第16回 黄蓋と魏延の戦い
孫堅と黄祖の激烈な戦いが始まりました。
第16回 黄蓋と魏延の戦い
荊州、麦城周辺。
麦城に籠る江夏太守の黄祖を囲んでいた孫堅軍一万五千は、敵の援軍が多勢であることを知り、早々に囲みを解いて撤退していた。
黄祖は旗下一万を率いて孫堅の追撃に移る。
後詰として麦城に到着した荊州刺史の劉表の軍三万は、城内に入ることなくそのまま南下していった。
「黄祖軍の先端が我が軍の尻尾に噛みつきました。殿の黄蓋様が上手く捌いていらっしゃいますが、どこぞで陣を立て直し、反撃に移らねばなりません」
自らの甥でもある徐琨の報告を馬を走らせながら聞いていた孫堅だったが、微かにも反応を示さない。
「殿!音に聞こえた黄祖の勇兵。勢いをつけさせると手が付けられなくなりますぞ」
それでも孫堅は無言であった。
劉表の後詰がこちらの計算よりも遥かに多かった。
どれだけ多く見積もっても劉表が集められる兵は二万が限界。しかも訓練の行き届いていない素人同然の軍隊のはずだった。
それが援軍に三万を送り込んできている。
到着までの日数を考えると強行な行進に耐えられる兵、すなわちそれなりに鍛えられた兵だと考えられた。
おそらく劉表の拠点である襄陽の守りはそれ以上の数の兵が守っているに違いない。
劉表は一体どんな魔法を使ったというのか。
「伯言(徐琨の字)、敵の先駆けは誰だ」
ようやく孫堅が口を開いた。
「三鬼のひとり魏延、そして黄祖自身でございます」
「伯言よ二千の兵を率いて先の森に伏せよ。伏兵で混乱したところを本陣が取って返して黄祖を討つ」
「かしこまりました」
徐琨が馬に鞭をいれ、孫堅のもとを離れた。
一方で孫堅軍の最後尾では目の色を変えて追撃してくる黄祖軍を、殿の黄蓋が傷だらけになりながら対応していた。
すでに黄蓋の旗下の兵数十名が命を落としている。
「孫堅軍四天王の一角、黄蓋殿とお見受けいたす。我こそは義陽の魏延文長なり!勝負せよ」
先陣を駆ける黒い顔の将が、ひと際大きな剣を振りながら黄蓋に追いすがってくる。
「生意気な!」
そう叫ぶと黄蓋の側近が二名、魏延の前に躍り出た。どちらも歴戦の勇だ。
「雑魚が出しゃばるな!」
すれ違いざまに魏延が目にも止まらぬ速度で長剣を振るう。槍を合わせることも無く二名の首は胴から離れた。
この魏延、十五歳にして、剣技において天下に並ぶもの無しといわれている天下無双の剣豪である。
「さすがは文長!見事なものじゃ。しかしわしも若い者にはまだまだ負けはせぬ」
岩のような身体に宝石を散りばめた兜をつけた黄祖が笑い声を発しながらその後を追った。一万の兵も我先にと黄祖に続く。
「殿、お待ちください。我が軍に騎馬はわずか。この速度では歩兵部隊との距離が開きすぎです」
三鬼筆頭の蘇飛が黄祖に馬を並べてそう諌めた。
「何を申すか。騎馬が少ないのは敵も同じことじゃ。さっさとあの殿を討たねば文台(孫堅の字)には追いつけぬぞ」
「ではせめて文長に先手はお命じください。この先は深い森が続きます。どこに兵を伏せているかわかりませぬ」
「構わぬ。伏兵などこのままの勢いで打ち破ってくれるわ。おお、見よ常覇(蘇飛の字)、文長が黄蓋と打ちあっておるぞ。負けるな文長!」
追いすがった魏延の長剣が黄蓋の首を落とすと見えた刹那、黄蓋は間一髪で槍を繰り出しその刃を防いだ。
「なるほど、小僧にしては鋭い太刀筋。しかし孫朗に比べればまだまだぬるい」
「孫朗?ああ、孫堅の長男の孫策のことか。面白い、お前の首を討った後で勝負してやる。孫策はどこぞ」
「大きな口を叩きおって、剣技の試合では無敵かもしれんが、ここは戦場。しかも馬上じゃ。あの世で己の経験不足を嘆くがいい」
黄蓋はそう云うと自らの馬を魏延の馬に衝突させた。
魏延が慌ててグラついたところに黄蓋は槍を繰り出す。
魏延は身を翻してその穂先をかわしたが、馬の操縦が疎かになった。右手の大木の根元に馬の脚をすくわれ、馬もろともひっくり返った。
両軍の真正面からのぶつかり合いの場であったら首を獲りに戻るところなのだが、なにせ今は退却の真っ最中。しかも黄蓋は殿の任務を帯びている。そのような時間が取れるはずもない。
黄蓋は渋々その場を後にした。
「うぬ、やるな黄蓋。皆の者、あの首じゃ。黄蓋を討った者には褒美をとらす。討ち取れ!」
黄祖が、落馬した魏延をしり目に吠えた。
歩兵たちは甲冑を脱ぎ捨てて走り始める。
その光景を見て馬の脚を止めた蘇飛に、後続の黄忠が追いついた。
「なんじゃ文長、馬を捨てて徒歩で追いつくつもりか。なんじゃったらその自慢の長い剣も捨てていけ。それなら馬にも追いつこう」
傍らでようやく立ち上がった魏延に黄忠が笑いながら話しかけた。
魏延は唾を吐きながら地面に落ちていた長剣を拾い上げた。
「しかし常覇よ、このままどこまで追撃するつもりなのじゃ。すでに数百は討ち取っておる。この辺りが潮時ではないのか」
黄忠が真面目な顔で蘇飛に語りかけた。蘇飛も大きく頷く。
「孫堅がこのまま逃げ帰るとは思えません。いずれ体勢を立て直して反撃に移るはずです。その前に追撃をやめねばこちらも大きな痛手を被ります」
「じゃったらすぐに殿の後を追い、止めさせるのじゃ」
そうこうしている間に先方から喚声があがった。
ちょうど森に差し掛かった地点である。
「伏兵じゃ。」
黄忠が叫ぶより先に蘇飛は馬を駆けさせていた。魏延も徒歩でその後を追う。
孫堅軍二千の伏兵が黄祖軍の先手に襲い掛かっていた。
大将である黄祖自身が先手にあった。ひるまずに指揮をとり反撃している。混乱は無い。しかも後続が合流して逆に伏兵を押し返し始めた。
と、凄まじい怒号と共に孫堅の本陣が攻め寄せてきた。
先頭は、こちらも大将である孫堅。
そのすぐ背後には四天王のひとり韓当、孫堅の弟の孫静、側近の朱治が馬を捨てて黄祖軍に乱入していく。
黄祖の旗本たちが次々に討ち取られていった。
「ええい、目障りだ!」
ようやく到着した蘇飛が目前の孫堅の兵を朱槍で打ち据えた。
「殿!いずこに」
蘇飛がそう叫ぶとまた孫堅の兵が寄せて来た。しかし蘇飛の鋭い突きを受けて地面に倒れる。
敵味方入り乱れた阿鼻叫喚の混戦模様。
「鎮まれ!!両陣ともに鎮まれ!!」
大音声が響き渡った。
蘇飛がそちらを見ると、数名の屈強な兵たちに捕まった黄祖の姿があった。
叫んでいるのは孫堅軍の韓当である。
「江夏太守、黄祖は捕らえた。降伏せよ。さもなくばこの首、この場で斬り落とす。繰り返す。武器を捨て降伏せよ。そうすれば太守の命は保障しよう」
蘇飛だけではなく、後から来た黄忠や魏延も歯ぎしりしながら悔しがり、そして武器を地面に投げ捨てた。
黄祖を捕らえて勝利目前の孫堅のもとに伝令が届いた。
荊州一帯に放った密偵からの知らせである。
「劉表軍三万、現在南下中」
「南下だと。麦城を守らず、この孫堅の首も狙わずにどこへ向かっておるのだ」
「おそらくは長沙だと思われます」
「なに!?」
孫堅がそう云って呻いた。
長沙は荊州の南にあり、孫堅の拠点である。妻だけでなく、孫策以外の息子たちもここで暮らしていた。当然ながら孫堅軍の兵の家族のほとんどがこの地で生活しているのである。
長沙に残した兵は二千。同族の孫賁が城代として長沙の地を守っていた。
「劉表め、中入りとは大胆な策を。殿、いち早く追撃し、三万の背後を突きましょうぞ」
韓当が進言すると、孫堅も頷き、
「よし、すぐに出立する。朱治よ、黄祖を人質として江夏の兵を牽制せよ。襄陽を攻める際には協力してもらう。黄祖を釈放するのはその後だ。そう伝えておけ」
「かしこまりました」
大柄な体躯を持つ朱治が縄をつけた黄祖の背後に回る。
「文台よ。武士の情けじゃ。ここでわしの首を刎ねよ。やらねば一生後悔することになるぞ」
黄祖が真っ赤な顔をしてそう怒鳴った。
孫堅は聞く耳を持たずに愛馬に跨る。
約五千の兵を残し、孫堅は一万の兵を率いて劉表軍の先回りをした。
敵にこちらの位置を悟らせなければ、一万の兵で奇襲が可能だ。
三万と言えども一度崩れれば脆い。
「中入りとは恐れ入る」
孫堅はそう呟きニヤリと笑った。
敵陣を潰すのにこれほど楽な展開は無い。
これで荊州は獲れる。
祈願成就が目前に迫っていることを感じ、手綱を持つ両手に鳥肌がたった。




