第34回 手管
第34回 手管
豫州潁川の地から敗走する袁術の殿を務めたのは、援軍として駆けつけた公孫越の白馬義従一万である。
追いすがってくる李傕の精鋭騎兵に対して随所に伏兵を仕掛けて巧みに撃退していた。
「越様、そろそろ頃合いかと。李傕や李儒の本陣が間近に迫っています。」
白馬義従二番隊隊長の田堦が息を切らせながらそう報告した。
退却しながらの戦は通常の戦闘の倍以上に困難なものとなる。実際、三千の騎兵は負傷または戦死のため失っていた。このまま敵の本陣とまともにぶつかっては全滅もありえる。
「そうですね。そろそろでしょうかね。方緒(田堦の字)、袁術殿はどのくらい先に行きましたか。」
「それが・・・山に潜ったようです。消息は不明とのことです。」
「ほう、山に。ならばよし。我らはこれより戦線を離脱し、北へ駆けます。」
「かしこまりました。」
「厳綱殿に七千の兵を割き埋伏させます。一度敵の本陣を強く叩いておく必要があるでしょう。残りの三千は私と共に先を駆けます。」
「越様、私もお供させていただいてよろしいでしょうか。」
「いえ。二番隊は厳綱の援護に回りなさい。心配は無用です。この先に董卓軍などいませんよ。敵を叩いたら背後を気にせずひたすら駆けるよう厳綱殿に伝えるのです。おそらく李傕は袁術を追います。こっちは無視するでしょうから追いつかれることはないはずです。」
「しかし越様の供回りが三千というのは・・・」
「だったらさっさと叩いて戻ってきなさい。白馬の港より黄河を渡ります。その前に追いついてくれると助かります。」
「委細承知致しました。西涼の騎馬隊を蹴散らしすぐに合流します。」
「頼みましたよ。袁術殿に恩を売るためとはいえ兵を失いすぎました。」
田堦が大きく頷き後方へ駆けていった。
戦況は公孫越の予想通りの展開となった。
袁術は負けた。
当然の敗戦である。後ろ盾も無く拠点の南陽を捨てて潁川に打って出たのだ。
よもや狡猾な袁術が、潁川で暴虐を尽くす李傕の陽動にのって出陣するとは驚きだったが、とにかく袁術は南陽から切り離された。
このまま揚州まで逃げ延び、寿春辺りで勢力を張ってくれれば公孫瓉軍にとって好都合である。すでに協力体制が整っている徐州刺史の陶謙と連動して兗州の曹操や冀州の袁紹に対し強い牽制となる。
北から公孫瓉が攻め、東から陶謙、南から袁術が攻めれば袁紹や曹操は防ぎきれないだろう。
袁紹が南を警戒している間に幽州の牧である劉虞を討つ。そうなれば単独でも袁紹と互角以上に渡り合える戦力を有することになる。そもそも袁紹は戦下手だ。北の異民族である烏丸と長年に渡り戦い続けてきた白馬義従の敵では無い。
河北を制すれば公孫瓉は最強の勢力となるだろう。
その戦力と玉璽、そして新帝である劉備が揃えば天下万民は公孫瓉の前にひれ伏すことになる。
それが兄である公孫瓉の野望であった。
袁術が荊州北部で幅を利かせていても袁紹の脅威にはならない。逆に南陽は長安から近い。下手をすると董卓軍に潰されてしまう。董卓には今しばらく暴政で天下に不安を煽ってもらわなければならない役目があった。どちらも公孫瓉には必要な勢力なのだ。
五日駆けた。
全速力ではない。それでは馬が潰れる。いかに優秀な白馬でも限界はある。
兗州の陳留を抜けた。厳綱も田堦も追いついてはこなかった。李傕が執拗にこちらを追撃しているのかもしれなかった。黄河の港の白馬で数日待つ必要があるかもしれない。黄河を渡った先では黄巾の残党数十万との戦いが待っている。
青州に発生した黄巾の残党は百万にのぼるとも言われている。さすがに百万は眉唾な話であるが、それが数十万に分かれて北の冀州と西の兗州に襲い掛かっていた。
兗州では刺史の劉岱や東郡太守の曹操らが迎撃のために出撃しているらしい。冀州では兄の公孫瓉と袁紹が協力して対処にあたっている。実際に戦場に出ているのは公孫瓉軍だけだろうが、その代わりに袁紹には兵糧や武器などを大量に出させているはずだ。この蓄えがやがて利をもたらせてくれる。袁紹を潰すときに必要となる貴重な財となるのだ。
今は黄巾の残党撃退のために手を取り合っておくのが賢明だった。黄巾数十万を撃退することで公孫瓉の名はさらに高まることになる。賊徒への懐柔がうまくいけば兵力はさらに増強される。それを養うための兵糧は袁紹が出してくれる。
流れがきている。
強くそれを感じるほどにすべてが公孫瓉の思惑通りであった。
この追い風に乗って行けるところまで行く。
今頃兄は長椅子にもたれかかってほくそ笑んでいることだろう。
「越様、前方に軍と思われる人の群れがあるようです。」
側近がそう報告してきたのは、黄河沿いに到着する目前のことであった。用心に越したことはないと考え、放っておいた斥候からの情報だった。
「どうせ盗賊の類でしょう。私たちの姿を見れば蜘蛛の子を散らすように逃散するはずです。」
国は乱れている。
北平から豫州までの道すがらで何度もそれを感じた。
野盗の群れが後を絶たず、それを取り締まるはずの役人は見て見ぬふりである。ほとんどの村は廃れていた。過酷な徴税に耐えきれずに土地を捨てる農民が大勢いた。流民がやがてまた野盗となる。
滅びの循環だった。
強い軍閥が率いる国だけがなんとか人間としての暮らしと秩序を守っていた。
何が国をここまで乱したのか。
兄である公孫瓉がこの話題で話し始めたら夜通しになることだろう。そして最後は自らを正当化する。兄は天下大乱すらも己の欲望を果たすために利用できる男だった。乱世で生き残れるのはそういう図々しい男だけだろう。
兄の志は耳にタコができるほど聞いた。
聞き飽きたと言ってもいい。
問題はもっと簡潔なものだ。
公孫越は国の乱れの原因は政治にあると考えていた。政を託された者たちが腐れば国も腐る。ただそれだけのことだ。
董卓はそれを根元から切った。
誰にでもできることではない。後世の人ですら董卓の暴挙を非難するはずだ。
しかし、必要な改革だった。
そしてその上に公孫瓉は新しい国を創る。
それがこの国のためなのだ。
ふと、背中に何かの感触があった。
同時に胃から込み上げてくるものがあった。
悪いものでも食したのだろうか・・・。
口を拭うと手が真っ赤に染まった。
振り返ると兵たちがバタバタと地に倒れている。
数千の矢が左右から雨のように注がれていた。
公孫越の馬が数本の矢を受けて倒れ、公孫越も地に投げ出される。
立ち上がろうとするが足腰に力が入らなかった。
その時初めて背中に三本の矢が突き刺さっていることに気が付いた。
遠くで喚声が聞こえた。
待ち伏せだ。
それも激しい訓練を受けた精鋭の兵の待ち伏せだ。
瞼が急に重くなってきた。
閉じていく視界の隅に曹の旗印が見て取れた。
曹操・・・。
公孫越の軍の通過を許す代わりに曹操は二つの条件を出した。しかしそのどちらも袁紹に益するものではなかった。にも係わらず袁紹は通過の許可を出した。曹操がどう説得したのか、その時はわからなかった。
薄らいでいく意識の中で今ははっきりとわかる。
援軍帰りの公孫越を討つ。
それが曹操の袁紹を説得する手管だったのだ。
白馬義従総大将の公孫越の死。それは公孫瓉軍にとって致命傷になるだろう。
袁紹の脅威は減少する。
闇が濃くなった。
もう何も聞こえない。
兄の話を聞きたい。
最後に公孫越はそう思った。




