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第32回 程普の提案

 人は必ず死を迎える。


 戦場に立ち、敵の死や味方の死を幾らでも見た。

 自分の死を覚悟した瞬間もある。

 だから主君である孫堅そんけんの戦死を聞いても極端に動揺することは無かった。

 大将自らが常に陣頭に立って戦ってきたのだ。

 いつかこの日が来るだろうということはみんなが覚悟していた。


 息子である孫策そんさくも同じ気持ちだったであろう。


 そう自分に言い聞かせて見ても周瑜しゅうゆの胸の内に込み上げてくる絶望感、失望感はどうしてもぬぐえなかった。


 孫堅の死と共に幻の如く消えてしまった長江以南に国を造るという夢。新しい国造り、その土地に生きる民のための国、漢皇帝に統制されない自由な国・・・孫堅の語る夢はいつしか周瑜の夢にもなっていた。

 それが現実なものとなる寸前までいっていたのだ。そして今、水泡に帰した。


 孫堅の死によって豫州よしゅう刺史の権限ばかりか故郷である長沙ちょうさの基盤も失うことになるだろう。

 家督を継ぐことになる孫策は十六ながら武においては父親に引けを取らないが、多くの家臣が見限って離れていくことになる。

 孫策には長江以南の国造りという志が無いからだ。

 孫策には己の武によって天下を統べるという途方もない志がある。まさに夢物語だ。本気で孫策を応援しようという者はいないだろう。


 故に孫策は孫堅から大切な軍・人脈というものを受け継げない。


 それは同時にこの軍閥の崩壊を意味する。


 次男である孫権そんけんが家督を継げばそれを免れることができるのかもしれないが、孫権はあまりに幼少だった。


 五万の兵を擁する豫州刺史、周昕しゅうきんを孫策は一万の兵で破った。孫堅の死が敵味方に知られる前に動いたのだ。その行動力、決断力はまさに天下の器と呼ぶに相応しいだろう。

 父親同様に陣頭に立って鬼神の如く戦った。

 その背を見ている兵たちは孫堅の死を聞いても留まるかもしれない。それでも兵は一万に過ぎない。


 孫堅躍進の原動力となったのはその戦の強さに他ならないが、政界での出世に力添えしていたのは後将軍である袁術えんじゅつである。その背景があればこそ豫州刺史の就任だけでなく荊州けいしゅう牧も約束されていた。

 果たして袁術は孫堅の死を聞いてどのような決断をするのか。

 それは孫策だけでなく孫策に従おうとする者たちの運命も決めることになるだろう。


 孫策を支えようとするのか、それとも見限るのか。


 その力を吸収しようと図るかもしれない。どちらにしても長江以南の国造りは遠のくことになる。いや、消え失せることになるだろう。


 自分は今後どうすべきなのか周瑜は思い悩んだ。

 故郷に帰り周家の発展に尽くすという道もある。ここに残り朋友である孫策を助けるという道もあった。しかしどちらを思い描いても周瑜の心は湧き立たない。孫堅だけが、孫堅の志だけが周瑜を熱くできたのだ。改めてそのことを思い知らされた。


 「周瑜殿、勝ちましたな。お主のたてた策がピタリとはまった。」

近寄ってきたのは孫堅旗下で武勇を誇る四天王のひとり程普ていふだった。孫堅軍をここまで大きくしてきた功労者である。

袁紹えんしょう曹操そうそう軍が案山子かかしであることが事前にわかっていたから勝てたのです。」

「いや。その情報をさらに利用して周昕の本陣が東西から狙われているように見せたことで敵の戦意は下がった。敵の後詰である山越さんえつの動きを察して備えをしたのも見事だった。これで周瑜殿は軍師として皆に認められるじゃろう。」

「軍師・・・ですか。」

確かに孫策の猪突猛進一辺倒の戦いぶりではこの先厳しいものになるだろう。誰かが先を見越して助言する必要があった。


 困惑する周瑜の表情を見つめていた程普は急に鋭い眼光で、

「軍師で不足ならば頭首というのもあるが。」

「頭首?はて。」

程普はため息をひとつこぼし、遠くにいる孫策の姿を見つめた。

「若殿には大殿の志を継ぐつもりが無い。逆にお主が大殿の志を全身全霊で叶えようと働いていたことは皆も知っている。お主にその気があるのであれば我らはお主を主と仰ぎ、大殿の志を受け継いでいく所存だ。」


 驚くべき提案であった。おそらく程普だけの魂胆ではないだろう。生え抜きの臣たちの相談の結果という雰囲気をかもし出している。


 「私を頭首に。」

「そうじゃ。お主ほどの器量と才覚を持ってすればできないことはあるまい。袁家との外交も今よりずっと円滑に進むだろう。」


 名家である周家は古くから袁家と交流を深めている。

 自分がこの軍をまとめ、袁家の後ろ盾を最大限に活用して長江以南に国を造る。考えただけで血がたぎった。

 諦めた夢が再び力を取り戻す。


 そうなると豫州は捨てる。


 曹操に譲る形になるからだ。

 もともと豫州の地に未練などない。袁術との信頼関係を密なものにしていきたいという思いから豫州に兵を割いたのだ。

 袁術の生まれたばかりの娘との婚姻交渉を諦めればいい話である。

 それで荊州奪回に集中できる。袁術は南陽なんようという拠点を失った状態だ。袁術軍と共同して荊州を攻めればいい。

 荊州刺史である劉表りゅうひょうを倒した後に荊州北部の南陽を取り戻す。袁術に長安ちょうあん董卓とうたくを攻める気があるのなら力を貸してもいい。

 大切なのは荊州南部を平定することだ。

 そして長江に経済発展の導線を作り上げる。長江を媒介にして交易は盛んになるだろう。北方の戦乱を避けて多くの人間が移り住んでくるはずだ。土地は広がり人口も増え、国は豊かになる。ここに至れば周囲の誰にも邪魔されないような巨大な軍事力も有しているはずだ。


 新しい国造りが可能だった。しかしその代償もある。友を裏切り、信義を落とすことだ。周瑜を頭首にたてることに反対する者たちも現れよう。互いに武器を取り傷つけあうことにもなるかもしれない。そうなれば多くの命がまた失われることになる。孫策を討たねばならなくなるかもしれない。そうなれば長沙に住む孫権たち幼子の命も奪うことになるだろう。


 流血の上に成り立つ話であった。程普も当然そのつもりなのだ。


 志を全うするために・・・。

 それが近道なことは確かだった。


 しかしそれ以外に道はないのだろうか。恨みつらみがはびこり、多くの犠牲のうえにしか新しい国は造れないのだろうか。いや、遠回りでももっと平和的な解決があるはずである。長く時を要し孫策を説き伏せるというすべもあった。孫策に頼らなくとも袁術を洗脳して国を造るという方法もある。どちらにせよ信義の欠けた国など永続できるはずがない。


 「戯言じゃ。忘れてくだされ。」

程普がそう言ってこの場を去ろうとした。

「程普殿、まずは袁術殿がどのようなおつもりか会って見極めましょう。例えどのような立場になってもこの周瑜、決して孫堅様の志を忘れはしません。必ずや長江以南に新しい国を造ってみせます。」

「大切な決意を聞けた。それだけで充分。」

程普の笑顔を周瑜は初めて見た。寂しい光を発する瞳が印象的であった。


 「ほう。ここにおったか。見事な戦術だったな。」

聞き覚えの無い声に振り返ると、そこには孫策と少年の呂蒙りょもう、そして見慣れない巨漢の男が立っていた。声の主はこの男だ。大きな顔に黒子ほくろが無数に浮かび上がっている。雑兵ぞうひょうとは思えぬ豪華な甲冑を身につけていた。


 「だが危ういところだった。わしの軍の追撃が無ければ周昕は陣を立て直していただろう。」

その発言の内容で周瑜はこの男が何者なのか察知した。


 この汝南じょなんに五千の兵を率い伏せていた劉勲りゅうくんである。もとは名の知れたきょうで、都である洛陽らくようにあって同じく遊侠の徒であった袁術や呂布りょふ陳宮ちんきゅうなどと勢力争いを繰り返していた人物である。


「絶好の機会を逃さず勇猛な突撃ぶり、この周瑜感服致しました劉勲殿。」

周瑜が右手の拳に左手の平をのせて敬礼すると、劉勲は笑って、

「ほう。さすがは周家の麒麟児、周瑜殿。よく見ているの。」

すると脇の呂蒙が不満げに何かを言おうとした。周瑜は何気なくそれを制した。


 おそらく孫策軍の勝利を確信するまで劉勲は動かなかったに違いない。山越の退却を確認してようやくその重い腰をあげたのだ。孫策軍の敗色が濃厚であったらもしかするとその牙はこちらに向けられていたかもしれない。呂蒙はそのことを伝えたかったのだろう。


公孫瓚こうそんさんの軍は周昕を追っていったが、お前たちはこのままでいいのか。」

劉勲がニヤリとしながらそう言った。

 趙雲ちょううんを筆頭とする白馬義従はくばぎじゅう七番隊のことだ。 周昕を討たない限り約定通り豫州を曹操に譲れないため単独で追撃しているのだ。孫策としてはまるで興味の無い話だった。


 「私たちは袁将軍をこの地でお待ちしなければなりません。」

公路こうろ(袁術の字)のやつめ南陽を捨てて董卓とうたく軍に立ち向かい敗北するとは片腹痛いわ。」

そう言って劉勲は唾を地面に吐き捨てた。

 まだ正式な旗下には入っていないのだ。

 孫堅軍の豫州平定を助けそれが成った暁には旗下に取り入れるという話にでもなっていたのだろう。反故ほごされかねない状況に劉勲は苛立っていた。


「だが、よいぞ。お前たちのおかげで公路の身内を保護できた。この駒がわしの手の内にあれば幾らでも条件は突き付けられる。」

呂蒙の騎馬隊が保護し劉勲の砦まで連れていった袁術の妻や娘の話だろう。人質にでもとったつもりらしい。素性の卑しい連中の考えそうなことだ。


 「劉勲と言ったか、俺はお前に助太刀を頼んだ覚えはない。袁術殿の家族をどうしようと勝手だが、俺の軍の行く末に口を挟むな。」

「ほう。孫堅のところの若造が生意気に。噂を聞くとその孫堅、荊州の地で討ち死にしたというが・・・」

それを聞いて呂蒙が驚いた顔で孫策を見た。孫堅の死はまだ一部の重臣しか知らない事実である。が、すぐに広まるだろう。反旗を翻すやからも出てくる。だから孫策は追撃出来なかった。背後を襲われる恐れがあったからだ。


 「そうだ。父は死んだ。孫堅の軍は今日から俺が引き継ぐ。異論があるなら構わんが、この戟が黙ってはいないぞ。」

はっきりと孫策はそう言い放った。そしてその目も強い光を放っている。劉勲は圧倒されて渋々引き下がっていった。

 「公瑾こうきん(周瑜の字)よ、これからは俺たちの時代だ。前にお前に言った話を覚えているか。俺は本気だ。この武で天下を制する。」

ついてこい。とは言わなかった。共にあろうとも。孫策もまた周瑜の志を理解しているからだろう。


 孫策の武は天下に通用する。それは間違いない。

 しかし国は武だけではまとめられないのだ。自己満足に過ぎない野望には人はついていかない。


 袁術の思惑を聞く。全てはそれからだ。


 周瑜はもう一度心の内でそう呟いた。


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