第2回 界橋の戦い その1
「界橋の戦い」開幕。
袁術派の公孫瓚VS袁紹
果たして勝利の女神はどちらに微笑むのか。
第2回 界橋の戦い その1
早春の空に雪が舞う。
地に落ちた雪の一片は何も出来ずにすぐに消えた。
その中を一頭の白馬が疾駆していく。
馬上では白銀の甲冑をつけた士が槍を右手に目前に迫った陣を見つめていた。
「おうおう、これは白馬義従七番隊隊長殿、よくぞお越しいただいた。いやいや、これは失敬。七番隊隊長の座は剥奪されていたのだった。今は、しがない伝令役だったな。」
虎髭の巨漢がにやけた表情でそう言いながら白馬の士を出迎えた。
「お出迎えご苦労です張飛殿。酔っぱらって眠っているところかと思っていましたが、案外と雪のように素面。この天気といい、珍事は続くものですね。」
白馬の士は颯爽と下馬するとそう言って兜を脱いだ。
肩まで伸びた黒髪。
大きく潤んだ黒い瞳。
雪よりも透き通るような白い肌。
公孫瓚の旗下において抜群の武勇を誇る女将、趙雲子龍である。
その前に立つと誰もが竦みあがるほど厳つい張飛の前でもまるでたじろぐ素振が無い。強い意志の光を放つ瞳で真っ直ぐに張飛を見つめ返していた。
「へこたれていると思ったが、案外と図々しいお嬢ちゃんだな。」
「当然です。隊長の座を降ろされたぐらいのこと気になどしていません。私には志がありますから。」
「そりゃようござんした。武士は食わねど高楊枝ってやつか。」
そう言って張飛が笑うと趙雲もさすがにムッとした表情を浮かべた。
「何を絡んでおる益徳(張飛の字)。」
腹に響く大声で幕舎から長い髭を蓄えた青黒い偉丈夫が現れた。その姿を発見して趙雲の表情が和む。
「これは関羽さん。お久しぶりでございます。」
左拳を右の手の平で包んで礼をした。
「おお、趙雲殿か。壮健そうで何より。前線の動きはどうじゃ。」
「はい。本陣は袁紹の拠点、鄴の東方百里(50㎞)に陣を構えました。」
「いよいよ合戦が始まりそうじゃの。趙雲殿の見立てではどこで両軍ぶつかりそうじゃ。」
「おそらくは界橋辺りかと。あそこであれば騎馬隊の強みを充分に発揮できます。」
「公孫越殿亡き後の白馬義従の総大将は従兄の公孫範と聞いたが。」
「はい。渤海に侵入した黄巾の賊徒を寡兵で撃退したのが公孫範様です。」
「なるほど。その武功あっての公孫瓚殿のご指名か。しかし長年に渡って白馬義従を率いてきた厳綱殿や田楷殿は趙雲殿同様に追い出されたとか。」
「厳綱様は冀州刺史。田楷様は青州刺史に任じられています。左遷ではありません。」
「実際の冀州の支配者は袁紹。青州とて今は孔融殿が刺史を務めているはず。名ばかりな任命と言わざるをえない。戦の口実としてはいささか無理があり過ぎるのでは。」
「袁紹には昨年、公孫越様がだまし討ちに遭っています。これを見過ごす訳にはいかないのです。」
「公孫瓚殿の領土拡大の野心は誰もが知るところ。今更、大義名分を取り繕ったところで義など立ちますまい。」
「御忠告痛み入ります関羽さん。周囲にどう思われようと公孫瓚様はここで袁紹と雌雄を決する覚悟。微力なれど私は少しでもそのお役に立ちたいと考えております。」
「フン。こんな最後尾では役に立つもクソもあるまい。何もせぬ間に戦が始まり、そして終わるだけだ。」
張飛がそう横やりをいれてきた。
それを聞いて趙雲の顔が曇る。
確かにそうだった。
劉備軍は後詰である。公孫瓚から新帝に担がれている劉備が、命の危険に晒される戦線に投入されることはないだろう。その伝令役を仰せつかっている趙雲もまた活躍の場など無い。
「界橋は東郡からも近い。曹操の援軍に対する警戒はどうじゃ。」
関羽が尋ねると趙雲が頷いて、
「そちらは歩兵二万を率いる田楷様が睨みをきかせています。」
「そうなると本陣は。」
「歩兵三万を厳綱様が率い、左翼と右翼に白馬義従合わせて一万を配しています。こちらは公孫範様直々の指揮。兵数で勝る袁紹なれど、我が軍と比べればくぐり抜けてきた修羅場の数が違います。袁紹の兵は弱兵。後れをとることはよもやありません。」
「袁紹とて馬鹿ではあるまい。騎馬隊の強みを生かせる場所でわざわざ戦うとは、何か策があるのではないか。」
「策・・・ですか。」
趙雲が驚いた表情を浮かべると関羽は愛馬に跨り、
「どれ、益徳と前線の物見でも行ってこようかの。」
「おっ!それはおもしれえ。さすが小兄だ。お嬢ちゃんはどうする。こんな後ろで指を咥えて見ているだけかい。」
「・・・行きたいのはやまやまですが、私の任務はあくまでも劉備様との連絡役。勝手は許されません。」
大きな黒い瞳を潤ませながら趙雲は二人を見つめた。
「千ばかり後詰の兵を動かそう。なに、我らは公孫瓚旗下では無い。あくまでも客将扱い。動く自由は与えられておる。されば趙雲殿も伝令役として我らとともに前線に向かえるというものじゃ。」
「関羽さん・・・・ありがとうございます!お心遣いに感謝致します。」
「どうせ小兄は袁紹軍の名のある武将と戦いたいだけだろうに・・・」
「何か言ったか益徳!」
「い、いや何も。いいぜ、善は急げってもんだ。さっさと行こう。」
「しかし劉備様に断りも無しに行くわけには・・・。」
「我が軍は臨機応変さを良しとする。報告は事後で構わぬ。騎馬隊千を連れて出陣じゃ趙雲殿。」
関羽が青竜偃月刀を掲げて出陣すると、その後に千の兵が一斉に動き出した。
張飛と趙雲も慌てて馬首をめぐらせる。
「本当にいいんですか。こんな勝手に。」
「しつこいお嬢ちゃんだなあ。そんな些細なことに大兄はこだわらないんだよ。」
「些細なことって・・・半分の兵を動かしているんですよ。」
「わかんねえよ大兄は。そんなことより一番美味しいところをいただこうぜ。袁紹軍で最強を誇る猛者は誰だ。」
「ええと、文醜と顔良の二将の武名が有名ですが。」
「文が醜く、顔が良いか。面白そうな奴らだ。字か。」
「さあ、詳しくは分りません。袁紹は名のある士を多数自陣に迎えていますが、その戦力は未知数です。何せまともに戦ったことが無いのです。反董卓連合の際も最後まで腰を上げず。今回の黄巾の残党の河北への侵入にしても公孫瓚様にまかせっきり。戦えば強いのか弱いのか、誰にも分りません。」
「お嬢ちゃんはさっき、袁紹の兵は弱兵と言っていたが。」
「・・・あくまでも噂です。味方の士気を上げるために皆がそう吹聴しています。」
「戦では過信が一番の敵。戦わずにそんな話が出回っているようでは、公孫瓚め危ういな。」
張飛はそう呟いて首の骨をくきくきと鳴らした。
張飛の戦場の機微を嗅ぎ分ける力は趙雲もこの目で確認している。
董卓軍で最も精強と呼ばれていた華雄の攻撃を見極めたのも張飛だった。
兵法を学んでいるわけではなさそうだ。
恐らく経験値から予測されたものなのだろう。
関羽は義弟の張飛を指して「戦の天才」と称していた。
戦場で共に行動していても間違った判断を下したことは確かに無かった。
「張飛殿、袁紹は白馬義従相手にどのような策を弄してくるのでしょうか。」
「さあな。現場を見ないと何とも言えんよ。戦は頭じゃねえ、空気を感じてやるもんだ。」
いつになく大人の様な台詞を吐いて、張飛は慌ててそっぽを向いた。趙雲は馬を駆けながらじっとその横顔を見ている。
(もしや、この張飛という男、いずれ天下に名を轟かす英雄となる器なのではないだろうか)
趙雲はそんな感覚に囚われていた。
「まあ、お嬢ちゃんには逆立ちしたってわかんない話だろうけどな。」
そう言って張飛はまたニヤニヤするのであった。
(いや、そんなはずはない。天下に名を轟かすのは呂布様のような男なのだ。このような性格の悪い男が英雄となれるはずがない。)
そう思い首を振って前方のみに集中する趙雲であった。
こうして河北の覇者を決める「界橋の戦い」が幕を開いた。
次回、両軍が激突します。
乞うご期待。




