第3章 蠱毒 第1回 旅の男 (初平三年・192年)
第3章スタートします。
いよいよ諸国の群雄同士のぶつかり合いです。
袁術異聞伝
第3章 蠱毒
第1回 旅の男 (初平三年・192年)
海棠の桃色の蕾が朝露に濡れて光を放っている。視線をやや地面に逸らすと福寿草の黄色が一面に敷き詰められていた。
春を満喫する美しい光景が人々の暮らしの間に広がっている。
(ここの領主は風情を楽しむ趣もあるようだ。)
そう感心しながら男はすでに寿春の街中に足を踏み入れていた。
農作物を売る小売屋の掛け声。
壺や皿を売る店。剣や槍を売買している所もあった。食事をとる料理店の他に酒を飲む居酒屋もある。漢方薬を処方する店、西方から輸入した商品を扱っている店もある。
街は活気に溢れていた。
それもそうだ。周辺から戦乱を避けて何十万という民衆がこの寿春の地に集っているのだ。都である長安を凌ぐ賑わいである。
そんな街の一角で大勢の人が集まっている場所があった。
かん高い男の声も聞えてくる。
旅の男はその声に釣られるように歩み寄っていった。
「さあ御立合い、袁術様の軍兵に参加するなら今がお得だ。三食宿付きで、給付金も出る。五年励めば家も建つぞ。剣や槍が使えるならさらに待遇は良くなる。さて、軍勢には定員もあることだし、この待遇の募兵はここから一刻限りにさせてもらう。さあさあ、悩んでいる暇など無いぞ、どんどん志願しな」
集まっている数は百人をゆうに超えているだろう。
唾を飲み込み勢いよく手を上げて志願する者が相次いだ。
その中央でやや高い踏み台に上り大声を発しているのが袁術軍の将校のようだった。木瓜の木の蕾のような赤い甲冑に身をつつみ春の気色に同化している。
「貴公は袁将軍の旗下の将校か」
旅の男は日焼けした顔に真っ白な歯を輝かせてそう尋ねた。
「いかにも。私は袁術様の旗下にあってこの名を四方の諸国に轟かせている楽就という者だ。間もなく万の軍勢を率いる将軍に取り立てていただく予定である」
鳥の羽のような口髭をなびかせながら楽就は胸を張ってそう答えた。
観衆がどよめく。
志願者がさらに増加した。
「袁将軍は先の大戦で太師様の軍勢と真っ向からぶつかり合ったと聞くが、さて楽就様はどのような武功をあげられたのか」
「悪逆非道を尽くす董卓との戦いは多勢に無勢の負け戦。そう最初からわかっていても袁術様は出陣された。民のため、漢の国のため兵をあげたのだ。割拠する諸侯は星の数ほどいるが、立たれたのは袁術様だけだった。主君である袁術様がすべてを犠牲にして立ち向かわれようとしているのに、その旗下である私が我が身の功名などに走れようか。武功無きが真の袁術軍の兵の誇りよ」
「武功が競えないのでは兵に志願しても出世の道は開けぬの」
「何を云う。近頃力をつけている群雄などと一緒にしてくれては困る。袁術様は戦争せずに平和的に天下をまとめたいと考えておるのだ。天下を治める軍兵に卑しい手柄争いなど無用の長物」
「戦争をせぬのに募兵とはいささか詐欺めいているが」
「詐欺とは聞き捨てならぬ云い様。いいか袁術様は戦争はせぬ。これは抑止力のための募兵である。百万の兵を相手に戦争を仕掛ける馬鹿はいるまい。一万の兵では揉めたり、戦争になったりするが、大軍を率いていれば逆らう者は減る。つまり平和的に問題が解決するというわけじゃ」
集まった民衆も大袈裟に頷きながら楽就の演説を聞いている。
兵に志願した者もいたずらに命を落としたくはないのだから、戦争はせぬという台詞に強い安心感を抱いていた。
「ほう。戦争を避けるための軍勢か。兵に戦う意思が無ければそれはもはや軍とは呼べぬ。寿春を守る軍勢が張子の虎ではいささか不安ではないか」
「お主がどこの誰だかは知らぬが、袁術軍は孤高の軍じゃ。汜水関の戦いでは敵の先鋒を退け、補給線を乱す騎馬隊を撃退した。潁川の戦いでは董卓の娘婿である牛輔を討ち、挟撃する李傕・李儒の兵と寡兵ながら互角に戦い見事に損害無く撤退している。袁術軍は云わば死線を潜り抜けた修羅の兵。張り子の虎どころか逆らう者皆食いちぎる人食い虎よ」
「ふふふふ。人食い虎とは恐ろしいの」
「旅の者、愚弄するか。侮ると容赦せぬぞ」
楽就は真っ赤に顔を紅潮させ、腰の剣を抜いた。怒りで切っ先がブルブルと震えているのがわかった。
集まった民衆も驚いて声を失っている。
「拙者には愚弄する気など毛頭ない。気分を害されたのならこの通り謝ろう。ほれ、この通りじゃ」
旅の男はそう云って深く頭を下げた。それを見て観衆もほっと胸を撫で下ろした。
「ウーン。ならば早々にこの街を去れ」
楽就はそう云って剣を収めた。旅の男は顔を上げると満面の笑みで、
「そうはいかぬ」
「なぜじゃ」
「お主の主君である袁将軍に用があるからよ。いや、後将軍の位は剥奪されたと聞き及んでいるから袁術様と呼ぶのが適切か」
「袁術様に何用だ。お主は何者なのじゃ」
「拙者か……名乗るほどの者では無いが……姓を陳、名を登、字を元龍と申す」
その名を聞いて観衆が驚きの声をあげた。
近隣でその名を知らぬ者などいない。
豫州沛の相を務めている陳珪の息子で、文武両道を極めて徐州の刺史である陶謙に乞われて仕えている名士だ。
陳家は歴代の当主が諸国の太守を務め、中には三公にまで登りつめた者を輩出するほどの家柄であった。血統では袁家に匹敵するほどである。
その名を聞いて楽就の顔が青ざめた。
この男、下の者には厚顔で滅法強いが、家格や位が上の人間に対しては腰がひける。この時もそれが先に出た。先に出てからこれはまずいと気が付いた。自分は袁術の名代として募兵をしているのだ。自分が退くことは袁術が陳登に退いたことになる。
「陳登殿であったか……そうか、それはご苦労」
苦し紛れに楽就はそう答えた。あくまでも対等の立ち位置で話を続けようとしているのだ。
「ほう、拙者の名をご存じか。それでは楽就様に袁術様への御目通りをお願いしようかの」
「ウ、ウム。そうだな。よかろう。私が取り次ごう」
要件もわからぬままそう答えてしまった。答えてしまってから慌てふためく。
「徐州刺史、陶謙様の名代としてまかり越した。兗州平定にご尽力いただきたい」
陳登はそう高らかに叫び、ニヤリと笑った。
こうして、後に徐州最強の将と恐れられる陳登は、袁術との初対面を果たすのであった。
初平三年(192年)1月のことである。
春めいた寿春の地に戦乱の影が迫っていた。
次回は袁紹VS公孫瓉の「界橋の戦い」
乞うご期待!




