第33話 敗走
第33回 敗走
豫州潁川。
こちらでは後将軍である袁術の軍と、それを討伐しようとする董卓旗下の李傕、李儒らの軍が激闘を繰り広げていた。
挟撃に遭い絶体絶命の危機にあった袁術軍を救ったのが、北平の雄、公孫瓉旗下である公孫越である。一万を超える白馬義従を率い、車懸りの陣で李傕の前曲を撃退すると殿に回り、袁術本陣の退却を手助けしていた。
追撃し袁術の首を討ちたい李傕、李儒らであったが、公孫越の巧みな用兵に手を焼き、数多くの将兵が深追いし逆に討ち取られている。
その間、袁術は傷付いた旗本たちと共に徒歩で南東へと敗走するのであった。
矢継ぎ早に入ってくる血生臭い報告はどれも俺を失望させるものばかりだった。 弱り目に祟り目とはよく言ったものである。
話を聞くたびに虚しさを伴って笑いが込み上げる。
最初の注進は荊州南部の孫堅の陣営からで、大将の孫堅は劉表軍と戦い討ち死にし、主力部隊は壊滅したというものだった。
伝令役の兵は七か所の矢傷を負っており、報告するやいなや息を引き取ったという。ここまで辿り着いたことが奇跡であると、俺のもとに報告に来た兵が話していた。兵の死に様から孫堅の意地や執念が嫌というほど伝わってきた。
だが残存する兵は息子である孫策の別隊一万。
それも汝南の地でどこまで持ちこたえているのか詳細はわからない。
汝南経由で潁川まで援軍に訪れた公孫越の話では、孫策の軍は豫州刺史の周昕とぶつかり合う寸前だったということだった。
父親の戦死の報を聞く以前に壊滅している可能性もある。
仮に命を長らえていたとしても、もはや戦力と期待するに足らない軍勢であることは確かだ。
想定外の出来事が現実に起きたのだ。
黄巾の乱で数々の武功をあげて天下に名を轟かせた孫家が、戦いにおいて素人同然の劉表などによもや後れをとるまいと高を括っていた。おそらく当の本人である孫堅もそう思っていたに違いない。油断が破滅を導いたのだろう。
これで、荊州全域を押さえさらに豫州まで支配地を伸ばすことで冀州の牧である本初(袁紹の字)はおろか、長安の都で政を牛耳る董卓にも匹敵する兵力を確保する目論見は脆くも崩れたことになる、同時に、圧倒的な兵力を背景に有利に外交交渉を進めるという戦略も水泡に帰した。
殺し合いという戦に活路を見出そうとしていたこと自体が誤りだったのだ。
日頃から戦争によって造り出されるものなど何ひとつ無いのだと自分に言い聞かせていたにも関わらず、肝心なところでそれに頼ってしまった。
長安に派遣している密偵の魯粛からの報告はさらに輪をかけて絶望的なものだった。
司徒である王允、司空であった俺の義弟である楊彪、朋友である中郎将の呂布、車騎将軍だった朱儁らと謀って進めてきた董卓暗殺作戦「連環の計」が失敗に終わった。
暗殺など実に虫のいい話だということは言われるまでもない。自分に邪魔な存在を強引に消し去る。それも公にはできないような姑息な手口で。なんとも手前勝手で陰険な企みだ。
しかし、近々董卓が献帝に譲位を強訴するだろうことは明白だったのだ。早急な解決を図るためには、打てる手はこれしか無かったと言っていい。董卓さえ討てれば帝の奪回は容易に運ぶのだ。
作戦成功のために女子どもを刺客に使った。董卓の油断を誘うためだった。俺の息子や呂布の娘、楊彪の息子そして王允の孫娘らに策を与えて郿城に送り込んだ。その成功率を上げるため餌として自分自身を囮とし、董卓軍の柱石である四将軍をはじめ主力部隊を長安から引き離した。
潁川の戦いが混迷を深めれば深めるほど、俺の軍が不利になればなるほど都での暗殺は易しくなる。俺はそう自分に言い聞かせて陣をこの地に張ったのだ。文字通りこの命も張った。
それがどうだ。
子どもたちは消息を絶った。おそらく拷問にかけられ酷い殺され方をしたに違いない。首謀者である王允が晒し首になるのも時間の問題だ。洛陽に駐屯する呂布にも討伐軍が差し向けられるだろう。
南陽の拠点は落ち、潁川では多くの仲間、兵が死んだ。
執拗な追撃を受けて俺の命も風前の灯火である。
俺は賭けに負けたのだ。
そしてすべてを失った。
どこで間違ったのだろうか。
荊州と豫州を基盤にし、且つ帝という絶対的な手札を握るという大胆な作戦にすべてを賭けた。賭けに勝てば俺は三公を超える役に就き、それとともに国を揺るがす乱は鎮まるはずだった。俺が野望を持つ者たち全てを排除するからだ。政は昔の平穏を取り戻し、国から戦は消えただろう。
夢・・・一年前に帝の使者をしていた劉和が俺に夢を語った。俺に夢はないのかとも聞いてきた。俺は無いと答えた。
夢は見て楽しむべきものだろうが、これは叶えるべき目標だった。
そのために俺は行動を起こし、実行に移したのだ。夢などという儚く脆いものではない。これは現実に俺がやらねばならない使命なのだ。
袁家当主としての務め。
そのことは何も間違ってはいない。
では焦り過ぎていたのだろうか。
家督争いを繰り広げてきた兄が急速に勢力を伸ばしていた。気にしていない素振をしてきたものの、やはり心中は穏やかではなかった。知らず知らずのうちに俺は急かされていたのかもしれない。
王允の策が外れるなど未だかつて無かったことである。
俺はそれを信用し過ぎたのかもしれない。
誰も討ち果たせなかった董卓を女子どもでどうにかしようなど、よく考えてみれば馬鹿げた妄想と変わらない。
「う、うえ・・・うえ・・・」
嗚咽の様な笑いが込み上げてきた。
息子の顔を思い出そうとするが、ぼんやりとした輪郭だけしか浮かんでこない。
俺は本気で練っていたのだろうか。
国の事、将来の事、息子の事を本気で想っていたのだろうか。
他人の力を当てにし過ぎていたのではないか。
そもそも他人の力を正確に読み取っていたのだろうか。
とてつもなく大切な問題を安易に済ませた・・・そんな後悔もこみ上げてくる。
失敗は成功の基と言うが、今回の失敗は致命的だった。きっと取り戻すことはできないだろう。
公孫瓉からの援軍が到着しなければここまで生き延びることすらできなかっただろう。白馬義従の精鋭を率いる公孫瓉の弟、公孫越の活躍で潁川の戦場は辛うじて離脱できたものの、逃げ込む城さえ俺は持っていない。
潁川を南へ、そして東へひたすら敗走を続けた。
この先の汝南には孫策の軍が逗留している。さらに東へ向かえば徐州刺史である陶謙もいる。当面は庇護を受けることが可能なはずだった。
しかしその距離は果てしなく遠い。
旗下の兵で傷を負っていない者はいなかった。疲れた身体を引きずるようにして進んでいる。皆が徒歩だ。一隊を率いる将たちは行方不明な者が多く、消息が知れているのは旗本を束ねる陳紀と弓箭隊を束ねる雷薄ぐらいなものだった。殿を務める張勲や先鋒の紀霊ですらその生死は不明だった。
激烈な董卓軍騎馬隊の追撃を凌いでいるのは、殿に回った公孫越の騎馬隊である。
夜通し三日歩いた。
僅かな食料と飲料を生き残ったものたちで分け合った。
脱落するものが相次ぎ、兵の数は二百に満たない。もはや軍とは呼べぬ代物だ。流浪の民同然だった。
「袁術様、街道には落ち武者狩りを目論む輩たちでひしめきあっております。このまま進むのは危険です」
巨漢の将、陳紀がそう進言してきた。頬はこけ、目の周りは窪んでどす黒い。
「汝南にはまだ着かぬか」
「はい。この速度で進めばあと五日はかかります」
「五日・・・」
「街道を避け、山道を進むとなると十日ではすみません。ですが李傕の追手は必ず撒けます。馬の通れぬ獣道。しかもやつらに土地勘はありません」
「そうか。散尻になった味方すらも撒くことになるだろうが、やむを得ぬ。山に入ろう」
「問題は董卓に与する豫州の軍閥です。追手を差し向けてくるは必須。見つかればこの兵力で支えきることは不可能でしょう」
「はっきりと言うの。方便でも希望のある話を聞きたいものだ」
「申し訳ありません袁術様」
「子橪(陳紀の字)よ、お前も皆のように俺のことを殿と呼んで構わぬ。いちいち袁術様では肩が凝って敵わぬのじゃ」
「かしこまりました。それでは殿、ここから先もこの子橪、身命にかけてお守り致します」
「うむ。頼んだぞ。臥繫(雷薄の字)よ、お前にも苦労をかける」
呼ばれて雷薄が近寄ってきた。弓の名手としてこれまで本陣を守ってきた歴戦の勇である。汗と泥で顔は汚れきっていた。
「殿、味方への向ける目も用心が必要ですぞ」
雷薄が耳元でボソリとそう云った。
俺の首を獲って敵方に寝返ろうとするものが出てくることを懸念しているのだ。むしろここまでそれを企んだものがいないことが奇跡に近い。疲労困憊のなかで敵の襲撃に怯えながらの行軍は異常なまでに神経をすり減らす。極度の圧迫感で誰もが鬼のような形相になっていた。
過酷な逃避行が幕を開けた。




