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第22回 貂蝉の舞

董卓暗殺計画「連環の計」ついに最終局面に突入。

第22回 貂蝉の舞


 長安ちょうあん城内


 貂蝉ちょうせんが伎楽を奏でながら蝶のように舞う。

 高らかなは物悲しく、低いは力強く。

 よわい十一にして都一と呼ばれるだけの片鱗を惜しみなく魅せた。


 太尉の張温ちょうおん董卓とうたくの眼前であることを忘れるほど聞き惚れ、尚書令の蔡邕さいようは瞳を閉じて涙した。


 舞の舞台からしばらく下がった場所で、王耀おうよう阿斗あと楊脩ようしゅうの三人が床に膝を付けて控えている。


 剣舞の舞はまだだというのに王耀の額から汗が滴り落ちていた。


 倒すべき董卓の姿が確認できない。

 無暗に遥か先の石段を駆け上がったところで犬死になることは目に見えていた。

 

 何千人が一斉に祝うことのできる広大な祝宴の間には兵の姿こそ無かったが、隠し扉や兵を伏せる場所は幾らでもありそうだった。

 下手をすれば石段にすら辿り着けないかもしれない。


 王耀のなかで焦燥感だけが募っていく。


 たかが十四歳の若造ひとりでどうにかなる相手では無い。

 そんな現実だけが重くのしかかってくる。


 不協和音に気が付いて、ふと隣を見ると、阿斗が物凄い形相で歯ぎしりをしていた。女だてらに侠の真似事などして都の悪童をまとめている女傑ではあったが、この状況では如何ともしがたいのだ。

 そもそもこの阿斗にしても体格こそひとかどのものだったが、まだ十二歳である。

 幾多の死線を乗り越えてきた董卓から見たら赤子同然。

 まともに剣を交えても万にひとつも勝ち目はないだろう。


 楊脩だけが不敵な笑顔を浮かべていた。

 彼はすでに死を覚悟している。

 いや、それであればここにいる全員が同じ心境だったが、彼は董卓暗殺を成功させることに捉われてはいなかった。己が忠義を天下に誇示せんがため、時の権力者である董卓に逆らい諌死しようという腹づもりである。


 王耀はそのことに対してどうこう云うつもりはなかった。それはそれで立派な志だ。例え体肢を割かれようともこの董卓の居城であるで真っ向から異を唱えて国を正すべく説くのだから、並大抵の者に為せるわざではない。


 しかし王耀はそれで満足するわけにはいかない。

 己の名を歴史に刻むためにわざわざこんな地獄の底のような場所を訪れたわけではないのだ。


 悪の根源である董卓を討つ。


 それは祖父である司徒、王允おういんから直々に云い含められた使命だった。


 同時に師と慕う呂布りょふの思いでもあり、遠く離れた場所にいる会ったこともない父・袁術えんじゅつの願いでもあった。


 何より実の兄妹きょうだいのように育ってきた貂蝉が董卓に奪われることをこの手で防ぐことができる。


 しかし世の中、思いだけで事が運ぶわけではない。

 ずっと日陰を生きてきた王耀には充分すぎるほどわかっていることだ。

 

 欲しいものを手に入れるためには、周囲の人たちを上回る執念と決断力、いかなる状況でも冷静に見つめる目、合理的に考えることのできる頭脳が必要なのだ。そしてその全てをがっちりと噛みあわせなければならない。


 あとは自らが血を流す覚悟だけである。


 前任の傅役である田豊でんほうからそう教わったことを王耀は思い出していた。

 傅役は今では魯粛ろしゅくという若者に変わり、田豊は父の意向で冀州きしゅう袁紹えんしょうの陣営へ赴いている。厚遇されて、軍師並の待遇だと聞いた。



 貂蝉が奏でる楽曲は三曲目に突入していた。


 打開策は何も見出せないまま時が流れる。



 ふと、貂蝉が羽織っていた衣を一枚床に脱ぎ捨てた。


 眩しいほどの真っ白な細い二の腕が露わになる。汗が蝋燭の火に照らされて光った。


 貂蝉の目がいつもとは違うことに王耀は気が付いた。

 妖しく深い瞳。

 石段の彼方を見つめる貂蝉の目は、明らかに董卓を誘っている。


 貂蝉は「おんな」を演じていた。


 王允には実子はいなかった。子宝に恵まれなかったのだ。

 養子に迎えた子も病弱で妻を娶ることもなくこの世を去った。

 王耀も貂蝉も王允の血を受け継いでいるわけではない。まったく赤の他人の子を王允は孫として引き取ったのだ。


 王耀も貂蝉もいわくつきの赤子であった。


 世間から抹殺されてもおかしくない状況下で生まれたのだ。

 今日まで生きてこれたのは王允の名と権威のお陰である。

 二人がそのことを忘れたことは無い。


 王允は本当の孫にように二人を可愛がってくれた。


 その恩に報いることは、この命よりも大切なことだった。無論、貞操よりもだ。


 貂蝉は貂蝉なりに覚悟を決めている。


 全身全霊で董卓を「呼び寄せよう」としていた。


 

 阿斗の口から血が垂れた。


 彼女も貂蝉の覚悟のほどを知っていた。阿斗もまた貂蝉のことを妹と思っている。何を犠牲にしても守りたいと考えていた。


 しかしまだ動けない。


 己を必死に縛っていた。怒り狂う手負いの虎のような表情で床を見つめて食いしばっている。唇を伝ってまた赤い血が落ちた。


 楊脩が満を持して立ち上がろうとしたのを王耀は睨みつけて留めた。


 まだ早い。


 決断するのはまだ早いのだ。


 恐ろしいほどの時をかけ、ありったけの思いを乗せない限り董卓は釣れない。


 相手がれるのを待つしかないのだ。


 貂蝉ならばそれができるかもしれない。


 地獄の底のぬしを引き寄せることができるかもしれない。


 いや、必ずできる。


 董卓の身の回りの全ての事が好転している今だからこそ可能なはずだ。

 好事魔多し。

 隙ができるのは今しかない。



 貂蝉の奏でるが熱を帯びる。

 スラリと伸びた真っ白な脚が太ももの付け根まで見えていた。

 胸元の肌は紅潮し、水玉のような汗が輝く。

 

 「見事じゃ!見事じゃ貂蝉。褒美をとらす。欲しいものを云え」

遠くから低く重い声が響いた。董卓の声。


 貂蝉が奏でる手を止め、ピタリと止まった。


 「お褒めいただき恐悦至極でございます」

「遠慮無く申せ」

「はい。それでは……」

「なんじゃ。聞こえぬぞ。はっきり申せ」

「……太師様のお情けをいただければ、この貂蝉、思い残すことはありません。」


 貂蝉ははっきりと董卓のおんなになることを所望した。


 広間に緊張が走る。


 「フ、ハハハハハ!!!!」

石段の上から裂くような笑い声。しばらく続いたその笑い声は確実にこちらに近づいていた。


 「面白い。実に面白いうたげになったものじゃ。よかろう。その願い聞き入れてやる。この場で抱いてやろう」


 「ありがたき幸せ」


 「すべて脱ぎ捨てよ」


 「……はい」


 黒い塊のような巨漢の男が地に下り立った。

 腰回りは常人の倍はあるだろう。


 対して小柄な貂蝉は身にまとっていたものを全て脱ぎ捨てた。

 楊脩が慌てて下を向く。


 董卓の足音が聞こえてくる。


 決断を迫る音。


 田豊の言葉が王耀の脳裏をよぎる。


 欲しいものを手に入れるためには、それ相応の犠牲が必要だと。



 ふと答えが頭の中に浮かんできた。


 はっきりとした正解だ。




 貂蝉もろとも斬り捨てる。




 他にすべが無いことに王耀はようやく気が付いた。


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