第28回 戦の流れ
李傕、李儒、ともにけん制しながら袁術軍を攻める。
第28回 戦の流れ
「流れ」がちぐはぐのように李傕は感じていた。
思うように事態が進展していかない。
敵陣の袁術は、確かに今まで動かずに堅陣を敷いていた。
動けば李傕の騎馬隊に翻弄されることがわかっているからだ。
こちらとしても袁術を動かしさえすれば半刻で簡単に壊滅させられる準備があった。
何部隊か出撃させて両翼を刺激してみたが、堅陣の隙を見出すことはできない。
そのうちに南陽を落とした牛輔の軍が袁術の背後に現れた。
李傕としては、袁術と牛輔が正面からぶつかりあい疲れ切ったところに襲い掛かる算段に切り替えた。
後顧の憂いを払拭するため、あわよくば乱戦の中で牛輔と李儒も葬り去りたいとまで考えて待った。
しかし袁術はあろうことかここに至って、李傕の陣目指して動いてきたのである。
先鋒の紀霊、橋蕤の戦い方はまさに猪突猛進で、隙を突かれる形になった李傕の陣は、奥深くまで押し込まれることとなった。
袁術軍の兵站は切られているので食事もままならぬ状態。のはずが、異常なほどの士気の高さである。
「窮鼠猫を噛む」の例えもあるが、予想外の反撃に遭い必要以上の兵を失うこととなってしまった。
「父上、袁術本陣が丸裸です。討てます」
息子である李式が叫んだ。
見ると袁術の旗と共に屈強な兵の一団。
袁術の旗本であろう。三百ほどが固まって戦っている。
先陣とも距離を空けられ、右翼、左翼ともに目前の敵兵に懸命で本陣まで気が回っていない。
「よし左右より突撃するのだ。袁術の首を討て!」
李傕が命じると、一族の李利、李暹が歓声をあげて向かっていった。
これで決まる。李傕は確信した。
問題は袁術を討った後だ。
後背を突かなかった牛輔をどう処罰するか。
牛輔に対する命令権も指揮権も李傕には無い。
牛輔は南陽を落とす目的で長安を出陣してきているのだ。李傕の軍と歩調を合わせる必要はなかった。
それでもここは執拗に追及すべきであった。返答によってはその場で斬り捨てる。
敵軍の隙を見て見ぬふりをして攻撃しなかったのだ。敵前逃亡同様、董卓軍にとってあるまじき行為である。殺す名目はたつ。
董卓の娘婿ではあるが、董卓自身そのような肉親の繋がりなど蚊ほど気にもしていまい。
対抗馬のひとりをこれで楽に消すことができる。
李利と李暹の騎馬隊が袁術の陣に殺到した。と思った刹那、凄まじい速度で何千もの騎馬隊が横槍を入れてきた。李利も李暹もあっという間にその馬群に飲み込まれてしまった。
「援軍か!斥候の報告はどうなっている。なぜ誰も接近に気がつかなかった!」
獣の皮をまとった李式が戦斧を振り回しながら喚き散らしていた。
斥候の報告が遅れたのは仕方がないことだった。警戒していたのはむしろ同じ董卓軍の動きだったのだ。李傕の背後にいる郭汜や張済、そして牛輔の軍。その動きに合わせて今後の作戦を練る必要があった。
いつでも潰せる袁術軍など目視で充分監視できると警戒を緩めていたのである。
完全に統率者である李傕の油断。
「斥候の責任者を連れてこい。全員の首を刎ねよ」
それでも李傕はそう命じた。責任は部下に転嫁してしまったほうが話は丸く収まる。
李利と李暹が戦場から命からがら戻ってきた。
兵は出撃したときの半数に減っている。
敵陣の騎馬隊はすべて白馬で約一万二千騎。
それが袁術の本陣を囲むようにぐるぐると回転していた。
「あれは車懸りの陣。北平の公孫瓉が好んで使う陣形です。相対したら最後、次々と勢いに乗った騎馬隊がぶつかってきます」
そう進言してきたのは軍師の賈詡であった。
真剣な表情でその陣形を見つめ、時折唸り声をあげている。よほど珍しい陣形なのだろう。
李傕も初めて目にする騎馬の動きだった。
「賈詡よ、いかに攻めればあの陣は破れるのじゃ」
「はい。……やはり四方八方からの同時突撃しかありません。こちらの手駒が歩兵であれば鶴翼に広がり覆い被せるという手段もありますが、騎馬隊のみでは方法は限られています」
「よし。全軍をもって突撃する。李式は迂回し南より、李利と李暹は騎馬隊を補充し東西から攻めよ。俺はこのまま北より突っ込むことにする。伝令を出し、この戦場に近づいている郭汜の陣に伝えよ。急ぎ進軍し、合流せよとな」
李傕の陣が一斉に動き始める。
一方、袁術の背後に陣を構える李儒は、一時兵を退いて態勢を立て直していた。
袁術軍の殿にあたる張勲の陣に、何か仕掛けがしてあることはおおよそ見抜いていたが、李儒はあえて牛輔に進言しなかった。
案の定、牛輔は敵の罠にはまった。
牛輔の配下でこちらに靡きそうな部将にも以前から誼を通じていた。
特に羌族の胡赤児は強い憎しみを牛輔に抱いており、その時が来たら擁護してやるとも伝えていた。
牛輔直属の兵は落とし穴の中でほとんどが焼かれて死に絶えたし、残った者たちも例外なく射殺した。
兵の総数は四万まで減ったが、袁術も李傕も充分圧倒できる数である。
兵を退いたのは、公孫瓉の援軍の到着を事前に察知していたからだ。
李儒は諸国の情勢を把握するために、千にのぼる密偵を放っている。
公孫越を大将にして、一万五千の白馬義従が南陽に向けて出撃したこと。
その白馬義従が、袁紹や曹操との密約が成って、冀州や兗州の地を通過できたこと。
すべてが李儒の耳に届いている。
精鋭揃いの白馬義従であれば、李傕を倒せるかもしれない。そうすれば出世争いの競争相手がまたひとり消えることになる。
すべては李儒の思惑通りの展開だった。
「李儒様。あの忌々しい殿の陣を焼き払いましょう」
先陣を任されている張繍が頻りに出撃を願い出できた。
張繍の叔父の四将軍、張済は随分と前から李傕派から李儒派に鞍替えしている。当然ながらその甥の張繍も李儒に忠誠を誓っていた。その要望を無下に断ることはできない。
「もう一刻待て。油を用意し、火攻めの準備をしよう」
「李儒様、私は一年前あの白馬の一団に袁術の首を獲ることを邪魔された覚えがあります。借りを返したい一心です」
「そうか。承知した。その前に李傕と白馬義従がぶつかるだろうが、李傕の兵は少ないのでこれを破ることはできないだろう。しかし白馬義従も相応の損害を受けるはずだ。攻めるのはそれからにしよう」
と優しく提案をした。
さらに袁術軍では、混戦で主君の所在も掴めぬほどであった。
最前線で奮闘する紀霊と橋蕤の兵は血みどろになりながらも尚も敵を探していた。
「橋蕤よ、お前の兵はどれほど残っている」
「千ほどか。お主の方はどうじゃ」
「こっちは五百ほどだ。馬も乗り潰して徒歩で戦っているところだ」
「合わせても千五百か……そろそろ潮時じゃの。李傕の首は獲れたのか」
「いや。もはやどこに敵の本陣があるのかもさっぱりだ。それはそうと公路(袁術の字)のやつめ俺たちが突撃するのと同時に退却するかと思いきや、俺たちの後ろに続きおった」
「公路の本陣の圧力が無ければ、わしらは遥か昔に潰されとる。あいつも命を賭けてわしらが李傕の首を獲る手助けをしてくれたのじゃ」
「君主危うきに近寄らず、という言葉を知らぬのか、公路は」
「君主としての自覚が足らぬからな。未だに侠の一員のつもりかもしれぬ。まあよいではないか。そのような男を主に持ててわしは幸せじゃ」
「そうだな。よし、最後の一仕事だ。何としても李傕を探し出して首を獲ろう」
「よかろう。死ぬのはそれからじゃ」
そんなやり取りをしていると、背後の方角から大きな歓声と共に馬蹄の鳴らす音が聞こえてきた。
紀霊はこの一糸乱れぬ規則正しい馬蹄の刻みに聞き覚えがあった。
一年前に従軍した白馬の騎馬隊のものに似ている。いや、間違いない。
「橋蕤よ、どうやら俺たちは勢い余って、戦場の反対側に出てしまったのかもしれん。公路も李傕もこちらの方にはおらん」
「なんじゃと?紀霊よ、なぜそんなことがわかるのじゃ。ならばどちらの方向じゃ。西か、東か?」
「南じゃ。援軍もそこだ」
「援軍?援軍とは何だ。誰がこんな所に援軍を出すというのじゃ」
「ええい、喧しい。とにかくついてこい。もしかすると、もしかするぞこの戦」
「もしかするとはなんじゃ」
「勝ちの目があるかもしれぬということだ」
「フン。何を気休めを。馬を失って、徒歩は先ほどからだろうに」
「つまらぬことを言っている場合ではない。皆のもの、ここが正念場。北より公孫瓉の援軍が到着した。流れはきたぞ。後れをとるな!」
紀霊の大音声が響き渡るとやや遅れて兵たちが雄叫びをあげた。
傷付いた身体を引きづりながら南の方向へと歩みを進めるのであった。




