛されたのだ。

 その事実が家督争いを更にこじれたものにしていた。

 袁紹には名家特有の驕りが無く、名士を尊び常に助言に耳を傾ける謙虚さを持ち合わせていて様々な階層の人間たちから人気があった。冀州の牧に就任後も盛んに人を集め、幕僚には名だたる清流派の士が名を連ねていた。

 そんな中、田豊は官途に就いていない処士しょしであったが、才を見込まれて取り立てられた。


 実際に傍に仕えてみると「評判通りでは無かった」などということはよくある話である。


 田豊には袁紹の慎重さが「優柔不断」に映り、他者を裏から誘導し己の手を汚さない周到さは「臆病」と見て取れた。

 どちらも英雄としての気質ではない。

 多くの賢人の話を聞きたがるが、その実、己の心を吐露するような親密さは決して求めてはいなかった。常に誰が自分に必要な人物なのか、どのような役に立つのかを冷静に吟味しているように田豊には感じられた。

 非常に「利己的」な人間である。

 これが田豊の袁紹に対する客観的な評価だった。

 要するに主と仰ぐには魅力を感じられない男ということである。


 無論、密偵としての役目がある田豊には袁紹に対しての忠誠心は持ち合わせてはいない。


 一方で北平ほくへいの公孫瓚は袁術の同盟者である。

 袁術の密偵として送り込まれ、別駕べつがとして袁紹の参謀役を務める田豊には公孫瓚の軍が優利になるよう戦況を誘導することも可能だった。

にもかかわらず、今回はその撃退に一役買っている。


 理由は簡単で、袁術が公孫瓚を信用していないからである。


 袁術は「汜水関しすいかんの戦い」「潁川えいせんの戦い」と絶体絶命の危機を公孫瓚の白馬義従に救われている。公孫瓚も袁術の信用を得るために必死だったからだ。そのことについて、袁術も相応の恩義を感じていることは間違いない。


 問題は公孫瓚が劉備りゅうびという皇族の血をひく者を新帝に掲げたことだった。


 これについては、袁紹が幽州ゆうしゅうの牧である劉虞りゅうぐを新帝に掲げようとしたことへの対抗策なのだが、最近では公孫瓚は勝手に玉璽を用いて州刺史などを任命していた。

 版図拡大の野心は河北に収まらず、青州せいしゅう兗州えんしゅうまでにも至っている。

 

 仮に公孫瓚が袁紹を倒し河北を制した場合を考えると袁術にとっても危ういことが多く想像された。おそらく袁術の制御できない勢力となる。


 田豊が考えるに袁術は公孫瓚を恐れている。

 

 これ以上、公孫瓚の勢力が大きくならないよう牽制するのも田豊に課せられた任務だといえた。よって今回の戦いでは白馬義従を撃退する献策をしたのである。

 強弩兵の伏兵は凄まじい効果を生み多大な損害を公孫瓚に与えた。


 ここで公孫瓚の兵が退けば、しばらくまた互角の兵力で袁紹と公孫瓚が均衡を保つ日が続くことになる。


 袁術はその間、揚州ようしゅうに勢力を伸ばすことだろう。



 「よし、この戦が終わり次第、元晧を都督ととくに取り立てることにしよう。一気に北平まで攻めのぼり、公孫瓚の首を討つ。」

「牧様、焦りは禁物です。北平には公孫瓚の旗本が残っています。公孫瓚自体が率いる白馬義従の部隊もあります。今回の策が成功したのも相手が新米の公孫範こうそんはんだったからです。もし、公孫越こうそんえつが健在であったらこう上手く運んではいません。」


 白馬義従の総大将だった公孫越は部隊を柔軟に七つに分け、様々な攻撃態勢を編み出していた。曹操そうそうのだまし討ちに遭って前年に死亡していたが、生きていればこのような策は容易に破ったに違いない。


 「白馬義従など恐れるに足らぬわ。見よ、一糸も報えず無様に横たわっているではないか。よいか、河北を制すれば三十万の兵は養えるようになる。そうなれば長安にいる董卓にも匹敵する兵力じゃ。公路こうろ(袁術の字)もわしの威光に恐れをなし家督を譲ることじゃろう。一刻も早く公孫瓚やつを討て。」

血走った目をさらに充血させて袁紹が叫んだ。


 と、向こうで兵たちが騒ぎ出した。



 見ると、さらに向こうに疾駆する騎馬の一団がある。


 数にして千。


 袁紹の第七軍、旗本は一万三千。皆が勝利の歓喜に酔いしれている。


 「何奴じゃ。」

袁紹が短く問う。

 「はて、旗印は公孫瓚のものではありませぬ。」

側近の許攸きょゆうが答えた。緊迫感はない。当然だろう。兵力が違いすぎるのだ。


 (劉の旗印・・・あれが噂に聞く劉備の一団か・・・)

田豊はいち早くその存在に気が付いていた。


 劉備の一団は黄巾の討伐で一躍有名となった。

 義勇軍であったが各地で転戦し、武功をあげ続けたのだ。

 特に関羽かんう張飛ちょうひの二枚看板は強力で、五倍の兵を簡単に打ち破ったことでも知られている。


 「殿、文醜ぶんしゅうをぶつけます。五千の兵を割きましょう。」

上背のある将がそう袁紹に建言した。第七軍の直接の統率者である沮授そじゅである。


 (さすがは沮授。一目で劉備の一団の脅威に気が付いたか。しかし、文醜の五千で止められるのか・・・)


 「ぶつけたらすぐに退かせ、さらに顔良がんりょうに五千をつけて殲滅させます。」

沮授はさらにそう言葉を続け、ニヤリと笑って田豊を見た。沮授もこの新参者である田豊の才を見抜いていた。競い合うべき強敵あいてだとも感じている様子である。


 「構わぬ。広平こうへい(沮授の字)よ、うるさい蠅を叩き潰せ。」

袁紹がそう言い放つと、右翼にいた五千の歩兵が動きだした。


 率いるのは袁紹の軍で最強を誇る武将、文醜。

 五千の中で文醜だけが乗馬している。


 魚鱗の陣で騎馬隊にぶつかった。


 文醜の兵も鍛え抜かれた精鋭だったが、劉備軍の騎馬隊の突撃はそれを上回る調練の賜物である。ぶつかるや否や中軍の域まで突っ込んだ。


 退く、というより文醜の兵は完全に陣を両断されてしまった。


 左翼から顔良の歩兵が動き出す。


 こちらも魚鱗の陣を敷いて騎馬隊に向き合う。


 文醜の兵は完全に左右に散っている。抗わず、その一撃を真っ向から受けて敵騎馬隊の速度を減退させていた。


 騎馬隊が顔良の陣に突撃する。

 明らかに威力が落ちていた。

 今度は中軍まで達しない。


 背後の文醜の歩兵がすぐに固まり、騎馬隊の背後を突く動きをした。


 騎馬隊は背後を気にせず、ただがむしゃらに前に進もうとしていた。


 中軍にいた顔良が馬首を巡らし敵将を探している。


 白馬に跨り白銀の甲冑を身にまとった将を発見した。


 すかさずに馬を寄せて名乗りをあげた。

「我こそは徐州じょしゅう瑯邪ろうやの顔良なり。敵の大将とお見受けした。いざ尋常に勝負せよ。」


 白馬の将はこれ幸いと一騎打ちに応じるのであった。


いよいよ次回、界橋の戦い 最終回

あの人がついに登場です!!

乞うご期待。

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