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第2章終幕 第36回 孫策と周瑜の決意

第36回 孫策と周瑜の決意


 豫州よしゅう汝南じょなんには孫策そんさくの兵六千と劉勲りゅうくんの兵五千が駐留していた。南陽なんようを脱出した袁術えんじゅつの妻子を保護し、劉勲の築いた砦に籠っている。ここには二ヶ月は飢えないだけの兵糧が備蓄されていたので、連戦に次ぐ連戦をくぐり抜けてきた孫策の兵は充分に身体からだを休め、傷を癒すことができた。

 しかし時を追うごとに兵たちが君主と慕う孫堅そんけんの戦死の影響が色濃く出始め、逃亡する兵も多くなるという矛盾も生じていた。


 孫策は兵たちの動揺などどこ吹く風と言わんばかりに涼しげな顔をしている。砦の外にひとり出て鍛錬をしたり、遠出をして近隣の武威を張る輩と一騎打ちを繰り広げてきたりもする。誰が注意しても聞く耳を持たない。

 義兄弟の契りを結んでいる周瑜しゅうゆもさすがに閉口し、真っ向からこれをたしなめた。


 「伯符はくふ(孫策の字)よ、孫堅様が亡き今、きみがこの軍の大将であり、統治者だ。孫家の生末いくすえはきみの挙動にかかっている。」

「どうした公瑾こうきん(周瑜の字)お前らしくもない。ここで焦ってもどうなるものでもあるまい。」

「君主たる者どっしりと地に足をつけておらねば皆の不安を招く。きみの今の行動は手前勝手で一兵卒のものと変わりがない。それでは兵の心は離れるばかりではないか。」

「兵など勝てば増えるし、負ければ減る。兵は多きを益とするに非ず。」

「ほう。孫子か・・・。しかし無暗に兵の数を減らし衰退の途を辿るは愚かなことではないか。そろそろ袁将軍が到着する。兵の数がそのまま孫家の発言力に繋がるのだぞ。」

「袁術如きに何を期待すると言うのか。父上はいい様に使われて劉表りゅうひょうなどに討たれ、二分したこの軍も風前の灯火。袁術とて拠点を落とされ、兵を失い滅亡寸前。今更手を取り合って何ができようか。」

潁川えいせんの虐殺を防がんと兵を挙げ、悪政非道の董卓とうたくと正面から戦った袁将軍の名声は桓帝時の三君さんくんを凌駕するほど高まった。今では清流派の筆頭と言っても言い過ぎでは無い。この先、どこで旗揚げしても必ず人は集まるだろう。そして、袁将軍の勢力が拡大すれば孫家再興も成る。」

「所詮は烏合の衆よ。董卓に冷遇され、行き場を失った連中のはけ口に過ぎぬ。」

「伯符よ、国を作るのは人だ。例えひとりひとりが無力であっても集まれば大きな力となる。山頂の一滴が長江に注がれ大海に至るのと同じ。そうなれば一個人の武こそ無力。孫堅様の志は国を作ることであって武をひけらかすことではない。」

「何を尊ぶかはひとそれぞれだ公瑾。だが、ひと際鋭い武無くして孫家の国作りは立ち行かぬ。そしてそれは袁術の下では磨かれぬものだ。」

「袁将軍から離れてどうする。野盗を繰り返して百の兵でも養うつもりか。それで天下など狙える道理があるまい。仇敵を滅ぼし志を全うするため呉王の夫差は臥薪し、越王の勾践は嘗胆したと言う。きみが袁将軍の下で耐え忍ぶことができないなどありえないはずだ。」

「まあいい。俺もすぐに外に打って出るつもりはないからな。しかし袁術の旗下として骨をうずめるつもりもない。」

「友よ、その時が来たら私も共に発とう。」

 孫策と周瑜は青く澄み切った空に向かって共に剣を掲げた。



 初平二年(191年)はこうして天下大乱の中で幕を閉じた。


 現在の勢力を明記しておくと、

北より幽州ゆうしゅう牧、劉虞りゅうぐ

新帝を称する劉備りゅうびを推戴する北平の公孫瓉こうそんさん

冀州きしゅう牧、袁紹えんしょう

兗州えんしゅう刺史、劉岱りゅうたい

豫州よしゅう刺史を譲り受けた東郡太守の曹操そうそう

徐州じょしゅう刺史、陶謙とうけん

長安ちょうあんを占拠する太師、董卓とうたく

反逆罪で董卓より討伐の対象となった洛陽らくように駐留する中郎将、呂布りょふ

荊州けいしゅう刺史、劉表りゅうひょう

西涼せいりょうの軍閥、韓遂かんすい

漢中かんちゅうに独自勢力を確立した五斗米道の張魯ちょうろ

益州えきしゅう牧、劉焉りゅうえん

新たに揚州ようしゅう刺史に任じられた劉繇りゅうよう

その揚州の州都である寿春じゅしゅんに拠点を築いた後将軍、袁術えんじゅつ


 太師董卓を除いては抜きん出た勢力はまだない。


 第二の勢力として袁紹は劉虞や曹操と結びつき、公孫瓉は陶謙や袁術と結んで対抗した。

 公孫瓉は実弟の公孫越こうそんえつを袁紹によってだまし討ちに遭い、両陣営の激突は時間の問題であった。


 青州せいしゅうを発端にして膨れあがった黄巾の徒は百万にのぼり北の冀州と東の兗州を攻めたが、黄河を渡った軍勢は公孫瓉の白馬義従に破れた。これにより公孫瓉の軍兵は大きく増えた。徐州刺史の陶謙は裏で黄巾と繋がり兵糧を供給することでその南下を防ぎ、東に向かった軍勢は兗州刺史の劉岱を滅ぼす勢いであったが、曹操の援軍もあって戦線は膠着している。


 寿春に辿り着いた袁術は率いる兵の数が一万あまりであったが、日を追うごとにその名声を慕って多くの人が集まってきていた。

 その数すでに五万。

 刺史である劉繇はその威を恐れて長江の南の曲阿に拠点を構えた。

 黄巾の乱が鎮まり次第、兗州の兄劉岱と南北から袁術を挟撃する戦略である。


 群雄が割拠し潰しあっている最中、董卓はついに皇位の禅譲を試みるに至る。禅譲は未だ成ってはいないが後漢の命運も尽きようとしていた。


 そして初平三年(192年)、天下はまた大きく動くことになる。



第二章終幕です。


第三章では、董卓暗殺に失敗した王耀のその後。そして西の雄、韓遂が登場します。もちろん錦馬超も。

袁術軍には名士や一騎当千の武人たちが集まってきます。

趙雲、孫策、周瑜も肩を並べて大活躍。となるのでしょうか。

呂布と袁術、いよいよ両者が手を結ぶ時が来ました。

曹操、劉備もついにその頭角を現します。


第三章 蠱毒


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