第14回 郿城への刺客
王耀らがついに董卓の居城、郿に潜入する。
連環の計はどこまで董卓に通用するのだろうか。
第14回 郿城への刺客
豫州汝南より遥か西方には新都である長安がある。
その長安よりさらに西へ二百五十里(約125㎞)、そこには最高権力者である「太師」董卓の居城、郿があった。
壮麗堅固を誇るこの巨城に、場違いな四人の少年・少女が入っていった。
先頭を歩むのは前司空の楊彪の子息である楊脩。一番年かさの十六歳で、堂々と胸を張り、その大きな目を逸らすことなく前方の一点を見つめ進んでいく。
次に十二歳の少女、阿斗。中郎将として洛陽の地に駐留している呂布の娘である。殺気をみなぎらせ、虎のような眼光を光らせて歩んでいく。
三番手が今回の郿城で開かられる宴の主役、司徒である王允の孫娘、貂蝉。都一と呼ばれる伎楽の腕もさることながら、その可憐な美貌は漢帝国一ともいわれている。目を伏せて、しっとりと阿斗の後に続いていた。
最後尾はそこからやや離れて歩む少年、王允の孫で十四歳になる王耀の姿があった。腰に差した業物は、袁家嫡流に受け継がれる宝刀「北斗七星の剣」。
しかし当の本人は何か考え事でもしているのか、凡夫の如き歩みで時々道端の石に躓いたりしている。
阿斗が舌打ちしながら後方の王耀を睨みつけたりもしていたが、王耀は慌てる風でも無くのんびりと歩んでいた。そんな様子を見て貂蝉がクスリと微笑をこぼす。
それにしても郿城は広い。
入城の門を潜ってから朱雀路を直進し随分と来た。にも係わらず宮殿に至る朱雀門は未だに見えてこない。
一説では長安の城と同じ面積を有しているともいわれている。
三十年分の食料が貯蔵されているとも、選りすぐりの美女千人がその家族とともに在住しているともいう。
(当たらずとも遠からずだな。)
周囲の様子を窺いながら王耀はそう思った。
力攻めでは城を落とすのに五年の月日を要するというのも頷ける。
(この城は力では落ちない。)
落すならば周到に準備した調略をおいて他に手段はないだろう。
王耀は先ほどの魯粛との打ち合わせを思い出していた。
「よくぞ董卓の手駒を籠絡できたものだな」
「金に糸目はつけぬという前提がありましたからな。騎都尉の李粛様は、元来董卓とは馬が合っていなかったようですし、楊定様は董卓の人事に日頃から不満を感じておりました。昇進と褒賞でいかようにも釣れます。胡軫様も汜水関での反董卓連合との戦で不備があり降格されて内心穏やかでは無い様子でした。一番の難関であった汜水関で曹操の軍を破り武功をあげた徐栄様も同郷である皇甫嵩将軍の説得についに折れたようです」
「皇甫嵩様は車騎将軍の任を解かれたとか」
「代わりに董卓の弟、董旻が大将軍の位に就き、長安の官軍全てを統括しておりますな」
「将軍は牢の中か」
「はい。黄門侍郎である荀攸様と同じ牢です」
「どうやって徐栄と面会させたのだ」
「金に糸目をつけねばいかようにも手はございます」
「相変わらず金の使い方は上手だな」
「さて、褒め言葉として承っておきましょう。董卓が誅殺されたあかつきにはこの四将が速やかに郿城の兵一万を鎮撫します」
「長安はどうする。董旻が率いる兵は六万はいるはずだが」
「内応の手筈は整っております。皇甫嵩将軍が指揮をすれば六万の官軍の大部分がこちらに靡くでしょう。何せ董卓はこの世にいないのですからな。恐れるものがありません。董旻の首はすぐに落ちます」
「西には董卓の甥の董璜と四将軍の一角である樊調がいる。南には牛輔と李儒、東には李傕や郭汜といった主力が健在だ。軽く見積もっても二十万はいる。董卓を討っても代わりにやつらがのさばるのでは困るぞ子敬(魯粛の字)」
「ご安心を。そのために洛陽に呂布将軍がいるのです。董卓死すの報を聞けば、西涼の韓遂や東の曹操なども黙ってはおりますまい。南には袁術様もいらっしゃいます。各個撃破は容易いかと」
「まあ倒せずとも長安に籠城すれば数年は持つだろう。やつらも董卓が死ねばまとまりも欠く。後は司徒様の腕の見せ所か……」
「取らぬ狸の皮算用とか……兎にも角にも董卓の首。これなくして話が始まりませぬ」
「承知している。これでも幼き頃より呂布様から武芸の手ほどきを受けているのだ。案ずるな。相手は肥満の巨体、決して討ち漏らしはせぬ」
「近衛の兵がおりますな」
「うむ」
「近衛の兵を斬っている隙に逃げられます。いえ、その前に若様は囲まれて串刺しですな」
「縁起でもない。無暗には飛び出さぬ。じっと機会を窺う」
「きますか?そのような機会が」
「董卓の悪行は天が許さぬ。よって必ず機会は訪れよう」
「太尉である張温様も宴に呼ばれているようです。司徒様とは親交が深く、これから起きる事も事前に含みを入れているとか」
「危ういな」
「危うい……でございましょうか」
「露見している可能性が無いわけではあるまい。太尉様の妻は荊州の豪族蔡家。嫡男の蔡瑁は荊州刺史の劉表の重臣となっているし、劉表の後妻も蔡家の女だという。劉表は裏で董卓と繋がっている。であれば張温が董卓と繋がっていてもおかしくはない」
「確かに。では、今回の作戦は見合わせましょう。」
「いや。漏れているのならばそれはそれで利用できる機会となろう。董卓を誅殺できるのは後にも先にも今しかない」
「漏れていたのでは董卓に会うこともできないかと」
「子どもの刺客など酒のつまみに丁度よかろう。証拠も無しに司徒の血族に手は出せぬ。だから董卓は必ず宴を開き、会おうとするはずだ。そして動きを量る」
「でしょうか」
「董卓にとっても良い機会なのだ。目の上のたん瘤である司徒様を討つ口実ができる。貂蝉という人質を取る以上に効果的な話だ。喜んで私たちの到着を待つだろう」
「それで討てますか。董卓の首を」
「機会だ子敬。必ずその機会は来る」
「おい耀、どうしたんだそんなボーっとして。しゃきっとしろ。ここは董卓の城だぞ」
阿斗が大きな声でそう云うなり王耀の胸倉を掴んだ。
王耀は途端に我に返った。
「まあまあ阿斗さんもそう興奮しないで。ここで董卓だなんて大きな声で口にしたらいけませんよ。誰かに聞かれたら宮殿に到着する前に不遜の罪で殺されます」
年かさの楊脩がそう云ってなだめに入った。阿斗は渋々その場を離れる。
「どうしました耀さん。この城に圧倒されているわけではないように見えますが」
「いえ。少々考え事を……」
「ここまで来たら案ずるより産むが易しですよ。腹を決めましょう」
そう明るく云って楊脩が王耀の肩を叩いた。
当時の名士、ことさら儒者にとって帝のために死ぬことは一番の名誉である。
時の権力者に楯突き、反駁し、諌死することも厭わない。むしろそうあってこそ名士はその名を歴史に刻むことができるのである。
楊脩の覚悟は決まっていた。
事が成功しようが失敗に終わろうが、彼には大きな問題ではないのかもしれない。
楊脩には迷いが無かった。
しかし王耀は立場が違う。求めるものが根っこから違うのだ。
彼は董卓を討たねばならぬだ。
祖父である王允のため、そして会ったことも無い父、袁術のために。それは妹のように可愛がってきた貂蝉のためでもあった。
董卓の待つ宮殿の外門に到着したのは辺りが薄暮に包まれようとしている頃である。
夜の宴が始まろうとしている。
時代の変革を祝う宴になるか、それとも董卓の野望を完遂する宴になるのか。
「連環の計」の重要なつなぎ目は、ひとりの少年に託された。




