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第4回 飛将

「飛将」呂布とは……。

袁術と呂布の関係は?

第4回 飛将


 曹操そうそう軍五千が惨敗した後、酸棗からは第二陣として鮑信ほうしんの軍一万が出撃していた。特に聞いたこともない名前で、破虜将軍だということだったが、おそらく兄の本初ほんしょが勝手に任じたのであろう。


 先鋒は騎馬隊で千あまり。鮑信の弟の鮑忠ほうちゅうというものが率いているそうだ。

 羌族が混じっている徐栄じょえいの騎馬隊とは比べるまでもないことは明白だった。


 こちらの魯陽ろように向かって進軍してきていた胡軫こしんの軍二万は、途中で陣を敷いて静観の構えである。


 魯陽からは孫堅そんけんの軍二万が迎え撃つ形で出撃していたが、迂闊には動けない。

 いや、孫堅はこのまま胡軫を破り、徐栄のいない汜水関を落としたかったに違いない。

 俺が閻象えんしょうを伝令に出し、自重するよう指示したのだ。


 孫堅ならば先鋒の華雄かゆうはおろか本陣の胡軫をも撃退できるかもしれない。しかし、その背後には後詰としてあの呂布りょふがいるのだ。

 孫堅は呂布の恐ろしさを知らない。当然だ。無名の将なのだから。だが俺は知っている。あの男の異常なまでの武勇を。



 呂布と初めて出会ったのは今から十年以上昔になる。

 

 四つほど年下の呂布はまだ二十歳になりたての血気盛んな青年だった。呂布は洛陽の都で侠の者たちと諍いになり、俺は侠の仲間から呼び出されてその場に向かった。

 当時、紀霊きれい以上の武人はいるまいと頑なに信じていた俺は、紀霊と対等以上に渡り合っている若者を間近に見て驚愕した。

 仲裁に入った後で知ったことだが、紀霊と一騎打ちを繰り広げる直前に呂布は侠の男たち二十人を倒していた。しかもその疲労感を微塵も感じさせない戦いだった。


 九尺(210cm)はあろう堂々とした体躯。目に留まらぬほどの俊敏な動き。異常なほどの闘争心。さらに俺の興味を惹いたのは、これだけの男たちを相手にして誰ひとり殺してはいないということだった。


 呂布はこの時、官位どころか職にもついていない流浪の身で、俺は暇があれば一緒につるんだ。大概の悪さもした。喧嘩もした。相手がどんなやつでも呂布は決して負けなかった。


 面倒事を起こしても俺は袁家の名で握りつぶすことができた。


 そんな俺たちになぜか目をかけてくれたのが王允おういんである。

 彼は武は仁と義のために用いるものであることを説いた。それが勇であると。

 私利私欲のための武は暴に過ぎず、真の男であればくにのために尽くせといつも云っていた。


 家名と俺の権力でももみ消すことができない事件を起こしたときは、王允がなんとかしてくれた。


 俺も呂布も次第に王允を信頼するようになり、それに反比例して悪さをすることは少なくなっていった。


 やがて、呂布に俺は士官を勧めた。

 呂布は軍人になることを夢見ていたからだ。


 并州刺史である丁原ていげんという男が勇猛な男を欲しがっていた。

 漢領土を頻繁に脅かす烏丸や匈奴の連中と戦うことのできる男を探していた。

 丁原は俺の紹介を受け入れ、呂布を自軍に迎い入れてくれた。


 呂布は大いに喜び、この恩は一生忘れないと云って洛陽を離れた。


 そして二年ほど前に丁原が都の執金吾として皇帝に呼び出され、兵二万を伴って上京してきた。

 呂布は見違えるほど凛々しい将になっており、丁原側近の都尉にまで出世していたことに俺は喜んだ。


 王允は呂布に昇進の祝いの品として真っ赤な馬を贈った。


 赤兎という馬である。


 呂布が他人から何か貰ってこんなに喜んでいる姿を見たことはなかった。

 それほど素晴らしい馬であった。


 呂布は自尊心が強い。それは名誉欲とは別なものだった。寝食を共にして一番感じたのはそのことだ。大衆の面前で侮辱されたり、嘲弄されると呂布は逆上する。


 丁原はそのことをよくわかっていないようだった。


 王允はよくわかっていた。


 丁原は配下の前で平気で呂布を叱りつけた。そんな時の呂布は凄まじい形相で下を向いていた。

 呂布は酒を飲まない。

 酔って暴言を吐くような男を極端に嫌っていた。

 丁原は酒好きで、酔ってはよく呂布を叱りつけていたとも聞く。


 呂布は丁原の軍の中で最強の騎馬隊を率いていた。


 一度、洛陽の郊外に賊徒が侵入したとき呂布の騎馬隊の凄まじさをこの目で見たことがある。

 三百ほどの賊徒に対して呂布は百ほどの騎馬隊を率いて対峙した。


 赤兎馬の腹を蹴る。


 百の騎馬がその後に続き、賊徒の軍を断ち割ったかと思うと、敵兵全員が地面に倒れていた。


 一瞬の出来事だった。


 しかも賊徒は誰ひとり死んだ者がいなかった。槍の柄で叩き伏せられていたのだ。

 見事な手並みだった。

 百の騎馬隊は一矢も乱れず呂布の意思に従って柔軟に変化した。

 まるで龍のようだった。

 

 それ以来、洛陽の民からは呂布は「飛将」と呼ばれ、尊ばれている。


 呂布は個としての武勇もさることながら、兵を率いる将としての才も尋常ならざるものがあった。


 その呂布がどのような経緯で董卓の軍に招き入れられたかは知らない。


 おそらくは王允の指示だろう。


 俺が洛陽を飛び出すときついてこなかった親しい仲間は、執金吾の配下として都の警備についていた呂布と、同じく役人として門の守護役をしていた陳宮ちんきゅうぐらいなものだが、呂布に関しては事前に王允から云い含められていて止められていた節があった。


 もし、呂布が俺と共に洛陽を出てくれていたら、南陽の軍容も大きく変わっていたことだろう。


 呂布は俺との友情よりも王允を選んだのである。



 今の呂布は騎都尉として一万の兵を率いている。


 呂布が統率している以上、この一万は十万に匹敵する兵力といえた。無暗に胡軫の軍を刺激し、その背後にいる呂布軍を引っ張り出すことはない。


 きっと徐栄の軍は鮑信の軍を迎撃するだろう。曹操軍五千を楽に破ったのだ、それが一万に増えたとてさほど脅威には感じないはずだ。兵たちの勢いを徐栄は抑えることはしない。


 徐栄は動く。


 鮑信の軍は囮だ。餌に喰いつき徐栄の軍が動けば、酸棗の本陣は一斉に動く。そして河北にいる兄もその重い腰をあげるはずだ。


 兄は昔から他人を扇動して欲しいものを得る習性がある。

 決して自分が傷つくような愚かなことはしない。


 今回の戦もそうだ。

 

 弱輩の曹操を動かし、そして鮑信を動かし、さらには本陣を動かし、安全を確認してから自らが動く。


 ただ、そうなれば後詰の呂布は徐栄軍の救出に向かうはずだ。胡軫の軍を叩くのはその後でいい。呂布がいなければ怖いものはない。


 しかし、俺の思惑とは異なり、鮑信の軍が目前に迫っても徐栄軍は固く布陣を敷いたまま動かなかった。


 孫堅の軍と対峙する胡軫の軍も同様だった。


 それはまるで何かを待っているかのようだった……。


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