第13回 天下三分の計
孫策の一騎駆け。周瑜の志。汝南が激震します。
第13回 天下三分の計
豫州の南の位置する汝南。
こちらでは豫州刺史に任ぜられた孫堅の名代として息子の孫策が兵一万を率い、蠢動する賊徒退治に精を出していた。
「子明(呂蒙の字)よ、いったいどれほどの賊徒がこの地に侵入しているのだ」
補佐役として孫策に付けられた四天王の一角、程普がそう尋ねた。
汝南に入ってからすでに大きな勢力と思われる賊徒の群れを四つほど打ち破ってきた。
主だった指導者たちの首は行路に晒してきている。
これで鎮まるかと思いきや、八方に放っている斥候からは十以上の賊徒の群れを発見したという報告を受けていた。
程普に問われた子猿の様な男、呂蒙はおどけながら、
「三十はあるやろな。けどその中で官軍と真っ向からやりあえる力を持った組は五つや。五黒風と呼ばれとる。黄巾の頭目、劉辟。野党の頭目、黄劭。侠の頭目、何儀。その弟、何曼。流民の頭目、許褚。それぞれが二万から三万の兵を率いとる」
「まとめると十万か……。当初の報告では汝南を乱す賊徒の数は二万と聞いていたが」
程普が低い声でそう云って呻くと、
「まとめる必要はあるまい。個々に撃破していけば済む話だ。で、その五人の中で誰が一番強い」
孫策はまるで脅威を感じる風でもなく、ニヤリとしながら呂蒙に尋ねた。
「さすがはわしの見込んだ殿さまや。十万相手でもまるでびびっておらん。そうだな……一騎打ちでは許褚。用兵では劉辟やな」
そう答えて楽しそうに踊り出した。
周瑜が見かねて、
「おい子猿。口の利き方が昔に戻っているぞ。大将に対してもう少し敬意を払え」
「子猿ではない。わしには殿さまから頂いた子明という立派な字があるんや」
胸を張って周瑜に詰め寄る。
周瑜は苦笑いをしながら、
「では子明、改めて士としての姿勢を問うぞ。仁義礼智信。五常のうちひとつでも欠けようなら士に非ず」
「仁義礼智信……五常……」
「子明は礼に欠けているのではないか。他人に敬意を払えない人物は立派な武将になれないぞ」
「礼……」
呂蒙は呪文のようにつぶやきながら地を向いた。
「アハハハハ」
それを聞いて孫策が天を見上げて笑い出した。
「礼など無用。孫家の男は他者よりも勇猛であり、死を恐れず勇敢であればよい」
ハッとして呂蒙は神妙な顔つきで頷く。
周瑜はそれを一瞥するなり、
「勇は戦に必要な心がけであろうが、勇で国は作れぬ。秩序を守るのは勇では無い」
「秩序も無用だ。強いものが全てを統べる。それこそが士の世界」
「強い者が全てを統べて何になる。また新しき強者が誕生し戦になる。その繰り返しではないか。孫堅様はそのような世界を望んではあらぬ」
「強き者が子孫を残し、より人の世は強靭になる。弱肉強食の世の真理だ。弱き者が寄り添って生きる世界など堕落の道に過ぎぬ。弱者に情けをかけたところで見返りはないぞ公謹。むしろ足元をすくわれるだけだ」
「伯符よ、あくまでも覇者の道を進むか」
「同じことを何度も口に出すつもりは無い」
「国はそれでは発展しない。人も同じ。独裁政治で世は速く動くだろうが、何も根付かぬ。受け身では育たぬのだ。民それぞれが自立の志を持ち競い合う。戦ではなく経済や教育の面で競争し合う社会。その中で長い年月をかけて国は大きくなるのだ」
「長江以南にそこまで国が必要か。親父殿の戯言をそこまで真っ向から鵜呑みにしている公謹の気が知れぬ」
孫策と周瑜がここで互いに息をついた。周囲の将校たちも固唾を飲んで見守っている。
熱い激論であった。
周瑜がフッと笑みを浮かべて、
「長江以南の国だけではない。中華は広い。ひとりの皇帝が統べるには広大過ぎるのだ。私は三つの国があっても良いと考えている」
「三つ……?」
「そうだ。天下三分。それぞれの国が独自の文化を育み発展する。互いに交流し、刺激を受け合いながらより良い方向へと昇華していく。それが私の望む世界だ」
「天下三分……」
そう口にする孫策の瞳に殺気が籠り、辺りは静寂に包まれた。
「東より賊徒二万。こちらに進軍中」
静寂を打ち破る注進が入った。
「許の旗印。ほとんどが歩兵でございます」
続々と斥候からの報告が伝えられる。
「許褚や……片手で牛を締め殺す怪力の持ち主……」
呂蒙が青い顔をしてそう呟いた。
「ほう。一騎打ちでは最強という男の登場か。面白い」
「待て伯符。」
周瑜の制止も聞かずにまたも孫策が愛馬に鞭を入れて駆けた。
大将の動きを熟知してきた兵たちも一斉に動き始める。
押し寄せる流民の軍二万は、おおよそ隊列ともいえぬ陣形で無理やり突っ込んでくる。
一方で孫策の隊は、錐行の陣を崩さずに真正面からぶつかり合った。
装備の薄い流民の軍はあっと云う間に前列を崩される。
真っ二つに陣を割られた。
そこに呂蒙率いる騎馬隊が横やりを入れる。
大半が逃げ腰となり、支えきれない。
かろうじで持ちこたえているのは、精鋭で組まれた中核が懸命に抵抗しているからである。
「許褚め、あそこか」
孫策は主力の位置を確認し、そこを目がけて一気に駆けた。旗本が必死に付いて行く。程普や周瑜も同様である。
身長は八尺(約184cm)はあろう巨漢が馬上で大木のように太い槍を振るっているのが見て取れた。
「許褚!!」
孫策が天を衝くような怒号とともに戟を振るう。
大概の士はこの一撃で両断される。通常の得物では孫策の戟を受け止められないのである。兜だろうが鎧だろうが防ぐ術は無い。
しかし許褚はその一撃を真っ向から受け止めた。
さらに二撃、三撃と立て続けに孫策が戟を振るう。
それも止めた。
孫策が驚いた顔をしている。
それは許褚も同様であった。
「何者だ。名を名乗れ」
許褚はそう問うが、孫策は鼻で笑って、
「賊徒に名乗る名は持ち合わせてはおらぬ。その首を寄こせ」
「その口のききかた、さては孫家の御曹司か」
「だとしたらどうする。馬から下りて首根っこをさらけ出すか」
「噂通りの小癪な餓鬼だ。俺の槍を受けてみろ」
今度は許褚が攻勢に転じる。
孫策の戟よりも重いのではないかという槍を振るって襲いかかった。
孫策は受けずにかわす。
「力だけでは無く鋭い。やるな許褚」
そう応えて戟を振るって応戦した。
すでに大勢は決着がついていた。流民の軍は陣形を完全に崩されて逃散している。
焦っている許褚に孫策は神速とも呼べる突きを三段に分けて繰り出した。
許褚は何とか防いだが、乗っている馬が堪えられずに倒れた。
孫策の兵たちが歓声をあげる。
「面白い勝負だったぞ許褚」
そう云って戟を振り下ろそうとした矢先に右陣が騒がしくなった。
地響きのような馬蹄。
「新手の騎馬隊です」
伝令役がそう叫んで孫策に近寄った。
眼下では許褚が笑っていた。
「かかったな」
「殿さま、劉辟の騎馬隊や。二万はおるぞ」
呂蒙の声が聞こえた。
孫策は歯ぎしりをしながら馬蹄の響く方向を睨んだ。
二万の騎馬隊に横腹を突っ込まれては壊滅は必至である。
しかし、地を揺らす馬蹄は劉辟のものだけではなかった。




